≪包囲網突破≫



 まずやるべきことは包囲網の突破だった。
「昂君が派手にやっちゃったせいでいっぱい集まってきてますね」
「だからわざとじゃねえっつってんだろうが。いいじゃねえか、今なら遠慮することもねえ。派手にやってやらぁ」
 会話を交わしながら、瓦礫の山の隙間から出てきた二人の少年は、それぞれの手の中に如意宝珠を握り込む。自分用のものをファーブルに奪われた昂は、代用として麟の白銀色の如意宝珠を借りていた。単に色が違うだけなのだが、昂としては微妙な違和感が拭いきれない。
 派手にやる、との言葉通り遠慮はなかった。如意宝珠が立体的な回転を開始し、刹那、大人一人を飲み込めるほどの星体が生じた。幾何学的な柄を持つワイヤーフレームの球体は、生まれると同時に消え失せ、少年達に剣呑すぎる物を残していった。
 昂の手には身の丈ほどもある両刃の大剣が現れていた。まるで鉄塊である。彼の怪力があればこそ、扱える獲物だろう。
 純も負けてはいない。先刻のファーブルを見て思いついたのだろう。如意宝珠が彼に与えたのは巨大な対戦車ライフルだった。人間には過ぎる重量と反動のため、本来は車両などにとりつけて使用する物である。だが、純はそれを軽々と構えていた。その右腕には青の操り人形≠ェ輝いている。
 元帥府跡地である廃墟は、とっくに武装したヴァイツェン兵に囲まれていた。二人が知る由もないことだが、テロの犯人である昂達の正体は既にバトライザーに看破されている。天使が一騎当千の猛者なら二千の兵を当てればいい──その戦略思想の正しさを証明するかの如く、駄天使たちを囲む軍勢は軽く三万を超えていた。しかも対天使用にか、全員が重装備である。
「いやがるいやがる。ウジャウジャいやがるぜ」
「流石に多いですね。でも、これで僕達を止めようと思っているのなら舐めすぎですよね」
 どんな状況でも純の口調は軽い。昂も、へっ、と笑い、
「なら思い知らせてやりゃいい。俺たちを止められんのはあの聖子のババアぐらいなもんだ、ってな」
「聖子さんは怖いですからね。怒られないように早めに終わらせましょう」
 三万の敵に包囲された二人の科白ではなかった。
 麟と浮は、すでに瞬間移動によって姿を消している。昂と純もそれに頼れば良かったのだが、あいにく二人は生粋の戦士だった。安全よりも危険を、安寧よりも戦闘を好む気質を持つ。
 昂が大剣を振り上げ、告げる。
「行くぜ純。ついてきな!」
「はい」
 純は嬉しそうな声で頷いた。
 まずは昂が俊足を見せて駆けだした。周囲のヴァイツェン兵にどよめきが走る。彼らに、時代遅れの剣一本で突撃してくる少年を見ても驚くな、というのは酷な話だろう。
「!」
 だが彼らも素人ではない。少年の速度を見て、銃を構える手に力が篭もる。
 少年の動きはあり得ない速さだった。足音が遅れてついてきている。まるで稲妻だ。ヴァイツェン兵は瓦礫の山を駆け下りてくる少年へ一斉に銃口を向けた。
 極印操り人形≠ヘ慣性を制御する。重力も突き詰めれば慣性であるため、純はそれすらも御する。そのため、どのような巨大な武器だろうと軽々と使いこなすことが出来るのだ。
 類い希なる美貌の少年は、その体格に似合わない大型兵器の引き金を、躊躇いもなく引いた。
 圧縮された星体の塊が音もなく発射される。本来ならば撃ち出された方向へ一直線にしか進めない弾丸はしかし、操り人形≠フ糸に絡め取られ、右回りの曲線を描き始める。
 弾丸はあっさり昂を追い越し、一斉にヴァイツェン兵を薙ぎ払った。瞬く間に多くの兵士達が一発の弾丸に身体を貫かれ、そこを中心に爆ぜ、倒れていく。鉄甲弾で戦車の装甲を貫く強力なライフル。それでもって星体を撃ったのだ。千の人体を貫こうと、その威力は弱まることを知らない。
 妖精のように円を描いて飛ぶ弾丸は、徐々にその半径を広げていく。まるで死神が麦畑で鎌を手に踊っているかのようだった。麦穂のように次々と命が刈り取られていく。おもしろいほどバタバタと兵士たちが死んでいく中、場違いな抗議をあげたのは昂だ。
「ああああ! テメエ純! なに人の獲物とってやがんだ!? やりすぎだぞコラ!」
 ついてきな、と言っておいてこれである。接近用の武器と遠距離兵器のどうしようもない差であった。これに純は、あは、と笑い、
「すみません、つい。では残り半分は昂君にゆずりますね」
 この数秒で数千の命を奪った一発の銃弾は、あり得ないことに真上へと軌道を変えて飛んでいった。魔弾が空に吸い込まれ、死神の刈り取りが一時的だが終了する。
「ったく……次やったら承知しねえぞ!」
「はい」
 それはそれで楽しみだ、という顔で純は頷く。実を言うと、この二人はかつて本気で殺し合ったこともある仲だった。その時の決着は未だついていない。今は同じ上司の下にいるため手を組んではいるが、機会さえあれば雌雄を決したいと互いが思っていた。
 純は対戦車ライフルをいったん如意宝珠へ戻し、今度は二丁の拳銃を作り出した。それを手に昂とは反対方向へと走り出す。敵集団に突っ込んでいくつもりだ。
「それでは、また後で」
 その声を昂は聞いてはいなかった。彼の周囲では既に銃声が群れをなしていた。彼我の距離があと数十メートルというところまできて弾幕を張られたのだ。銃弾の嵐を避けることなどできるわけがなく、また身に降りかかる全てを叩き落とすことなど不可能だ。
 だから昂は無視した。全身で銃弾を受け止める。
「……なんだ!? なんなんだアイツは!?」
 ヴァイツェン兵の誰かが叫んだ。全身を鉛玉で撃たれても赤毛の少年は平然としていた。昂も純も、伊達や酔狂でスウェーデンボルグの制服を着用しているのではない。この制服には強力な防護結界が込められているのだ。構造としては極印に近く、星体を流すことでその効果を発揮する。無論、星体を扱う能力に長けている者が身につければ、その防御力は鋼鉄の全身鎧をも遙かに凌ぐのだ。
 今なお襲いかかる死の礫のなかで、昂はにやにやと笑っていた。唯一の変化は、服や肌に銃弾が擦過する毎、その部位から金色の光が瞬くことだ。ヴァイツェン兵からしてみれば、理解しがたい神がかった力が少年を守護しているようにしか見えない。
「俺たちゃ急ぎなんでな。遠慮も手加減もしねえぜ?」
 麟がこの場にいれば「今まで遠慮と手加減をしていたとでもいうのか」と言ったであろう。
 溶岩色の光が迸り、魔神の右手≠ェ発動する。荒々しく渦を巻く星体と、如意宝珠から生まれた大剣とが完全に同調する。
「ぁああああああっ!」
 雄叫びをあげ、少年は大剣を大上段から振り下ろした。切っ先が勢いよく地面に突き刺さる。
 刹那、怒濤のごとき衝撃波が生じた。
 大地を砕き、大気を裂き、破壊力の塊がヴァイツェン軍へ一直線に殺到した。
 轟音が物理的な力を伴って瓦礫を吹き上げ、突き進む。その一振りは指向性をもつ爆弾に等しかった。訓練を積み戦闘という行為に特化した人間達が玩具のように、枯れ葉のように吹き飛んでいく。


「派手にやっているようだな」
 頭上から響いてくる音と揺れに、麟は視線をあげて独語した。蒼穹色の視線の先には、バルーダー≠ノよって食い破られた天井の穴からのぞく青空がある。
 巫桜院蜜姫の身体とファーブルの姿を求め、改めて地下に戻ってきた麟と浮だったが案の定、影も形も見つけられなかった。だがそれは予測の範囲内だ。麟は落胆する必要を認めず、ただ右手に意識を集中させる。星体が右手の極印を走り、力を放つ。
 例え絶望的な状況でも、自分ならば手掛かりを得て何とかすることが出来る。そう麟は自負している。自分だけでどうにもならない時は、浮がいる。二人でいればどんな事でもできると信じていた。
 右手で瓦礫に触れ、辺り一帯の情報を読み込む。
 巫桜院蜜姫の身体はどこにあるのか。ここになければ、どこへ行ったのか。自分たちが逃れた後、ここで何があったのか。それらを知るために。
「……なるほど、な。ファーブル殿が持って行ったのか。何を考えているのかは知らないが、私たちを敵に回して無傷で済むとは、よもや思ってはいまい」
 腕を組み、不敵に笑う麟に、
「麟、どうする?」
 と浮が問う。麟と二人きりの際はこの無口な少年も、やや口数が多くなる。
「決まっている。彼女の行方を追い、蜜姫嬢の身体を回収しなければ。昂殿達が『星石』を取り戻しても、入れる身体が無ければ何の意味もないのだからな」
「わかった」
 短いが強い頷きに、麟は密かに安堵を得る。浮が唯一心を開くのが麟だとするならば、麟が唯一心を開くのも浮なのである。二人はスウェーデンボルグに来る前から共にいた仲だった。互いに助け合い、支え合いながら生きてきた。それは今でも変わらないし、これからも変わらないだろう。
 不意に麟は口の端に苦笑を乗せて、こう言った。
「すまないな、浮殿。いつも私に付き合わせてしまって」
 元はといえば、浮がスウェーデンボルグに在籍している理由は『そこに麟がいるから』というものだった。麟が聖子に誘われてスウェーデンボルグに入らなければ、生まれつき雲のように自由な気質を持つ浮が、組織に縛られることはなかっただろう。言い換えれば、麟の存在が浮を束縛しているとも言えるのだ。
 麟の言葉に浮は、昂や純の前では絶対見せない微笑みを浮かべた。
「気にする必要ない」
 それは麟にしか見せない表情だった。浮はもう瞳を失った盲人だが、あれば間違いなく優しい眼差しを麟に向けていたことだろう。それがわかるからこそ、麟もミラーシェードを外して浮の顔を見上げる。
 言葉はいらない。何も言わなくともこの感謝の念はきっと届くだろう。そんな気がした。
「では行こうか、浮殿。急がねばならない」
 いつものように浮の服の裾を掴み、これから向かう場所を指定する。
「わかった」
 浮が頷くと、次の瞬間、二人の姿は風に吹かれたロウソクの火のように消えた。


 敵陣の真っ直中に飛び込み、純は踊るように両腕を振った。
 二本の人差し指が連続で引き金を引く毎、ヴァイツェン兵が次々と倒れていく。昂のように派手な技こそ無いが、純は一人一人を確実に死神の元へと送っていた。
 ほとんど視線を動かすことなく駆けながら、二つの銃口を縦横無尽に閃かせる。まるで目を使わずとも全てが見えているかのような動きである。
 もちろん、その顔から笑みが消えることはない。
 横から、後ろから、死角から襲いかかるヴァイツェン兵を一瞥することもなく正確に照準し、撃ち抜く。今のように集団の中にいれば敵は同士討ちを恐れて引き金を引くことができないが、こちらはそんなしがらみとは無関係だ。例え流れ弾が昂の方へ向かおうとも、彼はきっと避けるだろうし、当たったところで死ぬとも思えない。遠慮する必要はどこにもなかった。
 まるで舞い踊るかのように、しかし機械の如く機敏な動きで腕を振り、傍にいる人間を冷酷に撃ち殺していく。
 そして遠慮する必要がないのは昂の方も同様だった。
「づぁあああああっ!」
 というよりもこの少年の場合は最初から周りを見ていない。ただ思うがまま剣を振り回し、破壊を振りまいていた。
 魔神の右手≠ェ周囲の星体を貪欲に吸い上げ、力へと変えていく。一撃一撃が爆裂し、ヴァイツェン兵達を蹴散らす。
 元帥府跡の周辺は、一方的な虐殺の場と化していた。
 龍日の天使がどれほど圧倒的で、比類のない存在であるかを見せしめているかのようだった。攻撃が通用しない分、O.B.Kよりも恐ろしい敵であるとヴァイツェン兵は思ったことだろう。
「おい純! そろそろブチ抜くぞ!」
 いい加減飽きてきたのだろう、昂が叫んだ。いくら二人が天井知らずの体力を持っていたとしても、たった二人で三万人の敵を全滅させるには時間がかかりすぎる。三万匹の蟻を踏みつぶすのにどれほどの時間が必要かと考えれば、三万の人間を殺す手間がどれほどのものか、自ずと想像出来るだろう。
「はい」
 純の返事は簡潔だった。彼の場合、自らの行為に何かを感じているのかすらも不明だ。飽きた風でもなく、かといって楽しむ風でもなく、ただ淡々と撃ち続けている。少なくとも嫌いではないことは確かだろうが。
「──ぉおおおおおおおおっ!」
 咆哮と共に、昂の周囲の星体が大剣に向かって一気に凝縮する。濃密な魔神の右手≠フ輝きは溶岩のごとき色彩から黄金色へと変化していた。
 振り下ろす。
 その瞬間、破壊力が渦を巻き、竜巻と化した。瓦礫を巻き込みながら地面を抉り、空間を削り、全てを貫く。
 バルーダー≠ノ勝るとも劣らない一撃だった。黄金の龍が駆け抜けた軌道上の何もかもが吹き飛んでいく。多くの悲鳴が上がり、逃げ切れなかった者達が紙切れのように宙を舞った。
 数秒後には、上空から見て〇型だった包囲網に、塞ぎようのない巨大な穴が生じていた。まるで空に棲まう巨大な悪魔が爪で大地を引っ掻いたような、無惨な痕を残して。
 ブチ抜くぞ──その言葉に偽りはなかった。
「純! ついてこい!」
「はい」
 あんまりといえばあんまりな出来事に、もはやヴァイツェン兵達は戦意を失っていた。時折、散発的な抵抗としていくつか銃弾が飛んできたが、無論二人を傷つけることは叶わず、そうとわかるとすぐに止んだ。
 C型になった包囲網を疾風のように突き抜けていく二人の少年。その姿を、無力な兵士達はただ見送るしかなかったのだった。


「そろそろ頃合いか」
 突然、聖子が呟いた。細村が新しい茶を入れてから小一時間程。ちょうど昂達四人をスウェーデンボルグへ連れてきた詳しい経緯を聞いていたところだった。
「何が、でしょうか?」
 細村が尋ねると聖子は不敵な笑みを彼に向けて、こう命令した。
「細村、テレビをつけろ。いずれおもしろい物が映る」
「は?」
「これは命令だ。早くしたまえ」
「は、はい」
 科学の発達したヴァイツェンと違い、龍日は星体をもって進歩してきた歴史を持つ国だ。聖子の言うテレビとは、ヴァイツェンでいう電気信号を利用した映像機ではなく、生命体物質、あるいは物質生命体とよばれる星体を利用した映像機を指す。
 細村が立ち上がり、執務机の端末に触れると、壁一面が巨大なスクリーンとなって映像を映し出した。民間の報道番組がニュースを流している。
「おもしろい物とはなんですか?」
 ソファーへ戻ってきた細村の問いかけに、聖子は満足そうに頷いた。
「そうくると思っていたぞ、ホサ村。君はいい。実にいい。私がして欲しい質問をしてくれる。有能な質問者だな」
 そんなことで有能だと褒められても嬉しくない細村だったが、敢えて何も言わずに受け流した。この女性には言いたいことを言わせておけばいいのだ、と少し悟り始めている。
 聖子は厳かに言った。
「天使か、あるいは悪魔だな」
「天使か、悪魔……?」
 オウム返しにした細村を横目に、聖子はテレビに視線を向ける。
「どこから説明するべきだろうな。奴らが元々そうだったのか、あるいは奴らの持つ極印にそれが隠されていたのか。それは私にもわからないが」
「極印が……いえ、極印に何か秘密があるのですか?」
 その質問を聞いているのかどうか。聖子はテレビに目を向けたまま、
「わかっていることはただ一つ。あの四つの極印を持ち、自在に扱える者は、天使、あるいは悪魔と呼ばれる怪物だと言うことだ」
 一息。まだ理解の追いつかない細村を放り捨て、聖子は独白する。
「だから私は期待している。私の計算が正しければ、そろそろとてもおもしろい事が起こるのだよ。とてつもなく愉快な出来事がな」
 満足げに唇の端をつり上げ、ティーカップの縁へと近づける。やはり細村には聖子の言っていることがいまいちうまく理解できない。とはいえ彼女の態度を見ていると、質問したところで事細かに説明してくれるとも思えなかった。
 ここで細村は先程から疑問に思っていたことをぶつけることにした。
「機関長。お聞きしたいことがあります。よろしいでしょうか?」
「却下。と言ったらどうするね?」
「それでも聞きます」
「なら最初から許可を求めるなホサ村。君の行動には無駄が多すぎるぞ?」
 それを言うならわざわざ『却下。と言ったらどうするね?』と聞き返すのもずいぶん無駄な気がする細村だったが、敢えて口には出さない。彼は努めて冷静な声で、
「失礼しました。それではお聞きしますが、機関長はどのようなきっかけで今のような考えを持つに至ったのでしょうか?」
 細村は言外に、あなたの考えはよほどのことでもない限り思いつかない実に突拍子のない発想だ、と言っていた。その点に関しては聖子も自覚があるのだろう。ふっ、と自嘲的な笑みを口元に閃かせる。
「きっかけ、か。話しても良いが、果たして君は私の言うことを信じられるかな?」
 聖子は試験官のような意地の悪い目で細村を見やる。その声はどこか楽しげで、すぐに細村は、彼女が自分をからかおうとしていることに気付く。
 細村は毅然とした態度でこれに臨んだ。
「信憑性のある話なら信じます」
「そうか、残念だな。私の話は基本的に信憑性がないのだ。話すだけ無駄になりそうだな」
「そうきますか……」
 細村は、がくり、と首をうなだれた。全身から力が抜けていくのを感じる。やはりこの人の相手は真面目にするべきではないのかもしれない、と思う。とはいえ、こちらが思い通りの反応をしなければこの女性はいつまでたっても本題に入らないような気もする。いっそ割り切って、大人しく掌の上で踊らされている方がまだ楽かもしれない。
「まあそう落ち込むな。何も話さないと言っているわけではないのだ」
「そうですね」
 細村の声はもはや全てを諦め、悟りの境地に立ったものだった。
「何故私が輪廻歴史を覆そうと考えたのか。そのきっかけはな、実は自分でもよくわからんのだ」
「わからない……?」
「そう怖い目をするな、冗談を言っているわけではない。本当にわからんのだ。今の私はただ、前世からのメッセージに従って動いているだけなのだからな」
 出た、と細村は思った。
 前世からのメッセージ。
 これ以上ないほど怪しいフレーズだが、目の前の女性は間違いなく本気で言っている。細村の立場としてはここで聞き返さなければならない。
「前世からのメッセージ、ですか」
 出来るだけ呆れたような声にならないよう努力したが、無理だった。
「そら見ろ、信じられまい? 我ながらアホなことを言っているという自覚はある。私の頭の心配はしなくていいぞ。だが、ここで信じてもらえなければもう話すことがなくなってしまうな」
「いえ、しばしお待ちを。……前世というのは、輪廻歴史でいう『一巡前の世界』のことを指しているのでしょうか?」
 ほう、と聖子は感心の息をついた。細村が進んで思考している。つまり、冗談にしか聞こえない話を前向きに理解しようとしているということだ。聖子はそれを嬉しく思う。
「なかなか柔軟な発想が出来るようになってきたな、細村。その通りだ」
「流石に今までの話を聞いていれば、この程度は」
 聖子はティーカップをソーサーに戻し、腕を組んでソファーにもたれかかった。その顔には挑戦者のシニカルな笑みがある。
「何巡前の私が考えついたのか、どうしてその考えをもつに至ったのかを知る術はない。考えてもわからない上、別段わからなくても困ることはないがな。詳しい説明は省くが……過去世の私は、来世での自分が『その事』に気付くことが出来るよう、秘密のメッセージを残していたのだ。そして今の私も、そのメッセージに気付いた。そうでなければ私も他の者達と同様、何の疑問も抱かずに、この無限に連鎖する歴史を動かす歯車の一つとなっていたことだろう」
 途方もないスケールだ、と細村は感心するしかない。同時に、目の前の女性に対する畏敬の念が増大していく。
 なんていう人だろうか。この人は、何世代も前からこの世界の歴史と戦い続けていたのだ。行動の一つ一つに意味があるのも当然だ。輪廻歴史を狂わせるために、気が遠くなるほどの時間をかけて試行錯誤を繰り返してきたのだろう。何度も繰り返し、幾度と無く試してきた結果が今なのだ。誤謬などあるはずがないし、細村の想像もつかない次元で物事を考えているのも当たり前だ。
 格が違いすぎる。
 目の前の女性は、彼女独自の方法で輪廻歴史を完全に把握しているのだ。だからこそ、その裏をかくことが出来る。おそらくは先程の『天使か悪魔か』という話題に関しても、過去の機関長から得た情報なのだろう。だからこそ、あの四人を特待生として招き、最も扱いが難しいと言われていた極印を授けたのだ。
「メッセージには残っていなかったが、おそらくは細村、過去のお前も私と共に輪廻歴史に挑んでいたはずだ。よしんばそうでなかったとしてもだ。お前は『今の私』が認めた人間だ。輪廻歴史に挑戦する素質は間違いなくある。自信を持ってもよかろう」
 聖子と自分を比較して自信を失っている細村の心を見透かしたかのように、彼女は言った。
「……正直、前世などと聞いても実感がわきませんが」
「それはそうだろう。私とてそうだ。考えてみれば、前世からのメッセージというのは私の勘違いで、狂わせているつもりの輪廻歴史も実は全然予定通りに進んでいるのかもしれんぞ?」
 そこまで疑っていてはきりがない、と細村は思う。聖子も口に出してはいるが、本気でそう考えているわけでは無いだろう。
「しかし、機関長にはわからないことでも、私ならわかることが一つあります」
「ほほう、何だねそれは?」
 それは興味深い、と聖子が身を乗り出す。
「何巡前かはわかりませんが、『最初の機関長』が輪廻歴史を狂わせようと思い至った理由です」
「わかるのかね?」
「ええ。間違いありません」
 自信満々の表情で、細村は頷く。
 これ以外には考えられない。何世代前だろうが片桐聖子は片桐聖子だったのだ。答えは一つしかなかった。
 細村は少し笑いながら、こう口を開いた。
「おもしろそうだったからですよ。それしかありません」
 瞬間、世界から音が消え去った。そう錯覚するほど、完璧な静寂が満ちた。
 時が、聖子の表情が、空気が完膚無きまでに凍り付いていた。
 一ミリでも動こうものなら何もない空間が紙のように破け、そこから全てが崩れていくような気さえした。
 眼鏡が照明を反射していて、細村からは聖子の表情を窺い知ることが出来ない。
 細村は金縛りにあったまま、内心で滝のような脂汗をかいていた。
 ──え? し、しまった? まずいことを言ってしまったのだろうか? 機関長の逆鱗に触れてしまったのか? なんだこの沈黙は? 一体なにがどうなってしまうんだ?
 くっ、という声が横一文字に引き結ばれた聖子の唇からこぼれ出た。
「……っく。くっくっくっくっ……」
 笑っている。不気味だ。だがここで一緒に笑っておかなければ何が起こるかわからない。今の細村にとって、目の前にいるのは見知った上司ではなく、正体不明の妖怪だった。
「は、ははっ、はははは……」
 顔の筋肉を引きつらせながら、細村はからからに乾燥した笑い声を出した。
「くっくっくっくっくっ……」
「はははは、はははは、ははははははは……」
 二人の笑い声はもつれ合うように室内に響き、だんだんと大きくなっていく。
 それが頂点に達したところで、どちらからともなくピタリと止む。
 再び耳が痛くなるような静寂が訪れる。
 冷え切った聖子の声が響いた。
「君は私をバカにしているのか」
「…………」
 細村には返す言葉もなかった。


 今思い出しても、三日前は散々だったとジェイルは思う。
 ジェイルは場末の路地で占い師のかたわら情報屋を営んでいる。周囲が言うには「情報屋のかたわら占い師、の間違いだろう」らしいが、そんなことはないと思っている。
 二八歳、独身、彼氏いない歴五年、ただいま絶賛恋人募集中。
 占いの腕はともかく情報屋の仕事に関しては亡き父から受け継いだノウハウと人脈のおかげで、手前味噌を並べるようだが、良い仕事をしているつもりだ。
 いつものことだが、今日も『運勢を見て欲しい』という言葉よりも『情報を売って欲しい』『情報を買って欲しい』という注文の方をよく耳にする。しょうがないと言えばしょうがない。龍日や他国と違って、ここは科学軍事国家ヴァイツェンだ。占いなどほとんど信じられていないのだから。
 だが三日前は違った。情報屋としての自分を訪ねに来る者は少なく、珍しく『占い師ジェイル』としての仕事が多かったのだ。
 だからよく覚えている。
 三日前の夕方、客の流れが一段落した頃にその二人組はやってきた。
「ここで色んな情報が手に入ると聞いて来たのですが、あなたがジェイルさんでしょうか?」
 はっきり言って、ジェイル好みの美少年だった。それは否定しない。艶のある黒髪に、印象的な琥珀の瞳。見つめられているだけで体の芯が溶けていきそうなほどの、甘いマスク。
 涼やかな美貌に見とれた次の瞬間、少年がジェイルに肉薄していた。体を密着させて、顔をとんでもなく近くに寄せてくる。
「な、な、なんだい? あ、ああ、あたいが確かにジェイルだけど……!?」
 年甲斐もなく狼狽を露わにしてしまった。男とこんなに接近するなんて久しぶり過ぎた。それもかなりの美少年だ。心臓が早鐘を打つ。
「情報が欲しいんですが、よろしいでしょうか?」
 甘露のような囁き声、腰に右腕が回され、左手で顎を掴まれる。突然すぎて抵抗する意志が起こらない。
 とその時、美少年の後ろに誰かがいることに気付いた。
「だ、誰だい?」
 情けないほど弱々しい声だった。見ると、ひどく退屈そうな顔をした赤毛の少年が路地の入り口に立っていた。歳も背格好も、今ジェイルに密着している黒髪の少年と同じぐらいだ。目の前の爽やか系もいいが、あちらのような野性味があって母性本能をくすぐられるタイプも悪くないと思った。
「……あー、俺のことは気にすんな」
 片手をひらひらさせながら、ぶっきらぼうに言って背を向ける。まるで、誰かがここに来ないよう見張るかのように。
「じょ、情報たってねぇ、色々あるし……な、何が知りたいんだい?」
 慌てながらも営業スマイルを思い出し、うまく動いてくれない表情筋の手綱を引く。
 黒髪の少年はにっこりと笑った。まるで翼を隠した天使のような、綺麗な笑顔だった。きゅん、とジェイルの胸が締め付けられる。
 しかし飛び出た言葉は剣呑極まりない。
「アレックス=バトライザー元帥の居場所および、彼が握っているであろう『星石』──いえ、この国ですと『オリハルコン』ですか──の行方です」
 素で驚いた。どうしてこんな子供がそんな情報を欲しがるのか、と。目を見開き、まじまじと白皙の美貌を見つめる。
 だが詮索をしないのが情報屋のマナーだ。激しく気になるが、聞くわけにはいかない。ジェイルは自制心を総動員して、自らの好奇心を必死に押さえ込んだ。
「……高いよ?」
 少し落ち着いてきたせいか、余裕も出てきた。『情報屋』の顔と声になる。
 黒髪の少年はジェイルの台詞を聞くと、不意に背後へ顔を向け、
「そういえば昂君はお金を持ってます? ヴァイツェン通貨で」
「持ってねえ」
 という笑えない会話が交わされた。
「……ちょいと坊や達? 残念だけど、金がないんなら情報は売れないよ? こっちだって慈善事業じゃないんだからさ」
 自分の顎を掴む美少年の腕をとり、悪戯っぽく笑みを浮かべる。危険度の高い情報ほど値が張るのは当たり前だ。こちらも仕入れに金をかけている。もちろん最近この国の元帥がなにやら怪しいことを企んでいるという情報は入荷済みだ。さっきまでいた客だって、アレックス=バトライザー元帥が龍日からさらってきたアトレイユタイプの『オリハルコン』を手に、元帥府ビルの真北にある建物へ入っていったという情報を売りに来ていたのだ。
 ついでに言えば、グランツ中将とスイートス中将が元帥の命令でアンドロイドと新兵器の研究をしていたことも、それぞれの屋敷にあった研究データがネットワークを介して元帥府ビルの北棟へ送られていたことも知っている。さらに言えばグランツ中将がゲイで、ちょうど目の前にいるような美少年が大好きだったということだって知っているのだ。
 自慢じゃないが、ここまで上質な情報を手にしている情報屋は数少ないだろう。質の良い情報屋が高い報酬を求めるのは当然のことだ。むしろ払ってもらわなければ困る。せっかくの品質が維持できないのだから。
「では、体で支払うというのはいかがでしょうか?」
「へっ?」
 少年の言ったことがすぐには理解できなかった。今、彼はなんと言ったのか?
「……体で?」
「はい。体で支払います」
 爽やかな微笑のまま。
 彼の言っている意味を考えてみて、反射的に顔が赤くなっていくのを止められなかった。
「……ばっ、ば、バカ言ってんじゃないよ! こ、こちとら商売なんだよ!? そんな反則がまかりとおるわけ──」
「そこを何とか。自信ありますよ?」
「じ、自信とかそういうことじゃなくってっ! あたいが言いたいのはねっ!」
 からかわれているのかもしれない。年下に手玉にとられているだけだ。そんなことはわかっている。なのに胸の鼓動はおさまらないし、耳まで赤くなっていくのは止められないし、声は完全に裏返っていた。
 恥ずかしい。心のどこかで本気にしている自分がいる。
「お、大人をからかうもんじゃないよ! いい加減にしないと人を呼ぶよっ!?」
 この時はまだ気付いていなかった。もうすでに、否、最初から少年のペースにはめられていたことに。
 密着状態から逃れようと身をよじるジェイルの耳朶に、自然な動きで少年の唇が触れた。
「──ぁっ!」
「大丈夫です。怯えないで」
 卑怯なほど優しくて甘い声。麻薬入りの蜜を流し込まれたように、全身から力が抜けていく。今ので体の奥から溶かされてしまったようだった。
 首元をくすぐる少年の吐息が、ジェイルの理性を浸食していく。
「だ、ダメ……だよ……こんな……」
 せめてもの抵抗として動かした唇も、すぐに塞がれた。
「んっ……」
 意識が奪われていく。何も考えられなくなっていく。
 目を閉じてしまった。
 唇に触れていた柔らかい感触が離れ、再び心地良い声が、
「さあ、力を抜いて。身を任せて……」
 まるで魔法のようにジェイルの心の鎧は剥ぎ取られていく。今になって思えば、この時の自分は明らかにおかしかったとジェイルは思う。いくらなんでも、あっさり陥落しすぎだった。
 だがこの時のジェイルに、そこまで考える余裕はなかった。
「さあ、どうぞ……」
 蠱惑的な囁きが、ジェイルの全てを誘う。
 次の一言で、ジェイルは完全に堕ちた。

「遠慮無く、僕に溺れてください──」

 というわけで溺れてしまったのが三日前。
 思い出すたびに顔から火が出そうになる。完全に手練手管に絡め取られた自分は、求められるままあれやこれやと際限なく情報をこぼしてしまったのだ。
 道理で最初、赤毛の少年が見張りに立っているように見えたわけだ。実際、邪魔が入らないよう見張っていたのだから。
 茫然自失の体となったジェイルはその後、家に帰って余韻に浸りながら眠っていたのだが、その間、外の世界では色々あったらしい。
 今日まで臨時休暇をとっていたジェイルは、今は休んだ分を取り戻すためにも精力的に情報を仕入れているところだった。
 そう、今思い出しても三日前は散々だった。
 しばらくは忘れられそうにない。
「でも……」
 頬を赤らめ、恋する乙女のように熱に浮かれた声で呟く。
「あの子、また来ないかねぇ……」
 二八歳、独身、彼氏いない歴五年。
 ただいま恋人、絶賛募集中。




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