■二人っきりの処刑者





 やっぱりここの紅茶っておいしい。
 ボクは一週間前のゼテオのように、喫茶店を兼ねた仕事斡旋所でお茶しながら仕事情報誌に目を通していた。別にあの時飲んだミルクティーの味が忘れられなかった、というわけじゃないので悪しからず。っていうかその程度の理由ならむしろ良かったんだけどね。平和的でさ。
 何をしているのかって、そりゃもちろん仕事探し。困ったことに普通に仕事がないのだ。何でかって言えば、それは間違いなくボクのせいなんだけど。
 予想はしていたけど、案の定ボクがいるとゼテオの仕事は上手くいかなかった。そりゃそうだよね。『水晶機関』から逃げ出してもう二週間が経過しているし、ボクが『水晶機関』を抜け出したっていう情報はきっと世界中を飛び回っているんだろう。だからあんなにもボクの捕獲や殺害を目的とした人達が殺到してくるのだ。そうとしか考えられない。
 かと言ってボクがゼテオと離れて行動するなんて有り得ないことだ。彼がいなければボクはすぐに捕まるか殺されるかされるだろうし、逆に世話になっているからにはちゃんと恩返しがしたい。……まぁ、恩返しがしたいんなら仕事の邪魔をするな、ってゼテオが言うのは目に見えてるんだけどね。ジレンマだよ、まったく。それにボクはどれだけ未来を見通せると言っても、場合によってはその直後に倒れてしまう。だからフェアリーアイ≠生かしつつ敵から逃げるためにはやはりゼテオが必要なんだ。言うなればボクが『目』で、ゼテオが『足』って感じ?
 それにしても、だよ。ボクは無感動に仕事情報誌をめくりながら思う。
 我が儘なようだけど、ボクとしてはもっと自由を満喫したいのだ。そりゃあ『水晶機関』にいた頃と比べたら天と地ほどの差があるよ? 自由万歳! シャバの空気はうまいなー! みたいな。シャバってどういう意味かよく知らないけど。とにかく昔の不自由さに比べたら、ここは天国だ。サングラスを忘れちゃいけないけど、外に出て見知らぬ人と言葉を交わすことができる。好きな時に食事をして、ジュースを飲んで、雑誌を読んで。気ままな生活を送ることが出来る。襲撃とか抜きにしたらね。まさか毎日のように来るとは予想だにしてなかったけど。あ、ちなみにフェアリーアイ≠ナわからなかったのか、って突っ込みはなし。だってフェアリーアイ≠ヘボクが視たいと望んだもの以外は基本的に視せないものだから。だからボクが推測していないことは、余程のことじゃない限りフェアリーアイ≠燻ゥ動的には教えてくれないし、基本的に自分で思いついて調べなければならないんだよ。
 そういえばゼテオもこんな事を言っていたっけ。
「お前な、なんでそのフェアリーアイ≠もっと有効活用しないんだ。襲撃される未来を先読みしたら、前もって手が打てるだろうが。こう毎日続くんじゃやってらんねぇぞ。いつどこに誰が来るとか、そういうのはわかんねぇのか?」
 そういった事はいつか言われるかなー、とは思っていたけどね。やっぱりみんな同じようなこと考えるんだなぁ。世の中そんなに都合良く出来ていないんだってば。
「わかんない。無理。不可能。有り得ない」
 黒い毛並みの金目の狼さんは、むすっ、として、
「何でだ」
 と聞くもんだから、ボクはわかりやすく噛み砕いて説明することにした。
「あのね、『アカシックレコード』とか『賢者の石』って例えるなら百億ページ以上ある辞書か情報誌かって感じなんだよ? そりゃこの世の全てが書いてあるのかもしれないけど、ボクの頭蓋骨の中に入ってるのは残念ながら普通の脳みそなの。だからいくら何でも全部は読めないし、何かを読もうと思ったら百億ページって言うか無限にある情報の中から一生懸命探さないといけないの。それがどれだけ大変かわかってくれるよね?」
 そりゃたまに適当にパラパラめくっていたら目に入った、という感じで視える情報や未来もあるさ。でもそんなのは本当に稀だから、この場合は割愛してよし。
「それに、何もかも全部が視えるわけじゃないんだよ。ちゃんと制限だってあるし。視たくても視えないものだってあるんだよ。どういう法則になっているかはわからないんだけどね。つまり何が言いたいかって言うと、フェアリーアイ≠ヘ万能じゃないって事。勘違いしちゃダメだよ。この力はボク自身にとっても未知の塊なんだ。出来ることはちゃんとやるけど、出来ないことは本当に出来ないから、悪いけど期待しすぎないで欲しい。というわけで襲撃の予想は基本的に無理。探してもいいけど多分、見つけるまでに襲われると思う。これって本末転倒でしょ?」
 ついでに言うとフェアリーアイ≠多用したり、希望した未来を呼び寄せたりするとボクの脳は一時的に活動を停止する。つまり眠っちゃうってこと。今のところ戦闘中にそうなったことはないけど、実際なってしまったら本気で洒落にならない事態になると思う。足手まといっていうか、むしろそこでゲームオーバー? それぐらいのレベルだよね。
 だからまぁ、ボクとしてはフェアリーアイ≠ェ本能的に教えてくれる警報を基本ベースにして。それ以外では、十秒後とか一分後とか短い間隔で未来の可能性を拾いつつ、ゼテオの補佐に徹する──ってのがいいかなと思ってたりするんだけど。……ダメかな?
 いや話がずれたけど、とにかくボクはもっともっと自由を楽しみたいのだ。これは多分……じゃなくて間違いなく『水晶機関』にずっと軟禁されていた反動だと思うんだけど。
 正直言うと、この街、この国を出て旅をしたい。でもゼテオは反対するんだよね。そりゃこれは我が儘だけど、なんでダメなのか理由ぐらい教えてくれたっていいと思う。
「ねえ、この国よりもっと住みやすい国ってないの?」
 とボクが言う。言外に、旅に出よう、と要求しているのだ。これに対してゼテオは鬱陶しそうに、
「知らん。知りたかったら自分で調べろ。行きたかったから勝手に行け」
 などと言う。ひどい話だよ。ボクなんてゼテオがいなきゃすぐアレスくんあたりに連れ戻されるって知っているくせに。最悪、誰かに殺されるかもしれないっていうのに。いや、わかって言ってるんだ、きっと。どうせボクは一人で行けないって知ってて冷たい態度をとっているんだ。有り得ないよ。
 やっぱりろくでもない男だと思う。ゼテオ・ジンデルという人は。だから恋人もいないんだよ。ふん。
 でも、どうもゼテオがこの国のこの街に住み続けているのは、何か理由があるみたいだった。本人は口にしないけど、何となく態度や雰囲気からわかる。まぁ、ボクの勘違いでなければ、だけど。
 時折、遠い目をするし、不意に黙り込むことがある。それは決まって〈エクステンド〉の話や、エーテルの話になった時だ。あるいは、街中で燃えるように赤い髪の女の人を見た時なんかも、妙な感じになる。咄嗟に何かを言いかけて──名前を呼びかけて、かも──でもやっぱり口を噤んで、溜息をついて、何でもない振りをしたり。
 すごく怪しい。きっと、あの時ボクに水の入ったボトルを投げつけるほど怒った『過去』と関係あるんだろうな。すごく興味はあるけど、やっぱり勝手に視ることは出来ないし。ちょっともやもやする感じだ。
 だって、すごくつらそうなんだもの。ゼテオは基本的に優しくないし、他人に全然心を開かない。傍にいればいるほど、彼が張り巡らせている心の壁がよくわかる。
 ゼテオは他人を拒絶する。
 ボクは仕事情報誌から顔を上げて、前方に視線を向けた。そこにはどんな私情もシャットダウンする、黒いジャケットの背中がある。
 この構図がお解りいただけるかな? つまりゼテオは今この瞬間も、ボクという相棒がいながら、違うテーブルに座っているのである。しかもボクに背を向けて。
 有り得ないでしょ。こんなの普通ないでしょ。もうね、アホかと。バカかと。お前はそんなにボクが恐いのかと。問い詰めたい。小一時間は問い詰めたい。ただ単にクールでハードボイルドなロンリーウルフを気取りたいだけじゃないのかと。
 出会った時からそうだったけど、何を考えているのかがさっぱりわからない。明らかに一般人とは感覚が違うんだよ。これって傭兵だから? ううん、違うはず。ゼテオが特別なんだよ。何があったのか知らないけどさ、ここまで徹底的に人間関係を遠ざける人って珍しくない? まぁボクだって『水晶機関』にずっと軟禁されていて、そんなに人付き合いが多い方じゃなかったけどさ。でもやっぱり異常だと思う。賭けてもいい。世界中どこを探したって、ここまで無愛想な人間はそうそう見つからないはず。単にボクの経験が足りないだけ、というのは関係無しでね。
 だってさ、もしこれがアレスくんだったとしようよ。きっと彼だったら、見知らぬ訳あり美少女が「助けて、相棒にして」とか言ってきたら、まず真っ先に事情を聞いてくれるに違いないんだ。でもって「それは大変でしたね。わかりました。お力になります」とかいう感じで話が進んでさ。これがアレスくんじゃなく他の人だったとしても、経過に多少の差はあれど全体の流れはそう変わらないと思う。最後には面倒見ちゃうでしょ、絶対。ここまでされて気にならない人っているの? っていうかボクなら絶対気になって眠れないね。だから助けちゃう。あくまで想像だけど。
 ゼテオのこれって、いわゆるトラウマという奴なんだろうか? 昔、たちの悪い女に騙されたとか、そんな感じだろうか? それならフェアリーアイ≠ナ視られたくないのもわかる気がする。人付き合いが嫌いなのも理解できるさ。だって恥ずかしいし、恐いもんね。
 そう、人を遠ざける理由って何だろう。それを考えると、一つの答えが出てくる。
 裏切られるのが恐い。これだと思う。詳しいことはわからないけど、きっとゼテオは昔、誰かに裏切られたんだ。だから誰も信じないし、たぶん信じられないんだと思う。
 それが原因でエーテルが出なくなった、というのも考えられる。
 エーテルストライカーの操るエーテルはその心を表す、ってのはよくいう話だ。事実なのか迷信なのかはわからないけど。ただエーテルという元素はまだほとんど解明されていないから、しっかりした根拠はないと思う。でも、それを示唆する話が多いのもまた事実だ。
 好戦的なエーテルストライカーのエーテル色には赤っぽいのが多いし、物静かな人だったら青や緑が多い。もちろん例外はあるけど、基本的にはエーテルの色合いからその人の性格をある程度読み取れる傾向がある。
 ならエーテルが出なくなったゼテオの状態は、どういった心を反映しているっていうのか? つまりはそういうこと。
 エーテルが出ないって事は、心を開いていないってことじゃないだろうか。
 誰に対しても、何に対しても心を開かないから。心の毛穴という毛穴すら閉じて丸くなっているから。
 エーテルが出ないのだとすれば。
 それはとても悲しいことだと思う。なんでそこまで心を塞がないといけないのか、って思うから。尋常じゃない話だよ。病は気から、って言うけどさ。エーテルストライカーがエーテル出なくなるほど心を閉じてしまうなんて、どれだけ鬱屈した精神状態なんだろうか。
 ボクならそんなの耐えられそうにないと思う。
 今、ボクに背を向けて座りながらコーヒーをすすっている人は、体内に荒れ果てた砂漠を持っている。これっぽっちの潤いもなく、それを求めることもなく、いつもカラカラに乾いたままの心を。
 何とかしてあげたい、と思うのはボクの驕りだろう。だって今は、ボクの方がゼテオに助けてもらっている状況なのだから。
 ボクは無力だ。不意にそう痛感する。ボクはフェアリーアイ≠ナ未来も過去も視通し、場合によっては未来を選択することができる。本来なら知り得ないことを知ることができるし、不幸や危険を事前に察知することができる。
 だけど、それだけだ。
 自分は救えても、他の誰も救えない。
 この力は、そういうものなのだ。
「……はぁ……」
 胸の奥から込み上げてきた重い気分を溜息にして吐き出す。鉛のような吐息が仕事情報誌に落ちた。
 結局、ボクには何も出来ないのだ。願うだけは何も起こらないし、口先だけじゃ何も変えられない。そんなことでは、もっともっと自由を満喫したいなどと我が儘は言えないし、渇いた人の心を癒してやることも出来ない。結局、仕事情報誌からゼテオ向きの仕事を見つけ出して、せいぜい邪魔にならないようにすることぐらいなんだ。ボクに出来る事なんて。
 落ち込むなって言うのは無理な話。夢のない現実に、ボクは片肘をついて失望するしかない。
 マテリア・オールブライト、十六歳の春。何が悲しくてむさい男の背中を見せつけられながら、傭兵などという殺伐とした仕事の情報を探さなければならないのか。
 同じ年頃の普通の女の子は、もっときっと自由で楽しい生活を送っているんだろうなぁ。友達と他愛のないお喋りをしたり、一緒に買い物に行ったり、学校へ行ったり、男の子と遊びに行ったりなんかしちゃったりして、彼氏がどうとか好きとか嫌いとかキスとか、青春しちゃってんだろうなぁ。
 今度は羨望の溜息が生まれる。
 その時だった。

 エルザリオンとベルゼリオン。戦闘。火炎と雷撃。破壊された喫茶店の内部。

 一連の映像がボクのフェアリーアイ≠ノフラッシュバックした。
「──!?」
 背筋に電流が走る。思わず息を呑むと、椅子を蹴って立ち上がった。
 突然沸き起こった音に、店内の人達が驚いて静まりかえる。視線の束がボクに集中した。一部の人達はなにやらヒソヒソと言っているようだけど、ボクの耳には入らない。早鐘のような心臓の鼓動が、ボクの頭の中を支配していたから。
「ん……?」
 他の人達より一拍遅れてゼテオが首を回してこちらに振り返った。なんだか面倒くさそうな顔付きだ。それどころじゃないっていうのに。
「まずい……!」
 ボクはその顔に向かって斬り付けるように言い切った。ぴくり、とゼテオの眉が跳ね上がる。ボクの緊迫感にようやく気付いてくれたらしい。ボクはすかさず追い打ちをかける。
「まずいよ、ゼテオ!」
「何か見えたのか?」
 鋭く聞き返してくるゼテオ。今度は身体ごと振り返った。周囲の人達は呆然とボク達を注視しているが、そんなのは無視だ。鬱陶しい。
 ボクの顔はきっと真っ青になっていただろう。それぐらい、今視た映像は衝撃的だった。
 よりによってあの双子。エルザとベルゼが来るなんて。
「最悪の奴らが来るんだ、もうすぐ! やばいよ、早く逃げた方がいい!」
 焦燥感で胸の内側を炙られているような気分だった。ボクが知る限り、『水晶機関』は最悪のカードを切ってきた。それをすぐに信じることは出来なかった。だって、こないだはアレスくんがボクを連れ戻そうとしていたはずでしょ!? 今だけはフェアリーアイ≠フ力が信じられない、いや、信じたくなかった。
「どうして、こんな……!? 有り得ないよ……!」
「おい、落ち着け。場所変えるぞ。どこがいい?」
 ゼテオが椅子から立ってボクの所まで来た。ボクは驚きのあまりクラクラしてきた頭を支えながら、喉の渇きを覚えてティーカップを鷲掴みにした。少し冷めたミルクティーを一気に飲み干すと、少し気分が落ち着いた。
「……ここじゃない所。ここが一番まずいんだ」
「わかった。行くぞ」
 ゼテオは手にしていた仕事情報誌を丸めてジャケットのポケットに突っ込むと、そのまま出入り口へと歩き出した。ボクもついていこうと思ったけど、手に持ったままだった空のティーカップに気付いて、
「あ、食器返却……」
「それどころじゃねえだろ。ほっとけ。急ぐぞ」
「う、うんっ」
 ゼテオの声に手を引かれるようにしてボクも歩き出した。ティーカップはもちろんテーブルに置いて行く。セルフサービスだから本当は返却しないといけないんだけど、ゼテオの言うとおり今はそれどころじゃなかった。
 わずかな良心の呵責を得ながら喫茶店兼仕事斡旋所を出る。
 石畳の大通りをゼテオと並んで足早に歩きながら、
「で、何を視た?」
 ゼテオの質問に、ボクはいつの間にか口の中に溜まっていた唾を飲み下してから答えた。
「エルザリオンとベルゼリオンっていう双子の兄妹。『水晶機関』の〈エクステンド〉なんだけど……」
「またか。アレスの代わりか何かか、そいつらは」
「それどころじゃないよっ」
 溜息混じりのゼテオの台詞を、ボクはぴしゃりと叩き付けた。そう、冗談抜きでそれどころじゃないんだ。
「アレスくんがエーテルストライカーを保護する人なら、エルザとベルゼは……」
 口内の唾液を呑み込んだら、今度はからからに乾いてしまっていた。喉が張り付いて、ボクはちょっと咳き込む。それから、
「……エーテルストライカーを殺すのが仕事なんだ。だから、つまり、その」
 言い淀む。言ってしまえば確定してしまうような気がして、これ以上は舌が動いてくれなかった。それを、
「ってことは『水晶機関』はお前を殺すことにした、ってことか」
「うぐっ……」
 ゼテオが言っちゃった。どうしようもないことだけど、ボクは思わず拳をぐっと握る。
「人が折角敢えて言わなかったのに……! バカ、無神経、ゼテオ・ジンデル……!」
「お前な、人の名前を悪口扱いするのいい加減にしとけ」
 呆れ声のゼテオ。もう何度も同じやりとりをしているから当たり前なんだけど、それならそれで少しは自分の悪いところを見つめ直したらどうなんだよ、って感じだ。
「でも、有り得ないよ。だって、『水晶機関』はあんなにもボクを重宝していたんだよ? ミクロな観点からだったらさほど有効な力じゃないけど、マクロ的に見れば世界を揺るがすに足る力だって。だから回収するのにアレスくんまで出してたはずなんだ」
 フェアリーアイ≠ヘボク一人だけが使う分には、明日の天気を予知するとかそういうことでしか役に立たない。だけどこの力を国や組織のために使ったらどうなるか。前述したように、国の存亡といったスケールにまで効果が増大するんだ。使い方によっては〈エクステンド〉の中でも屈指の威力を誇る、まさしく情報兵器だ、って言っているのを聞いたことがある。
 そんな貴重な物をそう簡単に諦められるんだろうか?
「だからだろうが。何言ってんだお前は」
「え?」
 当たり前のように言うゼテオに、ボクは思わず振り向いた。ボクとゼテオは頭二つ……いや、三つ分ぐらい身長が違うから、自然と見上げる形になってしまう。ちょっと歩きづらい。
「お前の力はどう考えても危険だろ。そんなもの回収出来ずに放置しておいて、他の奴らに利用されたら大変だろうが。お前、強力な兵器が敵側の手に落ちようとしていたら普通どうする? 奪われるぐらいならいっそ、って思わないか?」
「あ……」
 その言葉は吸い込まれるようにボクの奥まで浸透した。ゼテオの言った意味を、あっさり理解してしまう。
 足が止まった。
「そっか……」
 そういうことだったんだ。
 奪われるぐらいなら、いっそ壊してしまえ。そういうことだったんだ。
 なるほど。理屈ではすごい納得できる話だ。
 あくまで、理屈では。
「そうだったんだ……」
 石畳の灰色が視界に入る。気が付けば、ボクは俯いていた。
 見捨てられた──そんな思いが胸の中を蚕食していた。
「……おい」
 前方からゼテオの声が聞こえたけど無視する。
 そりゃあ、勝手に出て行ったのはボクの方だ。文句を言う権利なんてどこにもない。自業自得もいいところだ。ボクはエーテルストライカーで〈エクステンド〉で、自分の能力がどれだけの価値を持っているかも十分理解している。だから、悪いのはボクの方だと思う。
 だけど。
「おい」
 再度ゼテオの声が聞こえたけどこれも無視する。
 だけど、何も殺そうとすることはないじゃないか。逃げ出す前は、あんなに良くしてくれたじゃないか。軟禁状態だったけど、それでも十分暖かくて、ボクも自分の家みたい思っていたのに。飛び出したボクが悪いにしても、これはちょっとひどすぎる。
「おいこら」
 ゼテオは無視。
 何なんだよ、急に手の平返しちゃってさ。あ、なんか普通に腹が立ってきた。そりゃ逃げ出したりしたさ、だって退屈だったんだから。そんなのあっちが悪いんじゃないか。第一、エーテルストライカーとか〈エクステンド〉とか言う前にボクはボクじゃないか。自由の権利があるじゃないか。それを何さ、大人しく従わない上に他の奴にとられたら困るから殺すって? ふざけてるにも程がある。
「聞いてんのか、おい」
 無視。
 しかも送られてくるのがエルザリオンとベルゼリオン、『二人っきりの処刑者』だなんてもう最低だ。当てつけとしか思えない。『水晶機関』にいる〈エクステンド〉はボクとアレスくんとエルザとベルゼの四人だけど、あの双子は随一の嫌われ者なのだ。しかもボクの天敵。見た目は子供のくせに歳だけは喰っていて喋り方は妙に老人臭い。二人だけでしか会話をしなくて、他人とは絶対に目を合わせて喋ったりしない。しかも言うことは嫌味ばっかりだ。その上、最凶最悪の殺し屋。もう何が嫌いかっていうと、ボクはその全てが嫌いだった。あの二人に関して良い思い出があった試しがないし、殺し屋っていう仕事を眉一つ動かさずにこなしている姿が心底気にくわない。それは『水晶機関』のお偉方もよく知っての通りだ。
 だから、絶対に負けない。負けてなんかやるものか。ボクを殺しに来るなら来てみろ。必ず返り討ちにしてくれる。
 ボクは思わず空に向かって叫んだ。
「くあ────────ッ! 腹立つ────────ッ!」
「やかましい」
 ごん、と頭が鈍く響いた。
「うべっ!?」
 いきなりの衝撃だったの思いっきり舌を噛んだ! うぐあっ! なにこれちょっ痛────────ッ!?
「──〜っ! ったいなぁ! なぁにすんのさぁっ!」
 目尻に涙を浮かべて頭を抑えながら、ボクは猛然と抗議する。いつの間にかゼテオが目の前に立って、拳を握っていた。
「だったらさっさと返事しろ! 立ち止まってる場合じゃねえだろ何やってんだ!」
 いつの間に取り出したんだろうか、ゼテオの顔にはサングラスがかかっていた。一応は変装しているつもりらしい。意味ないと思うけど。
「うるさいなぁ! ボクにだって色々あるんだよ!」
 がー、と噛み付く。少しは年頃の女の子の、心の機微って奴を感じ取って欲しい。こう見えたって落ち込むことぐらいあるんだ。
「あーそうかいそうかい。じゃあ好きにしな。俺は部屋に帰る。回収されるなり殺されるなり勝手にしろ」
 ゼテオはそう言って、くるりと背を向けると、ひらひらと手を振った。もう、すぐこれだ。どっちが子供なんだか。
「むう! 何だよそれ! 本っ当に優しくないなぁゼテオは! そんなんだからエーテルだって出なくなるんだよーだっ!」
 あっかんべー、と言ってやる。すると彼は、ぴたり、と立ち止まり、肩越しに一瞥を投げかけてくる。っていうか睨んでくる。ああ、怒ってるなぁ。まったく短気だなぁもう。
 と、その目が不意に見開かれた。ここ数日間、生活を共にしていたからわかる。あれは微かだけど、驚愕の反応だ。何で?
 いや、ゼテオの視線が行き着く先はボクじゃない。ボクを越えてもっと……後ろ?
 振り返った。すると、ボクも思いっきり吃驚した。そこには『水晶機関』の保護回収官の制服を着た男の人が立っていたのだ。しかも知っている顔だった。
 短いダークブラウンの髪の毛と、穏やかそうなラピスラズリの目。どことなく幸薄そうな顔立ち。
「ヴェイル……!?」
「ハワードさん……!?」
 ボクとゼテオの声が重なる。
「「ん?」」
 瞬間、ボクとゼテオは互いの顔を見合わせた。
 ボクの場合は「見つかった!」という驚きによるものだったんだけど、何故かゼテオまで緊迫した声を出していた。どういうことだろう?
 ヴェイルさんがこちらに気付く。
「あれ? もしかして……ゼテオ兄さん? あ、しかもマテリアさん!?」
 ばったり、という感じだったんだろう。ボクに気付いた途端、ハワードさんは驚愕の声をあげた。相変わらずベタな反応する人だなー、と思いつつ、
「え? ゼテオ兄さん……?」
 ボクはゼテオとハワードさんの顔を見比べる。
「え? なに? 二人とも、知り合い……なの?」
 無名の傭兵と『水晶機関』の保護回収官が、どうして? っていうか名字が違うけどもしかして兄弟!?
「お前、なんでそんな格好……」
 肩越しに振り返っていたゼテオが、ハワードさんに向かって身体も反転させる。その顔にはやっぱり、意外なものを見た、という表情がある。一方ハワードさんも、
「ゼテオ兄さん、どうしてマテリアさんと一緒に……!?」
 と、こちらもかなり錯乱気味の様子だ。いや、ごめん、わけがわからないよ。そっちこそどうして知り合い同士なのさ?
 事情が知りたいんだけど、きっとゼテオの方から先に問いただすんだろうな。ボクかハワードさんのどちらかを。この状況ならそうするしかないだろうし。ゼテオってほら、無神経で人に気を遣うってこと知らないんだもん。どうしたものだろう、このジレンマは。
 ちょっと意識を向けるとフェアリーアイ≠ノ数分後の未来が映った。
 喫茶店にいるボクとゼテオとハワードさん。はい決まり。


「ヴェイル・ハワードとは同じ孤児院出身のよしみだ」
 マテリアの奴がやけに知りたそうにしていたから、そう説明してやった。
 ヴェイルが相変わらず俺のことを「兄さん」などと呼ぶから、どうやら妙な勘違いをしていたらしい。
「なぁんだ……」
 と折角教えてやったのに残念そうな顔をしやがる。ぶん殴るぞ。
「ご無沙汰しています。ゼテオ兄さん。十年ぶりですね」
「ああ。もうそんなになるか」
 ゆっくり……というより、こっそりか。話をしたかったので、俺の知っている地味な喫茶店に場所を移した。裏街の片隅にある、ひどく目立たない古ぼけた店だ。そのためかメニューの値段は少々高いが、それだけに味も保証されている。
 マテリアの話だと「最悪の奴ら」が来るのはさっきの仕事斡旋所だったはずだから、ここにいれば問題はないだろう。まぁ、マテリアの話によれば、そういった対策すらも「未来は流動的だから絶対はないんだよ」となるらしいが。正味なところ、俺にはよくわからん。
 それより、ヴェイルにはいくつか聞きたいことがある上、逆に言わせてはならないことがある。あいつの名前をマテリアに聞かれたら、後で面倒なことになりかねないからな。
 だというのに、
「アシュリー姉さんが亡くなった後、すぐにゼテオ兄さんが失踪しましたからね。よく憶えているんですよ」
 早速この馬鹿野郎は言ってはならない名前を出しやがった。どうして俺の周りの奴はこうなんだ? 人が言って欲しくないことに限って速攻で喋りやがって。止める暇も無かったわ。
「アシュリー?」
 予想通りマテリアがその名前に食い付く。最悪だ。神様よ、お前が本当にいるなら今すぐここに出てこい。ぶっ殺してやる。
「誰それ? ゼテオのお姉さん?」
「違う。ってかお前は黙ってろ」
「ぶー、何でさー」
「話がややこしくなるからだ。おいヴェイル、お前いつから『水晶機関』に入ったんだ?」
 ヴェイルが身につけているのは、白地に金の装飾が散りばめられた立派な『水晶機関』の制服だ。マテリアもこいつの顔を知っていたんだから、ヴェイルが『水晶機関』の人間であることは間違いないだろう。
 俺のいた孤児院には、他にもエーテルストライカーが二人いた。その中の一人がこのヴェイルだ。しかし、俺の記憶に間違いがなければ、こいつが『水晶機関』にいるはずがないのだ。
「お前、ガキの頃は『水晶機関』のこと嫌っていただろ。どういった心境の変化なんだ?」
 『水晶機関』は無差別にエーテルストライカーを誘拐している集団、というのが当時のヴェイルの認識だったはずだ。友達が無理矢理連れて行かれたんだ、とひどく憤っていたのを憶えている。
 そう尋ねると、ヴェイルは照れくさそうに笑った。
「いやぁ、昔のことは勘弁して下さいよ。ただ単に、他の選択肢が無かっただけですよ。それに、あの頃の自分は『水晶機関』のことを誤解していましたしね。そんなに意外ですか?」
 いや全然。思わずそう言いかけて、俺は口を噤んだ。そうだ。別にこんな事が聞きたいんじゃない。だが、本当に聞きたいことはどうにも切り出しづらい。だから俺は取り繕うように、
「いや……ま、確かにそうだな。今の時代、エーテルストライカーがまともな生活をしようと思えば、『水晶機関』に保護されるのが一番だからな」
 これは俺の被害妄想だろうか。マテリアの視線が、ボクに教えてもらうまでそんなことも知らなかったくせに、と言っているように感じる。ほっとけ。
「いえいえ、ゼテオ兄さんみたいに『水晶機関』の保護を受けないで生活しているエーテルストライカーも多いんですよ? そっちの方が全然立派です。あ、そういえばゼテオ兄さんは、今は何を?」
 ヴェイルは俺がエーテルストライカーだった頃を知っている。その後、エーテルを扱えなくなったことは知らないが。
「しがない傭兵だ。大したもんじゃない」
 かといって別に教える必要がある事柄でもない。俺は嘘を言わずに、しかし適当に流した。マテリアの視線が気になるが、これは無視する。
「それより今日は、何だ、このクソガキを連れ戻しに来たのか? 子守が仕事なんざ『水晶機関』も大変だな」
 笑顔を取り繕って俺は言った。我ながら挙動不審な話の振り方だな、と苦々しく思う。だから違うんだ。俺が聞きたいのはこんな事ではない。
「え……?」
 だが意外にも、俺の質問に少し驚いたようにして、ヴェイルは俺の隣に座っているマテリアに目を向けた。その仕草と目の動きからは、妙な動揺が見て取れる。
「あ、ああ、そうですね。はい。実はマテリアさんを探しにこの街に戻ってきたんです。フォルスター保護官という方の情報を元手に」
「……そうか」
 こいつ、何か隠しているのか? まさか、こいつもマテリアの命を狙っているとか? いや、それにしては当のマテリア自身がまるで警戒していない。よほどヴェイルを信頼しているんだろう。フォルスター保護官──つまりアレス同様、そういう間柄というわけだ。まぁ確かに、こいつに女子供を殺すなんてこと出来るはずないと思うが。
 それより本題だ。そろそろ意を決して切り出さなければならないだろう。
「そういえばな、あれからどうだった?」
「あれから?」
 突然すぎただろうか。ヴェイルが要領を得ない顔をする。俺は言葉を選びながら、
「その……俺がいなくなってから、だ。黙って出て行っちまったからな。どうにも気まずくてよ、あれから全然戻ってねぇんだ。みんな、元気にしてるのか?」
 みんな、とはもちろん俺とヴェイルが幼少時代を過ごした孤児院の連中のことだ。確か施設の名前は、聖マルグレーヌ教会、だっただろうか。思い返せば、シスター達には随分と迷惑をかけてしまったものだ。我ながらあの頃はやんちゃだったからな。今では俺も丸くなったものだが。
 いや、シスター達だけじゃない。もっと世話をかけた奴がいる。
 アシュリー。長い、燃える炎のような赤毛の女。
 俺と同い年だった。だって言うのに年上ぶった物言いばかりする奴で、いつも俺に小言ばかり言っていた気がする。今ではもう、俺の方が遙かに年上なってしまったが。
 忘れられない女だ。他でもない、俺が虹色のエーテルを放ち、そしてエーテルストライカーでなくなる原因となった女なのだから。
 ヴェイルは俺の言葉に得心したように頷き、
「ああ、なるほど。いや、そりゃあもうグランマもシスター・ルイナもものすごく心配していましたよ? あんな事があった後でしたから、余計にね。あ、でもテイルズさんだけは『彼ももう十六歳だ。きっと哀しみを乗り越えて、強く生きていくだろう』とか言ってましたけど」
「へぇ、ゼテオって十六歳の時に飛び出したんだ。で、あんな事ってどんな事?」
「だからお前は黙ってろ」
 身を乗り出してきたマテリアの首根っこを押さえ付ける。しまった、やぶ蛇だったかもしれない。孤児院の連中の話になると、どうあってもアシュリーの名前が出てくるような気がする。
「それにしても、どうしてゼテオ兄さんは出て行ってしまったんですか? やっぱり……アシュリー姉さんのことが原因ですか……?」
 ほらな。一番聞かれたくないことを聞かれてしまう。我ながら墓穴を掘ってしまったものだ。仕方ない。ここも適当に流すか。
「そんなんじゃねえよ。アシュリーのことは別に関係ない。ただ単に、俺もあの頃は若かっただけって話だ。色々と煩わしかったし、口うるさい奴もいなくなって張り合いが無くなったからな。ついでに飛び出すか──ってな」
 大嘘だ。わかっている。これはわざとらしすぎる。それぐらい真っ赤な嘘だ。
 ヴェイルとてこんな嘘に騙されることはないだろう。俺とアシュリーのことはこいつだってよく知っているはずだからな。だが、騙されたふりをしてくれるだけでいい。それでいいんだ。
「ふぅぅぅん」
 だってのにこの小娘は。人の隣でやけに意味深な声を出しやがる。嫌がらせか? ったく、何も知らねぇくせに。
 じろり、と横目でマテリアを睨め付ける。余計なことは言うな、という合図だ。それに気付いたマテリアは、ぴょこ、と首を竦めてみせる。
 そんな俺たちのやりとりを見ていたヴェイルは、はは、と笑って、
「まぁ、ゼテオ兄さんもたまには顔を出してみたらどうですか? 自分も半年に一度はグランマやシスターに会っているんですが、今でもたまにゼテオ兄さんの名前が出てきますから、きっと会いたがっていると思いますよ?」
 そりゃありがたいことだ。だが、顔を合わせたら俺が口にするのは謝罪の言葉ばかりになりそうだな。それはあんまり好ましくない。遠慮しておこう。
「ま、その内にな。とりあえず元気そうで安心した。それが聞けただけでも十分だ」
 俺は適当に流した。昔なじみと久しぶりに会いたい気持ちもあるが、それ以上にばつの悪さを感じる。迷惑をかけた分、彼ら彼女らには今でも元気でやっていて欲しい。だが、会ったら会ったであれやこれやと昔の苦情をぶつけられそうで、それが恐い。
 それに未だ、俺はアシュリーの墓前に持って行く顔の持ち合わせがない。
 ジレンマだな、こりゃ。

 さて、自分は何をしているのか。
 ヴェイルは自問する。
 厄介なことになった、と思う。対象であるマテリアを発見したはいいが、一緒に懐かしい昔なじみのゼテオがくっついていた。
 本来ならばエルザリオンとベルゼリオンに連絡をとらなければならない。だが、そうするとゼテオまで巻き込んでしまう。だというのに、気が付けば喫茶店で一緒に茶を飲んでいるではないか。何をしているのだ、自分は。
 ゼテオに、古巣に戻ってみてはどうか、などと勧めている場合ではなかろうに。
 そもそも、どうしてこの二人が一緒にいるのか。それを聞かなければならない。大した関係でなければいいんだが。
「ところで、ゼテオ兄さんとマテリアさんはお知り合いだったんですか?」
 何気なさを装って探りを入れてみる。すると二人は互いに顔を見合わせ、一瞬、視線だけで会話した。
「えっとね、実は……」
 口を開いたのはマテリアだった。彼女は大雑把にだが、事情を説明してくれる。
 どうやら一週間ほど前から、たまたま偶然、この街で知り合ったゼテオの元で世話になっているらしい。しかも今となっては仕事上の相棒だという。
 これは厳しい。想像していたよりも随分と親密な仲ではないか。しかも何だ、さっきのアイコンタクトは。こうなると最悪、マテリアを処分した後、ゼテオがそのことで激高する可能性がある。そうなったらあの双子のことだ。遠慮無く邪魔者としてゼテオまで処分してしまうだろう。
「で、ハワードさんには悪いんだけど、ボク帰らないからね。アレスくんにも言ったんだけどさ」
 毅然とした声でマテリアが言う。サングラスで隠れているため表情はよくわからないが、どうにも怒っているように見えた。
 もしかすると、こちらの目的に気付いているのか? いや、落ち着け。今さっき彼女は「帰らない」と言ったばかりではないか。例えフェアリーアイ≠ニ言えど万能ではない。その事をヴェイルは知っている。まだ自分と『二人っきりの処刑者』がマテリアの命を狙っていることは、悟られていないはずだ。彼女は今でも自分を「連れ戻しに来た保護回収官」だと思っている。
 マテリアの言葉に、ヴェイルはいつものように困ったような笑みを浮かべ、片手で後頭部を掻きながら
「いやぁ、困りましたねぇ。どうしましょうか? あっはははっ」
 笑って誤魔化すのは得意だ。逆に言えば、こんな性格だからあの最悪な双子を押しつけられたのかもしれない。ヴェイルは頼まれ事を断るのが苦手だった。
「だからすぐに帰って、偉い人達にそう伝えてよ。ボクはただ自由に生きたいだけなんだ、って。エルザとベルゼなんて送ってこないでってさ」
「……!」
 ぎくり、と笑顔が凍り付いた。胸の内側に霜が降りる。
 しまった、もう既にフェアリーアイ≠ナ知っていたのか。とすると、さっきの「帰らないから」はフェイントだったのか。最悪だ、しくじってしまった。
「…………」
 マテリアがこちらを強く睨んでいるのがわかる。サングラスを越えて、怒りの視線がヴェイルの頬に突き刺さっていた。そんな彼女の隣では、ゼテオが悠然とコーヒーカップに口をつけながら、冷静な目でこちらを見ている。そうか、先程のアイコンタクトはそういう意味だったのか。
 こんな時、何と言えばいいのか。どうせ何を言っても言い訳にしかならないだろう。場合によっては、自分が今ここで殺される可能性だってある。こちらが命を狙っているのだ。あちらにもこちらを殺す権利と必要がある。そうしなければ、あちらも平穏を得ることが出来ないのだから。
 喉が干上がり、全身が熱くなって嫌な汗が噴き出した。頭の中が真っ白になって、何を言うべきか、何をするべきかがわからない。弾劾裁判の被告人席に座らされたような気分だった。
 しかし。
「実はもう来ているはずなんだ、エルザとベルゼがこの街に。ハワードさんは知らないと思うけど、ボクのフェアリーアイ≠ナ得た情報だから確実だよ。だからさ、ハワードさんがすぐに『水晶機関』に戻ってボクの言葉を伝えてくれない? 上層部から任務中止の命令が出たら、あの二人だって帰ると思うんだ」
 マテリアの言葉には、妙な違和感があった。ヴェイルは必死になってその特定を急いだ。そう、マテリアの言っていることには致命的な穴があいている。
 気付いた。
 マテリアの頭の中では、彼女を殺しに来た連中の中に自分が入っていないのだ。
 マテリアは、自分を『処分』しにやってきたのがエルザとベルゼの二人だけだと思っている。おそらくフェアリーアイ≠ナ視た未来の中に、自分が写っていなかったのだろう。だからこんな間抜けな願い事を自分にしているのだ。
 そうわかった途端、安堵するのと同時に、心臓に鋭い痛みが走った。
 この〈エクステンド〉の少女とは、以前からの顔見知りだ。雑用を任せられることが多いヴェイルは何度か彼女の部屋まで食事を運んでいったことがある。その際に会話を交わしたことがあり、彼女とは互いの名前、年齢ぐらいは知っている間柄だった。いや、逆に言えばただそれだけの関係でしかない。
 だが、信頼されている。その事実を受け止めた時、ヴェイルの心が確実に軋みをあげた。
 この街へ来るまでにさんざん自分へ言い聞かせてきたはずだった。自分は、〈エクステンド〉の少女を殺すのだと。いや、正確には殺すための補佐をするのがヴェイルの仕事だったが、そんな差異など関係なかった。間接的だろうが直接的だろうが、どちらにせよ自分はマテリアを殺すために動くのである。そんな細かな違いで罪の重さが変わるとは思えなかった。
「ハワードさんがボクを連れて帰らないと怒られるのはわかってるよ? でも、ボクとしても絶対戻るわけにはいかないんだ。だって折角手にした自由だもん。ハワードさんなら知ってるよね? ボクがどんな生活してたか」
 知っている。最高級ホテルのスイートルームより豪華な部屋に、しかし一人きりで閉じ込められていた。食事を持って行った際に、話し相手になって、と言葉を交わした少女は、明らかに他者との接触に飢えていた。そして『自由』に不自由していたのだ。
 異能の瞳を持つ〈エクステンド〉ゆえの境遇。何もしていないが、ただ『そういう存在』であるがために外の世界から隔離されていた。
 そんな少女を、自分は殺そうとしている。本人を目の前にしてそう考えた途端、精神が凄まじいまでの拒否反応をあげはじめた。
 正しいのか、それは。
 否。正しいはずがない。だが、自分にはそれを変えるだけの力も権限もない。エーテルストライカーとは言え、エルザリオンやベルゼリオン、アレス・フォルスターと比べれば自分の力など路傍の石ころも同然だった。何も出来るはずがない。
 だからといって、見過ごして良いのか。このままあの双子にマテリアの居場所を連絡して、殺させて良いのか。見過ごせば、マテリアは殺され、ヴェイルは心に重い罪を背負うことになるだろう。見過ごさなければ、任務放棄として『水晶機関』から処罰を受けるか、あるいは追放されるか。最悪、ヴェイル自身があの双子に殺されることになるだろう。
 どちらも嫌だった。選びようがない二者択一のジレンマに、ヴェイルは両手を握りしめる。
「……? どうしたヴェイル?」
「ハワードさん……? 変な顔してるよ?」
「えっ?」
 ゼテオとマテリアの声でヴェイルは我に返った。気付けば、返事もせずに硬直していたらしい。二人が怪訝そうにこちらを見ている。
「あ、いえ、大丈夫です。えー……そうですね」
 適当に言い繕いながら、なおも考える。何か方法はないだろうか。この少女が殺されずに済み、ゼテオを巻き込むことなく、ヴェイル自身も安泰でいられる方法が。
「自分は下っ端もいいところですから、多分、聞いてはもらえないと思うんですが……」
「そこを何とか! お願いっ!」
 両手を合わせて頭を下げるマテリア。必死な様子、こちらを微塵も疑っていないその姿が、燗に障るほど胸に来る。やめて欲しい、自分はそうやって頭を下げされるほど立派な人間ではない。そこまで真剣にあなたのことを考えていなかった。自分は保身を第一に考える臆病者なのだ。フォルスター保護官のような人格者ではない。
 ──いや、待て。そうだ。方法がある。誰も死なずに済む方法が、一つだけ。簡単な事だ。ヒントは今までマテリアが出し続けてくれていた。
 そうだ。フォルスター保護官だ。彼がいる。彼ならエルザリオンとベルゼリオンとも渡り合える。そしてマテリアを連れ帰ることが出来る。
 そう、連れて帰ればいいのだ。
 そもそも『水晶機関』はマテリア・オールブライトの回収を諦めたがゆえに、他者が彼女を利用することを恐れて『処分』を決定したのだ。なら、連れ戻せばいい。そうすれば何もかもがふりだしに戻る。マテリアはまたあの孤独な部屋に閉じ込められることになるが、死んでしまうより遙かにましなはずだ。
 神の思し召しのように閃いた名案に、ヴェイルは身を震わせた。
「……そうか、その手があった……!」
「ぁん?」
「へっ?」
 突然、訳のわからないことを言い出したヴェイルに、ゼテオとマテリアはそれぞれの反応をする。ゼテオは眉根を寄せてしかめっ面を作り、マテリアはサングラスの内側で目をぱちくりさせて、惚けたように口を開けた。
 いつの間にか俯いていた顔を上げて、ヴェイルは居住まいを正した。
「実は、重大なお話しがあります」
「「?」」
 二人は訝しげな様子を崩さない。当然のことだ。だから気にせずヴェイルは続ける。
「自分がここへ来た理由はマテリアさんを見つけるためです」
「? うん、わかってるよ? ハワードさん保護回収官なんだから当たり前じゃないか」
 今更何言ってるの、とマテリアは返す。だが、違う。それは違うのだ。ヴェイルは大きく首を横に振った。
「いいえ、保護回収が目的ではありません」
「「!?」」
 そう言った瞬間、戦慄が二人の顔を駆け抜けた。全てを話す前に彼らはヴェイルの言わんとしていることを察したのだ。
「ヴェイル、お前、まさか」
「はい……」
 頷く。それだけで十分だった。マテリアが息を呑む音が聞こえる。
「ボクを……殺しに……!?」
 呟くような、かすれた声でマテリアは言う。その表情がサングラスで隠れていることを、ヴェイルは神に感謝した。自分に今の彼女の顔が直視出来るとは思えなかった。
「……自分の役目はエルザリオン執行官、ベルゼリオン執行官の補佐です。あなたを見つけ次第、報告する義務があります……!」
 自らの罪咎を吐露するというのはこれが生まれて初めてかもしれない、とヴェイルは思う。こんなに苦々しく、つらいものだとは思わなかった。一言一言を放つごとに、針のむしろに座っているような感覚が強くなっていく。罪悪感で身体が破裂してしまいそうだった。
 重苦しい沈黙が降りる。だが、ヴェイルにはまだ言わなければならないことがあった。顔を上げ、真摯な瞳でマテリアを見据える。
「自分と一緒に戻って下さい、マテリアさん。そうすれば殺されることはありません。すぐに本部へ連絡を取り、両執行官には絶対に手出しさせません。この通りです! 自分と一緒に戻って下さい! 私はあなたを殺す手伝いはしたくない!」
 テーブルに額をぶつける勢いでヴェイルは頭を垂れた。額の肉と木のテーブルが接触し、がたん、と音を立てる。
 幸い、店内には店主以外に人はいなかったため、周囲の視線などは気にならなかった。
 マテリアは即答した。
「だめ」
 一瞬、彼女が何を言ったのかよくわからなかった。
「……は?」
 ばっ、と顔を上げて聞き返す。今、ヴェイルの望みを断ち切るような返答が聞こえたのだ。
 そこには真一文字に結ばれた、気の強い唇があった。
「だめ。戻らないし、帰らないし、引き返さない。ボクは絶対にもう保護って名目で閉じ込められたりしない。そのために殺されるかもしれなくても、それでもボクはもう不自由を選択したくないよ。ごめんね、ハワードさん。せっかくの申し出、気持ちは嬉しいんだけど……ボクは一緒には行けない」
 そして少女はサングラスを外す。現れた虹色のたゆたう不思議な瞳には、七つの色以外の輝きがあった。
 強い意志の光が宿っていた。
 それを見た瞬間にヴェイルは悟った。もうこの少女には微塵も未練がないのだ、と。むしろ、その代わりに不退転の意志が彼女を満たしているのだ、と。
 どれだけ言葉を重ねようとも揺らぎようのない意志を、ヴェイルは感じ取ってしまった。
「……!」
 自分の願いが拒絶されたことをヴェイルは知った。だが、それを理不尽だとは思わなかった。マテリアはその人生における重要な選択を、自らの意志を以て厳然と選び取ったのだ。何人がそれを責められるのか。例えいたとしても、それはヴェイル・ハワードではなかった。
 それでもなお、少女に降りかかる死を免れさせるため、ヴェイルは言葉を重ねようとした。ならばせめて、今からでも遠くの国へ逃げて欲しい、と。
 だが、それは叶わなかった。
 突然、マテリアが目を見開き、息を呑んだ。
 ゼテオの眼光が鋭く研ぎ澄まされ、その身体が椅子を蹴って立ち上がる。
 だが二人の視線はヴェイルではなく、その背後に注がれていた。
 刹那、嫌な予感がヴェイルの胸を貫く。
 マテリアがその名を口にした。
「エルザリオン、ベルゼリオン……!」

「マテリアと会うのは久しぶりね、ベルゼ。相変わらずバカっぽい顔をしているわ」
「そうじゃのう、エルザ。じゃが今はマテリアより前に処分するべき輩がおるじゃろう」
 一体いつの間に店へ入ってきたんだろうか。ハワードさんの背後に、幼い双子が立っていた。二人して長く伸ばした銀髪に、左右の目の色が異なる青と緑の金銀妖瞳が冷たく光る。『水晶機関』の制服の色を反転させたような、黒地に銀の装飾が所々に散りばめられた衣服。
 不吉なその姿はまさに『二人っきりの処刑者』の異名にふさわしいと思う。大っ嫌いだ。
 相変わらずお互い以外とは面と向かって話そうとしない双子に、ハワードさんが蒼白になった顔を振り向かせた。
「そんな、どうして……!?」
 声まで真っ青にしてハワードさんは呻くように言った。ボクも、どうして、と問いたい。どうやってここに来たというんだ、この二人は? 隣のゼテオからも刺々しい雰囲気が漂ってくる。彼も忽然と現れた二人に、並々ならぬ警戒心を抱いているようだった。
「どうしてもくそもないわよね、ベルゼ? あたし達、舐められてるのかしら。ただの付き人に心許すほど甘い態度を取っていたつもりはないんだけど」
「そういう問題ではないんじゃよ、エルザ。ただ、こやつはわしらを裏切っただけ。ただそれだけじゃ」
 エルザとベルゼは笑みを浮かべて、ボク達を爬虫類のような不気味な目で見つめている。その態度は子供としても、人としても異質なものだと思う。言葉をかけないということは、相手を認めないということだ。あの双子は、お互い以外の誰にも存在する価値を見いだしていないんだ。だから二人の間でしか会話が成り立たないのだ、きっと。いや、間違いない。
 不意にベルゼが右手を掲げた。その指先には小さな虹色の輝きがある。
「しかし、こやつも間が抜けておる。わしの文字に気付かんとはな。まぁ、そのためにバカを付き人にしてもらったんのだから、当然と言えば当然かのう、エルザ?」
 くくっ、と楽しげにベルゼは言う。
「……なっ!?」
 その台詞を聞いて、ハワードさんが慌てて立ち上がり、その場でぐるぐると回転しながら自分の身体を確かめた。
 ボクも詳しいことは知らないが、ベルゼの〈エクステンド〉としての特徴は『文字』だと聞いている。エーテルで文字を書き、それによって様々な事象を起こすらしいけど……
「あった……!」
 ハワードさんの上着の背中側、裾の裏側にその文字はあった。七色の光で、以心伝心、と書いてある。
「これは……!?」
「字も読めないバカみたいよ、ベルゼ?」
「こいつは救いようがないのう、エルザよ」
 双子は思いっきりハワードさんをバカにしている。そういう態度がボクは心底気にくわない。一体何様のつもりなんだろうか、こいつらは。
「つまり、ヴェイルの考えていたことが全部お前に筒抜けだったってことか?」
 ゼテオがいつものように無愛想な声でベルゼに話しかける。彼にはあの文字の意味がわかったらしい。ちなみにボクにはさっぱりわからない。勉強は嫌いだもん。
「以心伝心。確か、言葉にしなくても心が通じる……って意味だよな?」
 へぇ、そういう意味だったのか。ということは……どういうことだろう?
 ボクはフェアリーアイ≠使う。『アカシックレコード』『賢者の石』と呼ばれる『情報の源泉』に働きかければ、ボクにわからないことはない。まあ、その知識を理解出来るかどうかはボク次第だが。
 情報はすぐに見つかった。知識が頭の中に染みこんだように、ボクはそのことを理解する。
 ベルゼの能力は、指先に灯る虹色の光で書いた『文字』の意味を、そのまま現実化させるというもの。
 例えば壁に『火』と書けば、その文字が燃え上がって炎になる──という感じだ。つまり『以心伝心』と書けば、書かれた人の心がベルゼの頭の中に流れ込む。なるほど、それなら納得だ。って、これってかなり厄介な能力じゃないのだろうか? もし身体に『死ね』って書かれたらどうなるんだろうか?
 さて勿論、あのベルゼがエルザ以外に返答するはずがないわけで。
「少しは賢しいサルがいるようじゃて。のぅ、エルザ」
「でも所詮はサルでしょう? 大したことないわよ、ベルゼ」
 あー、なんか自分の事じゃなくても腹立つなぁ。実際に言われてるゼテオはもっと……うっわ、これ、エーテルじゃないよね? なんかすごいオーラみたいなのが見えるんだけど。そう言えば、舐められるのが嫌い、って前に言ってたっけ。
「サルにサル呼ばわりされる憶えはねぇなぁ。チビ猿共」
 チビ猿。これが不覚にもボクのツボに入った。
「ぶふっ!」
 思わず吹き出す。だってチビ猿て! ハマりすぎだよ! この双子にぴったりすぎるし!
 けど、笑ったのがどうも双子の燗に障ったらしい。エルザとベルゼ、両者の顔から余裕の笑みが弾け飛び、殺気に満ちた険しい顔が取って代った。ま、そりゃそうか。
「気分が悪いわ、ベルゼ。殺していいわよね?」
「本来は目標以外は禁じられておるがの。幸い、マテリアがそこにおる。巻き込まれたということで良いじゃろ」
 あっさりと。仕事の打ち合わせでもするように、二人はそんな会話を交わした。人間をまるで物のように扱うその姿勢は実に当たり前すぎて、むしろ危険な匂いがしないほどだった。何だかこう、皿が割れたわベルゼどうしましょう、幸い別の皿があるからこれを使おうエルザ、みたいな。
「エルザリオン執行官、ベルゼリオン執行官、お話しがあります!」
 ハワードさんが青紫に変色した唇を震わせた。精神的に大分追いつめられているんだろう、いきなり土下座をして額を床に擦りつける。
「マテリア・オールブライトを連れて帰れるならば『処分』の必要はありません! 自分が必ず説得しますのでここはなにとぞ」
「お黙りなさい」
 エルザが遮断するように言った途端だった。本当にピタリとハワードさんは叫ぶような懇願を止めてしまった。え? 何で? いくらなんでも素直すぎやしないハワードさん? 一応ボクの命が懸かってるんですけど。連れ戻される気はないけどさ。
 と、ここで思い出す。そうだ、ベルゼの能力のキーワードが『文字』なら、エルザは『言葉』だった。おそらくベルゼと同じで、声にした言葉が現実化、あるいは何かしらの強制力を持つんだ。だから「黙れ」と言われたハワードさんは言葉通りに沈黙してしまったのだ。
 じゃあやっぱり「死ね」って言われたらどうなるんだろうか。そこまで強制力があるものなんだろうか。それが出来るっていうなら流石に反則だと思う。けど同時に、あの双子がどうして『二人っきりの処刑者』なんて呼ばれている所以もわかる気がした。
 例えばアレスくんは『笑う壊し屋』と呼ばれている。元々は穏やかな性格をしている彼だけど、抵抗するエーテルストライカーを柔和な笑みをたたえたまま、しかし力尽くでぶちのめして『水晶機関』に連れてくる所からそんな異名がついたんだそうだ。
 でもアレスくんは例えるなら万能ナイフとか鉄棒とか、そんなところだろう。これは何でもいい。武器にもなって、それ以外でも十分役に立つ存在であれば。
 アレスくんは普通に話し合いでエーテルストライカーを保護できるし、場合によっては実力行使に出られるだけの能力も持ち合わせている。特にあの並じゃない移動速度には『水晶機関』も頼っている部分が大きいと思う。だからこそ臨機応変に、場合によっては使うことなく終わる武器。それがアレスくんだ。その最大の特徴は『不殺』ということ。どれだけ反抗するエーテルストライカーをボコ殴りにしようとも、殺すことだけは決してしない。あくまで『保護回収』という目的の為の『実力行使』であって、それ以上でもそれ以下でもない。だって、殺してしまったらまったく意味がなく、本末転倒もいいところなのだから。
 けど、エルザとベルゼは違う。
 双子を例えるなら、それは毒塗りのナイフだ。よく考えてみよう。そんな物の用途なんて限られ過ぎている。毒が塗ってあるから、リンゴの皮を剥くことさえ出来ないのだ。出来ることはただ、何かを殺すだけ。ただそれだけ。それ以外に使い道はないし、それしか出来ない。静かに鞘に収まっているか、何かを傷つけるか、どちらかしか選べない存在。だから保護回収官に選ばれなかった。双子には殺すか、大人しくしているかのどちらかしか出来ないから。
 力を使えば相手を殺すしかないほど、強力な存在だから。
 さて、そんな奴らに今のハワードさんみたいな慈悲を請う行為が通じるだろうか? 答えは簡単、一瞬後。
 絶対に無理、っと。
「おぬしの考えておることは、全てわしに筒抜けと言っておったじゃろう。最近の若いもんは人の話を聞かんものだのぅ、エルザ」
「もういいでしょ、ベルゼ? 殺しましょうよ」
 救いようのない馬鹿を相手取るような口調で、二人は揃って、ボクとは違った意味で異色の瞳をハワードさんに向けた。
「……!?」
 ハワードさんは絶望に染まった顔を上げて、表情に恐怖を上塗りした。エルザの言霊に縛られているため、僅かな声さえ出せないようだった。
「わしらがするのは汚れ仕事。誰もが非協力的で否定的じゃからな。効率よく働いてもらうには、やはり騙すのが一番じゃのう、エルザ?」
 目線はハワードさんに注ぎながら、それでも話しかけるのは隣のエルザ。嫌味なのか、それとも癖なのか、はたまた何かしらの意図があるのか。わからないけど、すごく嫌な感じだ。
「使い終わった道具は片づけるのが、責任って奴よね、ベルゼ?」
 笑った。それは、それはとてつもなく厭らしい笑みだった。見た目が小学生の女の子がするような顔では、決してなかった。
 それが決定打になった、と思う。
 ハワードさんは一つの決断をした。
 まず、和解と説得の道を諦めた。そりゃそうだろう。殺し屋に「殺すな」が通用するはずなどなかったのだ。
 そして下克上を選び取った。彼だって歴としたエーテルストライカーだ。しかも保護回収官なんだから、戦闘の心得だってあるだろう。だけど、ボクからしたらそんなのは無謀を通り越して自殺行為だった。
 ハワードさんが双子に両腕を構える。彼のエーテルストライカーとしての特性は『風』だ。いわゆる風使いには『その場にある大気をエーテルで操作するタイプ』と『エーテルを大気に変換して操作するタイプ』という二つの種類があるが、ハワードさんは後者だった。
 ハワードさんの全身から深い緑のエーテルが立ちのぼった。揺らめく輝きは、生まれた次の瞬間から大気を唸らせる風魔へと変わっていく。
 喫茶店の中に、ハワードさんを中心とした小型の竜巻が発生した。テーブルや椅子が圧倒されてガタガタと動く。
「あらあら、この坊や、あたし達を相手に勝てると本気で思っているのかしら? ねぇ、ベルゼ」
「思っとるから、こうやって無駄な抵抗をするんじゃよ、エルザ」
 強い風に髪を乱されながらも、エルザとベルゼは酷薄な笑みを崩そうともしない。
 結果は火を見るに明らかだ。フェアリーアイ≠使わなくてもボクにはわかる。ハワードさんじゃ双子の相手にならない。〈エクステンド〉の肩書きは伊達じゃないし、他ならぬ『二人っきりの処刑者』なんだから。
 保護回収官はエーテルストライカーを捕らえるエーテルストライカーだ。しかし、処分執行官はエーテルストライカーを殺すエーテルストライカーだ。
 どっちが強いかなんて、子供でもわかる。
 案の定、決着はすぐについてしまった。ボクも、ゼテオも何も出来なかった。ハワードさんを制止する暇すらなかった。それぐらい、あっさり。
 ハワードさんの風が刃と、砲弾と化す。それはきっと鉄をも切り裂く真空の剣と、どんな格闘家の拳よりも強力な圧縮空気の塊。だけど、
「大人しくしなさい」
 と、喉から虹色の光を発したエルザが、風に向かって傲然と言った。たったそれだけ。その一言だけで、全ての力が無力化された。
 風の刃も、圧縮空気の砲弾も、掻き消された。不意に風がやんで、不気味な静寂が一瞬だけ訪れた。
 ベルゼの右手が宙に文字を書いた。
 風刃、と。
 痛烈な皮肉だった。風を操るハワードさんを、同じ真空の剣で斬り殺すなんて。
「!」
 悲鳴はあがらなかった。代わりに血飛沫があがった。そんな一瞬の中で、ベルゼの嫌味は続く。彼はさらに文字を書いた。
 風弾。
 ズドン、と鈍い音がして大気が炸裂した。爆風のような勢いが吹き付けてきて、ボクは思わず目を閉じて顔を背けた。
 次に目を開けると、そこには壁に空いた大穴があった。喫茶店の壁が破壊され、外と繋がっていた。
 ハワードさんはいなかった。ボクは視線を彷徨わせて、彼の姿を求めた。
 赤く染まった『水晶機関』の制服が、糸の切れた操り人形のように外で転がっていた。
「……ッ!?」
 よく見ると形がどう考えてもおかしかった。関節が変な方向に曲がっているし、身体の下に何か赤黒いモノが飛び散っていた。そこからジワジワと、同じく赤黒い液体が染み出て、同心円状に広がっていく。
 生きているなんて到底思えなかった。ハワードさんはぴくりとも動かなかったし、見た感じからして人間というよりも、もはや肉の塊だった。微かな呼吸の気配すら、感じ取れなかったんだから。
「ハワードさんッ!」
 だからボクが叫んだのは、自分の内から衝き上がってくる何かが堪えきれなかっただけだ。呼んでも返事がないことぐらい、よくわかっていた。死体なんてこれまで何度も見てきたんだから。これはジレンマだ。もう死んでいるとわかっているのに、まだ生きていることをつい望んでしまうという。
 刹那、ボクの前にあったテーブルが跳ね上がった。
「!」
 ゼテオが蹴飛ばしたのだ。エルザとベルゼに向かって。
 ゼテオの蹴りはアレスくんほどでないにしろ、結構な威力を持つ。コンクリートの壁なら簡単に蹴り砕く。その足が蹴ったテーブルはもちろん弾丸のように高速で飛ぶ。
「来ないで」
 だけどエルザがそう言うだけでテーブルは見えない壁にぶつかったみたいに、何もないところで跳ね返った。あらぬ方向へ逸らされた勢いは、そのまま他のテーブルや椅子を巻き込んで吹っ飛んでいき、壁に激突して爆発した。
 だけどゼテオは、そんな事などお見通しだ、とばかりに既に飛び出していた。黒い疾風が双子に襲いかかる。
 エルザとベルゼの危険性はゼテオも察知していたんだろう。電光石火、先手必勝、一撃必殺という感じの動きだった。
 ゼテオ自身が目立つことを嫌ってなかなか本気を出さないけど、彼の身体能力は常人を遙かに超えている。そんなゼテオが、瞬時に間合いを詰めて問答無用で鳩尾に爪先をねじ込めば。
 今まさに、黒の革靴の先端がエルザの幼い身体に突き刺さろうとした瞬間。
 ベルゼの指が、反射空間、という文字が空中に描いていた。フェアリーアイ≠カゃなくて直感でボクは叫んでいた。
「危ないゼテオッ!」
「──!?」
 だからってどうなるものでもなかった。今更止められるわけなかった。
 ゼテオの蹴りがエルザの腹部に鋭く突き刺さった。
「ぐぶっ──!?」
 だけど、うめき声をこぼして吹っ飛んだのはむしろゼテオの方だった。
 どれだけの範囲があるのかはわからないけれど、ベルゼとエルザの周辺は文字通り『反射空間』だった。攻撃も何もかもが相手ではなく、自らに返ってきてしまうのだ。
 奇襲は失敗に終わった。タイミングもスピードも申し分なかった。ただエルザとベルゼが戦い慣れしすぎていたんだ。ベルゼはハワードさんにとどめを刺した直後、何かしらの攻撃を予測して最初から防御用の文字を書いていたに違いない。きっとこれまでも似たような戦術をとる敵がいたんだろう。全く無駄のない動きだった。
「──なろっ!」
 ゼテオは苦痛に顔を歪めながら、それでもその場に踏みとどまり手近にあった椅子を手に取った。片手で振り上げてエルザの頭に勢いよく叩き付ける。でも結果は変わらない。椅子は自身の破壊力に負けて砕け散った。勿論、エルザがそれを意に介した様子は全くない。
 木っ端微塵になった椅子の破片が舞う中で、双子は小馬鹿にしたように悠然とゼテオを見やる。
 ベルゼの指先から、反射空間、と言う文字がふっと風に吹かれたロウソクのように消えた。その隙を繋ぐようにエルザが右の人差し指をゼテオに向けた。ゲームを楽しむ子供のような顔の下、細く白い喉から虹色に揺らめく光が溢れ出す。
 青い瞳を閉じて、緑の目だけでゼテオを照準する。それは茶目っ気たっぷりなウインクのように見えた。
「バン♪」
 そんなのありかよと思うぐらい適当な言霊だった。だけど、威力は抜群だった。
 ゼテオの眼前の大気が爆発した。
「!」
 ぶっ飛ぶ。咄嗟に顔の前で両腕を交差させたゼテオの身体が、空き缶のように勢いよく宙を舞った。
 それはあんまりにもでたらめな光景だった。
 大の男が小さな子供二人に為す術もなく吹き飛ばされている。双子がエーテルストライカーであってもその光景は異常すぎた。いくらエーテルストライカーだって、すべからく普通の人間に対して優位というわけではない。エーテルを操るという特殊な能力を有していても、それ以外は他の人間とほとんど同じだ。アレスくんのように身体強化でもしていれば別だけど。だから、不意を打たれれば為す術もなく負けるし、速度だってその点で特化していない限りは全然普通だ。さっきの先制攻撃だって、並のエーテルストライカーが相手なら絶対成功していたはずなんだ。
 だけど、エルザリオンとベルゼリオンは並のエーテルストライカーじゃなくて、やっぱり〈エクステンド〉だった。しかもただでさえ強い双子が、これまでの戦闘経験をその小さな身体に収束して、類い希なる戦闘技術へと昇華させていた。弱いわけがない。
 そう、こういうのが〈エクステンド〉だ。ボクはそれをよく知っている。アレスくんの戦いを何度も見たことがあるから、ちゃんと理解出来る。エーテルストライカーとして何人たりとも寄せ付けない絶対の存在、それが〈エクステンド〉だ。そしてその中でもこの双子は、戦闘力だけをとれば確実に群を抜いている怪物だった。まさしくエーテルストライカーを殺すためだけに生まれてきたような、戦いの申し子。
 勝てるはずがない。
「──ってうわっ!?」
 頭上に影が差した、と思ったらゼテオの身体がボクの真上にまで飛んで来ていた。思わず即座に飛び退いて避けてしまう。
 とんでもなく痛そうな音を立てて、黒い塊と激突した椅子とテーブルが派手にひっくり返った。埃が浮かび上がる中でゼテオが叫ぶ。
「よっけんなぁ────────ッ!」
「ンな無茶だよぉ────────ッ!?」
 脊髄反射で叫び返してから、なんだ元気じゃん、と安心する。
「? あの猿、エーテルストライカーみたいね、ベルゼ?」
「お前のラジカルヴォイス≠ェあまり効いておらんところを見ると、そのようじゃの。どれぐらいのもんじゃ、エルザ?」
「結構頑丈だわ、ベルゼ。少なくともさっきの坊やよりは……ね」
「なるほどのぅ。その程度か、エルザ」
 余裕で会話を交わすエルザとベルゼ。それはサンドバッグの硬さと重さを確かめているような、こちらにしてみれば嫌な感じの内容だった。
 エーテルストライカー同士の場合、互いがエーテルの加護を受けているから一般人よりもその能力が効きにくい、って話を聞いたことがある。二人が言っているのはきっとその事だろう。詳しい原理は調べてみないとよくわからないけど、要するに強いエーテルストライカーほど、エーテルによる攻撃は効きにくいらしい。
 けどハワードさんはあっさり殺された。その事実が、双子のエーテルの強さを如実に語っていた。
「おいおい……きょうびのガキはどいつもこいつも人を馬鹿にしくさりやがって……! 疫病神ぞろいだな、おい……!」
 ゴトゴト、と椅子やテーブルを押し退けてゼテオが立ち上がる。その唇の端には、少し血が滲んでいた。やっぱり無傷って訳にはいかなかったみたいだ。
 金色の瞳には、まるで太陽の輝きを閉じ込めたかのような怒りの光があった。
 当たり前だった。ゼテオは、ヴェイル・ハワードさんは同じ孤児院の出身だと言っていた。つまりは兄弟みたいなものだったんだろう。それを目の前であんな風に殺されて、怒らないわけがない。ゼテオの全身からビリビリくるほどの殺意が迸っていた。
 胸の中央を片手で押さえて、ゼテオは咳き込む。エルザの言霊で吹き飛ばされたことより、ベルゼの攻撃反射によるダメージの方が強いようだった。
 だめだ、ボクとゼテオじゃ双子に勝てない。ボクは率直にそう判断した。
 ゼテオは憎悪の眼差しを双子に突き刺している。だけど、もう奇襲は通用しない。それなら純粋にエーテルストライカーとして実力が劣るゼテオに勝機はない。エーテルを扱えないエーテルストライカーが、どうすれば〈エクステンド〉二人に勝てるっていうのか。そんなの絶対に有り得ないし。ボクはボクで彼らと同じ〈エクステンド〉だけど、明らかに戦闘向きじゃないし。あるいはボクのフェアリーアイ≠ナ未来を先読みすれば、とは思うけど、そんなのエルザもベルゼも予測しているに違いない。何かしらの対策を用意しているのは確実だった。そして、逃げるという選択肢もない。エルザが「逃げるな」と言うか、ベルゼが「結界」と書くだけで、ボク達は逃げ道を失う。戦うことも逃げることも許されない、最悪の状況だった。
 このままじゃ二人とも殺される。
 理不尽で我が儘なようだけど、ゼテオがちゃんと〈エクステンド〉の力を使えれば、と思う。だってボクのフェアリーアイ≠ェ確かならゼテオは絶対〈エクステンド〉なんだから。それにあの性格からして間違いなく戦闘向きの能力だと思うし。せめてアレスくんと同等の力があれば、現状を打破することは可能なはずだった。
 だけど、現実はそう都合良くいかない。ゼテオは身体能力が優れているとは言え、今なおエーテルを出せないただの人間だ。他の相手ならいざ知らず、『水晶機関』最強と呼んでいいあの二人には天地が逆さまになっても勝てるはずがない。一体どうしたらいいんだろうか、このジレンマは。
 このままじゃ二人とも殺される。
「──殺す」
 ぞっとするほど憎悪と殺意に満ちた声。そこには、傭兵として死線を潜り抜けた男だから出せる凄味があった。
 それにしてもこんな騒ぎになってるっていうのに、この喫茶店の人達はどうして何の文句も言わないんだろう。そう思って店内を見回すと、とっくに誰もいなくなっていた。流石はゼテオの選んだ喫茶店だ、と思う。誰か一人でもいいから、自警団ぐらい呼んでくれたっていいのに。最低だ。
 殺人予告をしたゼテオが再び床を蹴った。路地裏で見たアレスくん並の速度だ。瞬間移動のように一気に間合いを詰める。
 エルザとベルゼも身構えていた。ちなみに言っておくがボクはこと戦闘においては完全に置いてけぼりだ。目だけが特殊なボクには常軌を逸した戦いなど出来ないのである。
 ゼテオは再度エルザに掴みかかった。今度は打撃ではなく、両手で黒い制服の襟をとろうとする。なるほど、エルザの武器が『声』なら喉を絞め上げればいい。しかもそうすればベルゼの『反射空間』でもきっと反射されないはずだ。
 だけどそうは問屋が卸さない。百戦錬磨の戦闘巧者である双子が近接格闘で遅れを取るわけがなかった。子供のなりをしているくせに鋭い腕の動きでゼテオの手を払う。
「──!」
 ゼテオも馬鹿ではない。それならば、とそのまま打撃に切り替える。もちろん高速の連続攻撃だ。声を放つ暇など与えないようにと。それも長いリーチを生かしてすぐ傍のベルゼにも襲いかかる。けど、それをなんと二人の子供は難無く避けるか、あるいは腕や足をもって防御したのだ。いくら何でもゼテオの膂力を子供の身体で受け止められるはずがないのに。それもそのはず、ゼテオと双子の手足が触れ合うところには必ず虹色の輝きが発生していた。アレスくんと同じエーテルによる身体強化の証だった。
 立場が完全に逆転していた。子供のようにあしらわれているのは、むしろゼテオの方だった。
 このままじゃ二人とも殺される。
 正直、ボクの焦燥感は臨界に到達しようとしていた。
 だってこのままじゃ絶対にやばい。ゼテオの戦い方を見ていてもまるで希望の光明が見えやしない。ハワードさんを殺された怒りと憎しみだけで、見境無しに攻撃しているようにしか見えないからだ。そりゃボクだって悔しい。ジレンマがある。あの双子に対して怒りがあるし、顔を見るだけで殺意の衝動が湧き上がってくる。それは嘘じゃない。でも、それだけじゃダメなんだ。
 冷静でいなければならない。そうじゃなきゃ死ぬのは自分だ。考えろ、考えるんだ。何かこの状況をどうにかする打開策を。思いつけ、あの双子から逃げる、もしくは勝利する術を。
 と、その時だ。猛然と、それでも最小かつ鋭い動きで攻撃を繰り出すゼテオに向かって、エルザの声が響いた。
「凍り付きなさい」
 刹那、がぎん、と金属的な音を鳴らしてゼテオの動きが凝固した。
「!?」
 驚愕に染まる金色の目。その黒い背中にベルゼの指が触れ、文字を、
「──づァッ!」
 振り払った。硬直も一瞬のことで、ゼテオは言霊の拘束を力尽くで──ってそんな嘘ぉんっ!?
 いや本当に振り払ってる!
 流石の二人もこれには虚を突かれていた。エルザもベルゼも目を丸くしている。うわ、初めて見た二人のあんな顔!
 しかしそれもすぐに冷静な状況分析の表情に切り替わる。
 いや、だって普通に考えておかしい。エルザの力はさっきから見ての通りだ。ハワードさんは「黙れ」と言われただけで断末魔すら上げられなかった。高速で飛来したテーブルをあっさり跳ね返した。「バン」と言うだけで大人一人が空を飛んだ。しかもゼテオじゃなかったら多分死んでいる威力だった。
 それを力尽くで振りほどくなんて有り得ない。
 でも現実はこうして目の前にある。それは双子もわかっているようだった。
 双子は身軽にゼテオの攻撃をかいくぐり、軽いステップや宙返りで距離をとった。まるで雑伎団みたいな動きだった。
「ねぇベルゼ、この猿おかしいわよ」
「うむ。妙な奴じゃのう、エルザ」
 深刻な顔で言い合う双子に、ゼテオは怒声を浴びせかける。
「軽口叩いてんじゃねえぞ! かかってこいチビ猿ども!」
 双子はそれを無視した。
「不気味な奴ね。手を抜いているとこっちのエーテル破られる可能性があるわよ、ベルゼ」
「そうじゃのう。万が一ということもある。それに」
 ここでベルゼはボクを一瞥して、続ける。
「マテリアを逃したら間抜けじゃからの。そろそろ本気を出すとしよう、エルザ」
 双子は同時に肩に掛かる銀髪を手で払った。
 その瞬間、二人の全身から目が眩まんばかりの七色の光が迸る。
 虹色の波濤だ。アレスくんが竜巻なら、エルザとベルゼは逆流する瀑布だった。とんでもない量のエーテルが小さな身体から噴き出していた。
 威圧感だけならアレスくん以上だとボクは思った。アレスくんのあれは威嚇の意味もあったが、双子のは違う。溢れ出るエーテルは『その気』になった証なだけで、別に見せつけようとしている訳じゃない。だからこそ、どうしようもない圧迫感があった。
 それを前にしてボクは本能的に叫んだ。
「ゼテオ、逃げよう!」
 どうやって逃げるのかは見当はつかないけれど、そうするべきだった。あの状態になったエルザとベルゼの放つ言霊は、これまで以上の強制力を持つだろう。今の今まで苦戦していたってのに、どうして本気になった二人に勝てるというのか。ボク達が選ぶべきは逃げの一手だけだった。
 でもゼテオはボクを無視した。怒りに我を忘れているのか、それとも何か策があるのか。ボクにはわからない。
 このままじゃ二人とも殺される。
「──ふッ!」
 ゼテオが懐から細長い投擲ナイフを取り出した。ついで、流れるような動作で四本のナイフが稲妻の如く放たれた。速い。確かにあれなら声を出す暇も文字を書く余裕もない。先読みでもしていない限り避けられないだろう。
 二本は双子の頭、もう二本は腹を狙っていた。そして見事、ナイフは突き刺さる。
 双子の両腕に。
 咄嗟に防御されたのだ。いや、違う。双子の表情は全然変わっていない。全身から虹色の輝きを放ちながら、驚きも戸惑いもなく、真剣な表情でゼテオを見ている。当たり前のように両腕から投擲ナイフの握り部分を生やして。
 敢えてナイフを受けたのだ。そうとしか思えなかった。
 ベルゼがナイフの突き刺さった腕で、それでも中空に文字を描く。七色に輝く少年の中でも一際強烈な光を宿した指先が、妖精のように宙を舞う。
 雷火、と。
 そこにエルザの声が重なった。ベルゼ同様、喉から激しい輝きを撒き散らしている少女は、強い口調でこう言った。
「火炎よ」
 ベルゼがもう一方の腕も上げて、さらに文字を描く。
 貫通力、と。
 エルザの声が凛と響く。
「燃えさかれ」
 劇的な変化が起きた。
 はっきり言おう。ボクの生身の目ではその事象は観測出来なかった。だからこれから言うことはフェアリーアイ≠ナ視たものだ。
 双子の発していた膨大なエーテルが一気に変換された。
 紫電と炎に。
 その二つは互いを求め合うように空中で絡まり合うと、ベルゼの文字によって貫通力を与えられた。つまり撃ち出されたのだ。
 炎の鎖を身に纏った雷撃の槍、とでも言えばいいだろうか。しかも炎は途中で燃え広がり、雷撃の先端に覆い被さった。それは先端の鋭さを損なうどころか、むしろより危険なものへと変えてしまう。
 その行く先は言うまでもなくボクとゼテオ。
 この時、ボク自身は雷光で目を灼かれて何も見えなくなっていた。だから何もわからず、どうすることも出来なかった。サングラスを外すんじゃなかった、という後悔だけはしていたけれど。
 何か硬いものがいきなり身体にぶつかってきて、ボクは床に押し倒された。後でそれはゼテオがボクを庇うために無理矢理伏せさせたのだと知ったけど、この時はまだわからなかった。
 とにもかくにも訳がわからず、ボクは錯乱状態だった。
 もの凄い轟音が鳴り響いて耳が馬鹿になっていた。音が鼓膜が突き破り、脳を直接揺さぶったかのような酩酊感があった。
 気が付くと、真っ暗な闇の中にいることに気付いた。その後で、ゼテオの身体の下に組み敷かれているのだとわかった。
 庇ってくれたんだ、と悟ったのは彼の全身から嫌な煙が立ちのぼっているのを見た時。
「……ッ!?」
 息を呑んで、言葉を失った。
 ゼテオの身体の下から必死に這い出て、上体を起こして見たのは、倒れ臥している彼の背中。
 悲惨な状態だった。服なんて焼け焦げて消えてしまっていた。剥き出しになった背中一面を占めるのは、酷い火傷だった。人肉というのはこんなにも赤く、黒く、醜くなるのだと初めて知った。
「ゼテオ……ッ」
 吐き気を催すほど、それは凄惨な姿だった。
 ゼテオをこんな姿にした張本人達は、正反対に悠然としていた。
「ほう、生きておるか。しぶといのう。予想以上に頑丈じゃったな、エルザ」
「そうね、ベルゼ。でも、もう終わりよ。どこの誰だか知らなかったけれど、ちょっと楽しかったわね。怪我なんてしたの何年ぶりかしら?」
 痛覚をベッドに置き忘れてきたみたいに、エルザは両腕に突き刺さったナイフを無造作に引き抜いた。赤い血と脂の付いた銀色の刀身が現れる。エルザはそのナイフを手に持ったまま、
「それで、マテリアちゃんはどうやって殺されたいのかしら? あたしかベルゼか、それともお仲間のナイフ? ねぇ、どれがいいかしら、ベルゼ?」
 くすくす、と愉快げに、ボクではなくやっぱりベルゼに語りかける。それにしたって、なんて厭らしい言い方をするんだろうか。ただでさえ悪い気分が、さらに悪化する。
 同時、百匹の虫が背筋を這い上がるような恐怖を感じた。
 ゼテオは倒れているけど、まだ息はある。でも意識はない。気絶している。例え起きていたとしてもこの火傷じゃもう戦えない。なんてジレンマだ。
 このままじゃ二人とも殺される。
 何度も何度も感じたその事実が、ひたひたと足音を立てて、とうとう背後までやって来ていた。
 顔から血の気が引いていく。それが自分でもわかる。頭に血が上ってこなくて、思考力が弱まっていくのを感じる。手と足の指先から体温が失われていくような気がする。
 だめだ。もうだめなんだ。ボクはここで殺されるんだ。
 そう考えた途端、突然、動悸が始まった。胸の鼓動が不規則になって、息苦しさを覚える。頭の中が漂白されたみたいに空っぽになっていく。
「……はっ……はっ……はっ……!」
 呼吸が乱れる。身体の各所がボクの意思に同調して小刻みに震え始めた。まるで死にかけの子犬みたいだ、意識の片隅で思う。
「怯えておるな。可哀想ではないか、エルザ。覚醒していない小娘とはいえ、わしらと同じ〈エクステンド〉じゃ。せめてもの情けとして、楽に逝かせてやろうではないか」
 そんなベルゼの台詞に、金槌で頭を殴られたような衝撃を受ける。何だよ、その言い方。殺すのが仕方ない、みたいにさ。ボクはものじゃないんだぞ。死んだらもう二度と生き返らないんだぞ。
「……いやだ……」
 死にたくない。息が苦しい。何も考えられない。いやだ、しにたくない。
 美しい七色のエーテルをまとった双子が、こちらへ向かって足を踏み出す。近づいてくる。傍に来てボクを殺すつもりなのだ。
「くるな……」
 ボクは拒絶した。どうして。どうしてボクをころすの。わからない。くるな。ボクをころすな。あっちいけ。
「くるなっ……!」
 にげだしたい。でもからだがうごいてくれない。ふるえて、ちからがはいらない。せまってくるふたりは、死、そのもの。つかまったらころされる。だれもがもっているほんのうのこえ。あたりまえのせつり。じゃくにくきょうしょく。
 しにたくない。くるな。
「くるなっ! こっちにくるなぁっ!」
 できるのはさけぶことだけ。けどエルザもベルゼもまるでききやしない。こっちにあるいてくる。くるな。
 それでもふたりはこっちにくる。くるな。
 にやり、とエルザがわらった。やれやれ、とベルゼがつぶやいた。
 くるな。いや。こないで。
「こっちにくるっ」

 ぷつん、とボクの中で何かが切れた。




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