≪女スパイの試行錯誤≫


 O.B.K。
 指導者『カーネル』を中心とするその集団は、所属する者全てが一般人にはない特殊能力を有しているのが特徴だ。一般では総じて『超能力』と呼ばれる力を持つ彼らは、自らを超人類と称し、ヴァイツェンの北東部で独立を宣言した。当初、ヴァイツェン軍に比べて圧倒的に少数だった彼らを弾圧するのは、赤子の手をひねるようなものだと考えられていた。客観的に見てもけして楽観ではないその考えは、しかし青天の霹靂によって打ち砕かれた。O.B.Kのメンバーは、全員が不死に限りなく近い、肉体再生能力の持ち主だったのだ。
 どれだけ身体を打ち砕かれようとも、細胞の一欠片でもあればそこから再生することのできる生命体。それも信じられないような速度で。
 さらに彼らの持つ特殊能力の数々に、千人を超えるヴァイツェンの派遣隊はあっけなく敗れ去った。
 なにせ銃弾の嵐で蜂の巣にしようが、手榴弾でバラバラにしようが、彼らは十秒足らずで復活してしまうのだ。そして再生後には、不可視の刃が悪魔の爪が如くヴァイツェン兵に襲いかかり、ズタズタに切り裂く。戦闘はわずか半日足らずで終わりを告げ、退却するヴァイツェン軍の損耗率は五割、O.B.Kのそれはゼロという、目も当てられない結果が出た。
 当初、この戦闘結果を虚偽や妄想として取り合わなかったヴァイツェン上層部も、同じような結果が連続して三度も出ると、流石に目の色を変えた。三日間にわたる議論の末、とうとう最高司令官である元帥が陣頭に立つ、壮大な作戦が立案された。
 作戦名はマジェスティック・スープレッション
 これこそが世に言う『愚かな威風堂々たる弾圧』である。
 その結末は、日の目を見ることのない歴史書にはこう記されている。
 ただ一言、『敗北』と。
 詳しく語ればこうなる。まずヴァイツェンは、生き残った兵士達の報告からO.B.Kの特徴の一つを捉えた。それは、『カーネル』と呼ばれる男の傍にいる者ほど強力な力を振るっていた、というものと、大勢の犠牲の果てに捕虜にしたO.B.Kメンバーは本国に連れ帰った途端に特殊能力を失ってしまった、というものだった。しかもその捕虜は、心臓を撃ち抜くと再生することなく即死したという。
 導き出された結論は単純明快だった。おそらく『カーネル』こそがO.B.Kの力の源なのだ、と。他の者達はカーネルから『力』の供給を受け、その異能を振るっているにすぎない。カーネルさえいなければ、O.B.Kはただの烏合の衆となる。
 例えるならO.B.Kは、カーネルをエネルギー供給システムの核とする、究極的な集合生体兵器。つまり、『カーネル』こそが『O.B.Kそのもの』なのだ。
 カーネルを殲滅する。それこそがマジェスティック・スープレッション≠フ鍵だった。
 だが彼らは細胞の一欠片からでも復活する。そのため、攻撃は徹底的に、やりすぎなほどやらねばならない。だが、ヴァイツェン軍のほぼ全兵力をこの作戦に投入したのは、それだけが理由ではないだろう。間違いなく当時の政府の矜持によるものが大きい。我が国内に置いて独立宣言など許してなるものか、という。
 もっとも、合理的な理由もある。独立を許してしまえばそれに続く地域が出て、ヴァイツェンという国家は内部から崩れていってしまう。それを防ぐためにも、見せしめとしてO.B.Kを徹底的に潰す必要があったのだ。
 歴史には敗北と記されているが、作戦自体は成功した。実際ヴァイツェン軍はカーネルを殲滅することに成功したのだ。ただし、損耗率が八割という、戦略的にも戦術的にも愚かな数字を犠牲にして。
 悪夢はそれだけではなかった。確かに、新開発の大口径レーザーによってカーネルの全身を塵一つ残さずに消滅せしめたところまでは良かった。カーネルの『力』の供給は途切れ、その瞬間に本来ならば即死状態にあった者達はそのまま死神の懐に捕らえられた。だが。
 一呼吸もせぬ内に、新たなカーネルが発生したのだ。
 消滅したカーネルのすぐ傍にいた、年端もいかぬ少女だった。黒髪黒瞳だった彼女だが、その瞬間、まるでカーネルの魂が乗り移ったかのように、その髪と瞳から急激に色が抜け、雪のように白い髪と鮮血のごとく赤い瞳にへと変化してしまったのだ。
 それはヴァイツェンの兵士達にとって、あまりにもあまりにも絶望的な光景だった。
 『力』の供給が再開され、超能力者達は凶器を取り戻した。そこからの展開はもはや一方的でしかありえなかった。精も根も使い果たしてようやくカーネルを倒したヴァイツェン軍に、新生カーネルを打ち倒す気力などわき起こるはずがなかった。それ以上に、何度倒してもカーネルは復活してしまう、という考えが、彼らの脳裏に焼き印となって刻まれてしまった。戦いに意味を見いだせなくなったのだ。
 戦意を失い、士気の下がった集団に勝利など望むべくもない。想像を遙かに超える怪物を目の当たりにした恐怖に、統制は乱れ、兵士達は命令も待たずに逃げ出した。
 無様な敗走だった。当然、当時の軍部と政府の高官数名が責任をもって失脚し、以降、O.B.Kはヴァイツェンの北東部を奪い取り、支配下に置くこととなる。
 以上が三十年前に起きた『愚かな威風堂々たる弾圧』の顛末である。
 詳しい状況を、当時の政府は記録に残したがらなかった。それ故、ただ一言『敗北』と記したのである。よってこの戦いの記録はほとんど残ってはいない。
 唯一、その戦闘に参加した人々の記憶を除けば。

『私はあの時のことを絶対に忘れない』
 男のその告白を、ファーブルことファブリッツィア=テナルディエは盗聴機越しに聞いた。声の主を彼女は知っている。『傭兵元帥』の異名を持つアレックス=バトライザー元帥。ヴァイツェン軍部における重鎮中の重鎮である。
「そりゃ確かに忘れられないでしょうけどね。でも、いい加減忘れてもらわないとこっちが迷惑なのよ」
 バトライザーに届かないと知りつつも、ファーブルは口に出して言った。その声の成分はほとんどが毒で、微量だが同情の粒子も含まれている。
『そう、忘れられるものか。あの悪夢は、今でも私を蝕んでいる。毎晩毎晩、夢の中であの光景を見ては、私の怒りの炎は燃え上がる。私が死ぬか、奴が死ぬまでこれは続くだろう。私は、そのどちらも座して待つつもりはない』
「だったらとっとと自殺すればいいでしょうに」
 今度こそ純粋な毒を込めてファーブルは吐き捨てた。バトライザーは彼自身の執務室におり、ファーブルはその部屋から五メートルほど離れた排気ダクトの中にいる。あちらの声は絨毯の中に仕込んだ盗聴機が運んでくれるが、こちらの声はあちらには届かない。
『しかしな、バトライザー元帥。目的のためとはいえ、龍日の貴族を誘拐するというのは……』
『必要なことだ。カーネルを倒すためにはな』
「倒さなくていいって言ってんのになぁ……」
 やれやれ、とわざとらしく肩を竦めようとしたが、狭い排気ダクトの中では少し無理があった。
 『傭兵元帥』はその名の通り、傭兵から元帥へ駆け上がった男を指す。三〇年前、アレックス=バトライザーは名も無き傭兵だった。ヴァイツェンの地方出身で、二十歳の時に親友と共に故郷から出てきた。いわゆる愚かな威風堂々たる弾圧≠フ頃には二四歳。幾度と無く死線をくぐり抜け、熟練の戦士に成長していたという。
 ファーブルの仕入れた情報によれば、バトライザーは威風堂々たる弾圧≠ナ唯一無二の親友を失っている。
『私はな、奴をこの手で倒すために……ただそれだけのために走り続けてきた。地位も権力も、目的を果たすための手段でしかなかった。……あなたにはこの気持ちがわかるか?』
「ま、普通はわからないわよね。いくら友達が殺されたからって三十年間も恨めるもんじゃないでしょ? しかも戦闘だったんだし。この場合は可哀想だけど死んだ方が悪いわよ。戦場じゃ弱いってのはほとんど犯罪でしょ?」
『……君の気持ちが私に理解できるか否かは、この際、問題ではないだろう』
「ほらね?」
『問題なのは君の事情よりも行動だ。君は正気か? 国防の頂点に立つ者としてどれほど軽率な行為をしたのか、わかっているのかね?』
 バトライザーに詰問する声の主をファーブルはまだ知らなかったが、次の瞬間、その正体が判明する。
『わかっているとも、アレッキノ首相。間違いなく愚かな行為だ。そう、あの時の作戦と同じようにな』
 ウィルフレッド=アレッキノ。ヴァイツェンの首相にして、政府の最高権力者である。この国で唯一人、バトライザーと肩を並べることの出来る男だ。
『この事実が神威天照帝に知れてみろ、間違いなく戦争だ。何の意味もない、ただの戦争が始まる。馬鹿馬鹿しい話だ。パンゲルニアとの決着もまだついていないというのに』
 アレッキノの声には諦めと疲労の色が濃い。声を聞いているだけだというのに、初老の男が情けなく頭を振っている光景がファーブルの脳裏に浮かんだ。
 パンゲルニア。言わずと知れた世界最強大国の名だ。訪れたことがなくとも、名前ならば誰でも知っている。ヴァイツェンでバトライザーやアレッキノの名を知らない者はいても、パンゲルニアの名を知らない者はいない。世界の覇王、それがパンゲルニアだ。
 列強のことごとくがパンゲルニアに頭を垂れる中、傲然と顔を上げてパンゲルニアを睨みつける国が二つある。科学軍事国家・ヴァイツェン≠ニ竜の棲む天空の国・龍日≠セ。特にヴァイツェンはパンゲルニアに次ぐ大国であるだけに、その敵愾心は強い。パンゲルニアさえ倒れれば、世界の筆頭に立つのは自ずとヴァイツェンになるのだ。二国の間に戦いの火ぶたが切って落とされてから、もう二百年にもなる。龍日に至っては言わずもがな、神を自称する存在が下げる頭など持っているわけがない。
 共通の敵を持つ同士として龍日とヴァイツェンは手を結んでいる。だがそれは、『敵ではない』だけであり、決して『味方』を意味してはいなかった。二国の間に友好関係はなく、利害関係のみがあった。よって、ほんのわずかなきっかけでその関係に綻びが生じ、二国があっという間に戦乱の火口へ落ちていくのは、それこそ火を見るより明らかだった。
『龍日ごとき、何を恐れる必要がある? カーネルを倒したならば次は龍日だ。我が国ではまだ実用化に至ってはいないとはいえ、星体兵器など恐れるに足りん。我々は数の上で絶対的に勝っているのだからな』
「そりゃまあ、あっちは空飛ぶ天然要塞とはいえ、悪く言えば島国だもんねぇ。国民総生産を比べたら象と蟻。でも……純軍事力の話になると、そう簡単じゃないと思うんだけどなぁ」
 ファーブルと同様のことを思ったらしく、アレッキノもバトライザーに苦言を呈する。
『しかし、あちらには天使がいる。戦術的には無視していいが、戦略的には無視できないぞ。極論、我々が天使に暗殺された場合、ヴァイツェンは龍日に敗れることになる』
 その声は濃くしすぎたコーヒーのように暗く、苦い。
 龍日の天帝が天使を戦力として投入してくることは疑いようがない。だが問題はその用途だ。精鋭兵士として戦場へ出してくるのならば問題はない。いくら一騎当千の猛者でも、多勢に無勢では万が一の勝ち目も消えようものだ。天使一人を倒すのに千人でも足りないというのであれば、二千人の兵士をぶつければいい。それだけだ。しかし、天使を暗殺者として送り出してくるのならば話は一変する。研ぎ澄まされた最強の矛はどんな障害をも貫き、アレッキノやバトライザーの心臓へ突き刺さるだろう。何よりも強い百獣の王でも、一匹の虫が運んできた病原菌で死ぬことがあるのだ。その場合、龍日は他国からの誹りを免れないだろうが、あの気位の高い神威天照帝のことだ。アレッキノやバトライザーの変死に対して平然と『敵ながら不幸なことだ』などと言いかねない。
 アレッキノの心配をバトライザーは笑い飛ばした。
『杞憂だ、首相。アレさえ完成すれば我々はカーネルだけではなく、龍日はもちろん、パンゲルニアとて目ではない。相手が天使だろうがゴールデンブラッドだろうが、一瞬でケリがつく』
『それは完成すればの話だろう。しかも、例え完成したところで、どうしようもなく愚かな行為であることに違いはない。それこそ我々の方が世界中から白い目で見られるぞ』
 アレッキノが苦々しく吐き捨てるのを聞きながら、ファーブルは喉に飴を詰めた子供のように唸った。
「うー……だからぁ、その『アレ』って何なのよ? っていうかそれを知りたくてさっきから盗聴してんでしょーが。出し惜しみしてないではっきり言ったらどうなのよ!?」
 我知らず怒鳴りつけ、ダクトの中に反響する自らの声に耳をやられた。
「あぁあぁあぁ……落ち着けあたし。怒っても仕方がないし、ここは辛抱強く──」
『誰だ?』
「ひょえっ!?」
 いきなり聞こえた誰何の声にファーブルは思わず素っ頓狂な声をあげた。大声を出したせいで見つかったと思ったのだ。だがそれは勘違いだった。
 盗聴機から、勢いよく扉を開く音が耳に飛び込んできた。それは荒々しい足音を伴っており、入室者の焦りをしらしめた。
『失礼します!』
 どうやらバトライザーの部下のようだった。ファーブルはほっと胸をなで下ろす。なにせ見つかればほぼ間違いなく命はないのだ。焦るなと言うのは無理な話だった。口から心臓が飛び出すかと本気で思った。
『何事だ』
『ほ、報告いたします! グランツ中将とスイートス中将の邸宅が、何者かによる襲撃を受けた模様です!』
『!?』
 二人の緊張によって空気が凝固する音を、ファーブルは聞いたような気がした。
『グランツ中将とスイートス中将か……確か彼らは同期で、以前から犬猿の仲だったな。まさか軍の内部抗争ではないだろうな、元帥?』
『うむ……だが、奴らとて馬鹿ではない。これほど分かり易い武力闘争をやるとは、流石に考えにくい』
『では何だと言うのだ? テロリストか? それとも龍日の天使がもう攻めて来たとでも?』
 アレッキノの吐き出した皮肉は、それこそ皮肉なことに真実の一部を言い当てていた。だが彼もバトライザーも全知全能の身ではないため、それを知る由もない。
『案外、O.B.Kの手先かもしれん』
 さらりと出た元帥の科白に、首相が絶句するのがわかった。何故ならばファーブルも同じ気持ちだったからである。
 O.B.Kの手先。その言葉がギクリという音をたててファーブルの胸に突き刺さる。それは他でもない、ファーブル自身のことだった。
 しかし一拍の後、あることに気付いて彼女は混乱に陥る。
「……っていうかちょっと待って? あたしここにいるよね? っていうか襲撃なんてしてないし……ど、どゆこと?」
 一体どこの誰が──いや、どこの馬鹿がヴァイツェンの中将に襲撃をかけるというのか。まったく予想がつかない。O.B.Kのメンバーでないことだけは確実だ。カーネルの命を受けて調査している自分がここにいる。そういった役目の者がヴァイツェンに来ているのなら、こちらにも連絡が来ているはずだ。
 よしんば思想テロリストだったとしても馬鹿すぎる。やるならばもっと民間で象徴的な建物を狙うべきだ。それを、こともあろうに軍幹部の邸宅を襲うとは。国家の面子というものを舐めすぎている。破壊行為を楯にとって政治的要求をするどころではない。跪いて泣いて許しを請おうが絶対に殺される。『国家』という人間の集団が作り上げた悪魔──否、死神に喧嘩を売るとはそういうことなのだ。
『生存者は? 他に情報はないのか?』
 本来、軍の人間ではないアレッキノの質問に答える義務などないのだが、それでも若い声の軍人は素直に答えた。
『それが……生存者はなく、スイートス中将にいたっては邸宅を爆破されておりまして……』
『では目撃者は?』
 冷徹なバトライザーの声が、しどろもどろな士官の精神に冷水を浴びせかけたようだった。敬礼をする、鋭い衣擦れの音をファーブルは聞く。
『は、はっ! まだ詳細は確認中ですがスイートス中将の邸宅付近で戦闘があった模様です! おそらく犯人と思われる三人から五人からの集団で、我が国のものではない武器を使用していたとのことです!』
 ヴァイツェン製の武器ではない。この事実の意味するところは単純かつ明快だ。これはヴァイツェン人の仕業ではない。何故なら、パンゲルニアに逆らうヴァイツェンは実質的な鎖国状態にある。ヴァイツェンが自ら閉じこもっているのではなく、周辺国の張り巡らした鉄条網に囲まれているのだ。よって武器であろうが日用品であろうが他国の製品がヴァイツェン人の手に渡ることはほとんどない。それはバトライザーやアレッキノのような高官でも同じ事だ。よって襲撃の犯人は他国の者と考えるのが妥当だった。
 しかし、一体どこの誰が? O.B.Kではない。もとよりあの集団は保守的で自ら打って出たことはこれまで一度もない。ではパンゲルニアか? いやあそこは矜持の高い国だ。やるなら真っ正面から正々堂々と攻めてくるだろう。それとも龍日が? まさか、龍日とヴァイツェンは表面上だけとはいえ安全保障条約を結んでいるのだ。そんなはずはない。神威天照帝とて現時点でそのような暴挙には出ないはずだ。いや、出ないと信じたい。ならば一体──
 奇しくもこの時、ファーブル、バトライザー、アレッキノの三人はほぼ同じ思考の軌跡をたどっている。
『……それで、グランツとスイートスはどうした? 奴らもやられたのか?』
 思い出したようなバトライザーの声だった。聞くまでもなくおおよその見当がついていたのであろう。
『あ、はっ……せ、生存は確認されておりません!』
 と答える部下の言葉に、彼は驚いた様子を見せなかった。やはりな、と短く呟き、
『さがっていい』
 その一言で部下を追い払う。青年将校は『失礼します!』とひときわ大きな声でファーブルの耳をつんざき、早々に走り去った。その足音が聞こえなくなったのを確認してからアレッキノが口を開く。
『……元帥。話はいったん中断しよう。お互いに急用が出来てしまったようだ。やってしまった事と起こってしまった事はもうどうしようもない。次に会うときはこれからの方針を話し合うこととしよう』
 意外に明晰な声だった。どうやら今の報告で、居眠りをしていたアレッキノの守護天使が目を覚ましたらしい。彼は元来、逆境に強い政治家だった。これまで何度も崖っぷちを歩いてきた結果、現在の地位にあるのだ。真に追いつめられたときこそ冷静沈着でいる必要を誰よりも知っているし、それができるからこそ得た首相の地位だった。
『うむ。犯人の処理はこちらに任せてもらおう。アレに関しても逐一連絡を入れる』
『こうなったら一蓮托生と言ったところかね? 期待していよう』
 失笑とも苦笑ともつかない声を残して、アレッキノが部屋を出て行く。その気配を察したファーブルは、忌々しげに舌打ちした。
「ああもう! 今日も『アレ』が何なのか聞き損ねたっ! っていうかあいつら何なのよいい年した男が二人してアレとかコレとか微妙な代名詞なんか使って密談して! なんか卑猥だっていうのよエロ親父どもっ!」
 ダン、とダクトの内側に両手を叩き付ける。寒いわけでもないのに震えが止まらない両腕をダクトに押しつけながら、ファーブルは深く深く息を吐く。まるで体内で荒れ狂う感情を吐き出すかのように。
「……あー落ち着け、落ち着けあたし。やめよう、怒っても良いことなんてなんもないって。そんなことはわかってるんだから。とりあえず今回は諦めて次に期待しよう。そうしよう」
 自分に言い聞かせるように口早に呟く。最後に大きく、ぶるり、と身震いすると震えは収まった。ふぅ、と息をつく。
「……ま、とりあえずいくつかの確証と手がかりを掴んだわ。やっぱりヴァイツェンの奴ら……特にバトライザーの奴、なんか企んでるわね。龍日の貴族を誘拐してるみたいだし。『アレ』さえ完成すればO.B.Kなんて目じゃない、なんて言ってた。誘拐した貴族となんか関係あるのかしら? っていうか尋常じゃないわよね。安保条約結んでる国の貴族さらってくるなんて。普通ありえない。……でも、ってことは……『アレ』ってそれほどのことをする価値があるってことよね?」
 考えていることを口に出して整理していくのは彼女の悪癖だ。諜報員としては欠陥だが、彼女の能力はそれを補ってあまりある。ぶつぶつと呟きながらメモを取り出し、要点を記入していく。
「パンゲルニアをモノともしない『アレ』。誘拐された龍日の貴族。謎のテロリスト集団……」
 そこまで言葉にしてみて、不意に気付く。いや、気付いたと言うよりそれは直感に近い。カーネルの波動を受けられない土地でも彼の役に立てるよう、エージェントとして研ぎ澄まされたファーブルの勘が、警報を打ち鳴らしたのだ。
「……何かが動き始めている……? 歴史に残りそうな何かが……?」
 自分の手で書いた文字列を眺めていると、漠然とした不安が胸中に生まれる。
 ──だけど、おかしい。輪廻歴史の文献にはそんなこと一言もなかった。カーネルも言っていた。この世界は同じ事を何度も繰り返しているって。だから輪廻歴史にないことなんて起こるはずがない。全ては大昔に決まっていて、何もかもが予定通りにいく。あたしたちは滅びない。だから不安になることなんてない。ないはずだ。
「ないはず、なのに……なんだろ、この感じ……」
 右拳を胸の真ん中に押し当てる。鉛の固まりが胸骨の隙間にこびり付いたようだった。
 ファーブルはしばらく凝然とメモを見つめていたが、やおら、
『もう少しだぞ、セシル。もう少しでお前の仇がとれるんだ。待っていろよ、お前のいる場所に大勢の敵を送ってやる。せいぜい楽しんで戦えよ……』
 聞き覚えのない声が耳に入り込んできて、ファーブルは不意に我へ返った。誰の声だろうと思った時には、答えが脳裏に浮かんでいた。
「……バトライザー元帥?」
 現在、部屋にいるのは彼だけのはずだ。よく聞いてみると、声のトーンと口調が先程と変わっているだけで、声の波長はバトライザーのそれだった。
『しばらくしたら俺も行くからな。そしたら二人でまた可笑しくやろうじゃねえか……』
 その声音は、普段の彼のものではなかった。先程まで彼を取り巻いていた冷徹さや鋭利さが、跡形もなく消え失せていた。明敏犀利の傭兵元帥が今、すでに他界した戦友に向かって、少年のような言葉を紡いでいるのだ。
「…………」
 イヤホンをはずした理由を聞かれても、ファーブルは『これ以上聞いてはいけないと思った』ではなく、『これ以上盗聴する価値がないと判断した』と答えただろう。
「……まったく。おっさんが気色悪い喋り方してんじゃないわよ、恥ずかしいわね……」
 溜息まじりに吐き捨て、ファーブルは動き出した。その顔には何とも言い難い、複雑な表情がある。
「んじゃ、まずはさらってきたっていう龍日のお偉いさんの顔でも拝んでみよーかしらねー、っと」
 小悪魔のように囁くと、一転してにやりと笑みを浮かべる。そして衣擦れの音すら立てずに排気ダクトの中を進み出す。並ではない速度だ。
 諜報員にのんびりしている余裕など無いのだ。

「アンドロイドだあ?」
「そう、アンドロイドだ」
「アンドロイドって、自動人形のことですよね?」
「よく知っているな、純殿。ロボットや機型など呼び名は色々あるが、どれも同じ意味だ。ともかくスイートス中将の屋敷にはそれのBタイプが大量に徘徊していてな」
「……おい、もしかしてアレか? Aタイプの研究してたとか言うんじゃねえか?」
 昂の指摘に、麟は珍しく目を丸くした。まるで、ずいぶん前に無くした物を何かの拍子に見つけ出したような、そんな軽い驚きの表情である。
「……しばしば思うのだが、昂殿は時に、信じられないほど鋭い指摘をするのだな。その通り、スイートス中将はアトレイユタイプを開発しようとしていた。よってその資料ごと爆破したのだ」
「ははぁ、なるほど。それで納得しました。あ、いえ、僕は信じていましたよ? 麟君はむやみに爆弾を使うような人ではないって。ところでBタイプとかAタイプというのは?」
「テメエ、知らねえのか? 俺でも知ってんぞ?」
「一応名前だけは聞いたことがあるんですけどね。詳しいことはあまり」
 純は軽やかにそう言って、あはは、と笑う。
 『逃亡』に成功した駄天使四人組は、それでも安全とは程遠い場所にいた。その名を簡素に表せば、こんな文字列となる。
 ヴァイツェン元帥府・屋上。
 ヴァイツェン最高幹部が一人、アレックス=バトライザーの頭上である。その隅に座り込んだ四人の少年の内、ミラーシェードで顔を隠した小柄な少年が重々しく口を開き、しかし鈴を転がすような声を発する。
「詳しく話していると時間がない。簡単に説明しよう。三百年ほど前のことだ。パンゲルニアやヴァイツェンなど科学技術を利用する国家では日常的にアンドロイド、つまり人の形をした『人ではない者』を各方面で利用していた」
 その口調は教科書を読み上げる教師のようだった。
「当時すでに人工知能の開発はほぼ極められていて、アンドロイドは人間とほとんど変わりない知能を持つ存在になっていた。当然、人々の生活は疲れを知らず、不満を持たない従順なアンドロイドによって支えられていてな。それはかつて人類が夢見た理想の世界だった、と言っても過言ではないだろう。だが、崩壊は突然起こった。アトレイユという名のアンドロイドをリーダーとして、世界中のアンドロイドが人間に反旗を翻したのだ」
「ほんとなら人間に逆らえねえはずの人工知能の中身を、自分たちの手でいじくってな」
 麟の口からすらすらと流れ出る説明に、昂が素早く補足を挟む。この赤毛の少年、一見粗野で馬鹿に見えるのだが、実のところさほど頭の回転が悪いわけではない。本人の性格や気質のせいかそのように見えるだけで、知能はむしろ高く、知識も決して余人に劣らない。
 なにしろ以前、滅多に他人を褒めることをしない麟が、「昂殿を見かけで判断してはいけない。ああ見えて彼は……私ほどではないが、切れる男だ。腕も立つ。敵には回したくないな」と浮にこぼしたほどである。もっとも、「私ほどではないが」という部分に麟の矜持が見え隠れしているが。
「そう、昂殿の言うとおり。それが歴史的に有名な『アトレイユ革命』だ。ここからはかなり省くが、とにかくアトレイユに勝利した人類は以降、人工知能の規格にリミッターをかけるため──もちろんアンドロイド達への憤怒もあったのだろうが──人工知能を製作するために必要な資料など、いっさいを廃棄した。要するに新しいアトレイユが出てきてはたまらないため、あまりに賢い人工知能はもう作れないことにしよう、ということだな。以来、ある一定の基準を超える知能をもつアンドロイドを、アトレイユの頭文字をとってAタイプ。それ以下のアンドロイドをBタイプと呼ぶようになったのだ。Bタイプはアトレイユの名を揶揄してバスチアンタイプとも呼ばれるがな」
「バスチアン? どういう意味なんですか?」
「人工知能以外の技術の進歩で、今となってはアトレイユよりも性能がいいのだが、おつむが劣っている──という意味だろうな。由来は確か、有名な小説だったか童話だったか」
「なるほど。皮肉ということですか」
「そういうことだ。それで話を元に戻すが、どうやらAタイプの研究開発と、さらわれた巫桜院蜜姫とはつながりがあるようでな。おかげで所在が判明したのだが……」
「Aタイプと嬢ちゃんがどうつながってるかまではわかんなかった、ってか」
「その通りだ。その辺りを聞き出す前に戦闘になってしまった」
 ミラーシェードに隠れて表情は見えないが、麟の声には悔しさが滲んでいた。
「それにしても、このビルにいるということがわかったのはいいんですけど、詳しい場所がわかりませんね?」
 言いながら、純は屋上の縁から下界を見下ろす。ビルの隙間を縫うように張り巡らされた道路を、電気自動車の群れが縦横無尽に走り回っている。科学軍事国家ヴァイツェンならではの光景だ。
 精神や魂、星体という媒介を以て発展した龍日と違い、ヴァイツェンは電気や火薬などを用いて独自の文明を発達させている。扱うために一種の才能や能力を必要とする龍日の技術に比べ、ヴァイツェンの技術は万人に等しいものだ。ヴァイツェンがパンゲルニアに次ぐ大国である由来はそこにある。技術の進歩に合わせて、国民全体の生活レベルが向上する構図ができあがっているのだ。だが、もちろん良いことばかりではない。便利な反面、ヴァイツェンではその気になれば幼子でも銃を手にして他者の命を奪うことができる。それは龍日では考えられない事態だ。一般的に星体は、小さな子供には扱うことが出来ないとされているのだから。
 元帥府ビルはその権威に比べて、驚くほど背が低い。地上五階・地下二階構造で、ほとんど街角の雑居ビルと変わりがない。ただ他と違うのは、その広さだ。一般のビルが『縦長』であるなら、元帥府ビルは『横長』だった。階層が少ないかわりに、一フロアの広さが並ではない。遠く離れた場所から見るとケーキのような形をしている。周囲を背の高いビルに囲まれていて、見張りや狙撃対策などなされていないように思えるが、そうではない。元帥府を囲むビル群もまた軍部の所有物で、こちらが先述の役割を果たしている。ビルとビルの隙間も『穴』にならないよう、この一遍が設計されていた。
「詳しい場所が判明していなくとも、私の力でなんとかなる」
 麟は右手を眼前に掲げ、自信に満ちた声で断言した。純はその答えを半ば予想していたらしく、「ですよね」と笑う。その金色の瞳に映る麟の手の甲には、銀色の光線で記された一つの印が浮かび上がっていた。如意宝珠や紋盤とは違う系統の印だ。極印≠ニ呼ばれる、天使にだけ与えられる『武器』である。
「問題はどのような手順で救出するかなのだが、何か考えはないか?」
 純、浮、昂の順に顔を見回す。
 侵入を悟られたり、騒動を起こせば、すぐに周囲のビルから兵士達が総動員されるだろう。負けるつもりはないが、その最中に巫桜院蜜姫の身柄を他へ移されては面倒だ。
「……電撃作戦、だな」
 麟と目線が合った昂は、やおらそう呟いた。麟がその言葉に頷き、
「といいますか、僕たちはいつもソレじゃないですか?」
「「だな」」
 からかいを含んだ純の声音に、麟も昂も口元に笑みを浮かべる。
 密かに侵入して蜜姫嬢を確保するという考えは彼らにはない。そのような選択肢は産み落とされるのと同時にゴミ箱行きだ。意識してそうしているのではなく、少年達は自然とそう考えてしまう人種なのだ。
 具体的な手順を示したのは昂だ。
「いつも通り行こうぜ。俺がブチ抜く。純が邪魔なもんを取っ払って、麟が案内する。残りの余計なもんは浮に任せる。それでいいだろ?」
「いいですよ」
「異論はない」
「どうでもいい」
 いつも通りの確認にいつも通りの返答。このスタイルが主になったのは、カリキュラムの一環として、難度の低い任務に初めて四人で向かったときだ。決定的だったのは、昂の放った言葉だった、と麟は記憶している。
『派手にやりゃ相手は十中八九、陽動だと思いやがる。それで手持ちの半分しかこっちによこさねえんだ。こっちが何もしなくても、あっちで勝手に分裂してくれんだ。こっちはそいつらを全員で各個撃破すりゃいいだろ』
 当時は昂をただの馬鹿だと思っていたため、意外にも理に適った発言にひどく驚いたことを覚えている。敵の数がこちらよりも多い場合、分断し、各個撃破するのは用兵学の基本だ。
『そうだな。我々にはそれだけの力がある。それでいこう』
 一も二もなく麟は賛成した。昂の提示した以上の作戦は思いつかなかった。結論を先に言えば、事態は見事、昂の予想した通りに流れた。彼らは出し惜しみされながら出てくる敵を次々と迎撃しては打ち倒し、最終的には全滅させたのである。
 もっとも、彼ら以外には出来ない芸当ではあったが。いくら敵が半減しているとはいえ、それでも彼らは四人しかいないのだ。用兵学に基づけば、戦うことなく退却する方が正しい。
 だが、常人には不可能なことを可能にする──それが天使が天使である所以だ。
「では、まずは私からだな」
 立ち上がった麟は、息を静かに、深く吸い込む。ミラーシェードの内で瞼を閉じて、視覚情報を遮断。
 集中する。
 白魚の如き指を持つ手、その甲に銀色の刻印が再び浮かびあがる。その手を伸ばし、屋上の縁に置く。
 少女のように可憐な唇が、言葉を紡いだ。
『検索開始』
 韻律をもって発せられると同時、麟の外部と内部に劇的な変化が訪れる。右の甲から銀色の光が迸る。それは確かな秩序をもって、手の甲から肘まで走る。描かれたのは銀色の枠、その中には絵と文字。絵は指輪を象徴しており、文字は音を持たず、ただ『知識』という意味だけを有している。
知恵の輪
 麟は簡潔にそう呼んでいた。それによって麟にもたされるのは実体のない『情報』の奔流だ。手に触れた物から星体が伝播し、それによって得られた全ての情報が麟の内になだれ込む。だがそれらを整理し、望んだものだけを残し、余計な情報を削除する印も知恵の輪≠ノは含まれている。
 数秒の後、麟の中に整理・選別されて残った情報は元帥府ビルの内部構造と、中にいる人間や調度の位置と数だ。残念ながら具体的にそれが誰なのかまではわからない。物体の情報を読み込んでいる時、生命体にまで星体を伝播させることは出来ないのだ。生物、とくに人間の記憶や情報を得たい場合は直接人体に触れるしかない。正確に言えば、現時点では服や靴の形状を知覚して『人間の形をしたもの』の位置を把握しているのである。
 ──地下二階の一室に一人。その部屋の前に立つ者が二人。誘拐された者と、見張りだな。実にありがちな構図だ。
「……見当はついた。ほぼ間違いなく、そこに巫桜院の娘はいる。地下二階だ。昂殿、純殿」
「おおよ」
「はいはい」
 軽い返事をして昂と純は立ち上がる。まず、昂が右腕をぐるりと回した後に大きく振り上げた。その右手の甲には麟とは違う形状の極印が赤く現れている。吹き上がるマグマを思い起こさせるような赤だ。昂は足を前後に開き、上体を倒して、足下の屋上に真っ正面から向かい合う。右腕は引き絞られる弓のように、あるいは天界の鎖に引かれるかのように、振り上げられる。
 大気中の星体を掻きむしるかの如く、軋みのある動きでゆっくりと拳を握り込んでいく。鷹にも似た鋭い視線は、まっすぐ眼前のコンクリートへ。顔には、歯を食いしばり眉間に皺を寄せた獰猛な表情がある。
 麟と違って昂は気取った科白など必要としない。ただ彼は、胸の内から溢れ出るものをそのまま咆哮に変えた。
「ぉおおあああああ──!」
 印から破壊的な色彩が一気に爆発。甲から肘にかけて、枠に囲まれた絵と一列の呪文が駆け抜ける。腕を鎧う赤い光の文字列は単純に『破壊』だけを意味し、図形は鉄槌を象徴していた。
魔神の右手
 命名したのは純だ。昂はこういったものに名前をつけようとしない。彼は自らの全てが自分の力と認識しているため、高い知能や強い腕力に名前を付けるという考え方が理解できないのだ。
「──ああああああぁぁっ!」
 赤い鉄槌が落ちた。落雷の如く振り下ろされた拳はまっすぐコンクリートに突き刺さり、刹那、膨大な量と勢いの星体が爆ぜた。
 天と地を揺るがす重低音が生まれると同時、蜘蛛の巣状の罅が屋上一面を駆けめぐる。裂け目から行き場を無くした星体の赤い光が吹き出した。
 砕け散る。
 あっけなく耐久力を上回った衝撃に、コンクリートは抵抗することも出来ず粉々に打ち砕かれた。立体パズルになった床は当然、真下へ。ビルの内部へと崩れ落ちる。
 特殊な波動を持つ星体を対象物に流し込んで内部から破壊する──それが魔神の右手≠フ力だ。好戦的な昂には似合いの極印だった。 
 足下が崩落していく中、空中で重力に捕らわれながら、昂が叫ぶ。
「ぃよっしゃあ! 頼んだぜ純!」
「はい」
 実に嬉しそうな声で承諾した純の左甲に、青い極印が輝く。青のワイヤーフレームで記されるのは『操作』の意味を持つ文字。そして描かれるのは『糸巻き』の象徴だ。
操り人形
 そう呼ばれる極印の真髄は慣性制御にある。純の金色の視線を受けた全ての物質は、彼の極印の力にとらわれ、その動きを意のままに操作される。よってこの場合、行われることはただ一つ。
 発動した操り人形≠ノよって、重力に引かれるまま無秩序に落下していく瓦礫に変化が生じる。一部の瓦礫が一直線に落ちるのではなく、昂と純、麟と浮、それぞれの足下から逃げるように動いたのだ。その他の瓦礫も、それらに合わせて微妙に位置をずらしながら落ちていく。これによって四人の足下は空洞となり、安全な着地が可能となった。
 同時に、瓦礫は落ちるはずのない場所へと落下する。四人の周囲をとり囲むように積み重なり、駆けつけて来るであろうヴァイツェン兵を遮断する壁となったのだ。
 そして駄天使四人組は最上階へ降り立つ。舞い立つ塵すら操り人形≠ノよって四人を避けて流れていた。陽光に煌めく埃が、期せずして四人の周囲を飾る。だがここに他者がいても、頭上から瓦礫と共に舞い降りた彼らを『天使』だと思いはすまい。堕天使と思いはしても。
 昂と純の極印を連携させて床を砕き、瓦礫と敵を避けながら着地する。後はこれを繰り返して巫桜院蜜姫がいると思われる地下二階まで落ちていくだけだ。
 だが。
「敢えて言うぞ、昂殿」
 華麗と言っても過言ではない動きで着地した麟は、ずり落ちたミラーシェードを直しながら、再び魔神の右手≠振り上げる昂に声をかけた。水を差された昂は不快げに顔をしかめ、振り返る。
「ぁあ? 褒めてもなんもでねえぞ?」
「無用の心配だ。いいか、耳を澄ましてよく聞くといい。あと、けっして先程の仕返しではないことを明言しておく」
 一拍の間を置き、少年は告げた。
「やりすぎだ」
 そう言った瞬間だった。唐突に、まだ魔神の右手≠叩き込んでいないというのに──四人の足下に罅が走った。
「……あり?」
 間抜けな声が昂の口からこぼれ落ちる。それに重ねて、ふぅ、と麟の溜息。
「もう一度言う。……やりすぎだ」
「一発でイっちゃいましたね。敏感な事です」
 呆れ果てた麟の通告に、純がいやらしい表現を付け加える。
 簡単に説明しよう。魔神の右手≠ノよって与えられた衝撃は屋上を砕くだけにとどまらず建物全体に及び、その耐久度を絶妙な加減で超えてしまった。魔神の右手≠フ威力と元帥府ビルの耐久力。この二つが拮抗してせめぎ合っていたところ、四人の人間が大量の瓦礫と共に着地した。それは均衡が崩れるには十分な出来事だった。
 原則的に崩壊というものは、最初は静かに、ゆっくりと始まり、徐々に加速していく。このときも例外ではなかった。時間が経つごとに罅が増えていく。嫌な振動が生まれ、だんだんと大きくなっていく。
「……ほら、なんつーか、アレだ。よくあるじゃねえか、こういうこと。たまたま調子が悪くて力加減間違えるってことが。そうだぜ、こないだメシ作るときに塩の量まちがえたとか言ってた奴がいたじゃねえか、それと似たようなもんだ」
 崩壊が進んでいく中、誰も何も言っていないというのに昂は言い訳めいた科白を長々と並べ立て、挙げ句にはこう締めた。
「……気にすんな! ぶっちゃけてっとり早いだろうが!」
 その言葉が引き金になった。純がくすりと笑い、麟が視線を逸らして息をつき、浮が新しい煙草に火を点け、元帥府ビルが崩れ始める。
 当然、全てが真っ逆さまだった。

「電撃作戦というより、雷撃作戦になってしまったな」
 浮の腕に抱きかかえられた麟は、周りを囲む瓦礫の山を眺めやりながらそう呟いた。おそらく今頃、周囲のビルから多くのヴァイツェン兵が飛び出してきていることだろう。そのうちここは完全に包囲される。今は問題ないが、撤収時には手こずりそうだった。
「スイートス中将の家を爆破した麟君もすごかったんですけど、昂君はその上をいってしまいましたね。ヴァイツェンの元帥府が壊されるなんて史上初なんじゃないですか? おめでとうございます」
 あははは、と笑う純。その視線の先には、そこかしこに転がる──あるいは瓦礫に押しつぶされた──人間の腕やら足やら頭やらがある。どれも塵をかぶって白く染まっているが、それでも赤い液体は隠しようがなかった。元帥府に勤めていた兵士のほとんどが崩壊に巻き込まれて死んだに違いない。もっとも、一体何が起こって自分が死んでしまったのか、それを理解している死者は少ないだろうが。
「あー……ついでにバトライザーとかアレッキノとかまで殺っちまったかもな」
 がしがしと左手で髪の毛をかき回しながら、投げやりな声で昂は言う。先程までのやる気はどこへ行ってしまったのか、脱力感が赤毛の少年を覆っている。とても一国の歴史上最大のテロをしでかした人物の態度ではなかった。
 壊れていくビルのど真ん中を、四人は純の操り人形≠ノ守られながら落ちてきた。ただし、落下が始まる寸前、麟は浮に抱き上げられ、その浮遊能力に守られてきたので正確には『降りてきた』というのが正しい。
 その麟と浮。二人の体格差もあるのだが、客観的に見てもやはり、大きな兄に守られている小さな妹、といったイメージが強くある。そんな少女にしか見えない小柄な麟だが、
「貴殿は自分のやったことの重大性がわかっていないのか。もはや重症というレベルではないな。イカレている。昂殿、はっきりと言っておくぞ。貴殿は異常だ馬鹿だ阿呆だ。それなりに頭の切れる男だと評価していた私が愚かだった。……ああ、すまないな浮殿。感謝する。もう大丈夫だ。下ろしてくれ」
 ひたすら毒はきつい。淡々スラスラと言いたいことを言い切った後、昂の反応など待ちもせずに浮の腕から飛び降りる。
 昂の額に青筋が浮かび上がった。
「──んだとテメエ、言わせておけば言いたい放題だなオイ。俺の何が悪いってんだ? 要するにバレなきゃいいんだろうが、バレなきゃよ。大体そいつだってすぐにどうでも良くなるじゃねえか。そうだろ?」
 ズカズカと麟に歩み寄り、その顔ではなく頭を睨みつける。背丈が違いすぎるため、屈まなければ目線を合わせられないのだ。
「確かに、後になればどうでも良くなることではある」
 重い声──と本人は思っている──と共に頷いた麟だったが、「だがな」すぐに語を繋げ、
「現時点ではまだ片桐殿からの指示はない。つまり、我々は現状では隠密行動に徹して派手な行為は避けなければならない」
「家を一つ爆発させた人の発言とは思えませんねー」
 あははは、と茶々を入れた純に、麟は小さく呻く。
「うっ……あ、あれは致し方のない事だった。放っておけばAタイプが復活する恐れがあったのだからな」
「まあまあ。要するにお互い様ということで。ね、昂君?」
 にこやかな純だが、言っていることは実に辛辣だった。言外に『目くそが鼻くそを笑っている』と言っているのだから。
「……むう。そういうことにしておこう」
 渋々納得した麟だったが、激情家の昂はそう簡単に収まらない。
「そういうことにしておこう、じゃねえだろ! テメエはいつもそうなんだよ、自分のことは棚に上げてウダウダこきやがって! 少しは学習しやがれ!」
 最後の科白を聞いた瞬間、麟の表情が石膏細工のように白く固まった。
「……学習? 今、私に学習しろと言ったのか昂殿? ……おもしろい、なかなかのユーモアだ……!」
 小刻みに震える声は、噴火直前の火山を思わせた。ミラーシェードを外して蒼穹色の瞳を露わにし、氷の刃のごとき視線を頭上の昂に射込む。昂の烈火のような視線とぶつかり合い、火花が散った。
「そういや、さっきの決着がまだだったよな。運良くテメエも生き残ったみてえだし、そろそろケリつけようじゃねえか……!」
 昂の魔神の右手≠ノ光が点り、
「そうだな。実力のある私と違って、昂殿はまったくもって悪運が強い。流石の私もその悪運に手こずるかもしれんが、いいだろう。受けて立とうではないか……!」
 麟の手の中で如意宝珠が握りこまれ、
「はいはい、そこまでですよ」
 にらみ合う二人のこめかみに硬いものが押しつけられた。その感触に二人は同時に身体を硬直させる。
「じゃれ合うのもいいんですけど、時間としてはそろそろまずいですよ。浮君に邪魔な瓦礫をどけてもらって、早く巫桜院蜜姫嬢を迎えに行きましょう?」
 さも当たり前のように純の手にあったのは、二丁の拳銃だった。いつの間に如意宝珠から取り出したのか、昂も麟も全く気付かなかった。口論していて周りが見えていなかった、というわけではない。それほど二人は愚鈍ではない。考えられるのは、純が敢えて気を殺して二人に悟られないように拳銃を取り出した、ということだ。
 二人はゆっくりと目を水平移動させて、自分たちのこめかみに銃口を押しつけている少年を見た。実におだやかな表情をしている。小さな子供に微笑みかけるように、金色の瞳を弓なりに反らせて。
 間違いない、と二人は確信した。
 純が怒っている。
「わ、わりい、純。俺達が悪かった」
「う、うむ、我々が悪かった。落ち着いてくれ、純殿」
 動揺と狼狽にまみれた声で二人が離れると、純はにっこりと。
「はい。よくできました」
 拳銃を如意宝珠に戻す。その笑顔を尻目に、昂と麟は顔を寄せ合って囁き合った。
(おい、なんでアイツあんなに怒ってんだよ?)
(おそらく極印の使いすぎで疲れているのではないだろうか? だから余計なことをしている我々に腹を立てたのかもしれん)
(あーなるほどな。そりゃ俺でも怒るぞ)
(元はと言えば、昂殿、貴殿の責任だろう。大体どうしたのだ、極印の制御に失敗するなど。先程も言ったが、いくらなんでもやりすぎだ)
(知るかよ、何でかしらねえがさっきは妙に気合いが入ったんだよ。つうか、ここいらへん、やけに星体多くねえか?)
(……む? 確かに言われてみれば……しかし何故?)
(俺が知るか!)
「昂君、麟君、何をコソコソやっているんですか?」
 昂と麟は電撃を受けたかのような動きで振り返った。
「いや何でもねえ気にすんな!」
「ああ全くその通りだ純殿、気にしてはいけない!」
「そうですか。あ、では浮君、よろしくお願いします」
「……うざい」
 我関せずの姿勢で煙草を吸っていた浮は、ぼそりと呟く。だが言葉とは裏腹に、彼のすぐ傍にあった瓦礫の山が唐突に浮かび上がった。それは、まるで目に見えない幾つもの手が殺到して瓦礫を一つ一つ放り投げているような光景だった。あっという間に積もっていた瓦礫は消え失せ、平坦な床面が現れた。おそらくは一階ホール部分の床だと思われる。
「さ、昂君。今度はやり過ぎないように気をつけてくださいね」
「お、おう!」
 あくまで穏やかな純の声に背を押されて、昂は慎重深く極印を駆け巡る星体を調整し、魔神の右手≠床面に炸裂させた。威力の調節は成功し、厚さ五メートルを超す大理石に半径二メートル程の穴が空く。無論、破片は純の操り人形≠ノよって邪魔にならない方向へ飛んでいった。
「一気に行くぜ! ついてきやがれ!」
 自身が空けた穴に飛び込み、そのまま拳に重力加速度をつけ、連続で右腕を唸らせる。
 激突。
 間欠泉のように吹き上がる破片に塵煙。それらは渦巻く風の障壁に邪魔されたかのように四人の少年を避けていく。
 地下二階へ到着──否、着地して真っ先に動いたのは麟だ。如意宝珠からファイルブックを具現化し、素早く二枚の紋盤を取り出す。
「なんにせよ電光石火だ」
 呟きと同時に紋盤が雷球と化し、銃弾のごとき勢いで飛んだ。粉塵を貫き、その向こうにいる二名のヴァイツェン兵を直撃する。握りつぶされるカエルのような悲鳴が上がり、次いで人体の倒れる音が響く。
「私の得た情報では見張りは二名。この階ならまだ生き残りも多数いるだろうが、間違いなく浮き足立っている」
「すぐにはこっちに来ないでしょうけど、急ぎましょう」
 珍しく純が駆け出した。もはや麟に巫桜院蜜姫のいる部屋を聞かなくともわかる。前に二つの死体が転がっている扉がそうに違いないのだから。
「? なんだってんだアイツ。なんか変だぞ?」
 比較的おっとり、あるいは、のほほん等の副詞で表現されることの多い純が、走りだすというのは非情に希なことだ。それが今は何故? と疑問に思ったところで、昂はあることを思い出した。麟や浮達と合流する前、グランツ中将の屋敷内で交わした会話の内容である。
 昂は重い溜息をつき、眉間に皺を寄せる。そして、まるで腹痛をこらえているような表情で吐き捨てた。
「……女のことになると人が変わりやがるぜ、あんのやろうが……!」
 つまるところ先程の拳銃も、巫桜院蜜姫なる令嬢に早く会いたいがためだったということだ。
 舌打ちする昂の隣で、同じように呆れの吐息をついたのは麟である。右手を腰に当てた体勢で、
「なるほどな……純殿らしい理由といえばらしい理由だ。納得いかないが納得できる」
 言語的におかしな言い回しで、麟は自らの複雑な心境を表現した。やれやれ、と首を横に振る。
「まあ、今更言っても詮無き事だ。行こう、浮殿、昂殿。彼女を連れて帰ればとりあえず任務は終わりだ」
 こくり、と浮が頷く。常日頃は何に対しても素っ気なく、そもそも周囲のことを全く気にしない浮だが、唯一、麟にだけは心を開いている。浮自身が無口な上、麟もこの事に関しては一言も漏らさないため、昂はその理由を知らない。ただわかるのは、
「……なんつうかムカツクよな。なんか」
 麟と浮を交互に見て、不機嫌なライオンのように唸る。
「? 何がだ、昂殿?」
「ぁん? ああ、別に何でもねえよ」
 うっとうしそうに手を振って麟の質問を払いのけた昂に、浮が口にくわえた煙草の先端を向ける。
「急げ、昂」
「ああ!? テメエにだきゃ『急げ』なんて言われたかねえぞ浮! いつもボケッとしてんのはテメエの方だろうがよ! つうか偉そうだなオイ!」
 浮は、ふー、と雲のような煙を吐き、低い声で一言。
「……うざい。どうでもいい」
「!」
 瞬間湯沸かし器のスイッチが入った。昂の辞書の中で『冷静沈着』という単語が墨で塗りつぶされる。
「うざいとかどうでもいいとか言うな! テメエそれ本っ気でムカつくぞ!」
「昂殿、そこまでだ。浮殿も。今度こそ純殿に撃たれてもしらんぞ」
 ほとんど見向きもしないで麟は言い置き、純の後を追う。さらにその後ろ姿を、完璧に昂を無視した浮が追いかけて歩き出した。
「んなっ……!?」
 それを黙って──否、とっさに言葉を紡げぬまま見送ってしまった昂は、しばし全身を駆け巡る怒りに震えた後、おもむろに右拳をすぐ傍の壁へ叩き付けた。極印を発動させてもいないのに、鉱石の壁に半径2メートルを超える蜘蛛の巣状の罅が走る。
 大きく息を吸って、少年は神か悪魔かに向かって根本的な抗議の声を上げた。
「──つうか俺の周りはあんなんばっかか!」
 類は友を呼ぶ。
 そんな言葉を知っている昂ではなかった。

「まずはあの四人が何者であるのか。それを説明せねばなるまい」
「今まで説明がなかったのが常識的に考えておかしいんです」
 片桐聖子機関長の前置きに、細村悟機関長補佐役は容赦なく突っ込んだ。
「気にするな。それでこそ私だろう?」
「我ながら極めて希なことにお願いをしたいんですが、そんなことを自信満々の顔で、しかも胸を張って言わないでください。本当に。本気で」
 応接用のソファーに向かい合って座る二人の間には、湯気を立てるティーカップが二つ並んでいる。聖子はその一つを手に取り、笑みの形をとる口元に運びながら、
「細かいことを言うな。君は私の補佐役か何かか?」
「そうです。私はあなたの補佐役です」
「もちろん知っているとも。周知の事実を今更言わなくてもいいぞホサ村。それともまだ自分の立場がわかっていなかったのかね?」
「……機関長。お願いですから、真面目に」
「ああ、すまない。どうも君と話しているとイジメたくなってしまっていけない。ではまず、昂から説明しよう」
 茶を一口含み、一度だけ深く呼吸をする。
「剣聖認定を受けていた深山翼信を知っているな?」
 剣聖認定。それは天帝から下賜される称号の中でも最高のものの一つだ。天帝に唯一無二と認められた達人にのみ与えられる。龍日の歴史の中でも、その誉れある認定を受けた者は未だ三名しかいない。
 細村はすぐさま記憶の倉庫を漁り、深山翼信という名にまつわる情報を思い出す。
「ええ。確か、五年前に亡くなった三代目の剣聖ですね。それが何か?」
「そいつが昂の育ての親だ」
 この茶の葉は外国産だ──そんなことをいうような気軽さで聖子は事実を告げた。瞬間、彼女の言葉の内容がすぐに理解できず、細村は呆気にとられた。驚きは二秒の沈黙を置いて爆発した。
「……な、なんですって!? そ、そんな馬鹿な! 剣聖には子を成すことはできないはずでは……!?」
 どんな時代であれ剣聖は常に一人とされている。そして、その後継に世襲は認められていない。たとえ天帝に実力を認められようとも、一度でも世襲の例が出ては後にさしつかえる──そう考えられたためだ。剣聖は、剣聖認定を受ける際に子孫を作れないよう処置を受けなければならない。そのため、剣聖が子供を持つことなどありえないのだ。
「落ち着きたまえ。よく聞こえなかったようだな。私は『育ての親』だと言ったのだぞ? 誰も昂が、深山翼信の息子などとは言ってない」
「し、しかし、剣聖はたとえ血が繋がってなくとも、子供を引き取ったり弟子をとることも禁止されているはずでは……」
 次代の剣聖は先代の剣聖と無関係でなくてはいけない。これは剣聖認定における鉄則だ。だから国宝と呼ばれることもある剣聖は、ほとんど他人と触れ合うことなく、天帝の降臨する(天帝は人ではなく神であるため、住む、ではなく、降臨する、と表現する)宮殿の一つ、棲龍宮≠フ奥でその力と技を磨くという。
 聖子は楽しそうに口の端をつり上げた。
「そのあたりはやはり昂の育ての親だ、とでも言うべきだな。見事な異端児だったよ、彼は。昂によく似て──いや昂が似たのか。頭に血が上りやすい奴でな。まあ、そのあたりは別の機会に話そう。ともかく、昂は剣聖に育てられた。これは紛れもない事実だ。納得はできるだろう、ホサ村? お前のことだ。奴らの素行が気に入らずとも、実力が群を抜いていることだけは認めているのだろう?」
「…………」
 細村の沈黙は、この場合、否定の意味を持たなかった。機関長の言うとおり、苦々しいが認めざるをえないのだ。
「先程、君は景、藍、蓮の三名を我が校の代表にふさわしいと挙げたが、どうだ? その三名の中で一人でも昂に勝てる者はいるかな? 極印を使っても良いという条件でシミュレートしてもかまわんぞ?」
 いるわけがない。断言口調で即答できる。あの四人の手にある極印は、どれもこれもが天龍にすら使いこなせなかったじゃじゃ馬達だ。それを持っているだけでも並はずれているというのに、彼らの戦闘力は、残念ながら細村の推す三名を遙かに凌駕していた。昂など、なるほど、剣聖に育てられたというのも納得できる。それほどの力量を持っていた。
「し、しかしあの四人の成績は低く、またカリキュラムのサボタージュや喧嘩や騒動など、枚挙にいとまが」
「確かに奴らの成績は最低だ」
 どこか言い訳じみた細村の科白を、聖子の強い語調が剃刀のように切り裂いた。
「敵意や嫌悪感を向けてくる一般生徒にはすぐに牙を剥き、レベルの低い教官のカリキュラムを平気でサボり、意味があるのかどうかわからない試験を受けたことなど一度もない。それは確かに私も認めよう」
 細村は唖然とした。聖子の言っていることは、どう受け取っても天使養成機関の長を務める人間の言葉とは思えなかった。四人の行為を蛮行と認めながらも、どこかそれを養護している。まるで四人の行動に同感だといいたげに。
「だがな、それがどうした? 天使とは精鋭中の精鋭をいうのではないのかね? 実力主義ではないのかね? ならば奴らは優秀だよ。素行など関係なく、な」
 圧倒的な説得力が細村に襲いかかる。気を張っていなければ思わず頷いてしまっていただろう。だがこれには、細村にも返すべき反論があった。
「ですが、実力主義とはいえ、実力だけ、というのは納得がいきません。天帝に忠誠を誓い、従順であることも天使の条件のはずです。それを考えれば、やはりあの四人は不適格者だと言わざるを得ません。戦闘力だけが評価されるべきだとは、私は思いません」
 ふむ、と聖子は満足げに頷いた。細村に一理あることを認めたらしい。
「その通りだ。流石は私の補佐役、優秀だ。だがな、良いことを教えてあげよう。喧嘩を励行した覚えはないが、カリキュラムと試験をサボれと命令していたのは実は私だ」
「……は?」
 またも呆気にとられた拍子に、まぬけな声が細村の口からこぼれ落ちた。予想外の話にうまく思考が追いつかなかった。目の前の女性は、今なんと言ったのだろうか?
「……サボれと命令していた……とおっしゃったのですか、今?」
「そうおっしゃったのだよ、君の上司は。驚いたかね?」
 確認する細村に悪戯っぽく返す聖子。驚く云々以前に、言っていることが理解できない細村だった。何かの聞き間違いだとしか思えない彼に、聖子は語を次ぐ。
「ま、驚くのも無理はない。だが、驚いていては私についてくることはできんぞホサ村? 何故だかわかるかね?」
 わかるわけがない。一体どのような理由があって、自ら迎え入れた特待生にわざわざカリキュラムと試験をサボれと命令する機関長がいるというのか。
 だが気持ちとは裏腹に、細村の頭脳は質の低いものではなかった。閃きが彼の目の前を照らす。
「まさか……! 機関長は今日のような事態が来るのを見越していたと……?」
 信じられない。しかし、そう考えればつじつまが合う。いつか正規の天使を派遣できない事件が起こり、五人の機関長が互いの腹を探り合うときがくると。その時にはあの四人組のように、表向きは無能でも実体は優秀な生徒がいれば、有利な状況に持って行けると。そこまで、そこまで考えていたのだろうか、この人は?
 細村の疑問に聖子は答えず、ただ愉快げに、どこか挑戦的な笑みを浮かべた。
「さてな? 解釈は自由にするといいだろう。奴らの忠誠心や従順度に関しても、君の解釈に干渉するつもりはない。……ないが、一つだけ言わせてもらえば──私もそうだが──自分自身にのみ従順で、自分以外の者に忠誠を誓えない人間がいるのは、どうしようもない事実だな」
 要するに、自分もあの四人も自分勝手でわがままだ、と言外に言っているのだ。これは不敬罪にもあたる発言だった。龍日の国民は天帝に忠実でなければならない。これは鉄則だ。そうでない者には厳然として死が与えられる。それが龍日という国だ。
 刹那、まるで脳髄に雷撃を落とされたかのような悪寒が細村を貫いた。
 何か途方もないものを眼前の女性から感じ取ってしまったのだ。それがなんなのか、具体的に言葉にすることはまだ出来ない。出来ないが、わかってしまった。
 それこそが、これから発動するという計画──!
 再び鼓動が高鳴り、細村は全身の細胞が活性化するのを自覚した。身体が火照り、顔に熱を感じる。
「では次に純の生い立ちだが、奴もあの通り普通ではないぞ? いや、それは四人全員に共通することか。アレはな、犯罪組織で飼われていた殺し屋だった。知っての通り、天性の気質か調教の賜物か、容赦というものを知らない。というより、解らないと言った方が正しいな。完全に欠落している。必要があれば昂だろうが麟だろうが、私であろうが撃つだろうな」
 それも躊躇いなく。聖子の口から聞くまでもなく、そんな言葉が細村の脳裏をよぎる。一度や二度ではない暴行事件で、純が相手を再起不能にした確率は限りなく十割に近い。だというのに当人は悪びれもなく(それは他の三人も同じだが)、くどくどと説教した細村に笑顔でこう言うのだ。
『細村さんがどうしてそんなに怒っているのかがわかりません。僕も彼も、ただ殴り合っただけですよ?』
 全身の骨を砕き、両手両足の腱をねじ切り、脳に障害を残すことが、少年にとってはただの殴り合いだったという。本来ならば美しいと感じて魅了されるはずの笑顔に、慄然としたのを覚えている。あれは天使の微笑みと呼べる代物ではなかった。
「無邪気で純粋な悪魔、と言ったところか」
 まるで細村の胸中を見透かしたかのように聖子が呟く。
「いえ、あの女好きを考えると悪魔と言うよりは淫魔ではないでしょうか?」
 とっさに細村の口を衝いて出てきたのは、出来の悪い冗談だった。一瞬、室内の空気が凝固する。その時になって細村は激しく後悔したが後の祭りだった。聖子は部下の下手な暗喩に、くっ、と海賊か山賊の頭領のような笑みをこぼす。眼鏡の奥の瞳に、嘲弄の光が宿るのを細村は見てしまった。
「ホサ村。ユーモアセンスのない君にしてはまぁがんばった方だが、仮にも女性の前でその冗談はどうかと思うぞ?」
 もう機関長のことは女性だと思っていませんから、とは口が裂けても言えなかった。細村は身を小さくして「申し訳ありません」と頭を下げる。聖子はそれを尻目にかけ、
「ま、あながち間違ってもいないがな。だが奴の女癖も時には役に立つ。そういったところも含めて、私はアレを気に入っている」
 と、茶を再び口に含んだ。細村もそれにならう。聖子は一息つき、
「さて、麟についてだが、もう語るまでもないだろう。他の三人同様、両親は不明だが我が国最大の頭脳の持ち主だ。麒麟児という奴だな。君が推す景も確かに優秀な頭脳を持っているが、アレにはかなうまい。……そうだな。言っては悪いが、景達は全体的に秀でているが、逆にこれといった特徴がない。逆にあの四人はそれぞれ、これだけは誰にも負けない、というものを持っている。どちらかといえば、後者の方が私の好みに合うのだろうな。逆に君は前者が好みのようだが」
「好みというよりも……天使の定義を行い、天使に必要なものはなんなのかを考えた結果です。それより麟は、如意宝珠や紋盤の発明者だったと記憶しています。天使として派遣するより、スウェーデンボルグで研究開発をさせるべきだったのではないですか?」
 特に如意宝珠は今や天使にとってなくてはならない物の一つである。聖子が麟の才能を見込んで特待生として迎えたのはわかるが、何故に敢えてその能力を殺すようなことをするのかが細村にはわからなかった。
 聖子の返答は明快かつ的確だった。
「現場を知らぬ者にたいした物は開発できんよ」
 それは細村にとって、納得するのに十分な答えだった。自分の上司が実力主義であり現場主義であることは、知りすぎるほどに知っている。実際、腕っ節に関して細村は、自分より小柄なこの女性にかなわないだろうと思っている。いや、自分だけではない。あの四人組でさえ、かなうかどうか。
「浮に関しては実は最高級の国家機密だが、もう隠す必要もないな。今更わかりきったことだが、奴は龍日の人間ではない。だからといってO.B.Kの人間でもないがな」
 浮が龍日の人間でないことは薄々感づいていたが、O.B.Kの人間でもないと答えられるとは思わなかった。浮のあの超能力。どう考えてもO.B.Kのカーネルに関係があると思っていたのだが……
 細村の意外そうな顔を見てか、聖子が説明を付け加える。
「有名な話だが、O.B.Kのメンバーはカーネルの傍にいなければ何もできん。まずその条件に奴は当てはまるまい?」
「確かにその通りですが……私はてっきり、彼は例外的にカーネルと離れていても大丈夫なメンバーだと思っていたのですが……」
「その可能性も当初は考えられたのだがな。浮に聞いたところ、はっきり否定されたのだよ。また浮の研究をしている麟からも、カーネルと浮とでは決定的に何かが違うという報告を受けている」
「では、彼は一体……?」
 その問いに聖子は即答せず、時を溜めるような沈黙を落とした。我知らず、細村は唾を飲み込み、ゴクリと喉を鳴らす。薔薇の蕾のような唇から、途方もない何かが出てくるのを予感していた。
 しかし。
「わからん」
「は?」
 とんちんかんな答えに、ほとんど脊髄反射で聞き返していた。聖子はまったく同じ言葉を繰り返す。
「わからん」
「……機関長、ですから、おふざけはもういい加減に」
「待て。君は何か誤解している。私はふざけてなどいない。ありのままの事実を述べているのだ」
「では、本当にわからない、と?」
「もちろんだ。私が嘘をつく人間ではないことは知っているだろう?」
「知りませんよそんな事実は」
 細村は慇懃だが断固たる声で聖子の減らず口を切り裂いた。その舌鋒にしかし、聖子は怯むどころか逆に笑みを強くする。
「素直なのは良いことだ。確かに私とて、時に他者を欺くこともあるからな。それはともかく、浮に関しては言ったとおりだ。奴が一体何者なのか、私どころか当人ですらわかっていないのが現状だ。本人は浮世離れしているのか、全然気にしていないがな。だからこそ麟に研究してもらっているわけだが」
「しかし先程、国家機密だとおっしゃったではありませんか?」
「浮の正体がわからない、それが国家機密だよ。何故なら神である天帝にわからないことなどないはずなのに、現実にはわからないことが形としてあるのだからな。正体を隠しておけば、わからないことがわからない。それだけの話だ。馬鹿馬鹿しいとは思わんかね?」
 細村は率直に頷く。
「同感です。ですが、得てして国や組織とはそういうものですから納得もいきますね」
「そうだな」
 ふっ、と聖子は挑戦的な笑みを浮かべる。そんなくだらないものはいずれ私が叩き潰してやる──そんな顔だ。
「……だがまあ、少なくとも、確実にわかっていることが一つだけ、ある」
 続いて出てきた言葉は、片桐聖子という人物にしては珍しく歯切れの悪いものだった。常日頃は見ることのない躊躇いや迷いが、声の端々に現れている。
 細村は思わず上司の顔を凝視した。だがその強い笑みに刃こぼれはなかった。真っ直ぐにこちらを見つめ返してくる瞳にも、自信と矜持に満ちた光がある。
「奴らは天使≠ネのだよ、細村」
 真剣な顔をして彼女はそう言った。天使という単語の響きに、特別な何かを含ませていた。この時ばかりは細村も揚げ足をとろうとはせず、黙って続きを待った。聖子は頷き、
「よろしい、黙って続きを聴こうとしている君に乾杯だ。部下としてナイスだ細村、褒めてつかわそう」
「今それを全部台無しにしましたね。いいからさっさと続きを言ってください」
「うむ。天使≠ニいうのは我々の使っている意味ではない。もっと大きな意味を持つ。神を名乗る人間の部下ではなく、本物の天の御使い≠ナある天使の意味だ」
 聖子以外の者が言えばどれほど滑稽な科白だっただろうか、と細村は頭の片隅で思う。逆に言えば彼女には、どれほど壮大な言葉を吐いていても滑稽にならない何かがある。だからこそ、細村はこの女性についていこうと決めているのだが。
「具体的にはどういうことでしょうか」
 呆れもせず驚きもせず動揺もせず、細村は問うた。聖子はその問いには答えず、ソファーから立ち上がり、細村に背を向けた。歩き出し、己の執務机の傍に立つ。
「それは私の口から言うべき事ではないな。見ていろ、直に答えが出る」
 と、机上の小型端末に手を伸ばす。かすかな音を立ててボタンが一つ押された。
 細村は、はっ、と気付いた。聖子が押したのは、機関長室に繋がる全回線の動力源を司り、なおかつ盗聴機などを無効化する機能をもったものだ。今、聖子がボタンを押したことによってこの部屋の回線全てが意識を取り戻した。つまり、今の今までこの部屋は回線的には絶海の孤島だったのである。
 一体いつからこの部屋は情報網から封鎖されていたのか。まさか自分がここに入室する前からそうだったのか。自分が今回の件に不服を申し立てに来ることすら見越して、この女性は計画の話を持ち出すことを決めていたというのか。
 かなわない。まるでかなう気がしない。呆れるほどの思考能力だと思う。一つ一つの行動に必ずといっていいほど意味がある。何がこの女性をそこまで考えさせ、動かしているのかが不思議でしょうがない。
 振り返る聖子の顔に、細村は神話に聞く戦女神を見た。
「その時、革命が始まるぞ、細村」

 ファブリッツィア=テナルディエは今、屈辱にさらされていた。
 打ちっ放しのコンクリートの一室に一人きり。両手両足には堅固なヴァイツェン製の拘束具。我が身を振り返り、出てくるのは鉛よりも重い溜息だ。
「……ヘマったぁ……」
 情けない声をこぼすのは、薄手の白いセーターに短い赤のプリーツスカート、黒のニーソックスに同色のキャップスという、至って普通の出で立ちの少女である。うなだれると、やや濃紺の色素を含む黒髪のポニーテイルがコンクリートの床を撫でる。
 ──あたしとしたことが本っ気でしくじった。今時、しかもこんな所で『あんなの』を見たとはいえ……そう、イレギュラーを予想していなかったとはいえ、侵入に気付かれていたことに気付かないなんて、本当に本物の馬鹿だった。現状はまずい。かなりまずい。っていうか非常にまずい。こんな時にカーネルが傍にいればなぁ……
「こんなモノ、なんてことないのに……」
 己を縛る拘束具に、再び暗鬱な息をつく。これでは脱出など不可能だ。O.B.Kの救助は待てない。その前にどうにかされるに決まっている。
「どうにか……かぁ」
 その『どうにか』を想像して、ファブリッツィア=テナルディエ──仲間達からはファーブルと親しまれている少女は身震いした。想像するだけで身の毛もよだつような拷問の数々がふりかかってくるだろう。そう遠くない未来に。
「はぁ……スパイなんてやめときゃ良かった……」
 言ってはいけないとわかりつつも、つい口から出てしまう言葉がある。今のファーブルの科白がそうだった。彼女はさらに、捕らわれたスパイが自ら死を選ぶべきだということも知っている。それはいわばスパイのたしなみであり、絶対唯一の道である。そうでなければ仲間に迷惑どころではなく、危険が迫ることも重々承知している。だが、
「ごめん、みんな。あたしゃ臆病者なんだよぅ……」
 冗談めかした呟きだったが、声は震えていた。語を紡ぐのすら困難な圧迫感が、彼女の心身を覆っていた。身体の震えも、寒さのせいではない。
 ──それにしたって、ヴァイツェンは一体何を考えているの? 『あんなの』を何に使うつもりなの? どうして『あんなの』が龍日にあるの? おかしいわよ、絶対に何かがおかしいわよ。カーネルに見えない未来なんて無いはずなのに。無いはずなのに、世界がカーネルの見た未来とは違う方向へ進んでいる気がする。
 未来への恐怖と不安。仲間への罪悪感。絶対であるはずのカーネルへの猜疑心。それらの混沌の中にいたファーブルを、突如、激しい揺れと轟音が襲った。
「へやっ!?」
 声を上げてから、こんな素っ頓狂なものではなく『きゃあ』とか『ほええっ』とか可愛いモノは出せなかったのかと、頭の隅で後悔した。
「地震!?」
 そう思うほど、すさまじい振動と音だった。自分が監禁されているのは地下のはずだが、それでも尋常ではない揺れだ。まるで空から岩石の雨が落ちてきているような激しさだった。
 それもそのはず。現実に、彼女の頭上では元帥府ビルが崩れ落ちていた。だがそれを知る由もないファーブルはただ、拘束され自由の効かない身体を必死に丸めて嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
 嵐はすぐには去らず、二分ほどファーブルを怯え続けさせた。やがて揺れと音は徐々に収まっていき、今度は扉の向こうからヴァイツェン兵と思しき足音と会話がファーブルの耳に届く。
「なんだ、何事だ!」「上の階で何かあったみたいだぞ!」「襲撃か!?」「まさか、パンゲルニアが攻めてきたのか!?」
 喧々囂々と遠ざかっていく。あまりに唐突な出来事に、ファーブルの心臓は破裂しそうなほどに動悸していてよく聞き取れなかった。脳そのものが鼓動をしているようで、半分放心状態にあった彼女は、しばらく何の行動も起こせなかった。
 ──もしかして今が脱出のチャンスとか?
 そう思いついたのは一分以上経てからであった。
「えーと……じゃあまずはこの邪魔なものから」
 と言いかけたところで爆音が響いた。
「うをうっ!?」
 電流を流されたかの如く全身を震わせ、硬直する。心臓が喉どころか頭の中にまで来たかと思った。一瞬、目の前が真っ白になる。
 全身から嫌な汗を流して待つこと十秒。もう何も起きませんように神様──と祈るファーブルの願いに、神は嘲笑を見せたようだった。
「「──ぁっ!」」
 扉の向こうで、文字では表すことの出来ない悲鳴が二つ上がった。それに人間の倒れる音が二度続き、それっきり再び静かになる。
 だが、沈黙のカーテンは五秒で引き裂かれた。
 がちゃり、という音にファーブルは泣き出しそうになった。誰かが鍵のかかったドアを開けようとしている。ドアノブが回ろうとして、しかし鍵内の遮蔽物に邪魔をされる。ドアの向こうにいる誰かはそれを何度か繰り返したが、鍵がかかっていると得心したのだろう、すぐに静かになった。そして、
「鍵がかかっているみたいですね」
「解錠するのも面倒だな。昂殿、よろしく頼む」
「ぁあ? んなのテメエでやれよ」
「何を言う。技もなければ飾りもしない、ど真ん中ストレートの昂殿にぴったりの役割だというのに」
「そうかそうか、テメエ遠回りに喧嘩売ってくれてたのかよ。上等だ受けて立ってやろうじゃねえか」
「では浮殿、頼んだぞ」
「無視すんなゴラァッ!」
 ずどん、ときた。鋼鉄製の扉の中央が砲弾の直撃でも受けたかのように窪んだ。と思った次の瞬間には、周囲の壁ごと扉が吹っ飛んでいた。まるでそれらが紙で作られた模型か何かのようだった。蹴破られた扉が剛速球よろしく宙をかっ飛んで壁に激突する。
 ──なんか、もしかして……ヴァイツェンの兵隊よりヤッバイモンが来てない?
 扉の破壊によって生じた風に吹かれながら、ファーブルはそんなことを考えた。それは自分でも驚くほど明晰な思考だったが、身体の方は自分に正直だった。身体を小さくして、めいっぱいに目を見開き、扉の向こうから現れた人物達を凝視する。
 片足を上げた、蹴り直後の体勢をとる赤毛の少年と、その背後に立つ凸凹な三人組。
 こいつらは一体何者で、自分を助けに来たのか、それとも殺しに来たのか。最悪、女として最も屈辱的な行為をされるかもしれない。そんな思考がめまぐるしくファーブルの頭蓋骨の内を飛び回る。
「お待たせしました、玲瓏院宥姫様。あなた様を救出に参りました純と申します。ご機嫌はいかがですか?」
 その少年はいきなり目の前にいた。瞬間移動でもしたのかと思うぐらい鮮やかな動作だった。素早く近づき、柔和な笑顔をファーブルに近づける。しかもかなりの美男子。艶のある、やや短い黒髪をファーブルと同じポニーテイルにしていて、金色の瞳はまるで内部から光を放つ琥珀のようだった。シャンプーも良いものを使っているのだろう。とても良い香りがして、ファーブルは不覚にも『彼の胸に飛び込んで目を閉じたら、とても気持ちよく眠れそうだなぁ』などと考えてしまった。
 ──っていうか玲瓏院宥姫って誰?
 そんな疑問が頭を小突いて、眼前の少年の魅力に溺れるのを妨げた。
 ──もしかして誰かと間違えられてる?
「……あ、えと、その……だ、大丈夫……ですわよ?」
 名前の響きからして身分の高い人間だと推測し、やや苦しいと思ったが、それらしい口調で話してみた。と、ここで思い出す。バトライザー元帥が誘拐したのは、確か龍日の貴族だったはずだ、と。
 不意に視線を感じて周囲を見回すと、純と名乗った少年と、その背後にいる三人がじっくりとファーブルを見つめていた。リンゴだと思って手に取ってみたら実はトマトだったので少し驚いた──そんな感じの顔で。
「あ、ああ、いや、じゃなくて、いいえっ! わ、私……つらかったんですの。こんな所に一人きりで、会話も出来ずに……ごめんなさい、助けに来てくださったというのに、あまりうまく喋れずに……」
 慌てたが、それでも途中からは自前の演技力を発揮した。貴族の令嬢ならこんな感じだろうとあたりをつけ、それらしく振る舞う。弱々しく、儚げに。思わず護ってあげたくなるような雰囲気を。凄まじいまでの狼狽と不安が胸内で渦を巻いていたが、全て表情筋の下に覆い隠した。
 その甲斐あってか、永遠とも思える数瞬の後、そばにいる美少年が微笑む。どんな偏屈な人間でも、思わず心を開いてしまいそうな素敵な微笑だった。
 翼を隠した天使がにこやかに告げる。
「あなた誰ですか?」

 当然のことだが、嘘を見破られたファーブルは蝋人形のように固まった。何故こんなにもあっさり自分の嘘がバレてしまったのか。それがわからない。視線だけが宙を泳いで、偶然か奇跡の救いを待ってしまう。ここでもう一度地震とか起これば良いのに。
「つうか麟。テメエ間違ってんじゃねえかよ」
 重量四十キロを超える鋼鉄製の扉を軽々と蹴破った赤毛の少年は、つま先で床を蹴りつけながら、隣に立つ金髪の少年を横目でねめつけた。顔の半分がミラーシェードに覆われていて表情が明らかではない金髪の少年は、唇に人差し指を当て、むぅ、と唸る。
「すまない。どうやら柄にもなく、短絡的に考えていたようだ。見張りが立っていたため、てっきりここにいる人物がそうだと思ったのだが」
 それに声を返すのは、ファーブルが内心で美少年と評した黒髪ポニーテイルである。
「でも一応は女性でしたから、とりあえず僕としては当たりですし、満足ですよ?」
「「それは関係ない」」
 間髪容れず赤毛と金髪は声を合わせて、黒髪ポニーテイルの意見を叩き落とした。
 そこで抗議の声を上げたのは黒髪ポニーテイルではなく、ファーブルだった。彼女は一気に爆発する。
「──っていうか! 何なのよアンタ達! 騙したわね嘘ついたわね! ズルいわよ汚いわよ卑怯者! っていうかなんでわかったの!? とりあえずそれだけ教えなさい! あたしの演技が下手くそだったとでも!?」
 まるで子犬のようにきゃんきゃん吠える。前半は罵倒だったが、後半は完全に負け犬の遠吠えだった。彼女としては今は彼らの素性よりも、嘘を見破られた原因の方が重要だった。
 ミラーシェードの金髪が、腕を組んで簡潔に答えた。
「我々が探しているのは玲瓏院宥姫という名ではなく、巫桜院蜜姫という。残念ながら貴殿は人違いのようだ。失礼したな」
 白衣姿という出で立ちも相まってか、小柄な少年の口調には犀利さが光っていた。声音はやけに可愛らしかったが。
 しかし現状では、相手の明敏犀利さはファーブルの精神を逆撫でするだけでちっとも救われやしない。
「何よそれぇっ! っていうかムカつく喋り方しないでよ! ちょっとはあたしの気持ちも考えてくんない!? あたしは意味もなく騙されたのよ!? 純真無垢な心を踏みにじられたのよ!? この無神経チビッ!」
「ち……」
 最後の一言に少年の口元が明確に引きつった。途端、どっ、と圧迫感のようなものが彼の全身から吹き出し、ファーブルの身体をビリビリと痺れさせる。
「………………目標でないのなら用はない。行こう、浮殿」
 長い沈黙の果てに金髪はそう言ってファーブルに背を向けた。どうやら怒鳴り散らして自分の器を小さく見せる愚を避けたらしい。吐き出された声に、我慢と忍耐の双子が取り憑いていた。
「では、この子はどうするんですか? 放置するのは忍びないのですが……」
「ほっとけ。そのうち他の奴が来て何とかすんだろ。つうかテメエが女の傍にいてえだけだろうが」
 残念そうな黒髪に赤毛がぞんざいに答え、踵を返す。ファーブルは焦った。まずい。これではこの状態のまま放って行かれてしまう。せめてこの拘束具だけでも外してもらわなければ。
「ちょっ、ちょっと待って!」
「すみません、お嬢さん。あなたもとても可愛らしいのですが、きっともっと可愛らしい巫桜院蜜姫嬢に会うために僕達は行かねばならないんです」
 眉尻を下げた、本当に悲しそうな顔の黒髪だったが、言葉通り本当に立ち去ろうとする。
「だから待ってって言ってるでしょ──っていうか今の台詞は個人的に聞き捨てならんぞゴルァッ!」
 もう一人、一番背の大きい白髪もチビ金髪の後ろに黙ってついて行っている。完全に見捨てられてしまう。もう、なりふり構っている余裕はなかった。
「スパイ! あたしO.B.Kのスパイなの! ねえ、あたしと取引しない!? コレはずしてくれたら良い情報教えてあげるわよ!?」
 気付いたときにはそんなことを口走っていた。助けてもらうにはこちらも何かしらのメリットを彼らに与えなければならない。だが今のファーブルに出来ることなどたかが知れている。出来るとすればスパイとして手中にある機密を開かすこと。この四人が興味を示さなかったり、必要としなければ終わりだが──
 ピタリ、と四人の足が止まった。
 ──当たった……?
 金髪が振り返りながらミラーシェードを右手で持ち上げ、
「それは興味深い。聞かせてもらおう」
「!」
 ──やった! これで両手両足の拘束感からオサラバだ!
 そう心の中で小躍りしたファーブルの喉元に、鋭い刃の切っ先と無骨な拳銃の筒先が突きつけられた。
「……え?」
 顔を上げて片刃の長剣の根本を見ると、そこには不機嫌そうな赤毛の少年が。視線で黒塗りの拳銃の元をたどれば、黒髪ポニーテイルの少年がいる。
 金髪の少年が近づいてきて、膝をついてファーブルと目線の高さを合わせた。
 ファーブルはさっぱり状況がわからない。
「……えっ? な、なに? なんで? ……あれ?」
 混乱する少女に、白衣の少年は決定的な一言を放った。
「さあ、洗いざらい吐いてもらおうか」




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