■自由な力で、自由な未来を





 宣戦布告は完了した。
 太陽が中天へ届く二時間ほど前。サーゲトワ大学病院の広場で、俺達〈エクステンド〉は静かに向かい合う。といっても、他の三人は俺のことを〈エクステンド〉だとは思っていないだろうがな。正直、俺自身も微妙なところだ。
 透明で見えないが、俺のエーテルはちゃんと出ている。そうマテリアが教えてくれた。そのことに関しては俺も納得している。確かに、エーテルこそ出ないと思ってはいたが、力の衰えはほとんど感じていなかった。
 なら、戦える。俺にはちゃんと武器がある。戦う術がある限り相手が〈エクステンド〉だろうが何だろうが負けることはない。俺にはその自負がある。そうでなければ傭兵なんぞという因果な商売はやっていられないのだ。
 俺の『地獄へ堕ちろ』に対して、双子はある一つの反応を返した。
 いきなり全開だ。二人の小さな身体から七色のエーテルの奔流が、空に向かって噴き上がった。
「遠慮も手加減もなしってか」
 俺は軽口を叩いた。二対の金銀妖瞳がこちらを睨んでいる。ふん、望むところだ。
 だっていうのに隣の少年は、
「あなたは下がっていて下さい。エーテルストライカーでもない人間にあの二人は止められません」
 などとほざいて俺の前に出やがった。
 俺よりも頭一つ小さい身体から、双子同様に虹色の輝きが竜巻の如く迸る。おいおい、それで力を誇示したつもりか? これだから子供は鬱陶しいんだ。
「お前にも止められなかっただろうが。甘ちゃんは引っ込んでろ」
 そう言い置いて、入れ替わるようにアレスの前へ立つ。しっかしアレスにせよ双子にせよ、無駄に眩しい奴らだ。キラキラと派手に輝きやがって。そういえば昔の奴が言っていたらしい。虹は自由の色だ、と。
 自由か。マテリアの言うように俺が心を開いて自由になれば、この身体からも〈エクステンド〉の七色が再び現れるんだろうか。
 ずい、とアレスの奴が何も言わずにまたも俺の前へ出た。何だこいつ? 俺と張り合うつもりか? だから眩しいんだよお前は。
 まぁいい。邪魔な奴は無視するとしよう。
「さっさと吹き飛ばすわよ、ベルゼ」
「ふむ。『水晶機関』に戻った際にわしらの処分が重くならん程度にしようぞ、エルザよ」
「わかっているわ」
 そう頷いたエルザの喉元から一際強い輝きが溢れ出す。確かあいつは声で言霊を操るんだったな。
「爆炎」
 驚愕すべきことに、ただ一言。それだけでとんでもない量の火炎がその場に現れた。
「!?」
 あらかじめ広場の地面全体に油でも引いていたのかと思うほどの勢いだった。
 おいおいおい、こいつはいきなり激しいな。
 俺の視界からアレスの姿が消える。例の両脚が本領を発揮したんだろう。虹色の流星が空へかっ飛んで行くのが見えた。いいだろう、あいつはあいつで勝手にすればいい。こっちはこっちで勝手にやるだけだ。
 俺は自らの全身に意識を集中する。意識してエーテルを扱うのは久しぶりだ。目に見えないから制御は難しそうだが、なに、昔の感覚通りやれば問題ないだろう。
 俺は怒濤のように迫り来る爆炎に向かって駆け出した。もちろん体中にエーテルを纏っているつもりだ。
 エーテルが自由要素と呼ばれる未知の元素であるということは、この遺産世界に生きる上での基礎知識中の基礎知識だ。
 エーテルとエーテルがぶつかり合えば、強い方が勝ち、弱い方が負ける。実にわかりやすい法則がある。
 だが双子はこの間の戦闘で、直接エーテルの言霊をぶつけても俺に大した損害を与えられない、と学んだのだろう。マテリアは俺のエーテル耐性が高いと言っていたが、結局それも俺のエーテルがある程度強いからだ。身体中にエーテルが満ちていれば、それを超えるエーテルをぶつけられない限り肉体は傷つかない。水の入った紙コップは簡単に燃えないが、空の時はあっさり燃え上がる。ただそれだけの話だ。
 だからこそこの爆炎なのだろう。炎を生み出すのはもちろんエーテルだ。だが、一度発生した熱量はもはやエーテルとは関係ない。単なる物理現象として触れるもの全てを焼き尽くす。
 だから俺はただ炎に対してのみエーテルを用いた。何度も言うが俺のエーテルは未だ不可視の状態だ。本当に俺の身体を覆っているのかどうかは確認出来ない。
 だからこいつは一種の賭けだ。少しでも炎の勢いを殺せれば俺のエーテルは確かにある。逆に俺の身体が燃え尽きるようであれば、まぁそういう運命だったと思って諦めよう。いちいち未来の可能性を悲観してジレンマに陥っていても何の意味もないのだから。
 炎に呑み込まれる。だが俺は走る。まっすぐ双子に向かって。
「──ぉおおおおおおおッ!」
 自らを鼓舞するように叫び、そして俺は爆炎の中を突っ切った!

 俺の全身を、血のように赤いエーテルが淡く覆っていた。

『!?』
 すぐ目の前にいるエルザとベルゼの表情が驚愕に染まる。いや、俺だって驚いている。
 蘇ったのだ、俺の色が。
 もう透明ではない。ちゃんとこうして、目に見える色がある。マテリアの言っていたことは間違っていなかったのだ。
 俺のエーテルは、俺の心を映し出す。俺が信じれば、エーテルはそこにあるのだ。
「──シッ!」
 愕然と身体をすくませる敵に、俺は勢いを殺さないまま接近する。右拳にエーテルを集中させ、エルザの腹に向けて撃ち出した。
 何も言わせないし何も書かせやしない。俺の拳は弾丸の如く少女の腹へ突き刺さった。
「……ッ!?」
 エルザの顔が苦痛に歪む。俺はさらに体内のギアを上げた。エーテルが力任せに俺の身体能力を強化する。エネルギーを受け取った肉体が速度を上げて動いた。
 右拳を引いて、同じく腹に蹴りをぶち込む。一瞬の連撃だ。エルザの腹部に溜め込まれた凶暴な運動エネルギーが、次の瞬間に爆発する。
 小さい身体が蹴飛ばした石ころのように吹っ飛んでいく。
「──エルザッ!」
 ベルゼが叫ぶ。だがこいつもそれなりに戦い慣れしている。相棒の名前を呼びながらも目はしっかり俺を捉えている。その片手が素早く動いて何かしらの文字を描く。
 強化、と。
 身体に残る威力を振り回すようにして制御した俺は、続けざまベルゼに蹴りを繰り出した。前回の戦闘とは段違いの速度と威力だ。受け流すことなどさせない。
 激突。ベルゼは『強化』の文字を纏った両腕で俺の足を受け止めた。なるほど、『強化』とはそういう意味か。
「貴様……!」
 金銀妖瞳が怒りに見開かれる。ベルゼは俺の足を力任せに振り払うと、両手で文字を記す。
 右手で『雷』、左手で『撃』。合わせて『雷撃』だ。
「──!」
 俺は一時退避を選択した。両脚に意識を集中させる。不意にアレスの事を思い出した。そうだ、あいつ並の速度で動けば余裕で避けられるな、と。

 深い森のような緑のエーテルが、俺の両脚から迸った。

 俺は瞬間移動のように、気が付けば空を飛んでいた。
「──!」
 ほんの一瞬でベルゼが遙か眼下にあった。見下ろすとさっきまで俺がいた空間を、一拍遅れて巨大な稲妻の槍が削り取っていた。
 ──何だこれは? 何がどうなっている? よくわからんが……まずいな。こいつは──楽しいぞ?
「ハ──!」
 思わず胸の奥から笑いが込み上げてきた。
 俺は空にいる。病院の屋上よりも高い位置だ。こんな広々と空間に飛び出したのは生まれて初めてだった。視界が広い。当たり前だが空が青い。見ると、十メートル向こうの空中にアレスの奴がいた。化け物を見るような目で俺を凝視している。そうだ、俺はあいつの両脚をイメージしただけだ。それだけでこうなった。
 予想以上なんてものじゃない。昔の記憶とは全然違うこの感覚。全くの別物だ。エーテルは、エーテルストライカーはこういうものだったのか?
「ハハ──!」
 楽しいじゃないか。笑いが込み上げてくるなんて何年ぶりだ? 生まれて初めてか?
 眼下のベルゼがこちらを見上げてくる。こいつも怪物でも見たような顔をしている。ああ、そうだろう。俺も吃驚だ。つい昨日までエーテルを使えないと思いこんでいたんだからな。
 マテリアの言葉を思い出す。
『もっと心を開いて、もっと自由に生きようよ……!』
 なるほどだ。心を開いたつもりも自由に生きようとしたつもりもないが、今はそうだ。そんな気分だ。体中に開放感が溢れている。精神に取り巻いていた閉塞感が綺麗に消え失せて、気持ちが驚くほど軽かった。
 今なら何でも出来るような気がした。きっと今の俺の心は自由自在だ。ならば、エーテルも自由自在じゃないのか? この緑のエーテルを纏っている両脚みたいに。
 こういうのはどうだ? と、俺は右手の人差し指を空中に走らせた。指先の描いた軌跡が淡く橙色の色を帯び、文字を描く。
 風弾、と。
 他ならぬベルゼがヴェイルを殺す時に用いた文字だ。俺はそれを地上のベルゼに向けて、振り下ろす。
 ゴッ、と大気が唸りをあげて牙と化した。
 石畳の広場に巨大な鉄槌を振り下ろしたような衝撃が走った。ズン、と大地と大気が激震する。
「──!?」
 ベルゼは直撃を避けたようだったが、余波で先程のエルザのように吹き飛ばされた。小さな身体が玩具の人形のように弾け飛ぶ。
「あなたは……!?」
 いつの間に近くに来ていたのか、空中でアレスが驚きを隠そうともしない声を漏らした。
「何者だ、なんて聞くなよ? 俺にもわからないんだからな」
 俺は先んじて言った。言いながら顔に笑みを浮かべてしまう。ダメだ、こんな顔も言い方も俺の柄じゃないだろ。なのに妙な高揚感があって、表情筋のゆるみが抑えられない。
 楽しいのだ。どうしようもなく。
 今なら間違いなくエルザの『声』も真似出来るだろう。そしておそらく、そうすることで俺のエーテルはまた新しい色を得る。マテリアの奴は〈エクステンド〉が『覚醒』した場合、他の奴らのように七色のエーテルが放出されると言っていたが、どうやら俺は違うらしい。これまでの経緯が関係あるのだろうか。だんだん目覚めていく感じがする。
 俺は両脚のエーテルを調節して、緩やかに地上に降り立った。アレスも後を追いかけて着地する。
 俺は熱い息を吐いた。認めたくないが、興奮しているようだった。少しは落ち着いた方がいいだろう。力に溺れるようじゃ子供以下だ。
 深呼吸を繰り返す俺に、いきなりアレスが掴みかかってきた。
「あなたは……〈エクステンド〉だったのですか!?」
 俺は即答を避けた。少し考える。ここは素直に答えた方がいいんだろうか。いや、いいわけないな。こいつは『水晶機関』の人間だ。〈エクステンド〉を連れて帰るのが仕事だ。なら余計な手間は増やしたくない。
 俺はジャケットを掴むアレスの手をにべもなく振り払う。
「さあな。マテリアにでも聞いてみたらどうだ? それより、今はあいつらだろ」
 俺は顎でエルザとベルゼの吹っ飛んでいった方向を示す。
 申し合わせたように視線を向けると、そこには互いに身体を支え合う小さな双子がいた。
 エルザは腹を押さえて、ベルゼは瓦礫で傷ついたであろう額から血を流して、憎悪の表情を浮かべている。
「何よあれ、反則じゃないの! あいつは何者なのよベルゼ!」
 精神的にも大分キたのだろう。エルザは大声で叫ぶ。それはそうだろうな。俺だって、俺を敵に回したらああも言いたくなるだろう。
 我ながら、確かにこれは反則だろう、と思う。通常エーテルストライカーのエーテルは一人一色。そしてその特化した能力も一種類。これこそが常識。一般的な話だ。中にはマテリアのフェアリーアイ≠竅A双子の『声』『文字』などやたらと幅の広い能力もあるにはあるが、やはり一種類が原則だ。
 だが今の俺は、それを三つも四つも持っている状態なのだ。これが反則でなくて何というのか。
「わしのラジカルライター≠ニ……それにアレスのウラヌスブーツ=c…一体、何がどうなっておる?」
「わからないわよ! ベルゼにわからないものがあたしにわかるわけないじゃないの!」
 エルザはヒステリックに喚く。ほとんど半狂乱と言ったところか。それほど理解しがたいのだろう、俺という存在が。
「なぁおい、エーテルっていうのは自由要素なんだろ? でもってエーテルは使い手の心を写す鑑だ。なら、その気になればこれぐらい出来て当然なんじゃないか?」
 俺は双子に向かってそう言った。これに対して反論したのはアレスだった。
「そんな馬鹿な……そんなものは机上の空論でしょう! 実現するなんて事はありえ……」
 声が途中で尻すぼみになって消えてしまったのは、実際に俺がその『机上の空論』を実践するのを見てしまったからだろう。
「ま、そんなことはどうでもいいか。もうわかっただろ? そろそろ帰ったらどうだ? 俺はお前らの相手をしているほど暇じゃねぇんだ。さっさと帰って仕事探しにいかねぇと明日の飯も食えない。わかったらさっさと本部でも支部でもどこでもいいから帰っちまえ。お前もな」
 最後の一言はアレスに向けた。
 ヴェイルが殺された時は、絶対に殺してやると思ったものだ。だが、実際問題、ヴェイルは生き返り──いや、死んでいないことになり、マテリアも重傷は負ったが命に別状はなかった。これであの双子が退くんなら、それはそれで十分な結果だろう。無理に戦闘を続けて殺すこともない。
 ……ん? ちょっと待て。何だ、何を考えているんだ、俺は? それこそ正に、俺がついさっきアレスに言った『甘ちゃん』じゃないか。
 しかし、まぁいいだろう。何となく今は気分がいい。見逃しても問題ない気がする。これは単に俺が圧倒的な力を得て気が大きくなっているだけだろうか。それとも、それだけ心が自由になったということだろうか。どっちでもいいか。
 だが、双子としてはそれで済ますつもりはないらしい。むしろ俺の言葉は侮辱でしか無かったのだろう。特にエルザが高ぶる感情に顔を真っ赤に染めて、怒声を放つ。
「ベルゼ! あいつ許せないわ! 何も……何もわかっていないくせに!」
「落ち着くんじゃエルザ。わしも気持ちは一緒じゃ。熱くなってはいかん」
「だってベルゼ! あたし達が負けるってことは──」
「皆まで言うな、わかっとる。わしらは負けん。……絶対にな」
 表だって怒りを露わにしているのはエルザだったが、ベルゼも冷静沈着というわけではなかった。よく見ると、エルザを支えてるのとは逆の手を、強く握り込んでいる。爪が肉に食い込み、血を流すほどに。
 どうやらあいつらにも譲れない理由があるらしい。俺は素早く一瞥をアレスに向ける。
「あいつらは退くつもりねぇみたいだな。お前はどうなんだ? 足手まといになるぐらいならあっちに行ってもらってた方が気楽なんだが?」
 さりげない俺の皮肉を、アレスは無視した。金髪の少年は緑の瞳から強固な意志の篭もった視線を、エルザとベルゼに向ける。
「私はマテリアさんを死守すると覚悟を決めました。あなたの指図を受ける義理もありません」
「大変だな、正義の味方っていうのも」
 俺は心の底からそう言った。アレスはアレスで、自らの目指すもののために、守りたい誰かのために戦っているのだろう。それが今回、守るべき人間がたまたま俺と被っているだけで。こいつにはこいつなりの譲れない理由がある。
 自由じゃないな、と俺は思った。双子も、アレスも、少し前の俺のように何かに心を囚われている。
 なるほど、俺もこうだったのか──と客観的に考えてみて、初めてわかった。つまり『こういう心理状態』を自由ではない、というのだ。
 『水晶機関』、自らの任務や使命、信念と正義。それらが綯い交ぜになって人間の心を縛る。
 だが今の俺はどうだ。そんな縛りは一切無い。まったくもって自由だ。
 おそらくそういった心理状態が、今の俺のエーテルに出ているのだろう。我ながら、俺はわかりやすい奴だな、と思う。単純すぎるだろ。それとも人生こういうものなのか?
「エルザ、もはや手加減などしていられん。アレで行くぞ」
「ええ、ベルゼ。今あたしもそれを提案しようと思っていたところよ」
 双子はこちらを見据えたまま、互いの手を握り合った。空気から察するに、何か秘策でもあるようだ。
 させるものか、と言わんばかりにアレスが前に出る。
「エルザリオン執行官! ベルゼリオン執行官! 最後の警告です! 今すぐここから退きなさい! 『水晶機関』は両執行官への命令を引き下げました! これ以上は命令違反になり、逆にあなた方が『処分』されることになります!」
 苛烈な口調で言い放つ。嘘ではないだろう。どことなく、双子に退くことを懇願するような響きも篭もっている。甘ちゃんらしい言い方だった。
 だがもちろん、やる気満々の双子がその程度で抜いた剣を鞘に収めるはずがない。
「お黙りなさい、アレス」
 エルザの言霊が発動した。目に見えない強制力がアレスに襲いかかる。気を抜いていたのだろう、馬鹿な奴だ。咄嗟に身体を包むエーテルを厚くする前に、アレスは沈黙を強制する言霊を受けてしまった。唇が閉じ、何も言えない状態になる。
 これは推測だが、あの双子が普段から互いとしか喋らないのは、エルザの『声』が他に累を及ぼすのを防ぐためではないだろうか。二人の絆の強さもあるのだろうが、そういった面があっても不思議ではない。
「わしらが『処分』されるじゃと? あり得んわ。わしらに勝てる者がどこにおる? わしらが恐れとるのはそんな些細なことじゃないんじゃよ」
 ベルゼがアレスに向かって吐き捨てた。その瞬間だった。
 ドウッ、と大気を揺るがして双子を包むエーテルの量が増大した。
 もはやその光景は、天に昇る龍の如き光の大瀑布だった。
 何かとてつもない事が起こる。そう予感させずにはいられない姿だった。
 ベルゼの指が動き、エルザの唇が言霊を紡ぐ。
「──o──r──z──o──z──」
「……なんだ?」
 エルザの歌うように放たれる声が、しかし言語としてはほとんど聞き取れない。時折、何か理解出来そうな音を拾うことが出来るのだが、それを繋げてもまるで話にならない。
 そしてベルゼの指の動きもおかしい。何を書いているのかさっぱりわからない。絵では無いことは確かだが、だからと言って俺の知っている言語ではない。
「おい、アレは何だ!? お前知ってるか!?」
 俺はアレスに向かって怒鳴った。双子のエーテルによって大気にひずみが出来ているのだろう。病院の広場には、圧縮された空気が風となり、猛烈に吹き荒れていた。大声でなければ聞き取れないと思ったのだ。
「……!」
 何とか聞こえたらしいが、アレスはこちらに向かって首を横に振った。知らないらしい。ふん、期待した俺が馬鹿だったか。
 その時だ。突如、俺の中に何かが流れ込んできた。
 ──古代言語。現在では失われた言語体系。〈エクステンド〉のライター≠ニヴォイス≠組み合わせることで発動可能な強力な言霊がある──
「……!?」
 何だ? 今、知識そのものが頭に浮かび上がってきたような感覚が。
 両目に灼熱感が生まれた。俺は顔をしかめる。
 そうか、これはマテリアと同じフェアリーアイ≠ゥ。『アカシックレコード』やら『賢者の石』とか言われてる場所からの情報提供ってわけだ。ふん、便利なことだ。
 これを真に受けるなら、あのチビ猿共は奥の手を出してきたってことか。
 なら、こいつを折ってしまえば。
 即ち、双子の心も折れるということだ。
 俺は両目にエーテルを集中させる。さらに貪欲にフェアリーアイ≠ノ知識を求める。必要なのは、あいつらが使うものより強力な言霊だ。俺は一人であいつら二人分の働きが出来る。なら、同じく古代言語の言霊を扱えるはずだ。
 より巨大な力の前では、あいつらも膝を屈さないわけにはいかないはずだ。だから、それを俺は求めた。
 眼球が溶け落ちてしまいそうなほどの灼熱感が俺を襲う。まだだ。まだ視えない。もう少し──

「ちょ────────っとまったぁ────────ッ!」

 場違いな黄色い声が豪風を切り裂いて広場に響き渡った。
 思いっきり聞き覚えのある声だった。とっくにその正体が分かり切っているから、嫌な予感を感じる暇すら無かった。
 振り向くと、病院の出入り口に黄緑のパジャマを着たマテリアが立っていた。
 この時の俺の焦燥感がわかってもらえるだろうか?
「んな、お前……アホかぁ! 何勝手に出てきてやがる! 大人しく病院の中でベッドで寝てろタコォ!」
「やだ!」
 焦りのあまり目を回しそうになった俺の叫びを断固拒否して、マテリアはもつれる足を引っ張ってこちらへ来ようとする。
 エルザとベルゼは微塵も動きを止めない。古代文字を書き、古代語を唱え続ける。
「……んなくそっ!」
 こんな状況では俺の方から駆け寄るしかないではないか。両脚から緑のエーテルを放出すると、俺は一息でマテリアの傍へ行く。
 今にも転びそうなマテリアの身体を慌てて抱き留めた。
「お前な、どうやってベッドから出てきたんだ!?」
「ナースコール! っていうか勘違いしないでよね! ボ、ボクは別にゼテオの事が好きって言った訳じゃないんだからね!」
「はあ!? 何の話だ!?」
「わかんないならいいよ! それより、今エルザとベルゼ殺そうとしたでしょ!」
「ああ!?」
 こいつ何が言いたいんだ? そんなのは当たり前だろ。お前だって前に自分の命を狙う奴をその手で殺したはずだ。ここであの双子を始末しない限り、あいつらは延々とマテリアの命を狙い続けるに決まっている。それを、
「……お前もしかして、殺すなって言いたいのか!?」
「うん!」
 力一杯マテリアは頷きやがった。
「うん! じゃねぇ────────ッ! お前馬鹿か! 馬鹿だろ!」
 怒鳴りつけた俺の胸元を、マテリアは必死の形相で掴んだ。俺の顔を見上げて、強風の中、懇願するように叫ぶ。
「違う! 違うんだ! ちょっと聞いて! あの二人は本当は可哀想な──」
 不意に吹き荒れていた風がピタリとやんだ。
『!』
 俺達は弾かれたようにエルザとベルゼに視線を向ける。
 エルザは唇を閉じ、ベルゼは記す手を止めていた。
 言霊が完成したのだ。
 双子は不敵な笑みを顔に浮かべて、勝利を確信した者の瞳で俺達を見ていた。
 一瞬の空白。それは永遠にも等しい、最悪の隙だった。
「────」
 まずい、と思う前にそれは発動していた。

「「     」」

 閃光が炸裂した。


 咄嗟に目をつぶったボクは、だけどフェアリーアイ≠ノよってその光景を視てしまった。
 全く意味のわからない言葉をエルザとベルゼが合唱した瞬間、とんでもない量の光と衝撃波が生まれるのを。
 それだけじゃない。光を伴う衝撃波がボクとゼテオに撃ち出された次の瞬間、それを阻むようにアレスくんが飛び込んできた。
 その後は言うまでもない。
 巨大戦艦の主砲のような一撃に身を投げたアレスくんは、バットに打たれたボールのように弾け飛んだ。
 飛んでいく先に病棟が無かったらどこまで行っていたことだろう。人間砲弾と化したアレスくんは白い病棟に一直線にめり込んだ。
 そうやってアレスくんがほんの一瞬の隙間を作ってくれたおかげで、ボクはゼテオに抱えられて逃げることが出来た。
 病室からフェアリーアイ≠ナ視たように、ゼテオはアレスくんと同等かそれ以上の速度で移動することが出来た。これが無ければ、いくらアレスくんのがんばりがあってもボク達は死んでいたと思う。
 アレスくんのことは心配だったけど、フェアリーアイ≠ナ無事は確認出来る。怪我はしているけど、死んではいないから大丈夫。悪いけど後で謝るから今はほっとく。それより、折角ここまで来たんだからボクにはすべき事があった。
 ゼテオによって再び病院の出入り口付近に移されたボクは、ベルゼとエルザに向かって声を張り上げた。背中が痛むけどそれは我慢する。
「エルザ! ベルゼ! ボクの話を聞いて!」
 もちろん、そんな簡単にあの二人が耳を貸してくれるとは思っていない。予想通り、二人は互いにこんな会話を交わす。
「外したわね……今のは惜しかったわ、ベルゼ。もう一度いくわよ」
「しぶとい連中じゃのう、エルザ。これでも他に被害がいかんようにするには骨が折れるというのに」
 まるで聞いちゃいない。だけどかまうものか。ボクには言わなければならない言葉がある。
「お願いだよ! ボク達を見逃して! どうしてボク達、仲間同士でこんなことしなきゃならないんだよ!? エルザもベルゼも、ただ『居場所』が欲しいだけじゃないか! ボクだってそうなんだよ!? 周りの人がみんなしてボクの希望を無視して! いたくもない場所に押し込められて! ──ボク達は一緒なんだ! きっと分かり合えるんだ! だから話を」
「黙りなさいッ!」
「──!? …………」
 エルザの言霊がボクの言語中枢を貫いた。……もう声が出ない。もうボクは、何も言えない。
 そんな……ボクはただ、同じ〈エクステンド〉同士、境遇が似通っているから分かり合えると思っただけなのに……
 だってそうだ。エルザとベルゼが恐れているのは、『水晶機関』から処分執行官という『居場所』を失うことだ。命令違反をしても、最強と思われている限り二人はどうあっても『居場所』を無くすことはない。唯一、二人が『居場所』を無くすとすれば、それは誰かに敗北した時だけだ。その時、最強でない『二人っきりの処刑者』は、『水晶機関』から見捨てられて『居場所』を失う。二人はそれを何よりも恐れているんだ。
 だから、このまま戦わずに帰ってくれたらって……!
 いつの間に泣いていたんだろうか。頬を伝った涙が、石畳に落ちて染みになっていく。
「……わかっただろ。もう話し合いの段階じゃないんだ。残念だが諦めろ」
 沈黙して涙を流し始めたボクに、ゼテオが優しい声をかけてくれる。その内容はどうしようもなく殺伐としたものだったけれど。
 ボクの身体は力を失い、地面にへたり込んだ。ゼテオはそんなボクを守るように、危険を阻むように、目の前に屹然と立ってくれた。黒くて大きな背中が、とても頼もしく見える。そして、
「マテリア。お前は悪くないからな」
 と言ってくれた。これが初めてボクが聞いた、ゼテオがボクの名前を呼んでくれた瞬間だったと気付くのは、もう少し後の話だ。
 先刻のエルザとベルゼの攻撃がどういうものかは、ボクもフェアリーアイ≠ナわかっている。再び、二人は古代言語を練り始めた。二人にとってボクらは必ず倒すべき敵になってしまったんだろう。話し合うことが出来れば、傷つけ合うこともなかったのに。
 ボクの前で、ゼテオが二人と同じように古代語を唱え、古代文字を空中に描き始めた。
 それが何を意味するのか、それもフェアリーアイ≠ェ教えてくれた。
 ──何をするのか。もちろん、エルザとベルゼと同じ事だ。あの二人に勝つには、同じ手法で、より大きな力をぶつけるしかない。そうしなければ二人の心は折れない。逆に言えば、これこそが二人の心を挫く唯一の方法──
 こちらにどうあっても勝てない。そう思わせる、たった一つの冴えたやり方。心が折れてしまえば、二人はもうボクの命を狙うことはない。絶対に勝てないとわかっている相手に勝負を挑むほど、彼らだって愚かじゃないはず。より強い『自分』ほど、勝てる気がしない存在はないのだから。
 ゼテオが古代語を詠唱する。その両手が複雑に動いて古代文字を記していく。
 そんなゼテオの全身から、いつしか虹色の輝きが立ち昇っていた。強く、はっきりした光は、真っ直ぐ空に向かって伸び上がる。
 強い光だ、とボクは思った。そして、良かったねゼテオ、とも。七色の輝きは、ゼテオの心が自由になった証だった。心を開いて、自己に閉じ籠もることのない、自由で強い心。それが今、ゼテオを満たしている。
 ボクは目を閉じ、両手を合わせて、祈りを捧げた。ボクも全身からエーテルを放出させる。祈りがボクのフェアリーアイ≠介して、より確かな未来を掴めるように。きっとボクのエーテルだけじゃほんの十数秒後に起こる未来は変えられないだろうけど。それでもボクのエーテルが、ゼテオの力になるように。少しでもボクが、相棒としてゼテオの役に立てるようにと。
 祈る。
「──g──n──g──e──y──」
 ひたすらに。ゼテオの声だけ聞きながら。
 そして望む。
 未来を。
 自由な未来を!
「────!」
 エルザリオンとベルゼリオン、そしてゼテオの言霊の準備が終わるのはほぼ同時だった。
 一拍だけの空白。
 この瞬間、彼らはどんな顔をしていたんだろうか。不敵に笑い合っていたのかもしれない。あるいは、お互いに敵意の眼差しを交わしていたのかもしれない。
 だけど、次の瞬間、決着は確実につく。
 永遠のような一瞬が過ぎ去るのを、ボクは祈りを捧げながら待った。

『      !』

 決着は静かについた。
 言霊は、より強大な言霊に抑え込まれる。だから、負けた方の言霊は発動することはない。
 そして、ボクの所へ閃光と衝撃は来なかった。
 いつまで経っても、来なかった。
 つまり、それが決着だった。




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