「……これは何事だ」
開口一番、まるで運命という脚本家が用意した科白を読み上げるように、バトライザーは言った。他に言いようがなかったのだ。
スクリーンに映る映像の中で、自分の居城たる元帥府が崩れ去っていた。瓦礫の山と化した元帥府は、今なお灰色の煙を天に向かって吐き出している。
元帥府、壊滅。その報告──というより凶報を聞いた時は俄には信じられなかったが、こうして目の前に現実があっては信じないわけにはいかない。
被害状況・不明。犠牲者数・不明。原因・不明。現時点では何もかもが判明しておらず、部下の報告は全て『中将二人を襲った同一のテロリストである可能性が高いと思われます』という言葉で締めくくられていた。
「……そんなことは言われなくとも容易に推測できることだ!」
十四人目が要領を得ない報告を前者のモノマネのように締めくくった直後、たまらずバトライザーは叫んでいた。彼は常になく焦りを全面に押し出していた。
彫りの深い顔に、五四歳という年齢以外の理由で多くの皺が刻まれていた。顔つきは岩のように厳めしく、短く刈った焦げ茶色の髪は針のように鋭い。
「何者だ。一体誰がこんな事を……!」
状況検分のため、二人の中将の邸宅跡を訪れた帰りである。飛空艦ガルト・ブラギオ≠フ執務室から部下を追い出し、バトライザーは一人歯ぎしりした。
あのビルには『アレ』の原型とO.B.Kのスパイを確保していたのだが、どちらも間違いなく瓦礫に埋もれてしまっているだろう。前者はともかく、後者を失ったのは痛い。自白剤を投与して、カーネルの身辺情報を入手する絶好の機会だったというのに。また、何故O.B.Kのメンバーが『アレ』とコンタクトをとろうとしていたのか。それがわからなくなってしまった。例えあちらに『アレ』の正体が漏洩したところで負ける気はしないが、出来ることならばその理由を知りたかった。
だが、それらもさることながら、最大の問題がバトライザーの前に立ちふさがっている。
一連の事件の首謀者が誰なのか、ということだ。
この事態をもはやテロとは呼べなかった。軍事の中枢に攻撃を仕掛けてきたのだ。これはもはや『戦争』である。
O.B.Kか? 仲間を救出するために攻撃を仕掛けてきたのか? それとも龍日か? アレを取り戻すためだけに天使を派遣したのか? なるほど、確かにアレは存在そのものが禁じられている。あの天帝なら面子のためにそれぐらいはやるだろう。あるいは──
いや、どこの国にしても宣戦布告もなしとは、やってくれる。
「舐められたものだ、私も、私の軍も」
炎のごとき怒りが血管を通じて全身に駆け巡っていた。カーネルへの復讐心以外で、ここまで頭に血を上らせたのは初めてだった。元帥にだけ着ることが許された、白地に金をあしらった軍服から怒気が迸る。
まだだ。まだ早いのだ。アレはまだ完成していない。まだ数日の時が必要だ。それまでは、なんとしてでもアレを護らなければならない。逆に言えば、アレさえ完成してしまえばもうこちらのものだ。カーネルをこの世から消滅させ、世界をヴァイツェンの足下にひれ伏せることが出来る。
そうだ。誰にも邪魔はさせない。絶対に。
バトライザーは荒々しい動作で卓上の通信機を手に取った。数回のコール音の後、彼の配下であるリトラス大将と繋がる。
「私だ」
一国の大将にそれだけで通用するのは、元帥であるバトライザーだけだ。
「これより行き先を変更する。元帥府ではなく、北棟に着艦せよ。また、私は所用に出る。あとの処理はリトラス、お前に一任する。……そうだ。もう平時だとは思うな。これは戦争だ。平和ボケしていれば即刻その首を切られると思え。こうなった以上、あの程度のことを処理できないのならば貴様に用はないぞ。わかったな」
高圧的に言いつけ、通信を切る。
通信機を置いた手を顔の前まで持ち上げ、じっと凝視する。ゆっくりと力を込めながら拳を握ると、バトライザーは歯の根から呻くように独り言つ。
「……誰にも邪魔はさせん。誰にもだ。この手でカーネルを倒す、その日まではな……!」
あの日の光景が、鮮明な映像となって脳裏に浮かび上がる。毎晩のように夢に見ているため、今でもはっきりと思い出せる。あれは人生で最悪の日だった。
親友だった。物心ついた時から常に傍にいた相棒だった。何をするにも──それこそ良いことも悪いことも全部ひっくるめて──いつも一緒だった。
あの時までは。
バトライザーは懐から一枚の写真を取り出した。そこに、若かりし日のアレックス=バトライザーとセシル=スタインバレーが肩を組んで写っている。二人とも気持ちの良い笑顔だ。
当時、血気盛んだったバトライザーとは正反対に、セシルは冷静沈着で寡黙な人柄だった。身体の半分を機械に変えて傭兵になりたいと話したときも、セシルだけが賛同してくれた。機械化した後、セシルも続いて身体を機械化させ、ガングニルに上京する際もついて来てくれた。
仲間だった。二人は友情よりも、愛情よりも強い絆で結ばれていると互いに信じ合っていた。魂の双子であると。
だが、別れはあまりにもあっけなく、唐突に訪れた。
あの頃は若かった、と現在のバトライザーはしみじみと思う。数々の戦場を危なげもなくくぐり抜け、それだけで自分たちは無敵の二人だと信じて疑わなかった。だから世間から「屠殺場の豚が立てた作戦」と揶揄されていたM・S≠ノも躊躇いなく志願した。
そして、自分たちがどれほど楽観的な人間で、どれほど世の中を甘く見ていたのかを痛烈に思い知らされた。
倒しても倒しても。胸を撃ち抜いても。内蔵を全て撒き散らしても。喉に風穴を開けられても。上半身だけ、下半身だけになっても。頭を叩き潰されても。
O.B.Kは死ぬことなく、立ち上がった。
目に見えない不思議な、否、理解不能な力が戦友達を次々と引き裂いていく。超能力の前には、強化された筋肉繊維も、高速化された反射神経も、肉体に内蔵された武器の数々も、全てが無力だった。
当時の新開発大口径レーザー砲バルーダー≠ェ、エネルギーを充填する時間を稼ぐこと。それが、正規兵に傭兵を含む、戦場に立つ者達の使命だった。
本当にただの時間稼ぎでしかなかった。O.B.Kの歩みを止めるため、バルーダー≠ノ近づかせないために、撃って撃って撃ちまくって、挙げ句の果てに殺される。それが使命だったのだ。O.B.Kのメンバーが誰かを殺す瞬間、能力発動のために必ず足を止める。その一秒にも満たない時間を稼ぐために、一つ、また一つと命が消えていった。引きちぎられていった。
バルーダー≠ウえ発動すれば勝てる。今となってはそんな頼りない幻に、あの時は誰もが必死にすがって戦っていた。生き残れることを神に祈りながら。
そんな狂気と殺戮の中を、バトライザーはセシルと共に駆けずり回っていた。自分たちの力で勝てないのならば、せめて消滅する前にカーネルの顔を拝み、その上で生き残ってやる。若さ故の無謀さで、そんな事を考えていた。
結果を言えば、二人は先代カーネルの姿を網膜に映すことが出来た。そして、見た。
エネルギーの充填が完了したバルーダー≠ゥら、巨大な光の柱が発射された。全てを蒸発させる破滅の光が、カーネルを飲み込む光景を目の当たりにした。
勝利を確信した。これで戦いが終わる、と安堵してしまった。
それは、ささいな油断によって生まれた、どうしようもない隙だった。
実際にはバトライザーは、生き残ったO.B.Kメンバーの中で一番カーネルの近くにいた少女がカーネル化する場面は見ていない。見てはいないが、大体の想像はつく。だからいつも見る夢の中で、彼は幼い少女の髪が雪のように真っ白に染まり、つぶらな黒い瞳が赤く変色していく光景を見ている。
新しいカーネルが生まれたことをまだ知らないバトライザーの身体が、何者かによって突き飛ばされる。
危ない、と叫んだ声はセシルのものだった。
次の瞬間、生暖かい液体が全身に浴びせかけられた。振り返った視界の中で、ズタズタに引き裂かれて飛び散るそれが何なのか、すぐには理解できなかった。
全身にかかったのは血と、肉と、内蔵だというのは理解できた。考えるまでもなく、近くにいた誰かが敵にやられたのだ。
その誰かがセシルだったということに、すぐには気付かなかった。当然だ。二十年以上も一緒にいても、セシルの内部を見る機会など一度もなかったのだから。
セシルが近くにいない。どこにもいない。そう気付いたのはたっぷり十秒は経過してからだった。
その後の理解は早かった。長い赤銅色の髪の毛が自分のアーマーに巻き付いていた。誰のものか、という疑問はなかった。セシル以外には考えられなかった。
あんなひどい悲鳴を上げたのは、後にも先にもあれ一度きりだ。
それからのことは思い出すだけで、怒りのあまり全身の血が逆流するような錯覚にとらわれる。
バトライザーは哀れなほど情けない悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。新生カーネルを目の当たりにして戦意を失った味方と共に、無様に逃げまどったのだ。
逃げたい。帰りたい。死にたくない。戦いたくない。もう嫌だ!
セシルが殺されたというのに、そんな事しか考えていなかった。自分が助かること以外、なにも。
思い出せば思い出すほど、あの時の自分を殺したくなる。これは自己嫌悪と呼べるような生易しい代物ではない。
自己憎悪だ。
何故、あの時、仇を討とうと思わなかったのか。何故、あの時、悲鳴ではなく雄叫びを上げなかったのか。何故、あの時、アーマーについたセシルの髪を振りほどいて捨ててしまったのか。何故、何故、何故──
思い出すたび、夢に見る都度、後悔だけが募る。自分は卑怯者だ。救いがたい愚か者だ。どうしようもない臆病者だ。生きる価値など微塵もない。
価値のない命ならばいっそ捨ててしまえばいい、と自殺を考えたこともあった。だがそれは出来なかった。してはいけなかった。この命は、セシルが救ってくれた命なのだ。それを捨てることは、セシルの行為や想いを全て無駄にしてしまうことだった。
ならば、するべき事は一つ。
仇を討つ。それだけだった。
そのためにヴァイツェン軍に入り、ただがむしゃらに駆け上がった。軍部の最高位まで上り詰め、考え得る最強の力を得るまで三十年かかった。その間、絶えることなくカーネルを倒す方法を模索し続けた。
今、ようやくそれが叶おうとしていた。カーネルを倒すための秘策を得、それを実行するための地位と権力がある。
もう少し。あともう少しなのだ。悲願が叶おうとしている。それを今になって妨げられてたまるものか。
カーネルを倒したとき、再び自分はセシルと向き合うことが出来るだろう。悪夢に別れを告げ、セシルの墓参りにも行けるだろう。そのためにも。
「必ずだ。必ず、やり遂げてみせる。何と引き替えにしても、何を犠牲にしてもな」
決意があり、覚悟があった。必要ならば己の命すら捨ててやろう。
拳を固め、独り誓うバトライザーの元に『犯人と思しき二人組の写真』が届いたのは、ちょうどこの五分後の事だった。
「絶対、嫌!」
「ゲロったらちゃんとはずしてやるつってんだろうが!」
「だったら先にはずしなさいよ! はずしたらちゃんと教えてあげるから!」
「んなこと言ってテメエはずしたらトンズラするつもりだろ!」
「そっちこそ言ったらコレはずさないでどっか行っちゃうつもりなんでしょ!?」
いつの間にやら、元帥府ビルの地下に捕らわれていた自称スパイの少女との取引交渉役は、麟から昂へと移っていた。否、取引交渉改め、口喧嘩である。
「つうかな、ぶっちゃけスパイの言うことなんざ信用できるとでも思ってんのかテメエは!」
「うわーッ! 言ったわね!? 言っちゃったわね!? 信じらんない何コイツさいってー! そんなこと言ったら話にならないじゃないのよこのバカッ!」
まったくだ、と声に出さずに麟は同意した。頭痛がしてきた。この昂という男、本当に話にならない。拘束されている相手に武器を突きつけ、せっかく有利な条件から始まったというのに、それを全てぶち壊してしまった。
「バカって言うなこのバカ女! 大体スパイのくせにあっさり捕まってんじゃねえよ!」
「イタッ!? ア、アンタいま思いっきり人の痛いところ突いたわね! うるさいうるさい! いいからさっさとコレはずしてよ! はずしてくれたらアンタらが探してるナンチャラ院の所まで案内した上にバトライザーが何をやろうとしてるかまで教えてあげるって言ってんだから!」
「だからテメエがゲロってからって言ってんだろうが! 人の話聞いてねえのかテメエ!」
「アンタこそ人の話聞きなさいよぉっ!」
もはや子供の喧嘩だった。互いに天使でありスパイである矜持など、もうどこにもない。麟は鉛のように重い溜息をつく。
「低次元すぎる……純殿、そろそろ止めてやってくれ」
「あれ? 麟君は見ていて楽しくないんですか?」
「……頼むから楽しまないで頂きたい」
「そう言われましても……麟君が女性ならそのお願いも聞けたんですが」
「本当に貴殿は女性の話ばかりだな。呆れたものだ」
「今更ですね」
生真面目な麟に、ケラケラと笑う純。麟にしても純などに話を振るあたり、本気で止めるつもりはないようだった。そもそも、彼はその気になれば極印を以て少女から強制的に情報を引き出すことが出来る。
そんな中、珍しく浮が行動に出た。長身が動くとそれだけ大気も大きく動く。その気配を察してか、少女と昂の口論が一時停止した。
八本の視線が浮一人に注がれる。もはや少年と呼ぶのも憚られる体躯の持ち主は、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま少女に歩み寄り、直前で屈み込んだ。目線の高さが少女と同じになったが、前髪で隠れていてその瞳は見えない。だが、その前髪を除けたところで彼の瞳を見ることは出来なかっただろう。長い白髪のカーテンの向こうには、肉と眼球を抉りだしたような荒々しい傷跡がある。浮は盲人だった。
目はないが、それでも彼は少女の自由を奪っている拘束具に視線を向けるような動きをする。
「……麟、いいか?」
野太い声で背後の少年に問う。主語を省いた質問を受けた麟は、少し笑んでから頷いた。
「うむ。浮殿に任せる」
枯れ枝を折ったような、渇いた音が響いた。それが自分を戒めていた拘束具の砕ける音だと少女が知ったのは、浮の大きな掌に両腕をがっしり掴まれてからだった。
逃げられない。
実は、うまくいくなら本当に情報を漏らさずに逃げ出そうと考えていたのだが。やはり虫が良すぎたらしい。観念するしかなかった。
「……ファブリッツィア=テナルディエ。あたしの名前。ファーブルって呼んで。アンタたちは?」
こうなったらせめて友好的に。場合によっては協力関係を結べるのかもしれないのだから。少女、ファーブルは自己紹介から始めた。それに応じたのは麟だ。
「私は麟。そこのバカは昂殿。隣の色魔は純殿。貴殿の前にいるのが浮殿だ」
もっとも全員偽名なのだがな、とは麟は言わなかった。相手に不信感を与えるようなことは言うべきではなかった。
「繰り返しになるけどよ、そこの麟はチビって言うんだぜ」
「あはははは、昂君、それを言うなら『そこのチビは麟って言うんだぜ』ですよ。入れ替わってます」
「入れ替えてんだよ」
バカと色魔呼ばわりの仕返しとばかりに、昂と純がわざとらしい会話を交わす。途端、麟のこめかみに血管が浮んだが、彼は不毛な毒舌の応酬をする愚を知っていた。
「……では約束通り、情報を聞かせてもらおうか。ファーブル殿」
その様子が可笑しくて、ファーブルはクスクス笑いながら、
「OK、チビ君。ほんとに良いこと教えてあげるから安心してよ」
この不用意な一言があっさり麟の中の引き金を引いた。麟が、カッ、と弾ける。
「私をチビと呼ぶな! チビではない! 成長期がまだ来ていないだけだ!」
いきなりの剣幕にファーブルは驚いて目を丸くする。
「む、ムキにならないでよ。どうどう……えーっと……それじゃ、まずは案内するわね。その方が話も早いと思うし」
「どこにですか?」
純の問いにファーブルはくすりと笑い、茶目っけたっぷりに片目を閉じて見せた。
「それは見てのお楽しみ、って奴よ」
それは巫桜院蜜姫であり、巫桜院蜜姫ではなかった。
なるほど、姿形だけを見ればそれは間違いなく龍日の貴族令嬢ではある。蜜姫という名に恥じない蜂蜜色の長い髪に、人形のように愛らしい顔立ち。召し物は龍日でも滅多に原料の手に入らない高級素材、天絹糸製だった。
だが、それはあくまで見た目の話であった。
「……おい、こいつぁ……」
驚くなというのは無理な話だった。衝撃のあまり、昂の声はややかすれていた。
「驚きましたね」
「うむ……まさか、な」
不要な物を詰め込んでそのまま忘れ去られたような倉庫の真ん中で、死体のように転がっている少女。知恵の輪≠ナ気付かないわけだ。人の形をしたものがただ寝そべっているだけで、扉の外には見張りもなにも無かったのだから。
それも当然の話かもしれない。ここにいる少女が自力で逃げ出すことなどあり得ないのだから。見張りを立てる必要など一切ない。
「あたしも最初見たときは驚いたわよ。だって普通、龍日の貴族令嬢って聞いたら」
「待て、念のために調べよう」
ファーブルの言葉を遮って麟が歩み出た。『巫桜院蜜姫』に近付き、顔を近づける。すっと手を伸ばし、まずは瞼に触れた。無言のまま今度は首筋に手を当て、次は腹の上に。その後、服の袖をまくりあげ、二の腕に人差し指を押しつける。
「……間違いない。人工筋肉だ」
それ以上のことは言うまでもなかった。その場にいた全員がそれだけで全てを理解した。
アンドロイド。
ここにあるのは人間の死体ではない。
動かなくなったアンドロイドだった。
「ちょっと待てよ。つうことは何か? 俺らはわざわざアンドロイドを助けに来たってのかよ?」
「それ以前に、巫桜院蜜姫嬢がアンドロイドだったという方が問題のような気がしますよ?」
「待て、昂殿、純殿。コレが巫桜院蜜姫嬢だと決まったわけではない。確かに身なりは我が国の貴族の物だが、ヴァイツェン側の罠、あるいは……」
「……スパイの罠」
ぼそり、と浮が言うと同時、四人の目が一斉にファーブルに向いた。
「ぎゃあ!? ちょちょちょちょっ、待ちなさいよ! なんであたしがわざわざこんな怪しい物を用意してまであんたら騙さないといけないのよ!?」
「道理だな。だがその言葉が真実か嘘かは、すぐにわかる。浮殿、彼女の目を塞いでくれ」
麟の指示が飛んだ途端、ファーブルの視界が真っ黒に染まった。真っ暗ではなく、真っ黒にだ。写真や新聞などでは、人物の顔を隠すためによく目の辺りを黒の棒線で隠す。ちょどそれと同じ物が今、ファーブルの眼前を塞いでいた。
「!? な、なによ!? 何にも見えないわよ!? どうなってんの!?」
彼女は慌てて首を振ってみるが、状況は変わらない。当人にはわからないが、視界を遮る黒の棒線は彼女の動きに合わせて動いていた。傍目にはひどく怪しい姿である。
第三者に見られる恐れの無くなった麟は右腕を振り上げ、極印知恵の輪≠発動させる。
『検索開始』
銀色の呪文をまとった右手で蜜姫の身体にそっと触れた。
触れた。
記憶というものは音楽に似ている、と麟は思う。
知恵の輪≠ェもたらすのは情報の怒濤だ。体感的に表現するならば、幾多の塊となった『記憶』という名の情報は、一つ一つが違う形、色、大きさをしている。それらが無規則に麟の脳内に飛び込んでくるのだが、不思議と不協和音とは感じない。どこか完成された楽曲の如く、理に適っているように感じるのだ。
おそらくはその楽曲こそが全体をして、記憶の持ち主の人生を表しているのだろう。そう麟は考えている。
巫桜院蜜姫の記憶が奏でるのは、言うなれば、冷たく渇いた円舞曲だった。
それは感情機能が搭載されているにも拘わらず、感情を殺さなければならない日々だった。
周囲を取り巻くのは冷たい空気。かけられる言葉は暖かみのない命令。自らの意志で動くことも喋ることも禁じられ、唯一許されていたのは『微笑』という表情だけ。
お前は黙って笑っていればそれでいい──何度もそう言われた。理不尽な命令に負荷がかかり、光学神経がダメになったこともある。
よく出来た『跡取り娘』という名の人形。それが巫桜院蜜姫というアンドロイドに与えられた役割だった。
蜜姫の父として設定入力された巫桜院龍佐は、冷酷な男だった。世間一般に言われている龍佐の姿は、全て偶像だった。娘を溺愛する老人など、とんでもない。龍日の二三宗家の人間らしく、彼は貴族ではない人間を心底から見下し侮蔑する人種だった。
その目は当然、アンドロイドにも向けられる。
蜜姫の記憶領域の中には龍佐の発言がいくつも収められているが、その中の一つにこんなものがあった。
「わずらわしい。陛下からの賜物でなければ、貴様などすぐに解体してやるものを」
汚物でも見るような瞳に、蜜姫の感情機能は『悲しみ』の反応を起こした。だが泣くことは許されていなかった。内部回路から衝き上がる、シンプル故に巨大な衝動に蜜姫は微笑のまま耐えた。
つまり二人は偽装親子だった。
跡取りのいない巫桜院家の当主、巫桜院龍佐。二三宗家でも屈指の発言力を持つ巫桜院家の血が途絶えようとしている──そんな周囲の声を放っておくわけにはいかず、天帝が極秘に龍佐へ与えたのが蜜姫である。
周囲を欺くための、アンドロイドの娘。
だが、さすがは天帝というべきか。麟は感心を通り越して、呆れすら感じる。
たかが偽装用アンドロイドにアトレイユタイプ≠用意したというのは。
知恵の輪≠ェ麟に教えている。蜜姫の感情の機微、思考を。並のアンドロイドならば持たざるべき『心』を。封印された、いや、闇に葬られたはずの機能を。
巫桜院蜜姫はただのアンドロイドではない。人間と同じように考え、心を持つアトレイユタイプだったのだ。周囲を騙すためには最高の物だったろう。アトレイユタイプは人間以上に人間らしい。どんな場所へ連れて行こうと、細かく触れて調べない限り正体がバレることはまずないと言って良い。
しかしそれ故に、人間以上に苦しみもするのだ。
蜜姫が並の人間であれば、精神的にも肉体的にも病にかかっていたに違いない。麟はそう断言できる。それほど彼女をとりまく環境は過酷だった。
どれだけ頑強な人格であれば、常に自己を否定される環境で自我を保っていられるだろうか。どのような精神であれば、自らの存在意義を見いだせずとも強くあれるのだろうか。
感情を持ちながら、感情を殺し続ける毎日。それがアンドロイドでもアトレイユタイプならば、精神回路におよぼされる影響は想像に難くなかった。
蜜姫の心は脱出≠望んでいた。
それは具体的な願望ではなく、祈りに近いものだった。だが、ほんの小さなきっかけで彼女が行動を起こすには十分すぎた。
麟の知恵の輪≠ェ、今回の事件の発端である記憶を探り当てる。
いつものように二三宗家の貴族のみが集う、定期集会という名のパーティーでのことだった。
大勢の貴族達の会話で雑然とする空気の中、一人の見慣れない男性が、いつものように会場の隅に座っていた蜜姫に近づいてきた。そして話しかけてくる男性に対して、蜜姫はいつものように無言のまま笑いかける。
大人しく内気、清楚で可憐。いつも微笑みを絶やさない、無口な少女。
それが蜜姫に与えられた役柄だった。『お前は黙って笑っていればそれでいい』──その言葉通りに。
会話をする権限は蜜姫に与えられていなかったため、彼女は常に無言で他人と相対した。多くの者は『奥ゆかしい』と受け取り、それ以外の者でも『もしかして喋れないのではないか?』と思い、深く言及してこなかった。
だがこの時だけは違った。
「どうして、お声を聞かせてくれないのですか?」
男性は、蜜姫が驚くほど積極的だった。あの手この手の話題を持ち上げ、なんとかして蜜姫の小さな唇を開こうとしてきた。男性は若く、どうやら自分に好意を抱いているようだ、と蜜姫にも判断できた。
彼女にとってそれは、ほんのささいな、しかし最大のきっかけだったのだ。
不意に手をさしのべられたとき、その魅力にあらがう術を蜜姫は持っていなかった。自分でも気付かぬうちに腕を上げ、自分の手を彼の掌に乗せていた。
麟は思う。これは、もしかすると恋だったのかもしれない。
例えアンドロイドが人に造られたものであっても、アトレイユタイプであれば苦悩もするし恋愛だって出来る。
錯覚であろうが贋物であろうが、間違いなくこの瞬間、巫桜院蜜姫というアンドロイドは、まだ名前も知らない男に恋してしまったのだ。
だからこそ、さしのべられた手をとってしまった。誰にも優しくされなかった彼女にとって、彼は救世主に等しかったのだから。
だが、その後の記憶は凄絶に過ぎた。筆舌に尽くしがたい。
男に手を引かれて人気のないテラスへ出た。そこまではよかった。
そこまでは。
巫桜院蜜姫の境遇は不幸と称して良かったが、それでも彼女は『裏切り』というものをこの時まで知らなかった。彼女は生まれながらにして、周囲の冷遇に晒されてきたのだから。
一体どのような経験を積んでいれば、人の良さそうな青年が突然襲いかかってくるかもしれない、などと疑いを持てるだろうか。
少なくとも彼女の場合は、そんなことを疑うどころか思いもかけず、抱いていた淡い期待は無惨に踏みにじられた。
突然、背後から口元を塞がれ、両腕を極められた。
と思った次の瞬間には、身体ごと地面に顔を叩き付けられ、複数の人間に囲まれていた。訳がわからないまま悲鳴を上げる間もなく両手を縛られ目隠しをかけられ猿轡をはめられた。気が付いたときには身体が宙に浮いていて、二人の人間に担がれていた。
誘拐されている。
そう考えが至った瞬間、ようやく蜜姫は悲鳴を上げた。当然だが猿轡に阻まれてくぐもった呻きしか漏らせなかった。擬人化して言うならば、彼女は全身の血管に冷水が流れているような恐怖に襲われていた。
嫌だ、怖い、こんなことが知られたらお父様≠ノなんて言われるか──!
麟は驚きを通り越して、少し落胆する。誘拐されているというのに、真っ先に考えることが身の安全ではなく、義父への体裁だったとは。
無理もないか、とは思う。蜜姫にとって巫桜院龍佐こそが世界の中心だった。そのようにプログラミングされている。彼女にとって一番恐ろしいこととは、龍佐翁に見捨てられることだったのだ。
まるで抵抗できないうちに蜜姫の身体は宙へ放り投げられ、固い床の上に転がされた。地面ではなく、それよりも高い位置だというのは感覚でわかった。おそらく車の中だろう、と記憶を見ている麟は推測する。
「手荒なマネをして申し訳ありません、お嬢様──なんつってな。痛い目にあいたくなけりゃそのままジッとしてろよクソガキ」
「……!」
聞き覚えのある声が、聞いたことのない口調で蜜姫の精神回路を殴りつけた。つい先刻まで、蜜姫へ優しげに語りかけてきていた青年の声だった。
正直、龍佐の嫌味や皮肉よりも強い衝撃を受けた。
初めて受ける、信じていた人間に裏切られた衝撃だった。
人間で言えば、ショックのあまりに心が凍り付いてしまった、とでも表現できるだろうか。アンドロイドとてアトレイユタイプならば現実逃避をすることもある。
アンドロイドである蜜姫は、その人工知能にあまりに重い負荷を受けたためか一時機能を停止した。
五感が全て遮断され、蜜姫の意識は闇に落ちた。
そして、蜜姫の記憶はここで途切れている。彼女は気を失った後、再び目覚めることがなかったのだ。
だが、知恵の輪≠ヘ記憶以外からでも情報を得ることが出来る。そこには、麟としては反吐が出るような情報も含まれていた。
蜜姫の身体の痛みから、意識のない彼女をヴァイツェンの男達がどのように扱ったのかがわかってしまう。下衆の所行だ。
また、彼女の人工知能が再起動しなかった原因も判明した。
これは先程、昂が元帥府ビルを粉々にしてしまったことと繋がっている。
アトレイユタイプのアンドロイドには、バスチアンタイプのアンドロイドと決定的に異なる点がある。それはアトレイユタイプの心≠司り、活動エネルギーの源であるレアメタル──『星石』と呼ばれる存在である。
ヴァイツェンでは『オリハルコン』と呼ばれるこの鉱物は、簡単に言ってしまえば濃縮された星体の結晶といえる。半永久的に濃厚な星体を放出するこの鉱物が一グラムでもあれば、それだけで一生かかっても使い切れないほどの財産と交換することが出来ると言われている。それほど貴重な物質だ。
アトレイユ革命も、実はこの稀少な鉱物を一部の特権階級が独占するために、世界レベルで捏造した偽歴史だと言われている。要するにアトレイユタイプが多くなればなるほど自分たちの取り分が減るから、力を合わせて世界中を騙している、というのだ。実際、アトレイユタイプの人工知能を製作するために必要な資料と共に、アトレイユ革命に関する全ての情報が闇へ葬られてしまっている。そのためアトレイユ革命の歴史的事実を立証することは、実際には不可能なのだ。
また『星石』は大自然の知能とも言える仕組みを持ち、バスチアンタイプの電子脳を遙かに超える性能を持つ。噂レベルではあるが、ある人物は『星石』に自らの記憶を移し替え、永遠の命を得たという──そんな話もあるほどだ。富と名声を得た人物達が歴史を捏造してまで入手しようとするには、十分な伝承ではある。
だが今、巫桜院蜜姫の体内に『星石』はない。理由は考えるまでもない。奪われたのだ。
誰に? もちろん、ヴァイツェンに。
このすぐ近くにあることは確かだ。昂の魔神の右手≠ェ予想以上の威力を見せたのも、『星石』の放つ星体が元帥府周辺に充満していたために違いない。
その上、星体を呼吸して生きるアトレイユタイプである蜜姫は、心臓であり脳であり全てである『星石』を失ってなお、その身体は生き長らえようとしている。エネルギーの供給を失った身体はその細胞を維持できずに腐っていくはずが、今なお、彼女の人工筋肉には張りがある。周囲に漂う星体を必死に掻き集めているのだ。
つまり──
「──陸にあがった魚のようなものだな」
小さく麟は呟いた。
得られない酸素を、それでも得ようとして必死にエラを動かしている。心を失いながらも星体を掻き集め続ける蜜姫の身体は、そんな魚にも似ている。
もちろん自覚はないだろうが、苦しいに決まっている。端から見れば静かに眠っているように見える蜜姫の顔に、麟は思わず憐憫の目を向けた。
「はぁ? 魚がどうしたってんだよ?」
「気にするな、昂殿。独り言だ」
耳ざとく呟きを拾い聞きした昂を適当にあしらい、麟は立ち上がる。麟の体感としては長く記憶を読んでいた気がするが、現実においては彼が蜜姫に触れてから三秒と経っていなかった。
視界を黒の棒線で遮られたファーブルが、未だに喚いている。
「何よもうっ! 冗談じゃないわよふざけんなってのよ! これで失明でもしたら地獄の底まで追いかけて口の奥に手ぇ突っ込んで──」
「もういいぞ、浮殿」
「奥歯ガタガタ言わせ──あれ?」
溜息混じりに麟が言うと同時、ファーブルの目を隠していた棒線が消え失せる。少女は目をぱちくりとさせ、
「…………」
途端、怪訝そうに目を細めて四人の少年を見回す。
「どうした、スパイ殿? ご希望通りに目が見えるようになったはずだが、まだ言いたりないことでもあるのか?」
皮肉った麟の物言いにも噛み付かず、ファーブルは手負いの獣がごとく、敵意と警戒の入り交じった視線を昂達に向ける。
「──っていうかさ、アンタ達でしょ? グランツ中将とスイートス中将の家ぶっ飛ばしたテロリストって」
出し抜けにそう切り出した。瞬間、四人の表情筋がミクロン単位でひくつく。腐ってもプロ。昂ですら露骨にぎくりとした顔は見せない。
「……あぁ? 何のことだテメエ?」
「とぼけても無駄よ。絶対そうよ。あたしの勘に間違いはないわ。そうでしょ?」
「勘で間違いない≠ニいうのは少し矛盾があると思いますよ?」
笑顔で鋭く突っ込んだ純に、ファーブルは、きっ、と目をつり上げる。
「っさいわねっ! ──あのね、はっきり言うけどアンタら全員そういう顔してるわよ? めちゃくちゃヤバイ顔。どうせここに来るときも派手にやったんでしょ? すっごい音と揺れがしてたし」
すっごい音と揺れが、のあたりで全員の視線が昂に集中する。
「……おい。なんでテメエらみんなして俺のこと見てやがんだ?」
昂が眉を立てて睨み返すと、純と麟は、さっ、と視線を逸らし、
「いえ、別にー」
「特に他意はないが」
「はっはーん、やっぱりアンタだったのね」
ファーブルだけがニヤニヤと笑いながら昂を見つめる。
「何が、はっはーん、だ! だったら何だってんだ!? あぁ!? ケンカ売ってんのかテメエ!」
「まあまあ、落ち着いてください昂君。実際、昂君が張り切りすぎてここの地上部分を全壊させてしまったのは事実ですし。ねえ?」
「ふぅん、地上部分を全壊ねぇ……って、全壊?」
純の口調が、まるで昂が模型か何かを壊したかのような気軽さだったので、危うくファーブルは聞き流してしまうところだった。
「全壊……って……もしかしてゼンカイ?」
「貴殿が何を言いたいのか具体的にはわからないが、おそらくその予想は当たっているだろう」
我ながら要領の得ない抽象的な質問だな、とファーブルも思っていたが、麟は正確にその意図を汲んだ上で肯定してくれた。
ファーブルは普通に前頭部あたりが痛くなってきた。本気で信じられない。一国の中将を暗殺しただけならば、まだいい。そう、ここは敢えていいことにしよう。歴史上そういった事件はいくらでも例がある。むしろよくあることだ。だがしかし、ヴァイツェンの軍事の中枢たる元帥府を全壊させるとは。あり得ない。聞いたこともない。夢にも思わない。無茶にも程がある。高官を襲撃するだけでも国一つを敵に回すかなりの愚行だが、こいつらは度が過ぎている。
どうしようもないバカだ。普通なら今頃、絶対に死んでいる。
「……いやね? あたしは中将の家をテロった奴がいるって話を聞いたときから思ってたんだけど……アンタらってもしかしなくても超絶バカ?」
赤毛バカが吼える。
「んだとコラ!? テメエやっぱケンカ売ってんな!? 上等だ!」
「っていうか何者? 見た感じと、そこのアンドロイドを助けに来たって事は龍日の人間よね?」
「ってコラ、無視すんな!」
「……もしかして……天使?」
「それ以上しゃべると危険ですよ?」
わざとらしいほど大きく、撃鉄を起こす音が響いた。声は穏やかだったが、純の行動は過激だった。いつの間に抜いたのか、漆黒の拳銃が純の右手に握られていた。既に銃口はファーブルの頭部に照準されている。
刹那、しん、と空気が静まりかえり、緊張感で凝固する。
ここまでされて相手の意図が読めないようでは女スパイ失格だった。ファーブルは慌てず両手をあげ、
「詮索はなし、ってことね。OK、あたしから持ちかけた取引だし文句は言わないわ。正直、O.B.Kに害が及ばないなら何でも良いし。アンタらがヴァイツェンと喧嘩するってんなら止める理由はないもの」
それは嘘偽りないファーブルの本心だった。カーネルに仇成す者がいなくなり、仲間達の穏やかな生活が守られるなら、それだけで十分なのだ。それ以上のものを求めようとは思わない。
ファーブルの返答に純はにっこりと微笑み、拳銃を引いた。それを見届けてから、ファーブルは口を開く。
「んじゃ、情報ね。見ての通り、その子、肝心なパーツ抜かれてるっぽいわよ? あたしが見つけたときからそんな風だったから」
死体だと思って悲鳴を上げてしまい、それが原因で捕まってしまったことは敢えて言わなかった。言えるわけがない。情けないにも程がある。
「たぶん、バトライザーはそのパーツを使って何か企んでる。一つは間違いなく、私たちのカーネルを倒すこと。もう一つはパンゲルニアに勝つこと。総括するに、そのアンドロイドの一部を使って強力な兵器を作ろうとしている。……あくまであたしの推測だけどね」
だが限りなく真実に近い、とファーブルは確信している。バトライザー元帥とアレッキノ首相の会話の中で、幾度と無く登場した『アレ』とは、強力な兵器に違いない──と。
ただ、安全保障条約を結んでいる龍日のVIPを誘拐してまですることなのだろうか? という疑問は残る。アンドロイドのパーツなど、それこそ龍日ではなく自国で調達した方が早いだろうに。科学軍事国家であるヴァイツェンのすることではないはずだ。
いやちょっと待て、とファーブルはさらに思う。一つだけ、たった一つだけだが、誰もが納得する『アンドロイドをさらう理由』があるにはある。そう。それならば、確かにつじつまは合う。つじつまは合うがしかし、にわかには信じられない話だ。『アレ』はこの世に絶対に存在していてはいけないものなのだから。
「なるほど……スパイというのは伊達ではない、か。よく調べられている」
「え? い、いやー、それほどでもないわよ。一応これでもプロだし」
感心したような麟の言葉に、ファーブルは思わず照れてしまう。すかさず純が笑いながら、
「その割にはあっさり捕まっちゃってますけどねー」
「う、うるさいわね! そこはほっときなさいよ!」
痛いところを突かれて思わず吠え猛る。そんなファーブルを完全に無視して、純は隣に立つ麟に尋ねた。
「で、麟君。蜜姫嬢からどんなことがわかったんですか?」
「うむ。よく聞いてくれた、純殿。実に興味深いことが色々と判明した」
頷く麟に、昂が大きなあくびを一つしてから、
「ま、なんとなく想像はついてるぜ?」
だろうな、と麟は再度頷く。既に材料は揃っている。わかる者にはすぐわかることだ。
「巫桜院蜜姫はアトレイユタイプだ」
やっぱな、と呟く昂を筆頭に、純も浮も大して驚きはしなかった。そう、常識的に考えれば、バスチアンタイプのアンドロイドのために事はここまで大きくならない。だが、巫桜院蜜姫という二三宗家の令嬢が実はアトレイユタイプのアンドロイドだったというのならば、話は違う。例外的に天使の封印が解かれるのも当然であり、ヴァイツェンが兵器利用を考えるのも納得がいく。
唯一、わずかながらではあるが、驚きを見せたのはファーブルだ。
「はぁぁぁ……もしかしたらとか思ってたけど、本当に本当だったのね。信じらんない……この子が、アトレイユタイプねぇ……ほんとにいたんだぁ……」
ファーブルの中で、やはり、という思いと、まさか、という気持ちが交錯していた。アトレイユタイプ。そう。それこそが、誰もが納得する『アンドロイドをさらう理由』だった。存在するはずのない存在、世界的に禁忌とされているその存在は、もはや『伝説』と言っても過言ではない。ファーブルはアンドロイドについての深い知識はないが、それでもアトレイユタイプが未知の塊であり、現存するバスチアンタイプとは根本的に構造が違うことは知っている。何故ヴァイツェンが危険を冒してまで龍日の貴族をさらったのか、その疑問がようやく氷解した。アトレイユタイプが現実に存在していたとは、今でもまだ信じられないが。
駄天使四人と違い、ファーブルがすぐにアトレイユタイプの存在を信じられないのも無理はない。今日、アトレイユタイプという響きには特別重い意味がある。アトレイユ革命のため、その名にまとわりつくのは『思考し感情を持つロボット』よりも『殺戮機械』というイメージの方が強い。その名を聞いた瞬間、常人ならば十中八九は忌避するものとなっているのだ。その上、一般人の感覚からすればアトレイユ革命は史実というよりも、どちらかといえば『おとぎ話』に近いものがある。だからファーブルにとってアトレイユタイプとは、天使から翼を与えられた犬とほぼ同等の存在だったのである。実際にこうやって目の前にしても、まるで実感が沸いてこないこと限りがなかった。
「しかしまあ、これで『上』の奴らがわざわざアンドロイド一体のために天使の封印まで解いたのか、ってのが判明したわけだな」
「うむ。ともすれば本物の貴族の令嬢よりも重大な機密だ」
「そうですね。誘拐されたアンドロイドの貴族に、それを回収するために封印を解かれた天使。アンドロイドの研究をしていたヴァイツェンの中将に、対カーネル用の兵器開発……ここまでくるとアトレイユタイプしかありませんよね」
まるで頭の中のパズルがぴったりはまったかのように、その答えは導き出される。
「けど、解せねえな」
「何がだ、昂殿?」
「それだけじゃねえ気がするぜ。誘拐されたのがアトレイユタイプだから天使を派遣した、だけじゃ何か足りねえ気がする」
「まだ何かあるとでも?」
「だってよ、普通に考えりゃ、ヴァイツェンだって名目上はこっちの貴族の誘拐やってんだろ? だったら『我々は龍日から貴族を攫ったのだが、実はそれはアトレイユタイプのアンドロイドだった。龍日は禁忌を犯している』なんつーことを大声じゃ言えねえだろ」
「つまり、龍日がアトレイユタイプを作製していたという事実は公表されないから大丈夫、というわけですか?」
「実際、ここのバカ女が捕まってるだろ?」
「ちょっ……!? 誰がバカ女よ!」
「捕まえるって事は、ヴァイツェンもアトレイユタイプを拉致ったことがバレたら困るって事だ。で、実際ヴァイツェンから秘密が漏れねえなら、龍日から俺たちが出張する必要もねえはずだ。そうだろ?」
「つまり、まだ他にも我々が派遣された理由がある……昂殿はそう言いたいのだな?」
にわかに理知的な一面を表してきた駄天使達に、ファーブルは完膚無きまでに無視されていた。腹は立つが、実力行使に出るわけにもいかず、かといって逃げることもままならない。仕方なくファーブルは彼らの話が終わるのを待つことにした。カーネルが近くにいたら遠慮無くぶっ飛ばしてやるのに、と拳を固めながら。
「確かヴァイツェンのバトライザー元帥は、O.B.Kのカーネルさんを殺すのが目的でしたよね? それでは、天帝とカーネルさんが仲良しだった、とかいうのはどうですか?」
純の示唆した可能性に、昂と麟ははっと顔を上げた。
「なるほど……その可能性はある。龍日、あるいは天帝にはカーネル及びO.B.Kを攻撃されては困る理由があった。だから蜜姫嬢を兵器活用されるわけにはいかなかった……」
「けどよ、その『困る理由』ってのは何なんだよ? どう考えても繋がんねえぞ、天帝とカーネルだと」
昂の呈した疑問点に、麟は思考の淵に足を引っかけたまま首を横に振った。
「それはわからん。わからんが、何かあると見ていいだろう」
ここにきて純が至極一般的な意見を述べる。
「でも案外、単純に秘密がばれたらまずいってだけかもしれませんよ? なんせ、ヴァイツェンがカーネルを倒した後にでも蜜姫嬢の事を世界に公開したら、龍日はパンゲルニアを始めとする世界中から攻撃を受けますし。そのリスクを考えれば僕達の派遣もあながち不思議でもありません」
「無論、私もそうだといいと思っている。事態が簡単なら、我々のすべき事も簡単で済むからな」
しかし果たして事態はそう単純だろうか、と麟は思う。この任務には、他でもない、あの片桐聖子機関長直々の指名によって自分たちが派遣されたのだ。裏がないはずがない、と考えるのは自分が彼女を信用していないからだろうか。それとも、彼女を信頼しているからこそ、この件にはとてつもなく重大な何かがあると穿って見てしまうのだろうか。
いずれにせよ、彼女と自分たち四人による『計画』に関係があると見ておいた方がいいだろう。敬愛すべきかどうか迷ってしまうあの上司は、手の内を見せる前に部下を試す悪癖がある。おそらくは四人が自らの力で気付き、知ることを期待しているのだ。ならば自分たちはその期待に応えるしかないだろう。麟は胸の内でそう結論づける。
「もしかして聖子の奴、全部知ってて俺らに任せたんじゃねえだろうな」
どうやら昂も同じ事を考えついたらしい。麟は思わず口元に自嘲的な笑みを浮かべる。
「その可能性は大いにあるな。なにせ我々に『わざとカリキュラムをさぼりまくれ』と命令する御仁だ。ヴァイツェンの目的も、巫桜院蜜姫がアトレイユタイプのアンドロイドだということも全て承知の上で、黙って我々を送り出していたとしても……不思議ではないな。実にやりそうなことだ」
純も、あは、と笑い、
「ですね。聖子さんって悪戯とか意地悪とか大好きですから。ねえ、浮君?」
「どうでもいい」
いつの間に取り出して火を点けたのか、煙草を吸っていた浮は、煙を吐きながら心底どうでもよさげに答えた。
「さて、憶測や推測ばかりしていても埒はあくまい。巫桜院蜜姫が攫われた経緯と、彼女から引き抜かれているパーツについて話そう」
麟は知恵の輪≠ノよって得た情報を、順を追って説明した。巫桜院蜜姫という少女をとりまく環境がどのようなものだったか。彼女がいかにしてヴァイツェンに攫われたのか。またその心がどんな風に強奪され、その身体がどれほど無惨に蹂躙されたかを。
『星石』を奪われ、粉々になった心をも毟られ、こんな所にうち捨てられたことを。
そして、未だ彼女の身体は生きることを望み、今この瞬間ですら、喘ぐように星体を掻き集め続けていることを。
「彼女の身体は星体を集めるようにできている。それも濃密な星体を、な。実際、彼女の身体に腐食が見られないあたり、現状維持に必要な量は確保できているようだ。おそらくヴァイツェンという国では、日常的に星体を消費することが少ないからだろう。よってこの周囲には、通常よりも濃い星体が集まっていた。先程、昂殿が極印の制御に失敗したのはそれが原因だろうな」
極印は星体を糧とする。簡単に言ってしまえば星体を燃料とする燃焼機関だ。強烈な燃料を用いれば、当然その効果、出力も跳ね上がる。
蜜姫が攫われたときのくだりを聞いたあたりから、どこか吐き気を堪えるような顔をしていたファーブルが口を開く。
「──って、ねえ、ちょっと待ってよ? AIと心臓を兼ねてる『星石』ってのが取られちゃったんでしょ? だったらなんで、この子の身体はまだそんな風に動けるのよ? 星体を集めるにしたって、それなりの回路がないと普通出来ないんじゃない?」
「『星石』はAIの主要な部分のほとんどにあたるが、全てというわけではない。身体機能を活動させるための基本知能が別に、頭部の回路に収まっているのだ。とはいえ、今の彼女はほとんど抜け殻に近いが……」
麟の声が淀む。言いにくそうに口を噤んだ少年は、ちらりと蜜姫に視線を向けた。ミラーシェードの奥の瞳に揺れるのは、哀感の光だ。
「……それ故に残酷だ」
生殺しという言葉がある。蜜姫の内部に残った基本知能も低レベルながらも意識がある。感情機能はないが、判断力が少なからずあるのだ。つまり今、『星石』という心臓と脳を失った彼女は、真綿で首を絞められている赤子のようなものだった。呼吸ができなくて苦しいのに、死ぬこともできない。また思考するほどの知能はないのに拙い判断能力だけは残っていて、現状を『苦しい』と認識し、無意味に苦しんでいる。それでも身体の制御プログラムが無いため、泣くことも呻くことも出来ないでいるのだ。
知恵の輪≠ヘ言葉にならない悲鳴や嗚咽さえもを読み取ってしまう。
それは実に単純かつ純粋で、だからこそ切実な主張だ。
──くるしい たすけて だれか くるしい たすけて だれか くるしい──
「……人工知能でも神に祈ることがあるのだな」
蜜姫の状態を説明した後、麟はそう締めくくった。
そう。彼女はただひたすらに、自分ではない誰かに向けて一途に訴えている。
それは人間で言えば『魂の叫び』と表現しても過言ではなく。また、『誰か』とは人間的概念に置き換えれば『神』と言えなくもなかった。
「……ムカついてきたな」
ぼそりと、昂は端的に感想を述べた。赤い瞳から、怒気が波動となって溢れている。
端から見ているだけなら、彼女はただ目を閉じ、仰向けの体勢で眠っているように見える。だがその心は、幾日も前から昂達には想像もつかない地獄の中で、今この瞬間も悶え苦しんでいるのだ。
「ええ、許せませんね」
珍しく穏やかではない声が純の唇から生まれ出た。金色の瞳がいつになく鋭い。
「女性を苦しめる人に生きる権利はありません」
強い語調で、はっきりと断言する。その言葉に麟は深く頷く。
「いささか偏っているとは思うが、大体の意味において大いに純殿に賛同する」
蜜姫の記憶を擬似的に体験した麟だからこそ、彼女の思いが痛いほどよくわかる。アンドロイドとはいえ、少女が受けている仕打ちはあまりにも理不尽すぎる。ミラーシェードのズレを直すその手が、純粋な怒りにわずかに震えた。
「……ウザイ」
浮が手に持っていた煙草を床に落とし、踏みつけた。力のある動作だ。何度も、何度も煙草を踏みにじる。まるで煙草を何かに見立てているかのように。
それを見て、昂は、へっ、と嬉しそうに笑う。
「どうやら浮も同じ気持ちみてぇだな」
「あたしもよ」
「あ?」
あまり聞き慣れないドスのきいた声に四人が振り返ると、そこにいた女スパイは顔をうつむかせ、怒りのあまり全身を小刻みに震わせていた。
「許せない……すんごいムカつくわ……!」
同じ心を持つ存在として、そして同じ女として、巫桜院蜜姫の境遇には怒りを覚えずにはいられない。祝福されずに育てられ、生まれて初めて触れた優しさには無惨に裏切られ、女として最低の行為をされ、挙げ句の果てにはこんな寂しい場所に打ち捨てられて今なお苦しんでいるというのだ。
許せるわけがなかった。
「アンドロイドだからって酷すぎるじゃないそんなの! どんな正当な理由があってその子がそんなに苦しまないといけないわけ!? ふざけるんじゃないわよ! そんなの絶対に許さないんだから!」
「おいこら待て、俺らに文句言われても──ををっ!?」
文句を言いかけた昂の目の前に、ずびしっ、とファーブルの人差し指が突き出された。流石の昂もこれには目を白黒させる。
「うるさい! いいからさっさとその子を助けてあげなさいよ! 何とか出来るんじゃないの!? アンタたち天使でしょ!?」
「うわぁ、無茶苦茶言いますねぇ、ファーブルさん」
「無茶も苦茶も言いたくもなるわよ今の話聞いたら! こうしちゃいらんないわ、あたしも行かなくちゃ!」
それはまさに電光石火と称して良い動きだった。言うが早いか当たり前のように踵を返したファーブルは、突如、稲妻の如く駆けだした。
どさくさに紛れて逃げるつもりなのは、一目瞭然だった。
あっという間にその姿はかき消え──かけて、しかしそんなことを許すほど少年達は間抜けではなかった。
「……純殿」
「はい」
麟と純の短いやりとりの後に起こったのは、操り人形≠フ力で両足の動きを狂わされたファーブルが派手にすっ転ぶという現象だった。
「ふぎゃあっ!?」
顔面直撃だった。ファーブルの頭の奥で世界が揺れて、血の色をした火花が散る。
しかし女スパイはそう簡単には諦めない。
「──なくそっ!」
鼻の奥から出てくる鼻血の感触を無視しながら、床に両手をついて身体を起こし、素早く首を振って背後を確認しようと、
目と鼻の先に巨大な拳があった。
「!?」
次の瞬間、豪風のような圧力と共に拳はファーブルの右頬の傍を突き抜ける。
背後の空間に圧倒的な衝撃と轟音を感じた。コンクリートの砕ける音と気配がファーブルの全身を打ち据える。
あまりの驚きに身体の制御すら忘れた。首だけで振り返った勢いのまま身体も振り返り、不可視の圧力に押されるように背中から倒れ込む。
間髪なく二発目の拳が振り落とされた。
「──!?」
顔のすぐ右側に炸裂した一撃は、まるで石を割るような音を生んだ。そう、それは紛れもなくコンクリートと鉄がぶつかりあう音だった。一瞬、目の前が真っ暗になる。そう思ったのは拳の主がファーブルに覆い被さったからだろう。
視覚によって得られる情報を脳が正確に認識するまで時間がかかった。
赤毛の少年がファーブルを見下ろしていた。
「悪ぃな。こっちもプロだ。そう簡単にゃ逃がさねぇぜ」
獰猛な肉食獣のような笑みで言う。気になったので、不意に視線を上へと向ける。倒れているファーブルの頭上、つまり先程は背後だった空間へ。
巨大な風穴が空いていた。
分厚いコンクリートの壁はぶち抜かれ、三部屋先までよく見える。床は砲弾の直撃を受けたかのようにえぐれ、穿たれていた。
目の前の少年が一体なにをしたのかさっぱり理解できなかった。出来の悪い冗談みたいな光景に、むしろファーブルの思考は落ち着いていく。
──そうか。よくわかんないけど、こいつら化け物なんだ。なるほど、こりゃしょうがない。そういえばさっきもこのビルの地上部分を全壊させたとか言ってたっけ。駄目だ。もう無理だ。こんなのあり得ない。
「ここまできて逃げだそうとは、潔くないな、ファーブル殿。……しかし純殿、それに昂殿も、目隠しもせずに極印を見せるなどサービスが良すぎるぞ」
麟の声を聞き流しながら、ファーブルは顔の傍に打ち込まれた拳に視線を向ける。最初からそこに穴が空いていたとしか思えないぐらい、昂の右手がコンクリートの中へ沈んでいた。
「まあまあ、いいじゃないですか。どうせすぐに忘れてしまうわけですし? 麟君の極印なら簡単なんですから。なんなら僕がもっとスゴイことを」
「それは却下だ純殿。我々にはそんな時間の余裕はない」
「つうか麟、てめえ何想像してやがんだ? 顔がプチトマトになってんぞ?」
「赤くなどなっていない! それにわざわざ『プチ』と言わず素直に『トマト』と言えばよかろう! 貴殿は私が小さいことをバカにしているのか!」
「さすがは麟君。昂君の真意を見事に見抜きましたね」
「それで褒めているつもりか!」
こんな犬猫のように低次元な争いに付き合っている余裕は、今のファーブルにはない。なんとかできないか、どうにかならないか──めまぐるしく思考を回転させる。隙ならある。絶対にある。いつどこでどんな風にそれをつくのかが問題だ。考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ──
「と、いかんな。女とはいえファーブル殿はここまで侵入したプロだ。見くびっている内に吠え面をかかせられては間抜けに過ぎる」
「えっ!?」
突然の評価に驚きと悦びと苛立ちが同時に沸き起こる。こんな複雑な心境は滅多にない。実力を認められたのは嬉しいが、このタイミングではそれが逆に仇となる。
白衣の少年の右手の甲に銀色の光が生まれ、蛇のように腕に絡みつく。それは瞬時に整序され、描かれるのは銀色の枠。その中に生まれるのは指輪の絵と、見たこともない形式の文字だ。
極印知恵の輪=B
ミラーシェードで視線を隠した小柄な少年は、ファーブルにとって底知れない不気味さを漂わせる魔術師に等しい。
「さて、安心して欲しい、ファーブル殿。ここまで案内してもらった礼として命までは奪わない。だが、貴殿が得てしまった情報をそのまま捨て置くわけにもいかない。よって、そろそろ貴殿の中の『情報』を少しばかりいじらせてもらおう」
情報をいじる。その具体的な意味はわからなかったが、少なくとも自分の口を封じようとしていることはファーブルにも理解できた。
しかし抵抗しようにも身体の上には昂が覆い被さっている。顔の傍に突き刺さっている凶器も、いつ牙を剥くのかわかったものではない。
絶体絶命の窮地。
ねばつくような嫌な汗が、全身から噴き出すのを感じる。
「ちょ、ちょっと待ってよ……あ、あたしたち友達じゃない? そ、それに、情報をあげたら解放してくれるっていう取引だったじゃない!?」
「拘束具をはずせば情報を出す、という話だったと思うが?」
すがりつくようなファーブルの声をしかし、情報や記憶を破壊する右手を携えた怪物は冷酷に遮断する。その少年にしては少し甲高い声は、この時ばかりは氷片がこすれあう音にも聞こえた。
「それも貴殿から申し出た取引でな。当然、こちらは一言も『自由にする』などと言った覚えはない。それと」
左手でミラーシェードを外しながら、こう続ける。
「友達になったつもりなど毛頭ない」
極寒の吹雪よりも冷たい蒼穹色の瞳が容赦なくファーブルの希望を凍て付かせ、打ち砕いた。
それがきっかけだった。
無慈悲な言葉が逆にありがたかった。驚くほどあっさり覚悟が決まってしまった。ファーブルは先刻から狙っていた空間へ素早く右手をつっこみ、目当ての物を引き抜いた。
気付かれてはいない。そのことに関しては絶対的な自信がある。この手の技術に関しては一日の長があるのだ。絶対に気付かれていないはずだ。
ファーブルは手にした『それ』に意識を込める。問題はない。
使える。
「──あん? ……て、テメエっ!? それ俺の如意宝珠じゃねえか!」
やはりというべきか、一番近くにいる、持ち主の昂が真っ先に気付いた。
「隙だらけのアンタが悪いんでしょっ! つべこべ文句言うなっていうかどきなさいっ!」
昂の懐から抜き取られた赤銀のメタルプレート──如意宝珠が唸りをあげ、三次元的な回転を始める。同時、爆発的に迸る光が幾何学的な模様の球体を生む。
「──っ!?」
このときの星体は灼熱する金属にも等しく、また強力なエネルギーを内包している。それをまさしく目と鼻の先で展開させられた昂の身体は、抵抗する暇もなく玩具のように弾き飛ばされた。
「ぐあっ!」
高圧電流を流したような音を立てて大気が爆ぜ、赤毛の少年は車にはねられたような勢いで床を転がり壁に激突する。火傷だけですめば軽いものだが、まず間違いなく、三日は立つことすらおぼつかないだろう。
別段、自業自得だとはファーブルは思わない。O.B.Kのスパイと名乗っていた自分が、まさか星体兵器を使用できようとは、常識ある人間なら夢にも思わないのだから。
突然すぎる星体の解放に室内の空気が圧縮され、強烈な風が吹き荒れる。
「馬鹿な、何故ファーブル殿に如意宝珠が──!」
そんな中、案の定、麟は驚きを隠せない様子だった。如意宝珠や紋盤をはじめとする星体兵器を生身で扱えるのは天使だけ。それが常識だ。それほど星体とは扱いの難しい元素であり、その制御は習得の困難な技術なのだ。ヴァイツェンで例えて言うならば、素手から火炎を発生させることのできる人間が稀なように、龍日でも道具もなしに星体を扱うということは常識の範疇外なのである。
「だぁからあたしをなめんなって言ったでしょ! っていうか普通に考えてよね! 何の能力も持たないであたしみたいなか弱い美少女がこんな危ないところ来るわけないでしょうが! 女スパイなめんな!」
ファーブルの切った啖呵に、
「あっさり捕まってたものですから甘く見ていたんですけど、これは油断していましたねぇ。って、いつ『あたしをなめんな』とか言ってましたっけ? 僕、覚えていないんですが……」
取り乱さず冷静なままの純が飄然と茶々を入れ、
「言ってなかった」
浮がぼそりと断言した。
「つうか誰がか弱い美少女だゴルァッ!」
部屋の隅に転がっていた昂が猛然と起きあがり、抗議の声を上げた。その右腕には既に起動している魔神の右手≠フ赤い輝きがある。
自慢の俊足で間合いを詰め、もはや本気の一撃を叩き込むつもりだ。
「嘘!? なんでアンタ動けるのっ!?」
「そっちこそなめてんじゃねえぞこの──」
走り出そうとした昂の動きがピタリと止まった。否、昂だけではない。純も、麟も、浮さえも、金縛りにあったかのように息を止めて硬直していた。
時が凍り、空間が凝固したかの如く。
空気中の星体を掻き集めることによって自己の姿を変形させるのが、如意宝珠の特徴だ。
ファーブルによってその力を解放された赤銀の如意宝珠は、いつものようにその姿を変えていた。いつもならば昂によって剣、ないしは格闘武器に変わるのだが、今回は違う。
四人はそれを、形だけは資料写真で見たことがあり、知っていた。年代物であるのはもちろんだが、おいそれと姿を拝める物ではなく、当然ながら一級の軍事機密にあたる。
そんな物をどこでどうやって見てきたのか。
全体的なシルエットは白銀色の獅子に似ている。四本の足を持ち、顔に当たる部分には無骨な砲口。尻尾部分にあるのは引き金。鬣にも見えるのは全て微細な凹凸を持つ放熱版である。
少女の手元に現れていたのはかつてO.B.Kのカーネルを殲滅したという大口径レーザー砲バルーダー≠セったのだ。
「なにぃぃぃぃっ!?」
「おやおや」
「ば、馬鹿なっ!?」
「おお」
四者四様の驚愕に、ファーブルはサディスティックな満足を得た。口の端をつり上げ、不敵に笑う。
如意宝珠の開発者である麟は後にこう語る。
『如意宝珠は使用者の想像力、発想力によって様々な力を発揮する。最強にも最弱にもなりうる、それが最大の特徴だ。だから想像力逞しい者が使えば……そう、たった一つの如意宝珠で世界を滅ぼすことすら可能となるだろう』
本来は装甲車の上部に固定し、エネルギーの充填に十分以上をかけなければならないのが本来のバルーダー≠フ仕様だ。だが、ファーブルの発想によって生まれたバルーダー≠ヘその性能を大きく異とする。新しく与えられた八本の固定器具は杭の如くその身を床に食い込ませ、充填するべきエネルギーは星体に変換することによって発射までの時間を遙かに縮められていた。
つまり、隙がない。これ以上ないほど見事な如意宝珠の使い方だった。
歓喜に満ちた勝ち鬨の声が上がる。
「もういっぺん言うけど女スパイなめてると火傷じゃ済まないんだからぁっ!」
ファーブルは大きく息を吸い込み、そして躊躇いなく引き金を引いた。
「チェストォ──────────────ッッ!!」
次の瞬間、巨大な光の矢がヴァイツェンの空を貫いた。
戻る