剣霊戦記序章


混沌を司る者─XENON─



 それは、ある晴れた昼下がりの事だった。

 午後一時十二分。
 様々な店が立ち並ぶ、大通りの歩道。
 羽村良太はアスファルトの歩道を、コンビニエンスストアに向かって歩いて いた。
「はぁ……」
 溜息一つ。良太は右手で後頭部をボリボリと掻いた。
 彼は、白いTシャツにホワイトジーンズ、そして黒いブルゾンを羽織り、黒 いバスケットシューズで足を包んでいるという、モノクロな格好をしている。
 季節は春。剣王国デイリートにも、花の咲き乱れる時期が来た。
 柔らかな風が吹き、少年の短く刈った黒髪が、わずかにそよぐ。空には雲一 つ無く、極上の天気だった。
 がしかし、少年の心は暗かった。
「塾なんて、だりぃよなぁ」
 小さい声で呟き、ブルゾンのポケットに両手を突っ込む。彼は今、塾で行わ れている、大学受験の春期講習を受けていた。コンビニエンスストアに向かって いるのは、昼食を買うためである。
 不意に、子供の笑い声が耳に届いた。首を回すと、そこには二人の親子連れ がいる。路上のアイスクリーム屋の前で、幼女が口の周りをバニラアイスクリー ムでベトベトにして、それをハンカチで拭っている母親に笑いかけている。
(ったく、ガキは単純でいいよなぁ……)
 たかがアイスクリーム一つで大はしゃぎ出来る精神が羨ましい。
 本屋の前を通り過ぎ、隣の雑貨屋との間の路地に入る。こちらから行くと近 道なのだ。
 薄暗い路地は、そこら中にゴミが散乱しており、悪臭が鼻を突く。
 しかし、良太それらを気にすることなく、歩を進める。なぜなら、彼はここ 最近、殆ど毎日この道を通っているからだ。こんなモノ、もう慣れっこである。
「──ん?」
 しかし、今日は見慣れない物が、視界の端に映った。
 路地のど真ん中に、なにやら小さな物が落ちている。薄暗いこの場所に置い て、仄かに赤く発光している。
「何だこれ?」
 良太は右手をポケットから出し、腰を屈め、それを拾い上げた。
 それは指輪だった。白い輪から突出している四本牙に、ビー玉ぐらいの大き さの紅玉が挟まれているというデザインの物だ。
「へぇぇ……ガラスかな?」
 頭上に掲げてみるが、ここに日光は射していない。ガラスか宝石かの判別は 出来なかった。少し歩いて路地から出れば、光に当てて見る事もできたが、良太 はそれをしなかった。
 それが彼の不幸だった。
 ポケットから左手も取り出し、良太は何気なくその指輪を、右手の薬指には める。驚いたことに、サイズはピッタリだった。まるで、彼のために作られたか の如く。
「おお、ピッタリじゃん。ラッキー」
 右手の甲を顔の前に持ってきて、口笛を吹く。
 と、その時だった。
 ──ズクンッ!
 突然、心臓を素手で掴まれたような衝撃が、良太を襲った。
 思わず、左手で胸の中央を抑える。
「──かっ……はっ……!」
 灼熱感が四肢を駆け抜けた。全身を殴打するような衝撃に、肺の中の空気が 、無理矢理叩き出される。
 呼吸が出来ない。感覚的に、胸の中に石でも詰まってるようだ。
 頭の中が、まるで消しゴムでもかけられたかの如く、真っ白になっていく。
 ──ズクンッ!
 ハンマーで頭を殴られたような衝撃。
「──ぎっ……がっ……!」
 目を見開く。完全に呼吸の路が断たれた。
 一瞬、体中の組織が、全ての活動を停止する。
 硬直。
「……!」
 もはや声も出なかった。
 まるで全ての筋肉が石になったかの様に、良太は、ごと、と前のめりに倒れ る。
 少年の体はゴミ溜の中に突っ込んだ。


 良太の体は立ち上がった。
 唐突に、である。何の予備動作もなく、彼の体はまるで痙攣の如く立ち上が ったのだ。
「…………」
 無言。
 服に付いたゴミを払いもせず、良太の体は歩き出した。
 来た道を戻る。再び、大通りの端にある歩道に出た。
 少年の体が立っている歩道と、通りを挟んだ向こうにある歩道。その上を数 十人の人々が、道に沿って建っている店を覗きつつ、歩いている。
 良太の体の左手から、雑貨屋の前を通り過ぎて、一人の少年が歩いてくる。 黒いシャツとブルージーンズに身を包んだ、赤髪の少年だ。ジーンズのポケット に両手の親指を差し込み、悠然と闊歩している。
 その姿を確認した途端、良太の体は動いていた。
 体の向きを九〇度回転。左を向く。
 右腕を持ち上げ、ブルゾンの袖をまくる。
 そして、右腕を左から右に払った。
 場違いなほど軽快な風斬り音。
 ぶつん、と音がして、赤髪の少年の上半身が、腰を境にして飛び跳ねた。
 宙を舞う上半身。
 一瞬遅れて、ジーンズの口、腰の断面から赤い血が間欠泉の如く噴き出した 。
 どさり、と三五キロの肉塊が、下半身のすぐ後ろに落ちる。
 血の雨が降る。赤黒い液体が、びちゃびちゃとアスファルトを濡らした。
 一秒ほどの間。
 そして、大通りに恐怖と恐慌の嵐が巻き起こった。
「う、うわぁあぁあぁあぁあぁあぁっ!?」
「きゃぁぁあぁあぁあぁあぁあぁっ!?」
 悲鳴が轟く。良太からというより、血を噴く死体から遠ざかるため、人々は 蜘蛛の子を散らすかの如く逃げまどった。
 そんな人々の様子を見て、良太の口が、釣り上がる。
 目も見開かれる。
 唇の端を釣り上げられるだけ釣り上げ、開けるだけ目を開いた。
 まるで道化の如き唇。爛々と輝く瞳。
 その形相は狂人のそれだった。
 良太の右腕が振り上げられる。
 否、それはもう『腕』ではなかった。
 肘だった箇所が、両手でも包みきれない程の大きさの紅玉になっている。覗 き込むと、より赤い色で描かれた『X』という印が浮いている、不思議な紅玉だ 。さらに奇怪なことに、その印は、紅玉の中で常に縦軸横回転しているのだ。一 秒に一周の周期で。
 そして、その赤ん坊の頭ぐらいの赤水晶から、純白の刃が、天に向かって伸 びていた。その長さは、一メートル半ぐらいだろうか。
 少年の右腕は、二の腕だけを残し、白い剣と化していた。
 ぎらり、と純白の刃が日光を照り返す。
 振りかぶった右腕が、上から下に弧を描いて、風を斬った。
 ずん、と大気が唸った。
 衝撃が、津波の如く、前に飛ぶ。
 ぎん、と空間の軋む音が鳴り響いた。
 ピシリ、と周囲の建物の窓にヒビが走る。
 次の瞬間、大通りの上に、数十枚の肉煎餅ができあがった。
 逃げまどっていた人々が、まるで巨人の鎚に殴打されたかの如く、赤い液体 を撒き散らして潰れたのだ。
 長細いアスファルトの上で、ぺっしゃんこになった肉の塊が、己が吐き出し た液体に沈む。
 良太の体の背後で、新たな悲鳴が上がった。
 それを聞いた狂人の瞳が、輝きを増す。
 ゆらり、と幽鬼の如く振り返った。
 ニィ、と唇の端を持ち上げて、笑う。
 そして、振り下ろした白刃を、振り上げた。
 快音。
 空気の塊が前方──逃げまどう人々めがけて飛んだ。
 炸裂する。
 アスファルトが縦に裂けた。
 運搬業の男が、親子連れが、ケーキ屋のアルバイトが、鮮血を撒き散らしな がら吹き飛ぶ。
 地面に激突する頃、彼らの体は二つに別れていた。
 あまりにその所業が速かったためだろうか。彼らは悲鳴を上げることなく絶 命した。
 唐突に、辺りに静寂が満ちる。
 アスファルトの上を滑る血液が、良太の足に触れる。黒いバスケットシュー ズが血に濡れた。
「…………」
 血溜まりの中に、一歩踏み出す。靴の底が水っぽい音をたてた。
 今や、大通りには、良太以外に動く物は何も無い。
 静寂の中、何かに導かれるように、少年は血の道を歩く。
 黒いバスケットシューズの液体を踏む音だけが、場違いなほど大通りに響い ていた。


 剣王国首都・クォヴァディス。
 そのど真ん中にそびえ立つ、巨大な建造物──ジグ・ハウテン・ブルグ。
 剣王国デイリートの中心であり、国王ジークレストの居城である。
 巨大な威圧感を放つ純白の要塞。その唯一の出入口である門に向かって、一 つの影が高速で迫った。
「!?」
 門番がその人影の存在に気付いた時には、既に遅かった。
 警告の声を上げる暇もなく、彼の胴と頭は泣き別れになった。
 鉄で作られた、高さ三メートルを越える門。高速で動く影がそれに飛びつく 。
 門が横一文字に切り裂かれた。
 純白の刃によって。
 轟音。鉄を切り裂く音は、絹を引き裂く音とよく似ていた。
 それが警鐘の代わりだった。


「敵襲!」
「賊だ! 賊が侵入したぞ!」
 怒声が飛び交う。城内は一気に騒然となった。兵士達は廊下を走り回り、女 子供達は安全な場所へと避難する。
 侵入者──白いTシャツ、ホワイトジーンズ、黒いブルゾン、黒いバスケッ トシューズに身を包んだ少年は、狭い廊下に敷かれた赤い絨毯の上を駆ける。深 い毛並みの上に、乱暴な足跡を刻んでいく。
 その刃と化した右腕は、少しも血に濡れていない。
「いたぞ!」
 大声が左手の方から飛んできた。視線をよこすと、白い鎧を着込んだ男達が 五人。各々が長剣を手に、良太──否、狂人の方に向かって、走ってくる。
 狂人が目を剥き、唇の端を持ち上げて、笑う。
 彼我の距離が五メートル以上あるにも関わらず、純白の剣を薙ぎ払った。
 迫り来る五人の兵士の身長は、ほぼ同じ。だから、彼らの首は仲良く宙を舞 った。
 『彼』は知っていた。白い鎧は聖騎士の証。聖騎士の再生力は並ではない。 首と体を切り離さなければ殺せない──と。
 兵士達の体が絨毯に埋まるのを見届けず、走る。
 絨毯の上を人とは思えない速力で、駆ける。
 廊下を走り抜けて、広い場所に出た。
 一階と二階が吹き抜け構造になっている、大広間だ。前方に、二階へ続く階 段が見える。天井の中央には巨大なシャンデリアが吊られ、煌々と室内を照らし ていた。
 そして、十数の鎧が、光を照り返している。
 緑色を基調とした鎧と、紫を基調とした鎧の、二種類。
 それが、広間に突入してきた狂人を囲んでいた。二階の廊下からも、十数人 の騎士達が、中央に立つ侵入者を見下ろしている。
 しかし、狂人は足を止めない。階段に向かって、足を回転させる。
「──今ですっ!」
 狂人の背後で、高らかに女性の声が叫んだ。声に応じて、その場にいる全員 が剣を頭上に掲げ、狂人に向かって振り下ろす。
 空気が爆ぜた。
 狂人の周囲の空間だけが、瞬間、爆裂した。
 光。
 熱。
 爆風。
 それらが、刹那の間、広間に充満する。
 そして、爆風が収まった後。
 そこには誰もいなかった。ただ、爆発の痕だけがある。
 誰もが目を疑った、その時。
 たった一人を除き、その場にいた全員の首が、跳んだ。
 まるで玩具か何かのように。
「なっ……!?」
 ただ一人助かった人物──先ほど攻撃命令を出した、緑色の髪を一本三つ編 みにしている女騎士が、驚愕の声を上げた。
 足音。
 弾かれたように、彼女──魔導騎士団団長アージュ=セティは背後を振り返 る。
 そこに、黒いブルゾンを翻して、階段を駆け昇る狂人の背中があった。
「そんなっ……!?」
 彼女は二階の、三階へ続く階段に背を向けて、一階にいた少年の背中を見下 ろしていたのだ。
 あの少年は、あの一瞬で広間中を駆け回り、部下達の首を断ち、そして自分 の背後を走り抜けたというのか。
(人間じゃ……ない……!?)


 ジグ・ハウテン・ブルグ三階。
 階段を昇りきった狂人の前に、一人の騎士が立ちはだかった。
 水色の鎧を着込んだ、小柄な少年だ。無骨な鎧の上を流れるのは、鎧と同じ く、しかしそれ以上に美しい、水色の髪。
 そして、眉目秀麗。剣など似合わない、実に美しい少年であった。
 しかし、狂人はその少年を無視。目的に向かって動く。
 四つん這いになるかと思うほど腰を屈め、廊下を走る。
「ここから先は通しませんよ……」
 静かだが力の篭った声で言い放ち、少年は絨毯を蹴った。
 半瞬で腰に差した長剣を抜き放つ。
 ぐん、と彼我の距離が縮まる。
 機先を制したのは狂人の方だ。刃と化した右手が、跳ね上がる。標的は少年 の腹と胸だ。
 これを少年は、右手で剣の柄を握り、左手で剣の腹を押さえ、受け止める。
 これを受け止めれば、相手に隙が出来る。確実に致命打を与えられるはずだ 。
 純白と白銀の刃がぶつかり合い、澄んだ金属音が鳴り響く。
 ここで、少年にとって予想外の事態が起きた。
 斬撃を受け止めた少年の体が、浮揚する。
「!?」
 何という膂力。確かに少年の体重は四十三キロという、比較的軽い物だ。し かし、それに鎧の重量も付加されている。
 狂人の細い腕では、持ち上げることすら叶わないはずだ。
 しかし事実、今、少年の足は絨毯から離れている。
(人間……か?)
 そして、持ち上げられるというより、上に向かって投げつけられた。
「──!?」
 小柄な体が天井に激突する。鎧が鈍い金属音を吐いた。
 天井に背を付けた少年の真下を、狂人が駆け抜ける。
 少年は刹那で状況を判断。動揺せずに行動する。
 背を付けている天井を、蹴った。下に向かって、飛ぶ。
 着地と同時に、少年は疾駆。狂人を追いかける。
「先には通さないと言ったでしょう……!」
 力を込めた声で呟き、狂人を追い越した。
 ひゅっ、と風が啼いた。
 狂人を左から追い越した少年が、右手に持った長剣を振るう。腰を屈めて走 る狂人の顔めがけて。
 その瞬間、狂人も右腕を動かしていた。純白の刃で、少年を突く。
 速い。
 長剣が狂人の顔に届くより、わずかに速く。純白の刃は少年の喉を狙う。
「!」
 しかし、少年はこれを避けようとはしなかった。覚悟を決めて、わずかに体 を横にずらす。空気の壁を貫いて迫る刃に、わざと左肩を突き出した。
 純白の刃が肩甲を破壊し、左肩を貫く。
 衝撃で長剣の動きが揺れた。狂人の頭の上を高速で通り抜ける。
「──っ!」
 言葉にならぬ叫びをあげ、少年は右腕に力を込めた。
 横の軌道に乗っていた長剣が、唐突に、落ちる。
 縦の軌跡を描く。
 白銀の刃が狂人の左肩に食い込んだ。
 さらに力を込める。ぼきん、と骨の折れる音が、剣を通して伝わってきた。
 肉を斬らせ骨を断つ。少年はそれを見事、実践して見せたのだ。
 狂人の左腕が、肩ごと斬り飛ばされた。ブルゾンの袖に包まれた腕が鮮血を 撒き散らし、三次元的な回転をしながら、宙を舞う。
 ここで少年は確信した。
 これで一時的にでも狂人は止まるはずだ、と。
 しかし、その期待はあっさり裏切られた。
「!?」
 まるで左腕が最初から無かったかの如く、狂人は動き続けた。
 その顔には相変わらず、壊れた笑顔が張り付いている。
 狂人は少年に体当たりをかました。少年の小柄な体はあっさり吹き飛ぶ。血 が潤滑油の代わりをしたのだろうか、ひどくあっさり、肩から純白の刃が抜けた 。
 そして、狂人は再び疾走する。
 小さく跳躍して、絨毯の上に倒れ込む少年を飛び越えた。
 肩口から赤い血を迸らせ、狂人は廊下の奥へと消えていった。


 王間には、三人の人物がいた。白い鎧、黒い鎧、黄金色の鎧に身を包んだ者 達だ。
 王間は数百人の人間を収容できるほど広い。天井には幾つ物シャンデリアが 吊られ、真ん中に、大きなステンドガラスがはめ込まれていた。赤い絨毯が玉座 と出入口とを繋いでいる。
 三人は今、王間の奥、玉座の周辺にいた。
「いかがなさいますか?」
「かまうな。来たのなら殺せ」
 白い鎧に身を包んでいる金髪の女性──聖騎士団団長シアナ=レフェリスの 問いに、剣王ジークレストはあっさりと、剣呑な言葉で答えた。
 この金髪碧眼の、鼻と口の間に髭を生やしている初老の男が、剣王国の王で ある。
 彼は今、用心のため、という名目で黄金色に輝く豪奢な鎧を身に纏い、同じ く黄金色の玉座に鎮座している。
 王間は目が痛くなりそうな部屋だった。
 何が用心のためだ、とジークレストは思う。こんな必要以上に重い物を着て いて、いざという時に逃げられるものか。
 重い手甲に包まれた右腕を持ち上げ、短く刈った金髪を掻き上げる。
「……騒がしいな」
 王間の扉の向こうから聞こえる喧噪の声に、ジークレストは呟いた。
「当たり前だ。賊が侵入している」
 国王の独り言に、無礼な言葉を吐く輩がいた。
 黒い鎧を身につけた、金髪の騎士である。
 ジークレストは、蒼い瞳で黒騎士──暗黒騎士団団長シェイル=パースを睨 み付けた。通常なら、ここで怖じ気付くのが当然である。それどころか、国王に 対してあのような言葉を吐くことすら、そもそもあってはならないことだ。
 しかし、シェイルはジークレストの蒼い眼光を受け止め、そればかりか、同 じく蒼い瞳で睨み返した。
 空気が緊迫する。
 数秒、睨み合いが続き──
「来ました」
 シアナの言葉が、二人の睨み合いを中断させた。
 扉の向こうから、微かにテンポの速い足音が聞こえてくる。
 瞬間、キン、と王間の鉄製の扉が啼いた。
 烈風が吹く。シアナの腰まで届くストレートの金髪、シェイルの後ろ髪だけ 長い金髪、ジークレストの短く刈った金髪が、順番に風に揺れた。
 鉄の扉が、幾つものジグソーパズルのピースになって、崩れ落ちる。
「!」
 シアナとシェイルが身構え、腰の剣に手を伸ばす。
 しかし、その扉からは誰も入ってこなかった。鉄の破片が絨毯の上に落ちて くぐもった音を出す。
「なんだ?」
 ジークレストが疑問を口にした。
 その時。
 天井の中央にあるステンドグラスが、悲鳴を上げて砕け散った。


 ステンドガラスを叩き割り、王間に飛び降りる途中、『彼』は目的のものを 発見した。

 お前はもう用済みだ。

 良太は空中で意識を取り戻した。
(──は?)
 正確には、心が解放された、だろうか。
 時間が引き延ばされたような感覚が、彼を覆っている。
(どこだここは?)
 身を宙に置きながら、そんな疑問が湧いてきた。
 視界に、玉座が映る。黄金色の鎧に身を包んだ男が見えた。周囲の様子も合 わせて、アレが国王様だな、と直感で思う。
 やけに左半身が軽いなと思ったら、左腕がなくなっていた。代わりに赤い血 がすごい勢いで溢れている。
 視界の下に、黒い剣を構えた金髪の男性。視界の上に、白銀の剣を構えた金 髪の女性が入った。
 女性はどうやら跳躍しているらしい。良太よりも高みにいる。
 真下で、男性がこちらに向かって跳躍した。
 二人とも、剣を良太に向けている。
(なんで?)
 そう思った途端、切り裂かれた。
 無意識に手と足で防御しようとしたのか。まず、右腕と左足が切断された。
 次に、右肩に白銀の剣が食い込み、黒い剣が左足を真っ二つに裂きながら体 を昇ってきた。
 白銀の刃が、右肩から左脇腹を、通り抜けた。
 黒い刃が、左足を真っ二つにして、腰の真ん中から右肩を、通り抜けた。
 白銀と黒の刃が、少年の体の中ですれ違う。
 良太の体は合計四つに切り裂かれた。
(……なんで……)
 疑問に答えるものもなく。
 不幸な少年は息絶えた。
 四つの肉塊が、盛大に血を吐き出しながら絨毯の上に落下する。
 生理的嫌悪を覚える、水っぽい音がした。


 この後の調べでは、少年は何故、城に侵入したのか。少年は何故、人を超越 したような力を持っていたのか。少年はどうやって、殺戮をしたのか。
 それらは全然わからなかった。
 死体を調べたところ、彼は凶器を持っていなかったのだ。
 目撃者はただ一人、魔導騎士団団長アージュ=セティを除いて、全員死亡し ている。
 そのアージュも、
「いえ。相手の動きが速くて……よく見えませんでした」
 と供述している。
 だが後一人、狂人と相対して、生きている人間がいる。狂人の左腕を切り飛 ばした、あの少年だ。
 しかし彼は何故か、その事を誰にも報告しなかった。肩の傷に関しても、沈 黙を保った。
 故に狂人の右手が純白の刃と化していたことは、誰も知らない。
 だから、誰も気付かなかった。
 白い輪から突出した牙に紅玉が挟まれているというデザインの指輪が、剣王 ジークレストの右手の中指にはめられている事に。

 それは、ある晴れた昼下がりのことだった。



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