「私だ、アレックス=バトライザーだ」
「そうか、君か。どうかね、調子は?」
「おかげさまで順調だ。それよりも今日は苦情を言おうと思っている」
「ほほう? 私にクレームをつけるというのか。おもしろい。どんな苦情だね?」
「何故、天使が我が国にいる? これはどういうことだ?」
「なんだ、そのことかね。つまらん。つけるならもっと愉快なクレームにしたまえ」
「苦情に愉快も不愉快もない。答えろ、何故、天使が派遣されている」
「待ちたまえ。その前に、その質問の根拠を聞こう。何をもって天使が派遣されていると?」
「グランツとスイートスの件はどうせ耳に入っているのだろう? その際、グランツの監視カメラに『天裁の剣紋』入りの服を着た子供が映っていた。二人組の、紛れもない天使だ。違うとはいわさんぞ」
「違うな。全然違う。そいつらは天使ではない」
「シラを切るつもりか!」
「待て待て、落ち着きたまえ傭兵元帥。誤解だ。シラを切るつもりなど一切ない。私は、奴らが天使ではない、と言っているだけだ。ちなみにその二人は私の部下でな。どうやらミスを犯してしまったようだ。こうもあっさり正体を見破られてしまうとは。律儀にうちの制服を着ていくこともなかろうに。いや、面倒くさがったのかもしれんが。……おや、そういえば奴らには私服を与えていなかったかな?」
「……つまり貴様の手先ということか」
「その通り。察しがいいな、閣下?」
「どういうことだ。私に『オリハルコン』の所在と利用法を教えたのは貴様だろう。何が目的かは知らんが、互いの利害は一致していたのではないのか? だから私にカーネルを殺す方法を授けたのではないのか?」
「もちろんだ。我々は同志だよ、アレックス=バトライザー元帥。カーネルも天帝も輪廻歴史の守護者だ。一方、我々はその輪廻歴史の破壊を目論む不届き者だ。輪廻歴史にはカーネルが殺されたという出来事は記されていない。君が新兵器を開発させたという記述もない。だから君がカーネルを殺すことには全面的に賛成しているよ?」
「ならば何故邪魔をする! 貴様の部下はグランツとスイートスのみならず、私まで手にかけようとしたのだぞ! 貴様ならもう知っているはずだ、私の元帥府が破壊されたことを!」
「ああ、そのことか。それはおそらく、君にも責任があるはずだ。私の読みが正しければな」
「何だと? どういうことだ?」
「窮鼠は猫をも噛むということだ。大方、巫桜院蜜姫と名乗るアンドロイドから必要な物を取り出したら、そのまま破壊せずに放置しておいたのだろう?」
「……何故そんなことがわかる」
「ふふ、君はさっきから何故何故ばかりだな。それ以外に言葉を知らないのかね? まあいい。これはトリビアだがな、アトレイユタイプはその機構上、存在するだけで星体の調和を乱すのだ。おそらくそのせいもあって私の部下が加減を間違えたのだろう。まったくもって君とその部下達にはご愁傷様だ」
「……私を裏切るつもりか?」
「裏切る? とんでもない! いつから私が君の味方になったというのだね?」
「! 貴様……!」
「勘違いはよしてもらおう、傭兵元帥。私も、私の部下も、常に自分だけの味方だ。君もそうだろう? 言わせてもらうが、君こそ私を利用するだけのつもりだったくせに、今更義理人情を語ったところで説得力は皆無だ。そうは思わないかね?」
「……ふっ。なるほど、そういうことか。全てお見通しだったということか」
「それだけ君の底が浅いと言うことさ、アレックス=バトライザー。だがまあ、がんばりたまえ。私は私のやりたいようにするし、君も君のやりたいようにやればいい。全ては互いの器量次第じゃないか。他人に頼りすぎてはいけないよ?」
「ふん、まったくもって同感だな。私が甘かったようだ。貴様のような輩を信じていたとはな」
「君は君の道を往きたまえ。その力が強ければ、多少の邪魔など屁ではないだろう。無論、私はそれを利用させてもらうつもりだが」
「できるものならやってみろ。逆にその手を食いちぎられても文句はいわさん」
「望むところ、というものだ。とにかく君は一刻も早く、新兵器を完成させた方が良い。手前味噌だが、私の部下は優秀だぞ? なにせいつ私の寝首をかくかわからんほどだ。おつむがよく回るから、事と次第によっては遠慮無く私の敵に回るだろうよ。素敵な話だと思わないかね?」
「正直な話、貴様の考え方は理解に苦しむ。だが、おもしろいな。不思議なことに貴様を敵に回して高揚している自分がいる」
「そうだろうとも。そうでなくてはいけない。君はこの私を敵と見なしたのだからな」
「最後に聞いておきたいことがある」
「何だね? 遠慮無く聞くとよかろう。君の望む回答を出来るかどうかわからないが」
「目的は何だ? 一体何がしたい? 私がそちらの貴族に扮したアトレイユタイプを奪い、カーネルを殺して、それで貴様にどんなメリットがあるというのだ?」
「それは確か、君と私が初めてコンタクトをとった時にも出た質問だったな。あの時の答えはもう忘れてしまったかな?」
「……あれは本気で言っていたのか?」
「もちろんだ。何度でも言おう。私はおもしろいことが大好きだ。今のこの世界は非常につまらん。だから壊す。ただそれだけのことだ」
「はっきり言うが、心底理解に苦しむ。だが、なるほど。納得はしよう。貴様は輪廻歴史を断つというのだな」
「つまりはそういうことだ。ああ、一応警告しておく。そちらにいる私の部下だが、出来れば正面切って衝突しない方が良い。おそらく君の新兵器でも勝てないだろうからな」
「ふざけるな。アレはカーネルすら倒す。貴様の部下どころか、パンゲルニアすら目ではないのだ。勝てない相手などいるものか」
「残念ながら否定しよう。私の部下は天使でもなければ真っ当な人間でもない」
「では何だというのだ」
「怪物だ」
「……もういい。私も暇ではない。これ以上は付き合い切れん」
「おや? 切られてしまったか? もしもし? もしもし? 本当に本当のことだぞ? 奴らに余計な刺激を与えたらそれこそ大爆発≠キるぞ? ……惜しい、聞こえていないか。まあいい。がんばりたまえ。私は君を応援しているぞ。それが例え、無駄な努力だと知っていようともな」
「もうとっくに切れていますよ、機関長」
無感情な電子音を漏らす通信機に話しかけ続けていた聖子へ、細村は呆れを通り越して疲労に満ちているような声をかけた。彼はこの数時間で十数年も老け込んでしまったかのような錯覚を得ていた。無理もない。この短時間に、彼の内的宇宙は何度も根底から覆されているのだから。
細村は溜息混じりに、かすれた声を吐き出す。
「黒幕があなただったとは、夢にも思いませんでした」
「言っただろう? 計画はすでに発動していた、と。全ては私の布石、私の思い通りだ。誰もが私の掌の上で踊っているにすぎんのさ」
通信機を置いてソファーに戻ってきた聖子は、得意げに笑っている。今回の任務に昂達四人をあてるため、わざと無能を振る舞うよう指示していたこと。それだけではなく、その任務の対象である事件を引き起こすきっかけを作ったのも彼女だという。にわかには信じがたいが、現実はどうしようもなく細村の前にあった。
どこから情報を入手したのか、彼女はバトライザーのカーネルに対する復讐心を知っていて、それを利用したのだ。カーネルを倒す方法がある、それにはまず巫桜院蜜姫という名のアンドロイドを誘拐しろ≠ニそそのかして。
「それにしても、一体どこで巫桜院家のご息女がアンドロイドだということを、しかもアトレイユタイプだということをご存じになったのですか?」
並の方法で掴める情報ではない。何かしらのコネがなくては知り得ない事実のはずだ。それをこの機関長は持っているのだろうか。
しかし細村の質問に、聖子は真面目に答えなかった。
「そいつは企業秘密だ。例え君でも知らない方が良いということもある。覚えておきたまえ」
冗談口で誤魔化したようにも聞こえるが、このような場合、もう細村が何をどうしようともこの件について聖子が口を割ることはないだろう。これまでの付き合いの中で、細村はそれを知悉していた。だからすぐにその質問を諦め、別の問いを口にする。
「では何故、龍佐翁はアトレイユタイプを実の娘として公表したのでしょうか? 何か意図が?」
これを聖子は、はっ、と鼻で笑った。
「意図? そんなものあると思うのかね?」
「機関長はないとお考えなのですか?」
「無論、考えるまでもないだろう。単純明快な話だ。龍佐翁には長く子供が出来なかった。出来る予定もなかった。だが、二三宗家ともなれば世間体もある。形だけでも世継ぎがいるという体裁を整えなければならない。その旨を天帝に相談する。結果、端から見ているだけでは人間と区別のつかない娘を下賜される。それだけの話だ。簡単なカラクリだろう?」
確かにカラクリは簡単である。だが、今の話には重大な事実が含まれていた。
「では、天帝は、破棄されたはずのアトレイユタイプを製造する技術を持っているのですか……?」
驚愕を隠せない様子の細村に、聖子はつまらなさそうに鼻息をつく。
「細村。君の思考回路は少しばかり形が悪い上、硬すぎる。型にはまった考え方をせず、少しは枠を越えた見方をしてみるといいだろう。そうすれば驚きに値する点がいくつもあることに気付くはずだ。例えば、天帝が大昔に捨てられた技術を持っていたことに驚くのではなく、未だにアトレイユタイプの製造技術が完全に破棄されていなかった事に驚く、とかな」
どちらにせよ大事であることに違いはない。由々しき事実だ。不意に細村は自分の足が小刻みに震えていることに気付いた。気が動転しているためか、膝が完全に笑っていた。
「持っているから与えた。それはとても自然なことだ。不思議なことではなかろう?」
そういう問題ではない、という気持ちが細村の声を大きくした。
「しかし、アトレイユタイプは全世界的に禁止されています! それを破れば世界中を敵に回すことになりかね」
「そんなことはあり得ないのだよ、ホサ村」
怒鳴ったわけでもなく、どすを利かせたわけでもない。それなのに聖子の声は静かに強く、細村の口からあふれ出す言葉を押しとどめた。
「先刻も話したが、この世界には輪廻歴史というものがある。我々がまったく同じ歴史を何度も繰り返しているという、くだらない伝承がな。今のところ、これは完璧に護られているのだろう。我々は何者かの導くまま、いつかどこかであった出来事をバカ正直に再現している」
聖子の漆黒の瞳から溢れる光は鋭く、悟性に充ち満ちている。そのはっきりとした断定口調は、まるで彼女が無謬の存在であるかのように、細村に思わせる。
「これは陰謀史観とよく似ているためそう思うかもしれんがな、れっきとした事実なのだよ。我々は導かれて──いや、操られている。掌の上で踊らされているに過ぎないのだ。わかるか?」
わからない。何を言っているのか。何が言いたいのか。細村の理解を超える話を、彼女は展開しつつあった。その声は、まるで世界の真理を知る賢者の如く朗々と流れる。
「その『誰か』は決してこのことを公にしようとはすまい。何故なら輪廻歴史に『龍日が禁断の技術を保持していたために世界中を敵に回した』という記述がないからだ。輪廻歴史にないことは起こるべきではないと、『誰か』はそう考えているのだ」
『誰か』とは一体誰をさすのか。細村の思考は嫌な予感のする方へ向かう。聖子が『誰か』という単語を口にする毎、細村はその声に微妙すぎる陰影を見てしまう。
「だが、それを逆手にとることも出来る。要するにその『誰か』は輪廻歴史にあること以外には何も出来ない。輪廻歴史にないことは起こせないのだ。そこに付け入る隙がある」
付け入る隙があるということは、隙あらば容赦はしないということだ。細村は背に氷を入れられたような悪寒を感じ、戦慄する。この片桐聖子という女性は、一体何に隙を見つけ、付け入ろうとしているのか。その疑問の答えを、細村はすでに直感で気付いている。先程の通信の中で、眼前の女性が答えを述べていたのだ。
「その『誰か』とは……天帝とカーネルの事ですね?」
それは龍日という国そのものと、O.B.Kという、ヴァイツェン軍ですら御することの出来ない化け物達のことだった。
──尋常じゃない。この人は狂っている。
そう思わずにはいられない。一体どんな力と根拠をもって、そんな巨大なものに付け入ろうというのだ。スケールが違いすぎる。間違いない。絶対に負ける。殺されてしまう。勝てるわけがない。
「私が死ねと言ったら死ね。その覚悟はあるのだろう?」
「!?」
細村の心を全て見透かしたように、聖子は問うた。細村は全身の筋肉を硬直させる。気付くと、聖子の瞳が自分を見据えていた。強い目だ。細村はその視線に射抜かれ、蛇に睨まれた蛙の気持ちを理解する。針に縫いつけられたかのように、身体が動かせない。彼女の瞳から視線をはずすことができない。はずしたら、その瞬間に何かが起きてしまいそうだった。
「世界と歴史を操るような輩と事を構えるのが、そんなに怖いか? それではいかんな。もっと楽しむべきだろう。こんなことは滅多に経験できんぞ。ん?」
怖くないはずがない。敵は圧倒的だ。そもそも自分たちは天帝に忠実であるよう、子供の頃から教育されてきた。天帝は不可侵の神である、という忠誠心が根底に根付いてしまっているのだ。それを覆すのは並大抵のことではない。
聖子は失望したように、ふぅ、と溜息を一つ。
「私は、君が私のために命を賭ける覚悟があるというからこの話をしている。だがもし、これまで聞いた話で怖じ気づいてしまったのならしょうがない。とっとと尻尾をまいて天帝に媚を売りに行くとよかろう。無論、私は全力で阻止するが」
「……ご冗談を」
細村は無理に唇の端を歪めて笑って見せた。そんなこと、出来るはずがない。
「私も男です。二言はありません。あなたのためなら、この命、捨ててみせます」
細村にも意地があった。その意地にかけてもここで退くわけにはいかなかった。
ふと細村は、小一時間ほど前の会話で感じた悪寒を思い出した。それは今、彼の全身を震えさせているものだったのだ。
恐怖と高揚。
それらを呼び寄せているものを言葉にすれば──『反逆』だ。
それは、たった二文字の、しかし強烈な事実だった。
自分の上司である片桐聖子は、この世界に反逆しようとしているのだ。
「そいつは嬉しい限りだ。だが、残念ながら私は君の想像のさらに上をいっているぞ。本当についてこれるかね?」
「ついていってみせます。何があろうとも」
断固とした決意を乗せて、細村は言い切った。既に自分が引き返せない領域にまで来ていることを、彼は理解していた。今さら後戻りなど出来るわけがないことも。
珍しく挑戦的な部下に、聖子も特徴のある不敵な笑みを浮かべる。
「私は知っての通り、他人の掌に乗せられるが大嫌いだ。だが他人を掌に乗せて踊らせるのは大好きだ。君は今、間違いなく私の掌の上にいるぞ?」
「それなら精々、上手に踊ってみせるだけのことです」
その返答が気に入ったらしく、聖子の笑みが、より深いものに変化した。
「では楽しみにしているといいだろう。おそらく、今日一日は君の人生にとって忘れることの出来ない一日となるはずだ。楽しみはまだまだこれからだ。腰を抜かすなよ?」
「ご冗談を。この程度で腰を抜かしていてはあなたにはついて行けません。……お茶がなくなってしまったようなので、入れてきましょう」
「うむ」
と聖子が頷き、三秒が経過した。
「……どうしたホサ村。ティーを入れてくれるのではなかったのかね?」
聖子の声が意地悪っぽく響く。
「いえ……少々お待ちください」
努めて冷静に細村は言った。だが、どうやってもそれは隠しようがなかった。さらに五秒が経過したが、それでも細村は新しい茶を入れに行くことが出来ない。ソファーから立ち上がれないのだ。
「さては、腰を抜かしたな?」
「…………」
実に嬉しそうな聖子の声に、細村は黙ってうつむくしかなく、何も言い返せなかった。
例え操り人形≠ナ矛先を変えたところで、バルーダー≠フ途方もない威力はそれだけで無視できない影響を周囲に及ぼす。それも狭い室内ならなおさらだ。急激な気温の変化によって爆風が起こり、圧倒的な光が壁と天井をどん欲に食い尽くす。
真横に放たれた光の柱を純がとっさに真上へと飛ばしたが、それだけで無事に済むはずがないことは誰にでもわかる。だからだろう、珍しく浮が動いたのは。
長い腕を伸ばして昂と純の首根っこをひっつかむと、その時にはすでに麟が浮の服の裾を掴んでいる。確認するまでもなく麟が自分の意図を読んでくれていて、浮は少し、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべた。
瞬間移動する。
バルーダー≠ノ巻き込まれずに済む最低限の距離の移動だったが、ファーブルを逃すには十分すぎた。今から元の場所へ戻っても、間違いなく彼女の影も踏めないだろう。
四人の現在位置は地上。元は元帥府ビルだった瓦礫の山に囲まれた、廃墟の一角である。そこから三十メートルほど南の空に、太い光の柱が立っていた。
四人は呆然と、光の柱が消え去るのを見送る他なかった。光が消えた後も、しばらく誰も口をきかなかったのは、四人の少年がこれまで『敗北感』というものをほとんど感じたことが無かったからだろう。瞬間湯沸かし器の昂ですら、感情が口を衝いて出るまで数秒を要した。
「──おいおいおいおいおいおい! 一体なんだってんだ! 反則だぞありゃあ!? つうかアイツのどこが『か弱い美少女』だってんだ! ああくそっ!」
傍にあった瓦礫の山を蹴り飛ばして地団駄を踏む昂を、純がくすくすと笑う。
「いらついてますねぇ、昂君。っていうか結構こだわってますね、『か弱い美少女』って所に。そんなに気にいらなかったんですか?」
ぎらり、と抜き身の刀身のごとく、赤い瞳が殺気に輝く。
「当たり前だこの野郎! 俺はテメエでテメエのことを『可愛い』とかほざく女は死ぬほど嫌いなんだよ!」
「昂殿、純殿。論点がずれている。悔しがるなら彼女を逃してしまったことを悔しがれ」
「そういう麟君は本当に悔しそうですね?」
「当然だ。自分の開発した物にしてやられたのだからな」
苦虫を噛みつぶしたように麟は吐き捨てる。すると隣に立つ浮の手が伸びて、その頭を優しく撫でた。
「……浮殿?」
浮は、麟の頭に大きな手を乗せたまま無言。麟は数秒、不思議そうに浮を見上げていたが、やおら口元に微笑を浮かべ、
「そうだな、イライラしていても埒はあかない。まずは落ち着かねばな。ありがとう、浮殿」
わかればいい、と言いたげに浮が頷くと、思い出したように純が重大な一言を放った。
「あ、そういえば、蜜姫嬢の身体は?」
沈黙が落ちた。
全員が瞬時にして声の出し方を忘れてしまったかのような時間が流れる。互いの顔を見合わせ、誰一人として『事態があまりに切迫していたためすっかり巫桜院蜜姫のことを忘れていた』ことを確認しあう。純と浮は平然としているが、昂と麟の顔色は潮が引くように蒼くなっていく。
あのバルーダー≠ナある。超然とした浮ですら危険を感じて避難するほどの威力である。実際、今でもかすかな振動が足下に伝わってきている。地下で内部崩壊が起こっているのだ。
無事であるわけがない。
「……やべえ。洒落になってねえぞ」
「うむ……」
「任務失敗、ですかね? でも、ただじゃ帰れませんよねー」
「聖子が処刑される」
わかりきったことを口にすることにより、その事実は鉛のような重みをもって四人の肩にのしかかってくる。
「どうします?」
何故こいつはこんな状況でも微笑みを絶やさずにいられるのか、と昂と麟が憮然とするほど楽観的な声で問いかける純に、
「捜すしかあるまい」
と、溜息混じりに答えたのは麟である。
四人の任務は『龍日と安全保障条約を結んでいるヴァイツェンに拉致されたと思われる二三宗家の令嬢、その生存確認および救出』である。生存どころかアトレイユタイプのアンドロイドであることまで確認しておきながら、救出はできませんでした、では話にならない。
「この際、彼女がアンドロイドであったことが逆に幸いしたな。死んだ人間を蘇らせることは出来ないが、壊れたアンドロイドなら修復することができる」
「修復できんのかよ? AタイプはBタイプとは全然違うんだぜ?」
「私を甘く見るなよ、昂殿。その程度のことなら何とかしてみせる」
先程ファーブルの前で外したミラーシェードをかけながら、麟は強い口調で言い切った。昂は、おもしれえ、と鼻で笑い、
「任せてやろうじゃねえか。んじゃ、捜し物も二つに増えたことだしな。また別行動すっか?」
おそらくはバトライザーが握っているであろう、蜜姫の心臓である『星石』。その『星石』の入れ物である巫桜院蜜姫の身体。四人もいて、一つ一つを仲良く一緒に捜す必要はどこにもない。
「では、僕と昂君で『星石』の方を。麟君と浮君で蜜姫嬢の身体を、という感じでいきましょうか」
ここで昂は渋面で麟を指さし、こう言いつける。
「ああ、あとついでにあのバカ女も捜しておけよな」
「うむ。私と浮殿は蜜姫嬢の身体とファーブル殿を捜し出し、安全な場所へと確保しよう。……すまないな、危険な方を任せてしまって」
「遠慮してんじゃねえよチビスケ。テメエにしろ浮にしろ性格が荒事向きじゃねえんだ。ドンパチは俺と純に任せとけ」
「……そうだな。荒事は馬鹿な野蛮人に任せるとしよう。頭を使う作業が向いていない昂殿には特にうってつけだ」
「……誰が馬鹿な野蛮人だコラ?」
「誰がチビスケだ?」
険悪な雰囲気を剣山のように尖らせ、不毛な睨み合いを始めた二人の間に、レフェリーのごとく純が割って入る。
「はいはい、ケンカはいけませんよ? では昂君、僕達はとりあえず情報収集に出掛けましょうか。バトライザー元帥がどこにいるのか、蜜姫嬢の『星石』がどこにあるのか、さっぱり見当がつきませんし」
「つうか、この瓦礫のどっかで死んでるかもしんねーけどな」
「あははは、それはそれで楽ですねー。『星石』を捜すのが面倒ですけど」
「いや、残念ながらここに『星石』はない。あるならば屋上で知恵の輪≠使用した際に気付いているはずだからな」
「んじゃ、バトライザーの奴はどうなんだよ?」
「それはわからん。というよりも、正直どうでもよかろう。我々の目的は、突き詰めれば一体のアンドロイドを正常な状態で連れて帰ることだ。この国の元帥が何を考えていようが関係はない。パンゲルニアと戦争がしたいのならば、させておけばいいのだ。もう死んでいるならなおのことどうでも良い」
バトライザー本人が聞けば眉間の皺を五本は増やしただろう台詞を吐いて、麟は再び浮の服の裾を掴んだ。
「浮殿、我々は一度、先程の場所へ戻るとしよう。蜜姫嬢の身体を探さねばならない。ところで、合流はどうする?」
前半は浮、後半は昂と純に向けての言葉である。口調は厳めしいが、小柄な少年が巨漢の服を掴んでいるという姿は、見ていて実に微笑ましいものがある。純はくすくすと笑いながら、
「では蜜姫嬢の身体を確保して修復が済み次第、そちらから浮君のテレパスで連絡をください。こちらが先に終わっても僕達は適当に時間を潰しておきますので」
「? ああ、了解した……?」
純の笑い方に微妙な違和感を感じた麟だったが、彼が笑っているのはいつものことだったので気にしないことにした。だがそのすぐ隣で、くっくっくっ、と昂が笑っているのは納得がいかない。
その昂が、
「おい麟、必要以上に女に悪戯すんなよ?」
と言った途端、麟の顔に火がついた。瞬間湯沸かし器というあだ名は、実は麟にこそうってつけなのかもしれない。彼は全身をわなわなさせ、
「だ、誰がするものか! 貴殿と一緒にするな!」
恥ずかしさのあまりか、その声は完全に裏返っていた。今にも如意宝珠を取り出して昂に飛びかかりそうな麟の頭を、浮の大きな手が抑える。純は口元に手を当てて控えめに、昂はしてやったりという顔をしてケラケラと笑う。
「顔を真っ赤にして可愛いですねー、麟君は。でもダメですよ? 蜜姫嬢へ最初に悪戯をするのは僕なんですから」
などと実にくだらないことを純が言った瞬間、笑っていた昂も赤面していた麟も一転して無表情の仮面をかぶり、
「「黙れ変態男」」
と声を重ねたのだった。
アンドロイドの身体は想像していたより軽いものだった。
これは驚きである。機械であるその身は、そうと思えないほど軽く、むしろ下手をすればファーブル以下の体重しかなかった。
なんだか女としてひどく悔しく思う。
ファーブルはアンドロイドについて詳しくないが、おそらくは技術屋の大変な努力の結晶なのだろう。厳選に厳選を重ねた材料に、工夫に工夫を重ねた設計によって生まれた技術の集大成。禁断の技巧。
アトレイユタイプ。
「バルーダー≠ニか兵器系なら好きだからよくわかるけど、アンドロイドはね……でも、兵器として考えたら超高性能よね、これって」
実働性能が同じでも、小型化・軽量化されていればそちらの方が優秀であるというのはどの世界でも常識だ。人間ではなく、人間とは違う元素で構成されているというのに、人間と同等かそれ以上の性能を持っている。実際、いくら狙いをそらしていたとはいえ間近でバルーダー≠フ余波を受けたというのに、損傷らしい損傷が見あたらない。崩れてきた瓦礫をいくつか食らっていたようだったが、それでも傷一つ無い。身にまとっている衣服に防護結界が込められているのかもしれないが、そうでないとしたらとんでもない頑丈さである。
「見た目はこんなに可愛い女の子なのに、ねぇ」
眠っているようにも見える蜜姫の頬を指でつつくと、柔らかいが張りのある弾力で押し返される。本物の少女のような肌の質感。わざとらしすぎて逆に人工皮膚であることがわかるのだが、最初から疑ってかからなければそうであると看破することはかなり難しいだろう。
長い蜂蜜色の髪は、使い古された表現だがそれこそ絹糸のようで、小さな滝のように滑らかでありながら豊かに細波を打っている。眉目は高精度の整形を受けたかの如く整っているのに、目がやや垂れ気味なのが実に愛らしい。男好きのする顔、と言うのだろうか。普通の世界に生きる平凡な少女であれば、さぞ交際相手には不自由しなかったことだろう。
巫桜院蜜姫の身体が横になっているのは、ヴァイツェンの首都ガングニルの一角にあるホテルランドルフ≠フ一室である。バルーダー≠フ発射によって駄天使四人組を撒いたファーブルの手で、ここまで運ばれてきたのだ。
「──って、つい勢いで持って来ちゃったけど、よく考えたらどうするつもりなんだ、あたし?」
とはいえ、あんな所に放置していくのは気が引けたし、かといってあんなレディの扱い方がなっていない連中に預ける気には到底なれない。たまたま、あのとき入手した如意宝珠でエアバイクが出せていなければ、あそこから運び出す気になっていたかどうかは自分でも疑問だが。
ファーブルは右手にある赤銀のメタルプレートに視線を向け、
「にしても便利よね、コレ。噂には聞いていたけど、ほんとに内部構造を完全に理解している物とか、緻密な想像力で思い浮かべた物とかを具現化できるなんて……」
龍日でも天使しか持つことは許されていないって聞くから、これはかなりレアで便利な物を手に入れたものよね。正直、これの構造自体はどうなってんのかさっぱりなんだけど。
ダブルベッドに横たわる巫桜院蜜姫を見やって、ファーブルは大きく溜息を一つ。
素直な衝動に乗っ取って言えば、このアンドロイドを助けてあげたいと思う。もちろん、自分の使命はこのヴァイツェンの中枢に潜り込んで情報を収集し、カーネルへ報告することだというのはきっちり理解しているつもりだ。逆に言えば、それさえ果たしていれば別に他のことをしていても問題はないはずだ。
ファーブルは口元に寄せた如意宝珠の端に軽く歯を立て、しばし逡巡。
「……ちょっと連絡とってみようかな、っと」
自分だけで決断していい問題ではないと判断を下し、しかし。
「って、あーっ! そういえば暗号通信機とか他もろもろ全部捕まったときに取り上げられちゃったんじゃない! どーすんのよあたしっ!?」
今更取り戻そうにも元帥府跡にはまだあの四人がいるかもしれず、そもそもあんな壊滅状態の中で無事であるはずもなく、第一あの瓦礫の中を捜し回るなんてどだい馬鹿げている。
八方ふさがりだ。
愕然と立ちつくしていたファーブルは、やおら蜜姫の傍らに腰を落とし、落胆の息をつく。
「はぁ……これじゃ定期連絡もままならないじゃない。本っ気でスパイ失格かも、これ……」
一度は敵に捕らわれた上、その時には自決することも出来なかった。その状況を脱したかと思えば、今度は定期連絡もままならないという間抜けっぷりだ。なんと情けない。今ここに暗号通信機があったとしても、カーネルに向ける顔がどこにあるというのか。
「かっこわるいなぁ、もう……」
カーネルのことだ。きっと許してくれるだろう。いつものように優しい声で言ってくれるのだ。あなたが無事だったのですから何も文句ありませんよ、と。
だがそれではファーブルの矜持が許さない。自分が何故こんな危険なことをしているのかと言えば、そのカーネルに褒めてもらうためだ。そのためだけに頑張っているというのに、平然と醜態をさらすなんて出来るわけがない。自分はカーネルの役に立ちたいのだ。足手まといとか、役立たずとか、危なっかしいなんて思われたくないのだ。
ファーブルの瞳に力ある光が宿る。
諦めるものか。絶対に何とかしてやる!
「でもとりあえず、カーネルには連絡いれとかないとね。なんとかして……」
一度外へ出て裏道に入ってみるか? もしかしたらO.B.Kと連絡のとれる道具があるかもしれない。一番良いのは専用の暗号通信機だが、それが市場に出回っていたら逆に危ない。あれはカーネルが造ったオリジナルメイドだから、それがこの国にあるようならすでに中身が解析されているということになる。暗号がそう簡単に解読できるとは思えないけれど、通信が傍受されている可能性は少なくない。とはいえ、そんな事を言っていたら一体全体どんな方法で連絡をとればいいのか、そもそもこんな事は裏市場で暗号通信機を見つけてから考えることで──
「……って、あたしゃバカか。アンタの右手にあるのは何だっつーのよ」
ははん、と乾いた笑い声をたてて自嘲する。
右手にある如意宝珠。さっき自分で確認したばかりだ。コレは、きちんと内部構造を理解している物や、設計図があれば、意志をもって具現化することが出来るのだ。この状況でこれに頼らなくしてなんとする。
自分の使用する道具の構造を理解していないプロのスパイはいない。当然、ファーブルはその基準をクリアしている。
如意宝珠に意識を込める。赤銀のメタルプレートが空中で三次元的な回転を始め、唸りをあげる。発生した幾何学的な紋様をもつワイヤーフレームの球体が消え去り、ファーブルの手元に小さな端末を残していく。
折りたたみ式のそれを開き、ディスプレイとボタンの配列を確認する。問題ない。思い描いたとおりの暗号通信機である。
「よーし完璧ねっ! いやーあたしってばやっぱり天才? よく考えたらけっこう上手くやってるじゃなーい? 情報はちゃんと収集してるし? 天使とも直接接触した上で如意宝珠を手に入れてたりしてるし? 通信機なくしてもちゃんと通信できるし?」
あたしって有能じゃーん、と嬉しそうに笑う。先程までの落ち込みようはどこへやら。泣いたカラスが笑うように、ファーブルの精神の回復速度は速かった。
「えーと……どっから説明しようかしら? とりあえず、今日の出来事から──」
両手の指を使って素早く文章を入力していく。通信が届けば、カーネルからすぐに返事がくるはずだ。
『定期連絡。ヴァイツェンのバトライザーがカーネルを殺す方法を考えてるみたい。超ムカツク。でも具体的なことはまだわかんない。ごめん。龍日の天使がこっちに来てるみたい。あたしも一度捕まっちゃったからその時に接触したんだけど、かなりバカだった。まんまと如意宝珠を盗んでやったよ。あ、そうそう、バトライザーがさらってきた龍日の貴族令嬢なんだけど、実はアトレイユタイプのアンドロイドだったの。本気でびっくり。こんなの輪廻歴史にあったっけ? 怖いよ、カーネル。ちなみにアンドロイドの子はコアブロックが抜かれていたけど、ボディの方は回収できたの。どうしたらいい? あたしとしては、この子が可哀想だから助けてあげたいの。どうすればいいのか教えて』
送信する。
返事がくるまで少し間がある。ファーブルは視線を蜜姫に向け、じっと見つめた。
ただ眠っているように見えるが、その内側では今でもきっと悲鳴をあげているに違いないのだ。苦しんでいるのだ。
身体の奥から沸々と湧き上がってくる感情は紛れもない怒りだ。
有り体に言ってしまえば、蜜姫自身にも腹が立つし、その周囲全てに怒りを覚える。どうしてこんなに不幸なのか。どうしてこんな酷い事ができるのか。どうしてそれに抵抗しないのか。
何故、誰も助けてあげないのか。
こんな可哀想な女の子のいる世界そのものが許せないのかもしれない。
「見てなさいよ、絶対助けてやるんだから」
愛らしい寝顔を見つめて、誓いを立てるように呟く。
その時、ホテルの部屋に備え付けられてある通信端末が、呼び出し音を発した。驚いたファーブルは全身を硬直させる。突然すぎて錯乱してしまったのだ。こっそりチェックインしたし、フロントにも余計なサービスはいらないと言ってある。なのに通信端末が鳴るというのはどういうことなのか。もしかしてあの四人組だろうか? もう見つかってしまったのだろうか? しかし彼らならば、すぐに部屋へ乗り込んでくるような気がする、先に音声通信だけよこすというのは随分いやらしい真似をするものだ。
恐る恐る手を伸ばして、受話器をとる。ゆっくり耳に当て、
「……もしもし……?」
聞こえてきたのは予想外の声だった。
「久しぶりですね、ファーブル。定期連絡ご苦労様です」
優しくて、懐かしい響き。聞き覚えのある柔らかい女性のソプラノ。
「カ、カーネルぅ!?」
思わず素っ頓狂な声が飛び出した。
「ど、どうしたのよっ!? え、なんで、どうして!? どうなってんの!? ええーっ!?」
「まあまあ、落ち着いて。大丈夫ですよ、この通信は傍受されませんから」
「ああいやカーネルのことだからそりゃそうなんだけどでもこれって一体どうなってるのっていうかどうやってあたしの居場所が!?」
「それはまあ、私、これでもカーネルですから」
「あ、なるほど」
我ながらそれで納得するのはいかがなものだろうか、と思いつつ得心してしまうファーブルだった。
「落ち着きました?」
「うん。あー、でもどうしたのよ? 音声通信なんて珍しいじゃない。別にいつもみたいな返事の仕方で良かったのに」
「いえいえ、少し詳しい話が聞きたかったのです。あなたの通信文には詳しいことがほとんど書かれていなかったので、直接聞こうと思いまして。貴族のお嬢さんがアンドロイドだったのはいいとして、どう可哀想なのかがさっぱりわかりません」
そういえば、確かにあのあたりの詳しい事は書かなかった。説明するのが面倒くさいというか、ややこしいというか。簡単に言ってしまうならば、
「そうねぇ、説明すると長くなるんだけど……」
「かまいませんよ」
穏やかなカーネルの声音を聞いていると、心がほどけていくのを感じる。異郷の地にいるということで、さっきまでの自分はかなり緊張していたのだな、とわかった。カーネルは落ち着く。その声や口調だけのことではない。カーネルという存在そのものが、ファーブルにとっての癒しなのだ。
「じゃあ順を追って説明するわね。まず──」
ファーブルは元帥府に潜入してから、このホテルに至るまでの一部始終を語った。要約すれば通信文のようになる内容を事細かに、わかりやすく噛み砕いて。特に巫桜院蜜姫に関しては語調を強くして説明した。カーネルにも自分が感じた憤りを共有して欲しかったのだ。
カーネルは黙ってファーブルの話を聞いていた。
「──というわけで今に至るんだけど、あたし、どうしたらいい? さっきも書いて送ったけど、あたしこの子のこと助けてあげたいのよ」
「そうですね……」
ファーブルの脳裏に、唇に人差し指を当てて考え込むカーネルの姿が思い浮かんだ。三十年前から変わらない、白くて長い髪に、切れ長の赤い瞳。普段から声は優しいくせに、何故か顔が無表情なカーネル。だからだろうか、時折見せるそういった仕草がやけに可愛いとファーブルは思う。
「つまりあなたは、自分の手でアトレイユタイプのコアブロックである『星石』──『オリハルコン』を取り戻したい、ということですね?」
「そう! あ、大丈夫よ? 便利な物も手に入ったし、絶対うまくやれるわ。自信あるもの」
掌の中にある如意宝珠を握りしめる。あのバルーダー≠ウえ出せたのだ。その気になれば何だってできそうな気がする。
「……なるほど、よくわかりました。許可します」
「ほんとっ!?」
「ただし」
「ただしっ?」
「当たり前のことですが、無理、無茶、無謀はしないこと。あと、こちらからあなたへホットラインを繋げます。距離があるためどうしても力は弱まってしまいますが、その国でもある程度能力が使えるようになるはずです」
ホットライン──限られたカーネルの側近にのみ許される特別待遇だと聞いたことがある。ホットラインを繋げられた者は、たとえカーネルと遠く離れていてもO.B.Kの所以である超能力を使用できるようになるという。
「……ええっ!? 嘘っ!?」
破格の待遇だ。信じられない。これは自分のわがままだというのに、そこまでしてもらってもいいのだろうか、という思いがある。
「だ、だってだって、それってホントは思いっきり重要な任務につくメンバーにしかやってないんでしょ!? いいのホントに!?」
「ええ、必要だと判断しましたので。ファーブル、あなたも気付いているかも知れませんが、そちらで今起こっていることは本来、輪廻歴史に無いものです。私にも正直、何がどうなっているのかがわかりません。慎重に動くのですよ、いいですね?」
カーネルの言葉はファーブルの背筋に氷柱を差し込んだ。嫌な予感はしていたのだが、どうやらそれは的中していたらしい。自然、ファーブルの声は低いものとなる。
「……やっぱりそうなのね? やっぱり、輪廻歴史が狂ってきてるのね?」
「ええ。由々しき事態です。早急に手を打たねば修正がきかないかもしれません。いいえ、もう既に手遅れかも知れませんが……」
「どうして? 何が原因なの?」
「わかりません。それをあなたに調べてもらいたいのです。輪廻歴史は世界を導く唯一の指針です。これが狂ってしまえば、来世そのものがなくなってしまう可能性すらあります。くれぐれも、気をつけてくださいね」
「……わかったわ」
「こちらでも各方面に連絡をとって原因究明を急ぎます。何かあれば、次からは直接テレパスで連絡をください。神経配列は256.128.64.32に設定しておいてくださいね」
「了解、任せといて」
「輪廻歴史では私はヴァイツェンに倒されませんし、逆に私がヴァイツェンを返り討ちにするという史実もありません。アンドロイドを助けたいという気持ちもわかりますが、最優先は輪廻歴史にない戦闘を回避するということを念頭にお願いします」
「うん、わかってるわよ。絶対なんとかしてみせるわ」
気が付けば如意宝珠を握り込んだ掌に汗をかいていた。戦慄が高速で背筋を上下している。今ファーブルは、自らの肩に乗った使命の重さを噛みしめていた。
「武運を祈っていますよ。くれぐれも、気をつけて」
「そっちこそ。あたしがいない間に勝手にやられないでよね? それじゃ」
涼やかな、しかし心配そうなカーネルの声を胸の内にそっとしまってから、ファーブルは受話器を置いた。
わずかに震えのある身体に、ぐっ、と力を込め、ゆっくりと息を吸い、そして吐く。
動かない蜜姫に顔を向け、その人工皮膚の頬に手を当て、
「もういっぺん言うけど、見てなさいよ、絶対助けてあげるんだから。カーネルはああ言ってたけど、あたしの中じゃアンタのことが最優先事項なんだからね」
自分に言い聞かせるように言って、深呼吸を一つ。
覚悟を決める。
これから行うことは全て世界の命運を定める。自分はそのことを自覚しなければいけない。
「……っし! やってやろうじゃない。上等だわ、かかってきなさいってのよ!」
左の掌を右の拳で殴り、気合いを一つ。全身に気力がみなぎっていくのがわかる。
とにもかくにも、まずは目の前の目的を達成することから全ては始まる。
やるべきことはただ一つ。
あの四人を出し抜くこと。
全てはそこからだった。
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