■遺産世界のおとぎ話




 今日は厄日だ。
 俺はそのことを噛み締めながら走っている。背中に疫病神を担いで。
 言いたいことを言って、やりたいことをやったら気絶しやがった。まったく、どれだけ神経が図太いのか。あのまま放置して帰っても良かったが、そうするとあのアレス少年がどんな行動に出るかわかったものではない。無益な争いは俺の好むところじゃないんだよ、こう見えても。
 別に小娘が眠る直前「あとよろしく」と言い残して完全無防備に寝てしまったからといって、俺の良心が長い眠りから覚めたわけではない。
 これは打算だ。
 こいつがいなければアレスの誤解が解けない。こいつを相棒にするつもりはないが、働いた分の金を払ってもらわなければならない。
 それだけだ。それ以外に理由はない。これはあくまでも打算的行動なのだ。
 何故なら、俺にとって『他人』というものは何の価値も持たないからだ。俺ではない別の人間。ただそれだけ。それ以上もそれ以下もない。例えばそれは花瓶に等しく。例えばそれは路傍の石に等しい。
 何の得にもならない石を拾うのは、物好きのすることだ。俺は物好きではない。もし俺が石ころを拾う時は、それが金に化ける場合だけだ。
 これまでずっとそうして生きてきた。これからもずっとそうだろう。
 向かっているのは俺の部屋だ。国名と同じ名前の首都サーゲトワの片隅に、俺はアパートの一室を借りている。そこが俺の本拠地だ。
 玄関の扉を開けて、中に入る。カーテンを閉め切っているため、中は薄暗い。手探りで照明のスイッチを押す。
 明かりが灯ると、見えるのは簡素な室内だ。すっきりしているのが好きなので、あまり余計な物は置かないことにしている。フローリングの床にシングルベッド、冷蔵庫とテーブル、クローゼット、いくつかの本棚。ざっとそんな物だ。
 俺は背中に担いでいた小娘をベッドに横たわらせた。
「……ったく。何でこうなるんだか」
 小娘は気持ちよさそうに眠っている。あの奇妙な双眸が閉じていれば、こいつも普通のガキに見えるんだな。
 そう、何度見てもただの小娘にしか見えない。だが、こいつが世界に七人しかいないという貴重なエーテルストライカー、〈エクステンド〉なのだ。
 ぶっちゃけ、今でも少し信じられないぐらいだ。
 〈エクステンド〉については俺なりに調べていた。密かに『水晶機関』他、各国がその獲得にやっきになっていることも知っている。
 正直な話をしよう。自分自身が〈エクステンド〉かもしれないと、以前から考えてはいた。だがその確証はなかったし、これまで周囲の人間にもそう言われたこともない。というか、周りの奴らが〈エクステンド〉と判断していたなら、俺はとっくに『水晶機関』あたりに回収されていたことだろう。つまり俺を〈エクステンド〉とする証拠らしきものは、ほとんどなかったのだ。そう。俺自身の記憶以外には。
 だから思わず、俺のことを〈エクステンド〉扱いするこのガキに勢い込んで詰問なんぞしちまった。
 少し、いや、かなり後悔している。目立たない。他人に弱みを見せない。この二つが俺の信条だ。それなのに何だ、あの必死さは。少し前の俺自身を殴ってやりたい気分だ。
 俺の勘違いや妄想だというなら、それでいいんだ。〈エクステンド〉であっても良い事なんて何一つない。それがもし俺の正体だったとしても、気持ちがすっきりするだけで何の得にもならない。それどころか『水晶機関』や各国の秘匿機関に知られた日には、俺自身がこの小娘と同じく狙われる身になるだろう。理屈ではそうだ。理性ではわかっている。ああ、よくわかっている。
 だが気持ちは上手く落ち着いてくれやしない。
 俺は冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出した。栓を開け、一気に飲む。熱くなった頭と体を冷やしたかった。
 過去の記憶が俺を追い立てる。かつて、俺の体から溢れた虹色の光は何だったのか。そして、どうして今それが見えないのか。わからないことだらけの現実が、俺をわからなくさせる。俺自身すらも。
「ちっ……」
 口の端からこぼれる水を苛立たしげに拭う。さっきからずっとイライラしている。こんな事、ここしばらく考えていなかったってのに。
 俺はエーテルストライカーかもしれないし、そうではないかもしれない。俺は〈エクステンド〉かもしれないし、そうでないかもしれない。
 一般的には目立たない、中堅どころの傭兵。ただの傭兵。それだけだ。それでいいはずだ。どうすればいいんだ、このジレンマは。
「ん……う?」
 ベッドの小娘が身じろぎした。どうやら目を覚ましたらしい。
「んぁ……なにここ……?」
 俺は壁際のベッドの対角ある窓枠に腰を下ろした。ミネラルウォーターを片手に、寝ぼけ眼の小娘へこう言ってやる。
「なにここ、とはご挨拶だな。俺の部屋だ。文句あるか」
「へ?」
 がばり、と身を起こす。きょろきょろと、まるでそういう玩具か何かのように小娘は周辺を見回した。
「うっわ……何もないんだね」
「ほっとけ」
 もちろん小娘に飲み物をくれてやるほど俺は優しくない。
「で、ボク何でここに……はっ!?」
 何を思ったのか、小娘はいきなり自らの身を守るように抱きしめ、じとっとした目で俺を睨む。
「……変なこととか」
「するかッ!」
 不穏なことを言いかけたので怒声で叩き潰してやった。まったく何なんだこのガキは。
「お前みたいなガキに興味はない。起きたんならさっさとベッドから降りて、金を出せ」
「へ? 金? なにそれ?」
 目をぱちくりさせる小娘に、俺は金を受け取るための片手を差し出しながら、
「ボディガード料だ。あのアレスとかいう奴から助けてやっただろ」
「なっ!? 何だよそれぇ! 結局あれを切り抜けたのってボクの能力じゃないかぁ! 有り得ないし! っていうかお金ないから相棒にしてって言ってるのにまるでわかってないしっ!」
 小娘は猛然と立ち上がり、犬のようにギャンギャン喚く。甲高い声がやけに耳に痛い。とはいえ、言っていることはそれなりに正論なので俺は反撃の余地を失ってしまう。ベッドの使用料とでも言いなおすか?
 ふと俺は、小娘に聞こうと思っていたことがあるのを思い出した。
「そういえばお前、あの時何しやがったんだ? どさくさに紛れて逃げてきたが……あれは剣聖の国の刻零騎士団だろ。なんであいつらがあんな所に出てくるんだ」
 剣聖の国とは、その名の通り五百年ほど前に時の剣聖シュメルが建国したというエウリードのことだ。別にとりたてて剣術が盛んだとかそういうわけではないエウリードだが、建国の由来から『剣聖の国』と呼ばれることが多い。このサーゲトワが『塔の国』って呼ばれるのと同じだな。
「あ、うん。それはちゃんと後で説明しようと思ってたんだよ」
 再びベッドに腰を下ろす小娘。降りろ、と言ったはずなんだがな。
「刻零騎士団はあの国の精鋭中の精鋭ってのは知っているよね?」
 知っているに決まっている。俺のいる業界じゃトマトが赤いのと同じぐらいの常識だ。
「お前な、俺を何だと思ってるんだ?」
「理不尽で乱暴で横暴だけど、すごく強い傭兵」
 後半で気を良くしたわけではないが、何というか、色々あってもう訂正する気力が失せてしまった。もう勝手にしろ、と思う。
「……もういい。で、何で刻零騎士団が出てくる?」
 小娘は少し俯いて考え込んだようだったが、すぐに右手の指を二本立てて見せ、
「その質問に対しては二つ答えられるよ。一つ、刻零騎士団も『水晶機関』と一緒でボクみたいな〈エクステンド〉を狙っているから。もう一つは、ボクのフェアリーアイ≠ェ刻零騎士団があそこにくる未来を選んだから」
 前者はいい。それぐらいなら容易に推測出来た。〈エクステンド〉は数少ないエーテルストライカーの中でも、さらに希少種だ。その一人一人が世界を左右する力を持っている、という話なのだから、どこの国も欲しがるに決まっている。だが、後者は聞き捨てならない。
「未来を選んだ? どういうことだ?」
 小娘のフェアリーアイ≠ニやらが俺の行き先を予測したというのは聞いている。つまり『未来予知』がその特色なのだと俺は思っていた。勿論、それだけでも十分驚愕に値する。だが、それはあくまで想像の範囲内に収まる話だ。〈エクステンド〉なのだからそれぐらいは出来るのだろう、と。しかし未来を選ぶってのはどういう意味なのか。額面通りに受け取るなら、それはとんでもないことじゃないのか?
 小娘の虹色の両目がくりんと動く。妙に嬉しそうだ。なにやら自慢げに笑みを浮かべると、
「よくぞ聞いてくれました! ああ、やっと説明出来る……! あのね、これ聞いたらゼテオさん絶対に協力してくれるよ。っていうか、ここまでくるのが長かったよ……なんでこんなに遠回りしちゃったのかなぁ、ゼテオさんの根性がひん曲がってるからだよねきっと」
 夢見る少女のような浮かれた声で、そんな事をのたまいやがった。遠回しに喧嘩売ってるのか、こいつは。
 いや、子供相手に本気になってどうする。もう慣れてきたぞ。ガキには何を言っても通用しないのだ。言いたいように言わせておけばいい。用事が済み、もらう物をもらったらそれでさよならだ。それが俺にとってより良い選択だろう。
 小娘の説明が始まる。
「まず、〈エクステンド〉は一人一人その特徴が違うんだよ。ボクとアレスくんを比べてみてくれたらわかると思うけど」
「お前は目で、あいつは脚か」
「そうそう。で、ボクの目。つまりはこのフェアリーアイ≠ヘ、普通の目じゃ見えないものを視ることが出来るんだよ」
 今も七色に変化し続けている自分の双眸を指して、小娘は言う。が、それはもう聞いた話だ。
「それはもう知ってる」
「わーかってるって。そんな不機嫌な声出さないでよ。でも詳しいことはまだ話してないでしょ? それをこれから話すからさ」
 小娘は勿体ぶるように一拍の間を置く。
「この目はね、いわゆる『アカシックレコード』『賢者の石』『神の座』にアクセスする力があるんだよ」
 よくわからない単語が出た。何だそりゃ?
「って、全然わからなさそうな顔してるね……外の人ってみんなこういう事は知らないものなの?」
「それこそ知らん。どっかで名前だけは聞いたことがあるけどな」
「ふーん……ま、どれもみんな『世界を構成する情報集合体』って意味なんだけどね。もっとわかりやすく言うと……マニュアル? 攻略本? 情報誌? みたいな」
「フィーリングだけで喋ってるだろ、お前」
「とにかくそこには色んな情報がいっぱい詰まっているんだよ。っていうか、全ての情報はそこにあるのかな。過去の暗殺事件の犯人の名前もあれば、ある日のゼテオさんが起きてから寝るまでの間に何回呼吸したのかも載っているんだ」
「情報の大小軽重は関係なし、ってことか」
「うん。とんでもない事から、くだらない事まで。全部そこに詰まってるんだ。時間軸も関係ないんだよ? 過去も現在も未来も、みんな入ってるし」
 小娘は胸の前で両手を構え、何かを押し潰すような仕草をした。
「で、そんな無限の情報が詰まった塊に干渉するのが、ボクのフェアリーアイ≠フ力。これでゼテオさんの行き先や、刻零騎士団があの路地裏に来ることを、そこから読み出したんだ」
 なるほど。全ての情報があるってことは、世界中の人間の行動予定も入っているわけだ。そこから俺の今日の予定を抜き出せば、行き先も簡単にわかるという寸法か。だが待て。すると、
「……今日、お前が俺に話しかけることもそこに入っていた未来の情報なのか?」
「うん? んー……それはなんて説明したらいいかなぁ」
 小娘は虚空を睨みつけて猫のように唸った。
「未来もそうなんだけど、現実も過去も実は流動的なんだよ。わけわからないと思うんだけど。それでまぁ、一つの行動から生まれる可能性っていうのはそれこそ無限にあって、無限の可能性を一つ選ぶとそこからまた無限の可能性が──ってそれだけで膨大な情報が連鎖しているんだよね。逆に過去を遡ると無限の可能性がそれこそ無限に連なっていてね?」
 何を言っているのかさっぱりだ。頼むからちゃんと人間の言語を使ってもらいたい。
「……その顔はやっぱりわかってないよね? うん、そうだろうね。ボクもそう思う。やっぱりこれは他人には説明出来ない感覚だよ」
 はーやれやれ、とひねくれた賢者のように肩を竦めて首を振る小娘。ただお前の説明能力が不足しているだけだと俺は思うんだがな。それを言ったところで何も始まらないから黙っておくが。
「とにかく。ボクが話しかけたのは無限の可能性の一つで。話しかけることでゼテオさんの未来にまた無限の可能性が生まれたわけで。ボクはその中の一つ一つを選択していたわけなんだよ。わかる? わかりる?」
「わかるか」
 俺の答えは簡潔を極めた。冗談抜きで全然理解出来ない。むしろ、もうどうでも良くなってきた。
「まぁいいや、ここはわからなくて。で、ここでさっきゼテオさんが聞いていた『未来を選択する』ってのが関係してくるんだけど」
「今度はわかりやすく説明しろよ」
「命令形っ!? 頑張ってはみるけど……」
 むぅ、と再度唸ってから小娘は説明を続けた。
「つまり要するにフェアリーアイ≠ヘ無限を視るわけだよ。で、それじゃあ本当に未来なんか視れるの? ってなるじゃん。だからねフェアリーアイ≠ノはそれを確定させる力もあるんだよ。それが『未来を選択する力』。つまり『アカシックレコード』『賢者の石』『神の座』に干渉して、無限の中の一つを選び取って、現実へ持ってこさせる力。これまた逆説的なんだけど、言い換えれば『ボクの視た未来が現実になる』って感じ。そのために必要な過去があれば、その過去さえも改竄されるよ。そのことは誰にも……ボク自身にも知覚できないけれどね」
 小娘の言葉を俺は頭の中で咀嚼する。もちろん浮かび上がってくるのは疑問ばかりだ。
「ちょっと待て。過去が変わったことを誰も理解出来ないなら、なんで変わってるってことがわかるんだ」
「うーん、そのことを説明するなら、また時間の流動性が関係してくるから……難しいなぁ。でもまあ、とにかくわかるんだよ。ボクには。例え話をするなら……さっきの刻零騎士団だけど、実はボクが未来を視る前まではこの国、この街にいなかったのだとしたら?」
「……だったら、この国にいたのはおかしいな」
「うん。でも、実際にはいた。で、あの路地裏に来た」
「……何が言いたい」
「刻零騎士団が本当にあの直前、ちゃんとこの街にいたのかどうかはわからないよね? もしかすると別の街にいたのかもしれない。でも、結果的にあの路地裏に来た。ってことは、過去が改竄された可能性が考えられるよね? 全然別の所にいた刻零騎士団が、ボクが未来を視ることによって、その過去が改竄されてこの街にいたことになった。だから、あの瞬間にボク達の前に現れた」
「……だが、別の街にいたという証拠もないだろ」
「ないね。だから、これは可能性の話。本当にこの街にいたのかもしれないし、いなかったかもしれない。それはもうわからない。でも、もう結果は出てるじゃん。結果があるから、不明な部分も適当に埋められるわけ。つまり難しく言うと因果律の逆転。結果があって、原因が生まれるんだ」
「……ふん、なるほどな」
 何となくだがわかってきた。例えば、ノートを机の引き出しに入れて閉じたとしよう。その瞬間、本当にノートは机の中にあるのか。それは誰にもわからない。だが、引き出しを開けるとやはりノートはそこにある。だからノートは引き出しにちゃんと入っていたことがわかる。
 結果があって、初めて経過が生まれる。つまりはそういう流れを現実にやってのけているのだ。まぁ、結果を出して経過を適当にこじつけている辺り、ノートの例よりも遙かに強引だがな。
 だが、ここで新たな疑問が生じる。
「ちょっと待て。それならお前、そのフェアリーアイ≠ナ簡単に『水晶機関』から逃げ切れるだろう。さっきみたいに捕まらない未来を選び続けるだけで」
 未来を選択する力、とは言い換えれば、未来を好きにする力、とも言えるだろう。もし俺がそんな目を持っていたら間違いなくそうする。
 俺が問うと、小娘は腕を組んで難しい顔をした。
「それがねぇ、現実は厳しいっていうか、なかなかそうはいかないんだよ。ボクだって出来ることならそうしたいよ? でも無理なんだよ」
「何でだ」
「そんな都合の良い話はそうそう転がっていないし。っていうかいくら何でもフェアリーアイ≠ノだって限界はあるんだよ。選べる未来の範囲は限られているし。選んだら選んだで、さっきみたいに急に疲れが出て倒れちゃうし。そもそも未来なんて可能性がひしめき合ってるんだから、ちょっとしたことで選んだ未来も遠ざかるし。逃げ切れる未来を選んだとしても、動けなくなっちゃったら別の未来に押し潰されちゃうし。そもそもほとんどの未来なんて自分の手で掴み取るものなんだから行動出来なくなるなんて有り得ないし。大体フェアリーアイ≠チてみんなが思うほど便利じゃないんだよ。ゴチャゴチャしてるし面倒くさいし目の色は普通じゃないから目立つし──」
 段々と愚痴になってきたぞコレ。つまらん話を聞いてやるほど聖人になったつもりはない。俺は小娘の言葉を遮断するように、
「で、どこらへんから俺がお前に協力する話に繋がるんだ?」
 と聞いてやった。少なくとも、これまでの中で俺が協力してやる気になるような要素はまるでない。
 小娘は脊髄に電流を流されたような反応をした。
「ええっ!? なにそれ!? ちょっと待って? えっと、あの、ボク〈エクステンド〉だよ?」
「ああ」
「未来が視えるし、それをある程度自由に選べるんだよ? もっと言うと過去だって視られるし、他にも盛り沢山だよ?」
「そうだな」
「『水晶機関』だけじゃなくて、世界中が喉から手が出るほどボクを欲しがってるんだよ? レア中のレアだよ?」
「それがどうした」
 小娘はいきなり爆発した。
「それがどうしたじゃないよんもぉ────────ッッ! どういう神経しちゃってるんだよオバカぁっ! おかしい! ゼテオさん絶対頭おかしいっ!」
 うるさい。頭のおかしいガキに言われる筋合いはない。俺は顔を背けて無視を決め込んだ。
「便利じゃないか! すごいじゃないか! 相棒にしたら役に立ちそうだとか思わないわけっ!?」
「思わない」
「きっぱり言ったねぇ────────ッ!?」
「騒ぐな。落ち着け。鬱陶しい」
 恫喝するような低い響きで言うと、小娘はぐっと口を噤んだ。が、顔ににじみ出す悔しさは抑えられないらしい。凄い形相で俺を睨んでいる。
「あのな、お前は未来が視えるんだろ? なら俺がお前に協力する未来が視えるか?」
「一応、見えてはいるもん。今必死にそれをたぐり寄せようとしているところ」
 ふー、ふー、とまるで猫のように肩をいからせる。やれやれ、すぐに熱くなるのがガキの悪いところだ。鬱陶しいこと限りない。
 とはいえ、これまでと同じ対応をしても進歩がない。ここは一つ、大人としてうまく説得してやるべきだろう。
「大体、お前『水晶機関』に保護されていたんだろ? 一緒に帰ろうとかあの〈エクステンド〉も言ってたしな。元いた場所に戻るだけだろ。何がそんなに嫌だってんだ」
 途端に小娘は肩を落として俯いてしまった。ベッドの上を後ずさり壁に背を預けると、両脚を胸にたたんで体を丸める。だから降りろと言うに。
「だって……つまらないんだもん。退屈だし。何より自由がないんだ」
 『水晶機関』の思想と目的は俺も知っている。エーテルストライカーの保護と教育。まぁ、そこには色々な側面があるだろうが、悪い話ではないはずだ。世の中にはエーテルストライカーを『異端』と呼んで殺そうとする連中だっている。その能力を利用しようと企む奴はそれ以上にいるだろう。それに、無駄に力を持て余しているエーテルストライカーは意図せず他者を傷つけることがよくある。『水晶機関』はそんなエーテルストライカーと一般人の間に起こる摩擦を無くそうとしているのだ。
「お前は〈エクステンド〉だからな。色々あるんだろうが」
「ありすぎるんだよ」
 ぽつり、と暗い声が俺の言葉を遮った。不機嫌そうな虹色がこっちを恨めしそうに見ている。よっぽど戻るのが嫌なんだろう。だが俺には関係ない。
「とにかく、俺には関係ないだろう。金がないならもういい。諦める。このままお前と付き合ってたら損するばっかりだ。もう帰れ。俺を巻き込むな」
「やだ」
 今度は激発しなかったものの、小娘は頑固な声を出した。短く言い切ることで、どんな理屈をも拒絶する姿勢を見せやがった。冗談じゃない。
「あのな」
「やだ」
「お前な」
「やだ」
「…………」
「やだ」
 小娘は頑なと言うか、もはや聞く耳を持たない状態だった。いっそ力尽くで追い出すか? いや、そんなことをしたら玄関の前で騒ぎ立てかねない。それは困る。どうしたもんか。
 と困り果てていると、
「関係なくないし」
「あ?」
 唇を尖らせて小娘が何事かをぼそりと呟いた。
「関係なくないもん。ゼテオさんだって〈エクステンド〉じゃないか。ボクの仲間だよ。無関係じゃないもん」
 心臓に小さな針が刺さったような感覚があった。ついで、胃の中に鉛がつまったような重さが生まれる。嫌な気分だ。俺はわざとらしく、ふぅ、と息を吐いて、
「悪いが俺は〈エクステンド〉じゃない。お前の勘違いだろ」
「そんなはずないもん。ボク視たもん。ゼテオさんに虹色の光。確かに視たもん。どうして嘘つくのさ」
 嘘。その単語が胸に突き刺さる。
 そう、嘘かもしれない。だがそれがどうした。俺が〈エクステンド〉である確証なんてどこにもないのだ。それこそ自分が〈エクステンド〉だと言ってみろ、そうでなかった時に恥ずかしい思いをするのはどこの誰だ。そんなのはゴメンだ。
「嘘じゃない。何度も言うが、俺はエーテルストライカーでもなければ〈エクステンド〉でもない。そんなのは全部お前の勘違いだ。バクテリアかお前は」
「……バクテリアじゃないもん。マテリア・オールブライトだもん。っていうか今バクテリア関係ないもん」
 駄目だ、完全に拗ねていやがる。一向にここを出て行く気配がない。思いっきり居座る気だ。
「ボクが視たゼテオさんのエーテルは七色だったんだよ? しかもこれって未来とか過去とか時間軸に関係ない、知識系の情報なんだよ? だから間違いなはずないんだもん」
「知らん。違うもんは違うとしか言いいようがないだろ」
「どうして? 昔、何かあったの? 言ってくれなきゃここでゼテオさんの過去を視てやる」
「!」
 その瞬間、俺の中の引き金がいきなり引かれた。
 ほとんど脊髄反射で手にしていたミネラルウォーターのボトルを投げつけた。しかも手加減無しで。
「!?」
 まだ中身の入ったボトルは小娘の顔のすぐ横に激突して、鈍い音を立てた。水が弾け、小娘の顔へ派手に飛び散る。
「──……!」
 突然の事で悲鳴も出なかったらしい。小娘は派手な瞳を思いっきり見開いて、驚愕の表情を浮かべている。驚きのあまり、呼吸さえ止まっているようだった。
 床に転がったボトルが、とくとくと水をこぼしていく。俺はそれを無視した。
 俺は溶鉱炉のように煮えたぎった胸の内から、声を絞り出す。
「いい加減にしろ」
 強く言い放つ。このガキは今、言ってはいけないことを言った。触れてはならない部分に触れてしまったのだ。
「お前は何様のつもりだ。他人の記憶に土足で踏み込めるほど〈エクステンド〉ってのは偉いのか。ふざけるな。どうしても視たいんなら勝手にしろ。その代わり即刻ここから出て行け」
 決して語気を荒げたわけじゃない。むしろ今までよりも静かに言ったぐらいだ。しかし、それが逆に俺の怒りを一層強く示すことになっただろう。
「ご、ごめ……ん、なさ……い……」
 生まれたての子鹿のように身を震わせながら、小娘は拙く謝罪を口にする。俺は今どんな顔をしているのか。間違いなく笑顔ではない。全く正反対の表情をしているはずだ。眉根のあたりに力が篭もっているのが、自分でもよくわかる。
 じわり、と小娘の目に涙がにじんだ。
 う。まずい。これは嫌な予感がする。例えるなら、決壊直前の堤防を見ているような気分。至る所に致命的な割れ目が発生して、今か今かと崩壊が起こるのを何も出来ずに見ているだけのような、そんな数瞬。
「ご……ごめん……な……ふぇ……っ!」
 ごめんなふぇって何だ。そう思ったが、それどころではなかった。止められそうになかった上に、俺には止められるはずもなかった。
 俺に出来たのは咄嗟に耳を塞ぐことだけだった。


 驚いたからって泣き出すなんて子供すぎる。
 けれどそうは思っても、勝手に出てくる涙と衝動は止まってはくれなかった。情けないことにボクは威嚇攻撃を前にしておいおいと泣いてしまった。
 恥ずかしい。
 泣きはらした目をごしごしと擦りながら、何とか誤魔化す方法はないものだろうか、とか考える。あるはずないし。思いっきり泣き顔を見られて、泣き声聞かれたし。アレスくんの前でも泣いたことなんてなかったのに。っていうかあんなの反則だ。いきなり投げつけてくるなんて。……そりゃボクが悪かったんだけどさ。
「汚された気分だよ……」
「……何か言ったか?」
「別に……」
 さっきから沈黙が痛い。理由はボクが泣いてしまったからなんだろうけど。ゼテオさん、まだ怒っているのかな。確かに我ながら無神経なことを言ってしまったと思う。過去を見るということは、心の中を覗くのと同じぐらい失礼なことだ。それを無自覚に口にしてしまうなんて。
「……何かあったのかと聞かれれば、何かあったのは確かだ。詳しくは言いたくないがな」
 突然、ゼテオさんがそう切り出した。一瞬、何のことかと思った。彼の過去のことだ、多分。話してくれる気になったのかな。
「……言いたくないんだ?」
「聞いて楽しいもんじゃない。ただまあ、あれだ。さっきのは大人げなかった。悪かったな」
「ううん。ボクの方が悪かったから……」
 微妙な沈黙。取っ掛かりがありそうでない、居心地の悪い静けさ。それを破ったのはゼテオさんの方だった。
「……昔な、確かにお前の言うとおり〈エクステンド〉みたいな虹色のエーテルが出た。俺の体からな」
「え……?」
 やっぱり、という思いよりも驚きの方が強かった。ゼテオさんが自分のことを語り出した。そのことに対して、すごく吃驚した。だって、これまでこの人はまったく自分のことを話さずにいたんだから。頑固にも程があるってもんだよ。人のこと言えないけど。
「だが、一度だけだ。それ以降ぱったり出なくなった。見ての通り、エーテルストライカーかってぐらい力はあるんだけどな。エーテルは出ない。全然な。だから俺はエーテルストライカーでもなければ〈エクステンド〉でもない」
 ゼテオさんの金色の目はどこか遠くを見ているようだった。きっと脳裏に焼き付いた過去の映像を眺めているのだろう。それがどんなものなのかは、表情からでは判断出来ないけど。
 でも、なんていうか。
「……もしかして、それだけ?」
 思わずきっぱりと言ってしまった。ゼテオさんが目を点にして振り向く。あ、ちょっとおもしろい顔。
「……それだけ、って言えば確かにそれだけだが……何だ。何かおかしいのか」
 真顔でゼテオさんは言う。表面上は狼狽えないように抑制しているみたいだけど、なんだか手に取るように彼の動揺が伝わってくる。
「おかしいよ。だってそれ、ボクの見解を否定する決定的な材料じゃないもん」
 ぐっ、と言葉に詰まるゼテオさん。だけど彼はすかさず、
「かと言って、俺が〈エクステンド〉だっていう確たる証拠もないだろ」
 と反論した。けど、全然甘いと思う。
「あるよ」
 ボクは即答した。唖然とするゼテオさんに、自分の目を指差して見せる。
「ボク自身が使い方を間違えることはあっても、フェアリーアイ≠ヘ絶対に嘘を見せないからね。これが確証だよ。ゼテオ・ジンデルさんがエーテルストライカーで〈エクステンド〉っていうね」
 自信を持ってボクは断言した。にっこり微笑んで念押しだってしてあげる。だってこれは本当のことだから。フェアリーアイ≠ナ見たことと事実が反していたことは、いまだかつてない。〈エクステンド〉の肩書きは決して飾りなんかじゃないのだ。
 ゼテオさんは気難しそうな顔をしていたけど、やっぱり納得できないのか、
「じゃあ聞くが、お前ならわかるのか? 俺がどうしてエーテルを出せなくなったのか、その理由が? そんなにも俺が〈エクステンド〉だって言い張るんなら」
「うん」
 素で頷いた。再び呆気にとられるゼテオさん。
「でもさっき言ったように、その時はゼテオさんの過去を……その、見ちゃうことになるから。あんまり良くない、と思うけど……?」
 言っている内に段々気まずくなって、声が尻すぼみになってしまう。嫌だな、こういう自分は嫌いだよ。だからボクはそんな雰囲気を払拭するように、意識的に声を明るくして言葉を続けた。
「それに、エーテルが出なくなったエーテルストライカーの例がないわけじゃないしっ。いや、正確にはわからないんだけど、『水晶機関』にいた頃に聞いたことがあるような気がするよ? だから大丈夫だよ。気にすることないって」
 そう言うと、ゼテオさんはなにやら不機嫌そうな顔で、あらぬ方向を向いて溜息をついた。
 何だかよくわからないけど、面倒くさそうな空気が漂っている。何なんだろうか。一体何を考えているんだろう。すごく気になる。
 そもそも、だ。記憶を整理しよう。この人は最初、ボクの目を見た瞬間にはもの凄い勢いで「何だその目は。言わなきゃ殺す」なんて言ってきた。その次には「俺は本当にその〈エクステンド〉って奴なのか?」と聞いてきた。そんでもって「昔、一度だけ虹色のエーテルを出したことがある」とも言った。
 これらを総合して考えてみる。
 結論。この人はもしかすると、自分が何者かわからない不安をずっと抱え込んでいたんだろうか? などとボクは思うのだ。
 かつて一度だけその身から七色のエーテルが生み出されて、自分は〈エクステンド〉かもしれないと思ったんだろう。でもそれ以降は全然で。肝心のエーテルそのものが使えなくなって、自分が本当に〈エクステンド〉なのか自信が無くなってしまって。結局、自分は何なんだろう? って疑問に思っても答えてくれるような人は近くにいなくて。
 だからその糸口になるであろうボクの七色の瞳を見て、慌てて詰問した。確証が欲しくて、情報を求めた。その際、自分には詳しい知識がなく、そうである自信もなかったから、エーテルストライカーでも〈エクステンド〉でもないと言い張った。バカにされたくない、って気持ちもあったんじゃないかなとは思うけど。
 それで現在に至る、というわけだ。多分。
 何だそれは。もしかしなくても、ただの見栄って奴じゃん?
 急激に彼の行動原理を理解してしまったボクは、思いっきり呆れてしまった。
「……ゼテオさんって子供だよね」
 じとっとした目で見つめて、ボクはぼそりと言った。
「……なんだと?」
 険しい顔でゼテオさんは振り向いた。分別するのが面倒くさいゴミ袋を見るような目で、
「ふん、ガキにガキって言われる筋合いはないな。泣き虫バクテリアめ」
 えらい憎まれ口を叩かれた。むっかー! 何だよ泣き虫バクテリアってー!
 でも怒っちゃいけない。ついさっき無礼を働いたばっかりなんだから。ここは一つ我慢しなければいけない。
「だってさ、聞きたいことがあるなら率直に聞けばいいじゃん。言いたいことがあるなら素直に言えばいいじゃないか。そんな簡単なことが出来ないなんてガキだよガキ。見栄っ張りで意地っ張り。クールぶってハードボイルド気取ってもダサイだけだよまったく」
 と思ってもボクはそんなに我慢強い性格じゃなかった。言ってからそのことを思い出した。いやぁ、遅すぎるか。
 ボクの撃ち出した毒塗りの弾丸の連発に、ゼテオさんは一瞬だけ呆然とした。うん、我ながらすごい毒を吐いた気がする。知らないうちに溜まっていたんだろう。でも、それを溜め込ませたのは間違いなくゼテオさんだから、自業自得だといえるけれど。
 だけど彼はすぐに顔を引き締めて、もの凄く恐い顔でボクを睨む。いや、恐い顔っていうのはボクの錯覚かも。自分で作っておいて何だけど、空気が痛くてとてもゼテオさんの顔を直視出来なかった。もうなんて言うか、雰囲気が恐い。
 長い沈黙。それはきっと、ゼテオさんの心の葛藤を表しているんだろう。あそこまで直接的に言われたことに対して真っ向から言い返すのか。大人の余裕として聞き流すのか。どっちかで迷っているんだと思うんだけど。
 やがてゼテオさんは感情を押し殺した声で、
「……それよりお前、そろそろ出て行け」
 むっ、そう来たか。大人って状況が厳しくなるとすぐに相手の弱点を突こうとするから嫌いだなぁ。
 でもこれに対してはもう答えを用意している。
「なんで? ボク、ゼテオさんの過去を見てないよ?」
「あ? 何の話だ?」
「だってさっき言ったじゃん。過去を視たいなら好きにしろ。その代わり即刻出て行けーって。これって過去を視ないならここにいてもいいって意味でしょ?」
「な……」
 絶句。ゼテオさんはそんな題名の彫像と化した。何かを言う意志はあるのだけど、咄嗟に適切な言葉が出てこない。そんな顔。隙だらけだ。
 ボクは素早く立ち上がり、しゅたっと片手をあげて、極上の笑顔を咲かせる。
「それじゃあ相棒兼同居人ってことで! よろしくね!」
 固まっているゼテオさんをそのまま放っておいて、ベッドから足を降ろす。冷蔵庫に近づいて、扉を開けて中から水の入った容器を取り出した。栓を開けて、口をつける。
 一口飲んで喉を潤してから、ゼテオさんに向き直り、
「あ、そうだ。相棒なのにさん付けって何かよそよそしいから、これからはゼテオって呼ぶね? ボクのこともマテリアって呼び捨てにしていいから」
 で、また水を飲む。ゼテオさん──改め、ゼテオはボクに向かって口をぱくぱくさせている。まるで陸に揚がった魚みたい。
「あ、そうそう。後ね、アレスくんのことだけど。アレスくんって冗談が通じないし、意外としつこいんだよ。だから多分、本気でゼテオの命を狙いに来ると思う。災難だねぇ。ま、その時はボクのフェアリーアイ≠ナ助けてあげるからさっ! 持ちつ持たれつって感じの関係? 相棒っていいよねぇーあはははっ」
 けらけらと笑って、今度は一気に水を飲み干そうとボトルをあおった。
 そんな上機嫌なボクの耳に、ゼテオの忌々しげな呟きが聞こえてきた。
「厄日だ……」
 当然だけどボクは気にしないことにした。ご愁傷様。


 マテリア・オールブライトという女と同居することになった。
 などと言えば聞こえは良いが、このマテリアというのは実は女と呼べる生き物ではない。むしろ珍獣と呼んだ方がしっくりくる。
 そう、女と言うよりはメスと言った方が良い。年齢は十六と言っているが本当かどうかわかったもんじゃない。女は嘘をつく。これは俺の経験則だ。いや、マテリアはメスだった。言い換えよう。メスは嘘をつく。
 とにもかくにも他人に自慢出来るような話じゃない。傭兵仲間にバレれば笑いものにされる類の話だ。何が悲しくて骨と皮だけで膨らみのまるでない生き物と、一つ屋根の下で暮らさなければならないのか。いやまあ、妙齢の美女なら喜んで受け入れたのか? と聞かれたら、もちろんそういうわけではない、と答えるが。
 別に女に興味がないわけではない。かといって男に興味があるわけでもない。ただ、俺にはもう誰かを受け入れるつもりがないのだ。そんなことはもう十分だ、と思っている。そう、あいつ以外には、もう。
 心の底から思う。あんなことはもうたくさんだ、と。
 だっていうのにこのマテリアとか言うバカは、
「どうも初めましてー! ボク、ゼテオの相棒のマテリア・オールブライトって言います! よろしくお願いしますね!」
 などと出会った傭兵仲間に片っ端から自分を売り込みやがる。突っ込みどころ満載だった。
 誰が相棒だ、勝手に名乗るな、ってか目立つな、ついてくるな、鬱陶しい。すぐ思いつくだけでもこれだけの言葉が出てくる。
 間違いなくあの日は厄日で、マテリアは疫病神だった。俺にとってマテリアという存在は、サングラスをかけた災厄そのものだったのだ。
 疲れることこの上ない。その上、傭兵仲間共にはロリコンが多いのか、喜んでマテリアを受け入れやがる。とことんツイてない。せめてあいつらが鬱陶しがってくれれば、俺としてもマテリアに「仕事についてくるな!」と強く言えるというのに。胃が痛い。
「お前さんも隅に置けないな」
 などとにやついた顔で言われたこともある。一緒にするな、と叫びたい。俺はほとんど脅迫に近い形でこいつと同棲させられているのだ。いや、マテリアが勝手に居着いたのだ。断じて俺の意志によるものではないのだ。
 しかも、だ。〈エクステンド〉という生き物は冗談抜きで多種多様な団体・人物から、様々な意味で狙われている。それを俺は体で感じ取った。というか強制的に実感させられた。
 マテリアが自称・俺の相棒になってから一週間。たった七日の間に、俺は何度も死線を潜り抜ける羽目となったのだ。
 刻零騎士団を始め、〈エクステンド〉を獲得しようとするいくつもの組織。どいつがどこの奴だか知れたものではない。この七日間で一体何人がいきなり襲いかかってきたのか。思い出す気にもなれん。それぐらい奴らは現れた。そして決まって奴らはこう言う。「〈エクステンド〉を確保せよ!」と。往々にして団体で出てくるから蹴散らすのが本気で面倒くさい。羽虫かお前らは。
 それだけじゃない。〈エクステンド〉の命を奪おうとする奴らも出てきた。目的はもちろんマテリアを殺すこと。何でこんな小娘を? 殺したところで何になる? そう疑問を呈すと、
「アレスくんが言ってたし、ゼテオも知ってるでしょ? ボク達〈エクステンド〉は世界を左右する力があるって。それはつまり、この遺産世界そのものを破滅させるかもしれない、ってことだよ。まあこれは抽象的すぎる話だけど……例えばボクがある国に捕まってフェアリーアイ≠強制的に使わせられたら? 未来のことも含めて色んな情報が手に入るよね? 情報戦って言葉があるぐらいだから、情報のあるなしで国家の存亡が変わってくる時代なんだよ。つまり世界情勢が大きく変わっちゃう。それを嫌がる人、怖がる人がボクらの命を狙ってるんだと思う。他にも理由はあると思うけどね。単純にエーテルストライカーが殺したいほど嫌いな人だっているだろうし。あーうざっ」
 という答えがマテリアから返ってきた。となると巻き込まれた俺は何だ。お前がうざいと思うなら、俺はそれ以上の感情を得ているぞ。あー超うぜぇ。
 というわけで命を狙われることすら日常茶飯事だ。一緒にいるこっちの命まで危険にさらされるので、俺は戦わざるを得ない。そうなると結果的に俺の自衛がマテリアの防護になっているという寸法だ。世の中ムカツクほど良く出来ている。
 自衛と言えば、そういえばこんな事があった。
 マテリアが襲ってきた連中の一人を殺したのだ。
 俺は傭兵だ。命のやりとりなら日常茶飯事──とまでは言わないが、まぁそれなりにある。危険と背中合わせの仕事だからな。顔を見なくなった傭兵仲間だって何人もいる。
 だがマテリアは『水晶機関』に保護されていた自称十六歳の小娘だ。そいつのする殺人は、俺のとはまた意味合いが違うだろう。
 俺はいつも通り敵とあればナイフで喉を切り裂き、腕力に任せて頭を壁にぶつけ叩き潰す。そこに躊躇いはない。俺がかつて生き、今も生きているのはそういった世界だからだ。
 なのに、そうではない世界にいたはずのマテリアが、躊躇無く他者の命を絶つとはどういうことなのか。
 ある時、俺がとどめを刺し損ねた男が地面に転がって低いうめき声を吐いた。その瞬間、
「あっ、まず」
 と言ったのはマテリアで、俺ではなかった。マテリアは咄嗟の判断で動いたのだろう。足下に落ちていた敵の武器を拾い上げると、迷わずそれを男の喉に突き刺した。
 手際が良すぎて普通に見過ごしてしまった。味方の剣の切っ先を喉元に埋められた男は、がふ、と最後の息を血と共に吐き、事切れた。マテリアはそれを確認すると、
「ふぅ……危なかったぁ……」
 といかにも当たり前な顔でそんなことを言った。予想外の行動に俺は思わず、
「おい……お前、何やってんだ」
「へ?」
 たった今一人の人間の命を奪ったばかりの小娘は、いつものように振り返って、きょとんとした顔を見せた。
「何って……何が?」
 小首を傾げるマテリアに、俺は言葉に詰まった。一瞬、何を言えばいいのかわからなかったのだ。だが、言いたいことは表情になっていたのだろう。マテリアは急に不安そうな顔をして、自分の持つ剣と、死んだばかりの男の顔を見比べて、
「え? だって、ほら、この人だってボクのことを殺そうとしていたんだよ?」
 弁解するように喋り出した。
「だったら殺されても文句言えないじゃないか。……違うの?」
 違ってはいない。誰かを殺すということは、誰かに殺されるということだ。命を賭けた戦場に不平等はない。自然の法則に従って、弱い者が死に、強い者が生き残る。それだけだ。だから、殺されるところだったから返り討ちにした、それは間違ってなどいない。決して。そう、論理としては。あくまで理屈としては。
 だがそれを年端もいかない女子供が持っていること、それがおかしい。殺伐に過ぎるのだ。
「アレスくんも言ってたよ? ボク達を殺そうとする奴らは、生き残るとまた同じようにやってくるから、必ず仕留めないといけないって。じゃないといつかボク達の方が殺されてしまうから、って。そんなにおかしいの?」
 純真な目でそう聞かれても困る。おかしくないし、間違ってもない。実に現実的な考えだ。むしろマテリアのように命を狙われるのが日常茶飯事という人間なら、そういった考えを持っていなければそう遠くない内に死んでしまうだろう。ほぼ確実に。
 だがマテリアの問い方は、まるで「1+1は2でしょ? 何か違うの? どこかおかしいの?」と聞くような感じだったのだ。当たり前のように、自分の正しさを完璧に信じ切っている。そりゃそうだろう。それは全くの正論で、疑問を差し挟む余地などどこにもないのだから。1+1はどうやっても3にも4にもならない。複雑に計算しようにも、1+1という式にひねくれる余裕は微塵もなく、2という答えしか出しようがない。
 それはいい。
 でもこいつは、目の前で子猫の頭が踏み潰されたら絶対に泣くだろう。そういう奴だ。そこに「1+1」の論理は必ずと言っていいほど適用されていない。そうに決まっている。
 だから歪なのだ。
 人殺しを恐れない奴が、どうして水の入ったボトルを投げつけられたくらいで泣くというのだ。しかも直撃していないというのに。
 誰かを殺せば、誰かに殺される。その思考に必要なのは、その論理の理解ではない。
 自分が誰かに殺されるかもしれないという現実を呑み込む【覚悟】だ。
 傭兵ならば誰もが持っている覚悟。命を奪い奪われるという現象に慣れる感覚。そういったものを持ち合わせている奴なら、目の前で子猫が死のうが水のボトルを投げつけられようが、泣くわけがない。
 マテリア・オールブライトに覚悟はなく、それ故に感覚が歪なのだ。それは物心付いた頃にはもう命を狙われていたという特殊な環境が作り上げたものかもしれない。自分を殺そうとする者の命だけが塵芥に等しく、それ以外の感覚は一般人とそう変わらない。実にちぐはぐな人格。
 それを『水晶機関』の功罪、と言うべきか。それとも〈エクステンド〉の宿命と呼ぶべきか。
 歪んでいるマテリアにかけるべき言葉を俺は持たなかった。その時はただ適当に、
「いや、おかしくはないがな。お前はあんまり出てくるな。邪魔だ足手まといだバクテリアだ」
「邪魔と足手まといはわかるけどバクテリアってなぁんだよぉ────────ッ!」
 という風に誤魔化した。
 正直な話、驚いていたし恐ろしいとも思っていたのだ。マテリアに対してではなく、もっと漠然としたものに対して。
 これが〈エクステンド〉なのか、と。
 あるいは俺もそうなのかもしれない〈エクステンド〉の本当の姿がこれなのか、と。
 今までずっと聞きかじりの知識だけで〈エクステンド〉そのものに出会う機会などなかった。だから知らなかった。ある程度の苦難はあるのだろうと、朧気にそう思ってはいた。だが、ここまでとは。
 人格が、価値観が歪んでしまう程の生活。覚悟を持つ前に、殺し殺されが成立してしまう環境。年端もいかない女子供が傭兵以上に命のやりとりを当たり前とする、そんな宿命。
 あのアレス・フォルスターとかいう少年も、マテリアとそう変わらない年齢だろう。そのくせエーテルストライカーを探し出して保護……という名目で『刈る』のが奴の仕事だという。とんでもない話だ。俺の半分と少しぐらいしか生きていない連中がやる事じゃない、とまでは言わないが、やはり普通ではないだろう。
 まあ、それがどうした、と言える程度ではある。世の中にはもっと不幸な人間がごまんといる。少なくとも今のマテリアは毎日の生活の中で笑うことが出来ている。それを不幸とは呼べないだろう。
 というか俺の方が不幸だからな。別に普段から笑うことなど少ないが、マテリアが来てから一度も笑った記憶がない。こいつはどん底だ。
 何故かって? さっきも言ったように、昼夜関係なく馬鹿共が襲いかかってくるからだ。それはもう分別のないこと限りなしだ。なにせ仕事中にもやってくるんだからな。
 おかげでこっちの仕事のほとんどがおじゃんだ。目立ちたくもないのに目立ち、挙げ句には仕事に失敗してゼテオ・ジンデルの傭兵としての名声は地に落ちた。最悪だ。
 それもこれもみんなマテリアのせいだった。あの小娘が俺に取り憑かなければ。いや、あのアレスに「手込めにされた!」などと言わなければ。俺とてこんな疫病神などとうに放り出しているのだ。
 だがあのアレス・フォルスターはやばい。俺とて自分の実力にはそれなりの自信がある。並のエーテルストライカーになら勝てる、というか勝ったことがある。それぐらいの実力はあるのだ。しかし、あの時に見たアレスの姿と言ったら心底冗談ではない。手を抜いていた時のあいつは「〈エクステンド〉つってもこの程度か」と思っていたが、本気になったあの姿は本気で洒落にならない。何だあのエーテルの量と勢いは。あんな脚で蹴られてみろ。一瞬で肉体が原子に還元されるぞ。あんな怪物など相手にしてたまるものか。間違いなく死んでしまうわ。
 それを避けるためにはどうしてもマテリアが必要となる。制限や限界はあるだろうが、とにかくあいつのフェアリーアイ≠ヘ窮地に陥った際、絶対に必要になる。あの場に刻零騎士団が現れたように、肝心な時にあれと同等の奇跡を起こしてもらわなければ、まず間違いなく俺の魂が昇天することになるだろう。ひでぶ、ってな。
 とはいえ、だ。そもそも今の俺は自分の行動に疑問を持っている。本当にそれだけか? と。本当にマテリアを傍に置いているのは、アレスという身の危険を防ぐためだけなのか、と。
 答えはノーだ。
 もう期待はしないと決めたはずだ。なのに、俺は一体何を期待しているのだろうか。
 マテリアに「ゼテオも〈エクステンド〉だよ」と言われて喜んでいる俺がどこかにいないだろうか? あいつのフェアリーアイ≠フような特別な力が自分にもあるかもしれない、そう考えている自分がいないだろうか? ぶっちゃけた話、そういった可能性を否定出来ないでいる自分がいるのだ。
 打算で部屋に連れてきたマテリアのはずだ。それがいつの間にか、俺が求めていた〈エクステンド〉という存在への道標へと変化している。実に情けない。それは、俺がまだ希望を捨てられずにいるという証明だったのだ。そのことを俺は自覚させられてしまった。自分は諦めが悪すぎるのだ、と。
 まだあいつの言葉に俺はこだわっているのか。本当に、情けなく思う。あの頃から俺は少しも成長していないのかもしれない。エーテルが全く出なくなった、あの頃から。
 いや、それはもう考えるな。思い出しても仕方のないことだ。俺は記憶を封印する。
 とにもかくにも、だ。
 一週間が過ぎた。何事もなく、というわけにはいかなかったがな。仕事斡旋所で見つけた五つの内、四つがマテリアを狙う連中の介入で台無しになった。サーゲトワ政府の要人の警護は途中で席を外したばっかりにクビになった。理由は勿論、マテリアへの襲撃に対応していたからだ。下手に巻き込んで損害賠償を請求されなかっただけましだった。ちなみにその時の襲撃犯の身元はマテリア曰く『積層国家シュヴァルツの隠密組織』らしい。
 他にも武闘派組織同士の抗争の助っ人や、中身を知ってはいけない物の運び屋などを請け負ったが、ことごとく邪魔が入って失敗に終わっている。階段王国ノルゼ、山岳帝国ローゼスライヒ、紫光城、その他諸々、とにかく色んな国の奴らが出てきた。よくもまあこれだけの連中が勝手に入り込んでいるもんだ、と感心するほどだ。よっぽどサーゲトワの国境警備はザルらしい。それ以上に各国の〈エクステンド〉への需要がここまで大きかったことに対して驚いたがな。
 やはり〈エクステンド〉は世界を左右する。実際に何をするでもなく、ただ存在するだけで無形の影響があるのだ。俺はそれを実感した。
 そんな奴と同居し、そんな奴に「マテリアさんを手込めにした万死に値する」と命を狙われ、俺自身もそんな奴かもしれないという。何なんだこの状況は。神様よ、これは気の利いた冗談のつもりか? ありがとう。憶えてろよ。
 ただこの一週間の間、意外にもアレスは姿を現さなかった。
「あいつ、結局あれから全然出てこないな」
「アレスくん? 彼は忙しい人だからねぇ。『水晶機関』でも超がつくほどの売れっ子だもん」
「何だそりゃ?」
「だって、速いし強いし優しいし。まさしく正義の味方だよね。まぁ本人もそういうのに憧れてるし、目指しているみたいだったし。幼なじみとしては彼の夢が叶って何よりだよ」
「で、あいつの正義がお前を連れ戻すことに繋がるわけだがな」
「いやぁもう最悪だね。夢なんてベッドの中で見るものだよ。現実に持って来ちゃいけないね。気持ち悪いったらありゃしないよ」
「手の平返すな」
 どうやら〈エクステンド〉アレス・フォルスターはその脚を以て世界各国を飛び回っているらしい。
 基本的に『水晶機関』のメンバーとはエーテルストライカーで構成されているそうだ。それはそうだろう。目には目を、歯には歯を、エーテルストライカーにはエーテルストライカーを、だ。
 自由要素であるエーテルを操るエーテルストライカーは十人十色の特殊能力を持つ。それはマテリアのフェアリーアイ≠ナあったり、アレスの両脚だったりする。中にはエーテルを火炎に変換する奴もいれば、水や空気などの流体を操作する奴もいる。昔で言う火炎能力者や風使いといった奴らだな。そんな奴らに一般人がどれだけ束になってもそうそう勝てやしない。だから『水晶機関』は保護すべきエーテルストライカーに、同じエーテルストライカーをぶつける。そうすることによってエーテルストライカーの保護を確実なものにしているのだ。そうして保護されたエーテルストライカーは教育を施され、今度はそいつが『保護する側』に回る、という仕組みだ。
 マテリアから聞く都度、俺は『水晶機関』や〈エクステンド〉の本当の姿を知っていく。不本意ながら、これがおもしろいのだ。
「実際のところ〈エクステンド〉って何なんだ? 俺が調べたところじゃ、大昔にどっかの誰かが作ったってあったが……」
 俺がもし〈エクステンド〉だったとしよう。だが、俺はそんなに長く生きてなどいない。マテリアもアレスもそうだろう。この時点でその話は嘘であることが判明しているが、もしかするとマテリアは何か知っているのかもしれないと思ったのだ。
「ああ、それ? 当たらずとも遠からじ、って感じかな。ボクも本当のところは知らないんだけど、『水晶機関』で聞いた話の中で一番の有力説はやっぱり転生説≠ゥな」
「転生だぁ? そいつも随分と臭いな」
「まぁね。でもあの人達は信じてるよ。〈エクステンド〉は大昔から何度も転生を繰り返して、この遺産世界に常に七人いるんだ──って」
「じゃあお前とアレスの前世はどんな奴だったんだよ。記録は残ってないのか」
「あのね、ゼテオの前世もいるんだよ? いい加減自分が〈エクステンド〉だって認めなよ。で、記録は全部抹消されてるらしいよ。『水晶機関』直々にね」
「抹消……わざわざか?」
「そう、わざわざ。理由は知らないよ? っていうか興味ないし。多分……っていうかどうせ嘘だろうし。どうでも良いことだと思うけど」
 そう言えるのはマテリアが強いからか、それとも何も考えていないからか。その時、どうやら俺は難しい顔をしていたらしい。マテリアはそんな俺を笑って、
「前から思ってたんだけど、ゼテオって結構細かい性格しているよね。ケチくさいっていうか、理屈っぽいっていうか。女の子にモテないタイプだよね」
「お前も胸が無くて尻が平たくて女に見られないタイプだよな」
「なっ、なんだとぉ────────ッ!?」
 こういった話は他にもある。例えば、この世界が何故『遺産世界』と呼ばれているのか。
「〈エクステンド〉に関係あるんだよ。ほら、ボク達〈エクステンド〉を創った創造主は、月の向こうの世界に行った──って説があるでしょ?」
「おとぎ話だろ、あれは」
「そうだけどね。昔の人はそう思ってなかったわけだよ。だからみんな月に行こうとした。この国にもあるでしょ? ほら、サーゲトワの真ん中にある大きな塔。あれだって月に行こうとした名残だよ。そういった時代の遺産が中心になって国家が形成されているから、遺産世界なんて言うんだよ」
 例えば積層国家シュヴァルツは街を何階層にも分けて重ねることで、街ごと月を目指した。例えば階段王国ノルゼは国全体を階段にすることで、山岳帝国ローゼスライヒは山岳地帯に国を興すことで、紫光城は巨大な城を建て続けることで、それぞれに月を目指した。
 誰もが月の向こうにある別世界を夢見て。
 そしてそれはとっくの昔におとぎ話だと判断され、全ての計画は中途で廃棄された。その名残が塔であり、積層型の都市であり、階段状の国であるわけだ。それらはかつて人々が夢を見た時代の遺産だ。それに寄り添って生きている現代は、なるほど、確かに遺産世界と言えるだろう。
 なら〈エクステンド〉も遺産と言えるんじゃないか? 例えば、そう、月に行こうとした奴らが人の身じゃ行けないことを知って作り上げた──とか。そう思ったが俺は敢えて口にはしなかった。学者でもない俺の、ただの思いつきだ。どうせ当たりっこない。
 しかし馬鹿馬鹿しい限りだ。結局、俺は自分の正体を求めているんじゃないか。益体もないことを考えたりする前に、するべき事があるだろうが。
 そう。今、俺がやるべき事はただ一つ。
 マテリアのせいで遠ざかってしまった仕事を見つけに行くことだった。


 ヴェイル・ハワードは冴えないエーテルストライカーだった。
 『水晶機関』に所属するエーテルストライカーは教育を受けた後に、別のエーテルストライカーを保護する『保護回収官』となる。ヴェイルはまさしくその『保護回収官』だった。
 ただし彼の現在の任務は、不本意ながら同じく『水晶機関』の所属員であり〈エクステンド〉でもある、とある双子の付き人であった。
「フォルスター保護官の話によるとこの街のどこかにオールブライトさんがいるらしいのですが……」
 短く整えられたダークブラウンの髪に、やや垂れ気味の瑠璃色の瞳。白地に金の装飾が施された『水晶機関』の制服に身を包んだ十九歳の彼は、資料を片手に街を歩きつつ背後の上司≠ノ声をかける。
 アレスやヴェイルが着用しているような正規のものではなく、黒地に銀という色合いの反転した制服に身を包んでいる幼子が二人。年の頃は十代に突入したかしてないか。長く伸ばした銀髪と、左右の目の色が異なる青と緑の金銀妖瞳が特徴的だった。
 〈エクステンド〉エルザリオンとベルゼリオン。
 対象を多少壊してでも保護回収する『笑う壊し屋』アレス・フォルスターと同じ〈エクステンド〉だが、その行動原理は全く異なる。この双子は保護回収をその旨としない『冷酷な殺し屋』だった。
 保護回収する価値がない。あるいは、破壊するべしと判断された。そんなエーテルストライカーを処分するために彼らはいる。
「ベルゼ、このガキはどうやら『だろう、らしい』だけであたし達を引きずり回すつもりらしいわよ?」
 エルザリオン、愛称はエルザ。幼い少女の姿をもつ彼女は、しかし見た目から受ける印象からはほど遠い声を出す。その口調は妖艶な女そのものだった。そんなちぐはぐな声をかけられたのは、隣を歩く少年、ベルゼことベルゼリオンだ。
「それは困った事じゃのう。エルザよ、一つ灸を据えてやった方が良いのではないか?」
 彼もまた少年の容貌とそぐわない嗄れた声と、老獪な口調で答える。
 二人とも性別は違うというのに、ひどく似通った顔をしていた。金銀妖瞳という猫のように右目が青、左目が緑という珍しい双眸を持っているため、長く透き通るような銀髪と相まって実に神秘的な雰囲気をまとっている。故に、口を開いた際に感じる落差は一層激しかった。
 見た目から判断すれば遙かに年下であるはずのエルザにガキ呼ばわりされたヴェイルは、双子の台詞に本気で慌てた。
「ええっ!? あ、いや、自分は別にそんなつもりで言ったんじゃ……」
「じゃあどういうつもりで言ったのかしらね? ベルゼ」
「さあて、裏のそのまた裏があるのかの? エルザよ」
 顔を合わせた時からそうだったが、この双子は決してヴェイルには話しかけない。双子同士で互いに言葉を交わし合い、それをヴェイルに聞かせるだけだ。ヴェイルとしては双子の会話を聞いて対応するしかない。直接的な対話ではなく、近くにいながら極めて間接的な交流方式をとらされていた。
 この双子は互いの関係だけで完結しているのだ、とヴェイルが気付くのにそう時間はいらなかった。
「えっと……それでは、お二人はホテルで待機されますか? オールブライトさんを発見し次第、自分がホテルに連絡をとりますので……?」
 ヴェイルは努めて腰を低くする。当たり前だがエーテルストライカー保護機構である『水晶機関』にも上下関係はある。見た目の年齢、所属を抜きにしてもこの二人は現在、ヴェイルの直属の上司なのだ。無礼な振る舞いはできない。
「全く、ここまで言わないとわからなかったのかしら? 今回の子は気が利かなくて嫌だわ。ねぇ、ベルゼ」
「そう言うてやるな、エルザ。こやつはまだ若いのじゃ。男という生き物は若い内は気が回らぬものでな。多目に見てやろうではないか」
 双子の辛辣な言い様に、ヴェイルは胃が締め付けられるような感覚を得た。口には出さないが、なんて嫌味な子供なんだろう、と思う。道理でお鉢が巡り巡って自分の所へ来るわけだ。きっと『水晶機関』の裏にも、この二人を飼い慣らすことの出来る人間はいなかったのだ。そのせいでお鉢が表に回ってきて、最終的には立場の弱いヴェイルのところへ来たのだ。そうだ、そうに違いない。結局、『水晶機関』にとって保護回収官なんて消耗品でしかないのだ。保護回収するべき者と同じエーテルストライカーだっていうのに。上層部は一体何を考えているのか。何のためにエーテルストライカーを保護して教育を施しているのか。全くもって何も考えちゃいない。
 憤りを全て表情筋の下に押さえ付けて、ヴェイルは笑顔で双子に言った。
「本当にすみません、気が利かなくて、自分はちょっとトロいところがあるんで、あはははっ」
 ヴェイルは頑張った。愛想笑いを完璧にしてのけた。だが、結果は残酷だった。
「自分でトロいとか言ってたらもうお終いね。ダメだわこの坊や。どうする? ベルゼ」
「可哀想な子じゃのう。後でわしらの手で終止符を打ってやった方がいいかもしれんな。世の中のためにも。のう、エルザ」
「い、いえっ! 滅相もありません! で、では、すぐにホテルに案内しますねっ!」
 何で『水晶機関』はこんな問題児を抱えているんだ、とヴェイルは心の中で毒づく。だが、そんなものが愚痴でしかないことをヴェイルは自覚していた。
 『水晶機関』はエーテルストライカーを保護し、教育し、新たな保護回収官とする。中にはこの双子やマテリア・オールブライトのような例外も存在するが、ほとんどのエーテルストライカーがアレス・フォルスターやヴェイル・ハワードのように保護回収官になる。〈エクステンド〉であるかないかは、この際は関係ない。
 『水晶機関』の目的は、今はまだ異端であるエーテルストライカーをいつかは社会の一部として組み込み、未来の世界をより良くすること、だという。そこに嘘は無いだろう。だがその本質が洗練潔白であるはずがない。少なくとも現時点では、『水晶機関』はただの『保護回収官の養成所』でしかない。そこには光り輝く部分もあれば、暗い闇を抱えている箇所もある。
 ヴェイルにしたところで、保護回収されたわけではなく、自分から『水晶機関』の扉を叩いたクチだ。こういったエーテルストライカーは意外と多い。全世界的にエーテルストライカーという存在はまだ受け入れられておらず、地方によっては化け物扱いする所もある。そんな状況では仕事にありつけるはずもなく、結果的に保護回収官しか道はないと悟ったエーテルストライカー達が自らの意志で『水晶機関』に保護を求めるのだ。実質的には保護と言うよりは、就職に近い。所詮、『水晶機関』の保護回収官が不幸なエーテルストライカー達を救い保護している──というのは宣伝の結果による錯覚でしかないのだ。
 このように、どんな組織にも表と裏の顔がある。そしてヴェイルの目の前にいるこの双子こそが、『水晶機関』の裏の暗い部分を司る存在だった。保護回収を断固拒否する危険なエーテルストライカーを、実害が出る前に処分する。そのための存在。目には目を、歯に歯を、危険人物には危険人物を。
 つまりこのエルザとベルゼは、『水晶機関』の必要悪なのだった。そしてヴェイルは悲しいことにその生け贄として選ばれたのである。彼のような下っ端にはどうしようもない話だった。
 同じ〈エクステンド〉と組むならアレス・フォルスターさんの方が良かった。そう心から思うが、口に出したら今度は何を言われるかわかったものではない。第一、双子の言うことは冗談には聞こえないのだ。下手に機嫌を損ねでもすれば、本当にこの任務が終わってから消されてしまうかもしれない。そうなっては堪らない。ヴェイルに出来ることは、ただひたすら双子に嫌われないよう慌てふためきながら付き従うことだけだった。
 ホテルへ向かう道すがら、ヴェイルの背後から双子の会話が聞こえてくる。
「にしても、あのマテリアが裏切るなんてねぇ。いずれはヤる子だと思っていたけれど。ねぇ、ベルゼ」
「そうじゃなぁ。あの子はあれで可哀想な子じゃ。〈エクステンド〉で、下手に余計な物が見えるだけに隔離されておったからの。あれじゃ友人も出来ん。逃げ出したくなるのもわかるわい。のう、エルザ」
「友達なんてアレス坊やぐらいだったかしら? うふふ、でもお馬鹿さんよね。逃げ出したらあたし達が来るって事ぐらいわかっていたでしょうに。そんなに自由が欲しかったのかしら。殺されるってことがわかっていても……ねぇ、ベルゼ?」
「不自由に細く長く生きるか、自由に太く短く生きるかの違いじゃ。選ぶのは人それぞれだからのう。まぁ、マテリアには申し訳ないが、組織のため、何よりわしらのために死んでもらわんとな。のう、エルザ」
 ヴェイルは背筋に走った悪寒が、何度も上下するのを感じた。子供の顔をして、大人の声で、なんて恐ろしいことを話しているのだろうか。この双子はマテリア・オールブライトを殺そうとしている。そのことはヴェイルも知っているし、理解もしている。それが今回の仕事なのだから。
 だが、この何気なさは何なのか。まるで昆虫を捕まえて標本に造りに行くかのような口振りではないか。双子とマテリアは顔見知りだというのに、毛ほどにも罪悪感を感じておらず、わずかにも躊躇いや戸惑いがない。
 あまりにぞっとしない話だった。
 だがやはり、ヴェイルも他人のことは言えない。彼はそんな双子をサポートする役割にある。つまり、マテリアを殺す片棒を担がなければならないのだ。そんな自分がどうして双子の言動を責められようか。ヴェイルは自覚せざるを得ない。
 エルザリオンとベルゼリオンは『水晶機関』の裏に潜む存在。『二人っきりの処刑者』の異名を持つ。そして自分はその補佐役。
 本質を見間違えてはいけない。自分達は、自分達こそがマテリア・オールブライトにとっての死神であることを。
 間違えてはいけない。自分達の目的は【殺害処分】であって【保護回収】ではないことを。自分はこれからエーテルストライカー、いや、〈エクステンド〉を殺すのだ、と。
 その事実の重さに、ヴェイルは双子に隠れて溜息をつく。
 どうしてこうなったのか。ヴェイルも双子も誰かの恣意によってここにいるわけではない。全ての任務は正式なものだった。
 そう。アレス・フォルスターの報告を受けた『水晶機関』が下した決断こそ、〈エクステンド〉マテリア・オールブライトの処分だったのだ。
「ホテルにはまだ着かないのかしら? ねぇ、ベルゼ」
「ほれ、サーゲトワの塔が見える。もう少しじゃろうて、エルザよ」
 意見ならある。言いたいことは無数にある。だがヴェイルにその権限はなかった。出来るのは〈エクステンド〉とはいえ、裏切って逃げたからとはいえ、年端もいかない少女を殺しても良いものか、と疑問を持つこと。ただそれだけだった。
 どうしようもないジレンマが、若いヴェイルの胸を苛むのだった。




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