剣霊戦記


乱戦
─THE MAD PARTY─



「早かったのう、勾邑や」
「無辣老。留守番、ご苦労様です」
「……鳥の首尾はどうじゃ?」
「中の上、と言ったところですか」
「C、D、Eは?」
「予定通り、狂わせました」
「ふむ……Gは?」
「『拳』に渡すよう、彼女に言ってあります」
「色」
「それも手筈通り、彼に」
「そうか……しかし、お主はともかく、あやつらはちと心配だのう」
「彼らなら大丈夫でしょう。少し感情に走りすぎる傾向はありますが」
「ふむ……いや、なに、あやつらも理解しておろう。わしらの悲願のため、失 敗は許されん、とな」
「悲願、ですか。貴方はまだ数百年と言ったところではないですか」
「念の強さは、歳に関係あるのかのぉ」
「さあ? 少なくとも、貴方は私に及びません」
「……なかなか、言ってくれるもんじゃな」
「ええ。コレだけが取り柄でして。負けるわけにはいかないのですよ」
 
「そう、誰にもね」
 
 
 その柔らかな声はしかし、冷たく鋭く辺りに響いた。
 
「さあ?」
 異形の左腕を持つ男──セキは肩を竦め、小首を傾げた。
 その唇は、笑っている。
 問うた男──バードは怪訝な表情を浮かべ、セキの顔を睨め付ける。
 だが、セキの表情は変わらない。道化のような笑みを浮かべたまま、崩れな い。
 吐息。
 バードは頭を巡らし、視線を左下に向け、問う。
「なあ、あんたはなんかされたのか?」
「えっ──?」
 バードの視線の先にいる少女──コマチは、突然の質問に素っ頓狂な声をこ ぼした。
 しかし次の瞬間、はっ、と表情を引き締め、右手の人差し指を、びしっ、と セキに向けた。
「そ、その人、辻斬りなんです!」
「……辻斬り?」
 アスファルトの上にへたり込んだコマチの隣に立つ少女──ミーナは、その 使い慣れない単語をオウム返した。
 その声から何の力を得たのか。少女の語気は出し抜けに強くなる。
「そっ、そうなんですよ! いきなり人に襲いかかってきて! 死んでくださ いとか何とか!」
 両腕を胸に寄せ、バードに向けて早口にまくし立てる。
 次いで、きっ、と強い視線をセキに向け、これまた早口にまくし立てる。
「──っていうか貴方なんなんですかっいきなり人に襲いかかってきたりして っ危ないじゃないですかっソレって悪いことなんですよっわかってるんですかっ 何か言ったらどうなんですっちょっとっっっ!」
 大量の言葉を受けてしかし、男は眉一つ動かさなかった。
 そして、何も応えない。
 バードはコマチとセキの顔を交互に眺め、
「──ふむ」
 と軽く唸った。
 途端、視線に力を込め、セキを睨む。
「悪者退治は、しねぇといけねぇだろ。やっぱ」
 意味不明なことを呟き、その右掌が印を組む。
 流れるように動いた手の軌跡が、光を放つ。
 それは、一つの絵を描いた。
 剣の絵である。
 次の瞬間、光の線で描かれた剣が、実体化した。重力に引かれ墜落する前に 、バードの手がその握りを掴む。
 鍔が無く、飾り気も無い、機能美を追求したデザインの剣だ。黒い握りから 一メートル程の白銀の刀身が伸びている。
 バードは具合を確かめるようにその剣を軽く振るい、風を切った。
 そして、にやりと笑い、セキに言う。
「悪ぃが、役所で報奨金になってもらおーか」
「……邪魔をするんですか?」
 短い問いかけがセキの唇から生まれた。
 それに対し何故かミーナが胸を張り、くすっ、と嘲りを口元に浮かべ、こう 応えた。
「あら? あんた、頭が悪いのね」
 見れば解るじゃない。邪魔する気満々よ。
 ミーナは言葉を換えてそう言ったのだ。
 セキはしばし沈黙。表情が、引き締まる。
「…………」
 睨む。金色の光が、バードとミーナとコマチの顔を順に照らしていく。
「なるほど」
 やおら、顎を引くようにして、軽く頷いた。
 そして、次の瞬間。
 彼は今までで一番気味の悪い笑顔を浮かべた。
 バードは一瞬、セキの口が裂けたのかと思った。
「獲物が増えたというわけですね」
「「は?」」
 バードとミーナは思わず変な声を出してしまった。
「あんた、何言って──」
 バードの言葉は半ばにして途切れた。
 セキが動いたのだ。大地を蹴り、真っ直ぐ、コマチに向かって。
「!?」
 速い。
 一瞬で彼はコマチの目の前に。
「──!?」
 驚愕に染まったコマチの顔を見下し、
「一人目」
 真上から六角棒と化した左腕を振り下ろす。
 だが、それは空を切った。
 コマチの姿が消えていた。咄嗟に視線を振りまくと、足元のすぐ右にミーナ とコマチが重なって倒れていた。どうやらミーナがコマチを突き飛ばして助けた らしい。
 動きは止まらない。
 六角棒は何もない空間を通り過ぎ、アスファルトの路面に激突。路面がまる で砂のように崩れ、黒い土煙が舞い上がる。
 セキは土煙を無視。かまわず、土煙の中に突っ込む。
 目測で六角棒を振り回すつもりだ。
 しかし。
「テメェの相手は──!」
 左から声が飛んできた。
 首を回して、左に視線を向ける。が、土煙で何も見えない。
 ひゅっ、と風斬り音が聞こえた。
 目の前に突然、白銀の刃が現れた。
 セキはこれを表情を崩すことなく、首を曲げただけでこれを避ける。
 突きの一撃は、虚しく土煙だけを貫いた。
 次いで、土煙の中から刃の持ち主が現れる。
 バードだ。
「この俺だっ!」
 
 
 難解な問題ほど、その答えはあっさりしているものだ。
 
 それは不思議な光景だった。
 彼の視界の中にあるのは、空に浮かぶ幼い少年。
 地上に直立している鉄色の髪の青年。
 そして、大地から生える、巨大な異形の天使の上半身。
 それらが、月の明かりに照らされている。
 並とは言えない光景。
 事実、彼は今までこれほどまでに異常な風景を見たことがなかった。
 そして、世界のどこにも見たことがあるという人物はいないだろう、と断言 できる。
 ギネスブックものだ。
 彼──チャスターは大地を蹴った。
 再び、走り出す。
 向かう先にいるのは──鉄色の髪の青年。
 敵か味方かも解らない青年である。
 背後で邪神酒の動く気配。
 上空の閲祇の右手に、白い符が現れた。
 それでも彼は走る。
 鉄色の髪の青年──ラミリエルが、髪と同色の瞳をチャスターに向けた。
 『おやなんだろう?』と、とぼけた視線がチャスターの顔を撫でる。
 刹那。
 チャスターはラミリエルに肉薄。
「すまんっ」
 そう言って彼はラミリエルの腰に腕を回した。
「?」
 ラミリエルは抵抗しない。
 チャスターの太い腕がラミリエルを、ひょいっ、と持ち上げ──彼は小脇に 抱えられた。
 そして、チャスターは前に向かって跳躍するように、疾走する。
 直後、大気が爆ぜた。
 一瞬前までチャスターとラミリエルのいた空間に白い符が投げ込まれ、白い 光を発し、爆発したのだ。
 白い光が辺りを覆い尽くす。
 全てが強い光に照らされ、チャスターの視界は白い闇に閉ざされた。
 が、チャスターはそれを無視する如く、動きに躊躇を出さない。
 記憶と勘だけを頼りに、森へ向かって走る。
 葉や枝が、肌に触れる感触。どうやら森の中に入ったらしい。
 小脇に抱えたラミリエルが枝に引っかかって怪我をしないだろうかと思いつ つも、その時はその時だとばかりに走る。
 視界が晴れた。
 今度は真っ暗闇だ。
 獣人の瞳は、急激な光量の変化に弱い。
 だが、彼は少しも速度を緩めない。
 葉と枝を鳴らしながら走る。
「──あの」
 小脇のラミリエルが声を掛けてきた。視界が悪いため、表情は分からない。 が、声に険はなかった。
 チャスターは遮断するように聞いた。
「敵か? 味方か?」
 彼はあの時、生き残る手段だけを考えた。
 その答えは言うまでもない。
 青年が敵でないのなら、味方に付ける。
 敵ならば、引き続き逃走する。
 それだけだ。
 後者なら、チャスターが生き残る確率は万に一つもない。逃げ切ることは出 来ない、と彼は確信している。
 が、前者なら、少なくとも生き残れる可能性は低下しない。
 だから彼は賭けに出た。ラミリエルを浚い、問えばいいのだ、と。
 正に命をチップにした賭けである。
 そして、その勝敗は──
「……少なくとも、敵ではありませんが」
 勝ち。
 チャスターは素早く必要事項を言い放った。
「私はこのまま逃走に全身全霊を掛ける。貴様は援護を頼む。魔法ぐらい使え るだろう」
「…………」
 返答はない。
 代わりに、異様な咆哮が辺りの空気を振るわせた。
 背後。距離的に、異形の天使がいた辺りから。
 人の神経を逆撫でせずにはいられない、気味の悪い嬌声が上がった。
 驚愕したチャスターが思わずラミリエルに視線を向けると、彼の額が光を放 っている。
 そして──
 夜が歪み始めた。
 
 
「あーあ、やられちった。
 馬鹿だねー、あいつ。
 見え見えだったのに、あんな罠。
 ま、しょうがないかなー、学校行ってなかったみたいだし。
 社会不適合者は役に立たないって本当だったんだ、あははっ」
 
 
 意識のない人間は文句を言わない。
 
 セラフィーは背負った少年を黒のパイプベッドに下ろした。
 ぎしっ、とベッドが軋み、少年──久遠は寝かされた。
「ふぅ……」
 吐息。
 見下ろすセラフィーの視線の先で、少年はいっそ安らかと言っていい表情で 意識を失っている。
 寝ているようにも見えた。
 セラフィーはゆっくり上下する少年の胸を確認すると、出し抜けに右手で印 を組んだ。
 詠唱する。
「我が御前に現れよ。大気の精霊ミルクティオ=ゼファー」
 言い終えた直後、彼女の胸の前で光が弾けた。ほんの一瞬だけ、室内が白い 光に満たされる。
 ぽん、と弾けた光の中から現れたのは、一人の少女だ。
 小さい、本当に小さい少女である。
 小人属性だ。
「およびでございましょうか、せらふぃーさま」
 こじんまりとした、赤紫を基調とした服。小人特有のデザインだ。エの字形 の腕輪を両手に填め、首からは紋章の刻まれた逆三角形のネックレス。材質はど ちらも銀。
 長い緑の髪を二つに分け、先端を黄色のリボンでまとめている。長さは、先 端が腰に届く程度。その上に、縁に呪文を刺繍した赤い帽子を乗せている。
 まるで人形だ。体に不釣り合いな大きさの大きい紺色のブーツが、やけに可 愛らしい。
 宙に浮く小人属性の少女──大気の精霊ミルクティオ=ゼファーは鳶色の光 を爛々と輝かせ、主であるセラフィーを見上げていた。
「ミルクティオ。この子の体に興味があるわ。調べてみてくれる?」
(あっれぇー? 自分で調べないの? 珍しいじゃん)
(分けも分からないものに触って火傷したら困るわ)
(あ、なぁーるっ)
 このようなセラフィー内部の葛藤を知らないミルクティオは、無い足場の上 で両足を揃え、締まらない敬礼を一つ。
「はい、まかせてくださいませ」
 まじめな顔がやたらと似合わない。
 ミルクティオはベッドの少年に振り返り、小さな両手をかざす。
 刹那。
 彼女を中核とした半径三十センチ程の立体型魔法陣が現れた。
 黄色のワイヤーフレームの魔法陣は、出現したと同時に三次元的な回転を始 める。
 やがて肉眼で呪文を読めなくなるほど加速した直後、少年に向かって弾かれ るようにして飛んだ。
 吸い込まれるように少年の腹に入った立体型魔法陣は、瞬時に膨張し、少年 を囲う檻となる。
 数秒。
 ミルクティオが躊躇いがちに口を開いた。
「……あの、せらふぃーさま」
「何か分かった?」
「いえ……その……このひと、なにかあるんですか?」
「……? どういう意味?」
「それが……」
 ミルクティオは一秒ほど言葉に迷い、
「──ふつうのひとですよ、このひと」
「…………」
 セラフィーは目を見開いた。
 そんな馬鹿な。あれほどの身体能力を発揮しておいて、彼が並の人間である はずがない。
 考える。
 例えば、魔法か何かで身体と神経を強化していた。──これは違う。あの時 、彼からは何も感じられなかった。これには自信がある。セラフィーは魔力だろ うと理力だろうと霊気だろうと、相手が使用している能力を把握する事が出来る 。
 ウィズおかかえの研究者ならそれぐらい朝飯前なのだ。
 だから、別の方向で考える。
 ミルクティオに調べてもらった結果、カ・グラスのプラスとは思えない。
 だが、もし新技術が使われていたのなら?
 ミルクティオの検査に引っかからないようにしてあるとしたら?
 セラフィーは決断する。
「その少年を地下の研究室に転送して。そこでさらに詳しく調べるわ」
「あ、は、はいっ」
 早口で言われた言葉に、ミルクティオは慌てて頷いた。特に魔法などを使う 者は意識しないと早口に喋る癖がある。一種の職業病だ。
 
 数時間後、結果は出る。
 
 
 戦闘開始。
 
 明け方の空に、三つの点が浮いていた。
 三つの点の内、二つが高速で移動している。
 どちらも、唯一止まっている点に向かって。
 制止している一つは、龍に袴ったドレス姿の少女。
 次に高速で移動する、先端から刃を突き出した黒い球体。
 最後に、球体の後を追う天馬を駆る瑠璃色の髪の騎士。
 と。
 球体が動きを緩めた。徐々に速度を落としつつ、蛹のように全身を覆う鷲の 翼が開き、中から学生服姿の少年が現れる。
 鷲の翼がその身を振り回すかの如く羽ばたき、少年──理玖は空中で制止し た。
 龍に袴った少女──カネチュアとの距離は、三メートル。
 そして、彼は動かない。カネチュアも動かない。
 二人は彼方から飛来する天馬騎士──クリスに、気付いていない。
 だからまず、理玖の左腕が宙を舞った。
 クリスが高速で理玖に接近すると同時、抜き放った剣で切り飛ばしたのだ。
 肩ごと斬られた左腕が空中で回転し、重力に引かれ放物線を描く。
 一瞬後、理玖が悲鳴を上げた。甲高く、引き釣れた悲鳴を。
 悲鳴は、落下していく彼の左腕が見えなくなるまで続いた。
 こんな風にして、その戦闘は始まったのだった。
 
 カネチュアは目を見開いた。
 あまりにも予想外の事象が起こったからだ。
 敵を迎え撃とうと待ち伏せ、ようやく相手が近付いてきたなと思った瞬間、 彼の左腕が宙を舞ったのだ。
 背後から突然現れた、天馬騎士の剣によって。
 一瞬、思考が真っ白になった。
 だから、彼女はしばし呆然とする。
 だが、その間も現実は進む。
 理玖が肺腑の奥底から絞り出すような悲鳴を上げた。やたらと腹に響く、嫌 な声で。
 それは二秒ほど続いた。その間に天馬騎士はカネチュアの周囲を迂回し、方 向転換。まるでカネチュアなど眼中に無いかのように、真っ直ぐ少年に向かって 飛ぶ。
 咆哮。
 肩の断面から血飛沫を吐く少年の口から、獣の如き重低音が放たれた。
 刹那、咆哮を切り裂くが如き澄んだ金属音が鳴り響く。少年の右腕から生え た剣と、騎士の剣が、打ち合ったのだ。
 この音がまずかった。
 カネチュアはスウェアと高い同調状態にあった。だから、カネチュアが感知 した戦闘音響に、スウェアは過敏に反応する。
 龍は出し抜けに口を、ガバッ、と上下に開き──
(──えっあっ嘘っ!?)
 カネチュアがそう思った時にはもう遅く、スウェアの口から彼の胴と同じ太 さの熱光線が発射されていた。
 少年と騎士に向かって。
 青白い光が闇夜を切り裂く。
 大気を焦がしつつ二人に迫る灼熱の光線は、しかし彼らには当たらなかった 。
 吹き飛ばされるように天馬騎士が少年より離れ──否、実際に彼は吹き飛ば されていた。天馬ごと回転しながら騎士は少年から離れる。
 そして、少年も鷲の翼の一羽ばたきで急上昇。
 光線は何もない空間を貫き、余韻を残しつつ消えた。
 乱戦。
 少年が暴れるように右腕を振り回し、幾枚もの三日月型の衝撃波が多方向に 迸る。
 何もかもが速過ぎた。
 スウェアが自動的に力場を展開。カネチュアを覆う力場は衝撃波をあらぬ方 向に逸らし、内幾つかを少年に跳ね返す。天馬騎士が剣を持たない左手を前に突 き出すと、その掌から光が迸り、彼に向かった衝撃波は霧散した。
 自らに返ってきた衝撃波を、少年はなんと翼の羽ばたきで相殺。
 騎士の左掌から発する光が、急速に収束。今度は指向性を持った光線として 発射される。
 カネチュアはその光に見覚えがあった。直径二メートル程の太さの円筒状の 光線──それは短縮詠唱魔法の一つ『天界の騎士槍』である。
 だが今の彼女に『天馬騎士が一言も発さなかった』事に気付く余裕はない。 いくら短縮しても無言で放たれる魔法など無いというのに。
 彼女は闘争本能に依存するスウェアの制御を己の理性に取り戻そうとするの に必死だ。
 少年は迫る『天界の騎士槍』を一瞥。
 咆哮を上げた。
 否、それは正確には咆哮ではなく、とてつもない声量で紡がれた詠唱だった 。
 少年を取り巻く大気が突如、一点に凝縮する。右手の刃へ。
 彼は濃縮された空気を纏う剣をもって、迫り来る『天界の騎士槍』を上から 下へ真っ二つに切り裂いた。
 一瞬後、二つに別れた『天界の騎士槍』が幾つもの粒子を振りまいて消滅す る。
 その頃になってようやくカネチュアの理性にスウェアの制御が戻った。これ でもうカネチュアの戦闘衝動をスウェアが拾って動くことはない。
 今更だが少女はこの戦闘を止めるために動こうとした。
 その直後だった。
 
 夜が歪み始めた。
 
 
 土煙が晴れ、バードの剣とセキの六角棒が一合打ち合った瞬間の事である。
 触れ合った箇所が塵と化し、砂上の楼閣が崩れるような情けない音と共に、 バードの剣が折れた。
「……は?」
 一瞬、バードは呆気にとられた。折れた剣の一部が、アスファルトの上で硬 い音を立てる。
(──折れた? レアメタルの剣が……? ……なんで?)
 その答えは出ない。寸暇を置かず、セキの六角棒が頭上から降ってきたから だ。
「げっ!?」
 バードは慌てて地を蹴って後退。目と鼻の先を六角棒が薙ぐ。
 着地すると同時にバードは素早く印を組みつつ、叫んだ。
「だぁぁっあの剣がいくらすると思ってんだてめぇ!」
「どうでもいいですね」
 しれっと答えたセキは、跳躍。
 月光が男の形に切り取られる。
「ちっ──!」
 印を組み終えたバードの手に、再び白銀の剣が現れた。
 セキの体が月光に押され、落下。
 バードに迫る。
 と。
 背後からミーナの声が飛んだ。
「バード! 相手のヤツは多分高速超微震動武器だから打ち合っちゃダメよ! 」
「うるせぇ言われなくてもわかっ──!」
 バードの言葉半ばで、二人は肉薄。
 バードが何を言おうとしたのかは分からないが、少なくとも彼の体はミーナ の言葉を分かっていなかった。
 降ってくるセキに向かって剣を振り上げる。
 真上から強襲する六角棒と、剣が衝突。
 先程と同じように、六角棒に触れた箇所が塵と化し──
「──ちぃっ!」
 バードはあっさり握りを捨てた。
 その際に、柄を六角棒にぶつけて軌道を右に逸らし、左に飛ぶ。
 砕破属性の六角棒はバードの肩に触れるか触れないかの軌道を走り、アスフ ァルトを塵に換えて再び土煙を生み出した。
 好機とばかりに、アスファルトの上を転がるバードは一時退避。
 素早く立ち上がり、土煙から逃れ、セキとの距離を開ける。
「げほっ、げほっ……ったく……やべぇなこりゃ」
 土煙に遮られ、セキの姿は見えない。
 あの六角棒相手では、どんな武器を持っていても無手と同じだ。
 こちらが圧倒的に不利。
 土煙を睨み、バードは考える。
 何か、何か手はないか。あの六角棒が高速超微震動武器なら、ただの武器で はダメだ。並の物質では、先程と同じように一瞬にして分解されてしまう。
 なら魔法か? いや、自慢じゃないが魔法は得意じゃない。詠唱も印を組む のもトロイ。殺る前に殺られるのは明白だ。
 なら、一体どうすれ
 思い出した。
「!」
 そうだそうだ、アレがあったアレが。
 バードはにやりと笑い、右手で印を組み始めた。
 指先に灯った光が、絵を描く。
 描かれたのは──短い筒。長さ三十センチ程の筒である。
 筒が実体化する。剣と同じく、何の飾り気もない黒い筒だ。
 落ちるより早く、バードの手がそれを掴む。
 バードは筒を両手で握り、青眼に構え、土煙が晴れるのをじっと待つ。
 
 一方その頃。
 ミーナとコマチはティータイムを満喫していた。
 何処から出したのか、白いテーブルに二脚の椅子が路上に現れている。
 二人は向かい合う椅子に座り、白いカップを手に持っていた。
 ミーナは優雅に、コマチは『どうしようこんなコトしていていいのかな』と いう表情で。
 ミーナはカップを口元に運び、アールグレイの香りを吸い込み、
「風流ねぇ……」
 意味不明な事を呟いて口に含む。
(……どうしようどうしようこんなコトしていていいのかな逃げた方がいいよ うな気がするああもう助けてお兄ちゃぁぁぁん)
 コマチはカップを両手で掴み、虚ろな瞳で赤い液体を見つめている。否、瞳 の焦点は結ばれていない。その瞳は、何処か遠くを見つめていた。体の震えがカ ップに伝わり、紅茶の表面にゆらゆらと波紋が生まれる。
「……ん?」
 アールグレイを舌の上で転がせるように味わっていたミーナは、コマチの妙 な様子に気付き、
「あ、ねえちょっと。どうしたの? 顔色悪いわよ?」
「…………」
 コマチは答えない。
「……?」
 ミーナは小首を傾げる。が、すぐさま『ま、いいや』と考え再び紅茶を一口 。
 それから、ピン、と閃いた。
「あ、そうだ。ねえねえ、あんたお金持ってる? あたし達、これでも『何で も屋』なのよね。だからまあ恩着せがましくするつもりはないんだけどそれでも ちょっとぐらい報酬が貰えたら嬉しいかなぁって。ほら、バードったら働かない くせに飲んだくれの穀潰しだから最近生活がちょっと苦しいのよね」
 コマチは答えない。というよりミーナの話を聞いていない。
 カタカタと震えている。
 
 もうもうと生まれていた土煙が、出し抜けに生まれた風によって散った。
 バードの視界に、セキの姿が現れる。
 不思議なことに、土煙に巻かれていたにも関わらず、彼の衣服は少しも汚れ ていない。
 口が裂けているのかと思うほどの笑みも、そのままだ。
 セキが言う。
「何ですか、それは」
 『それ』とは、バードが両手に構えた筒を指す。
 この問いの赤混じりの銀髪を持つ青年はにやりと笑い、
「秘密兵器」
 と言った。
 一瞬、セキの表情が怪訝なそれに変わる。笑みが消え、凛々しい表情を見せ ──再び口の両端を吊り上げる。
 先程の笑みとは少し違う──嘲笑。
「それは楽しみです」
「吠え面かかせてやるぜ」
 バードの笑みが、獰猛な肉食獣のそれに変わり──
 筒の先から、眩い閃光が迸った。刹那、辺りが赤く染められ、陰影が生まれ る。
 迸った赤い閃光は指向性を持つ。収束し、光線の如く真っ直ぐ進み、その身 が一メートル程の長さになった途端、石のように固まった。
 一瞬にしてできあがったのは、光の刃だ。
 セキは、ほう、と嘆息。
「──<光剣>、ですか」
 成る程、と怪しい光を瞳に宿す青年は思う。
 <光剣>は、物質ではない。逆に、魔力すら切り裂く力を持っている。刀身 が常に高出力のエネルギー粒子として活動しているからだ。その上、一種の永久 機関であるため、<光剣>を切れる物は存在しない。あるとすれば、それは<光 剣>以上の『聖剣』である。
 逆に言おう。
 <光剣>に切れない物は、まず無い。
 セキの反応を見たバードは、おもしろく無さそうに舌打ち。
 せっかく闇ルートで高い金を払って手に入れた秘密兵器を見せたというのに 、あれだけの反応では少し物足りない。
 ぼやく。
「……つまんねぇ反応だな」
 まるで拗ねた子供のような表情はしかし、くっくっくっと漏れだしたセキの 笑い声によって、怪訝な物に変わった。
「……何がおかしいんだよ」
「いやいや」
 楽しそうに笑いながら、セキはこう言った。
「最高ですよ、今夜は。おもしろい獲物に『たくさん』会えて。今日は実にい い夜だ」
 少しずつ、少しずつ、彼の笑い声のトーンが上がっていく。
「ねえ、そうは思いませんか? バード=ミューゼルさん」
「!?」
 バードは、セキに名乗ってはいない。
 彼が驚愕する暇があればこそ。
 セキの左肘の宝玉が、強くワインレッドの光を放った。
 金色の光を放っていた瞳に、宝玉と同じ光が宿る。
 そして狂気と殺意に満ちた言葉が生まれた。
「死ぬには最高、ダヨ」
 セキの右足が、アスファルトを蹴った。
 バードも同時に飛び出す。
 彼我の距離は一瞬にして零に。
 電光石火の動きで、出し抜けに、セキはバードの背後に現れた。
 人を超えた動き。
 六角棒が旋風を纏い、動く。左腕を大きく旋回させ、上から振り下ろす。
 が、それは──振り下ろすことは、叶わなかった。
 まるでセキの動きを読んでいたかの如く、バードが背後を振り返ったから。
 そして、振り向きざまに払うような仕種で一閃した<光剣>が、左腕を肩ご と切り裂いたから。
 鮮血を撒き散らし、白い袖にくるまれた腕が宙を舞う。
 それが地上に落ちるより早く、バードは返す軌道で<光剣>をセキの頭めが けて──
「──きゃあああああああっ!」
 悲鳴がバードの耳を劈いた。
 思わず全身の筋肉が硬直し、動きが止まる。
 ばしゃりと顔に熱い液体がかかった。一瞬遅れて、それがセキの左肩から噴 き出した血だと認識する。
 どさっ、と背後で数キロの肉塊が地面に落ちる音を聞く。
 次いで、眼前の男が激痛にひきつれた声で、
「なるほど。情報通り。鳥は未来を読む、ですか」
 と呟き──崩れ落ちた。どさり、とバードの足元に倒れる。白いスーツの赤 く染まっている様が、街灯に照らされ、嫌なくらい視認できる。
 そして、バードは自分の失敗を認識した。
(やっ……やっべぇぇ……、女の子の前で血ぃ見せちまった)
 軽蔑されるなこりゃ確実に、と思って視線を走らせると──
 そこには、椅子ごとひっくり返った少女の間抜けな姿があった。テーブル越 しに、ミーナが気絶したコマチの様子を恐々と窺っている。
 そう。彼女は気絶したのだ。セキの肩から噴き出す血を見て。
「……は?」
 思わず、バードは変な声をこぼしてしまった。
 
 
「あはっ、なかなかやるじゃん、鳥君。
 あの娘も偶然見つけたにしちゃあいい感じよね。
 何だろう? 何か混じってるのかな?
 ま、とにかくいいお土産が出来たなぁ。
 ──さて、他はどうかな?
 楽しみ楽しみ」
 
 
 天使が飛翔した。
 ラミリエルが地中より召喚した異形の天使が、咆哮を挙げ、三対六枚の鋼鉄 の翼を羽ばたかせ、空へ翔昇る。
 否、翔昇ったのではない。
 さらにその身を地中から引きずり出したのだ。
 天使の上半身が地上よりさらに離れ、地中から現れたその身は──蛇身。
 天使の下半身は、蛇そのものだったのだ。
 鱗ひしめく蛇身が地中より天に向かってゆるゆると伸びる。
 咆哮を挙げながら。
 そして、その咆哮に応えるの如く、天空のメヴィウスリングが淡い銀光を発 し始めた。
 咆哮は続く。天に向かって長く長く伸びる。同じく蛇身も長く長く伸びる。
 咆哮の緩急に合わせて巨大な天蓋にも見えるメヴィウスリングが、明滅を繰 り返す。
 
 チャスターは立ち止まり、背後を振り返った。
「な、何だ、アレは……」
 見上げる視線の先に、咆哮を挙げ蛇身を伸ばし、砂鉄の衣を纏い、三対六枚 の翼を広げる天使がいる。
 周囲の大気が、咆哮によってたわんでいた。その嬌声にも似た大音量に圧さ れるかの如く。
「今夜は、いい夜ですね」
 不意に、ラミリエルが口を開いた。彼はチャスターの腕から解放され、横に 並んでいる。
 同じように天使を見上げる青年の左腕は、炭屑のままだ。
「……?」
 ラミリエルの言葉を、チャスターは理解できない。
 その視線に気付いた青年はチャスターに視線を流し、微笑。
「今夜は、メヴィウスリングが出ています」
 一息。
「無限の夜ですよ」
 
 出し抜けにそれは起きた。
 
 咆哮が嬌声から重低音へ。
 震動していた大気が、一瞬、静寂を取り戻す。
 ──その様は、肉眼で確認することが出来た。
 チャスターは見た。
 突如生まれた球形の闇が、天使の上半身を飲み込む光景を。
 ラミリエルは知っていた。
 その闇は、高圧重力の塊だと言うことを。
 一拍。
 高圧重力が爆裂した。
 その音は、まるでガラス細工を叩き割ったような音に似ていた。
 が、それは誰にも分からなかった。
 大きすぎたのだ。
 尋常でない程の音量のため、知覚する前に鼓膜が破壊される。
 まず、音だけで森が吹き飛んだ。
 全ての樹木が、根ごと、地面から剥ぎ取られる。
 半瞬遅れて、全方向に衝撃が走った。
 空中の樹木が、衝撃により、粉微塵になる。
 大地さえ抉られた。巨大な穴が一瞬にして出来上がる。
 唯一影響を受けていないのは、召喚者であるラミリエルの周囲。半径一メー トルの範囲は、何の変化もない。その中に含まれたチャスターにも。
 彼らには何も聞こえず、少しの衝撃も伝わらなかった。
 全て、ラミリエルの額が放つ光によって遮断されたのである。
「なっ……!?」
 目の前で起きた現象に、チャスターは瞳を大きく開いた。
 一瞬にして、目の前の全てが粉微塵と化したのだ。驚くなと言う方が無理だ 。
 今日は厄日なのかもしれない。この次にも、信じられないことが起きる。
 爆発は一秒に渡り、その範囲を拡大し続けた。
 被害面積は約一キロ平方メートル。
 破壊は唐突に終わる。衝撃は消え、残ったのは広い荒野と、塔の如く聳える 上半身を失った天使の亡骸。
 そして、同じく唐突に再生が始まった。
 一瞬の時が遡る。
 空中を舞う樹木の破片が高速で集結。チャスターの視界に粉々になったはず の樹木が現れた。
 それが、次々と地面に突き刺さり、その根の上に土が乗っていく。
 丸裸の枝に葉が寄り集まり、月光を遮った。
 瞬き一つにも満たない、短い時間。
 その一刹那の間で、再生は終わる。
 チャスターは、自分は夢でも見ているのではないかと思った。
 目の前で森が吹き飛び、そして流れるように元通りになっていくという瞬間 を、見た。
 ──はっきり言って、自分の目で見た物が信じられなかった。
「馬鹿な……」
 だから無意識のうちにそんな呟きが漏れた。
 それに応えるように、
「おそらく、今ので彼らは何処なりともへ消えたことでしょう」
 チャスターは弾かれたようにラミリエルを見た。
 鉄色の髪と瞳を持っていた青年は、今、その髪を蜂蜜色に、その瞳をくすみ がかかった金色に変えていた。
「……貴様はなに」
 ものだ、と問おうとした瞬間だった。
 いきなり、森の奥──天使の亡骸の聳える方向──から、小さな光の粒が飛 んできた。
 光の速さで。
 チャスターめがけて。
「──!?」
 気付いた時にはもう遅かった。
 その光の粒は、吸い込まれるように、チャスターの左胸を直撃した。
 ビー玉ほどの大きさだったが、威力は抜群だった。
 一瞬、チャスターの体が宙に浮き、そして後ろに吹き飛ぶ。
 激しい勢いで樹に背をぶつけた。
「──がはっ……!」
 吐血。熱く赤い液体が数滴、喉に引っかかりながらもチャスターの口から飛 びだした。
 チャスターは樹の足元に尻を落とし、両手両足を放り出した格好で首をうな だれる。
 動かない。
「…………」
 ラミリエル、呆然。
 しばらくして、
「──大丈夫ですか?」
 ラミリエルは落ち着いた声で、動かないチャスターにそう尋ねた。
 
 
「いいのかしら?」
「……何がだよ」
「あなた、『お使い』が出来ていないわよ」
「……ふん。どうせ役立たずにしかならないさ、あいつは」
「あらぁ、メヴィウスリングの使い方を知ってる人材が?」
「知っていてもあんな事しかできなかったヤツだ」
「へぇ。そういうものかしら? 貴女と彼の関係を考えると──」
「…………」
「──まあ、いいわ。こっちは約束は果たしたんだから」
「何を言っているんだか。ただ単に押しつけただけじゃないか」
「でも、相手は受け取ったわよ?」
「それ以外にどうしろって言うんだよ? 心臓に剣霊を撃ち込まれて」
「さあ?」
「笑うなよ。気味が悪い。年増」
「ブッ殺すわよ、ガキ」
 
 
 ようやく結果が出た。
 『アウシュビッツ』の地下にある、セラフィーの研究施設。
 清潔な光に満たされた狭い一室に、机と椅子が一組。
 研究室の主は椅子に腰掛け、机の上に視線を注いでいる。
 彼女が召喚した精霊は机の上に立ち、己が主を恐々と見上げていた。
 ちなみに、久遠や研究機器は別の部屋だ。
 セラフィーは、自分は狭い部屋にいると頭が冴える事を知っている。
 ここはセラフィーが考えをまとめるためだけに創られた部屋なのだ。
 セラフィーはミルクティオの持つ、七色に輝く指輪──彼女の手にあると、 まるで腕輪のように見える──をじっと眺めている。
 白い輪に七色の輝きを持つ多面体、というデザインの物だ。
 覗き込むと、多面体の中で、黒い色で描かれた『C』という形の印が一秒一 周の周期で縦軸横回転している。
 久遠と名乗った少年が填めていた指輪である。
「…………」
 無言。
 セラフィーは指輪に視線を射したまま、動かない。
(……剣霊、だったっけ? これ)
(そう。剣霊──誰かさんの言葉を借りたら『超弩級危険物』ね)
 古い文献と、巷で有名な『世界を脅かす存在達』という書物を調べて分かっ た。
 この指輪は『剣霊』という名の『兵器』なのである。
 発祥時期は不明。
 制作者も不明。
 いつから存在するのか、誰が創ったのか、わからない。
 確かに分かるのは、たった一つの事実。
 過去、剣霊が一つの世界を滅ぼしたという事だけだ。
 その滅ぼされた世界は、魔界のとある階層だったと、文献には残っている。
 だが──セラフィーは文献をにわかには信じない。
 信じられない。
 何故なら、
(全てが滅びたというのに、誰がこれを危険だと判断するの?)
 前例が、ある。
 例えば、かつて世界を滅ぼす力を持つと言われた『天空戦艦ガルトライオ』 。
 だが、『ガルトライオ』は数十年前に古代小人属性の産物だと発覚した。
 その力は、成る程、『小人属性規模の世界』ならば簡単に滅ぼすことの出来 る代物だった。
 しかし、それはあくまで小人属性規模での話。
 実際は半径百キロの周囲を灰燼に返す程度の力だったのだ。
 確かに大した威力ではあるが、世界を滅ぼす程では、ない。
 つまり、『ガルトライオ』は世界を滅ぼす力があると『言われていただけ』 だったのだ。
 誰も試したことが無かったのである。
 セラフィーは剣霊もそうではないかと睨んでいる。
 何処の誰かは分からない制作者が、剣霊を世に出す際にホラを吹いたのでは ないか。
 その可能性は否定できない。
「……試してみなければ、分からない……ね」
「は?」
 呟いた言葉に、ミルクティオが首を傾げる。
 セラフィーはそれを無視して、さらに思考に耽る。
 研究室の資材を使った結果、この剣霊──文献によると、名はケイデンス─ ─の能力が判明した。
 その一つ、能力強化。
 筋肉、神経、他諸々の能力を飛躍的に高めるのだ。
 剣霊を身につければ、たとえ赤子だろうと、岩を砕ける程に。
 どうやらこれは、全ての剣霊に共通する能力らしい。『世界を脅かす存在達 』にそうあった。
 二つ目は──まだ分かっていない。
 剣霊は個々に別々の能力を持つらしいのだが、ケイデンスの能力は今だ不明 だ。文献にも載っていなかった。
 が、何かある。これは確実だ。
 セラフィーは、ヒントは久遠が身につけていたウォークマンにあると思って いる。
 今思い返すと、彼が聴いていた音楽によって、ケイデンスの『刀身』が違っ ていた気がするのだ。
 確か、『月光』を聞いていた時は、月の光が刃になっていた。
 音楽が流れていない時は、刀身は消えていた。
 そして、荒々しい音楽を聴いていた時は、炎の剣。
(──リズムの雰囲気?)
 柔らかい旋律と月光、荒々しいビートに炎。
 確かに、雰囲気は合っている。
 しかし、
(えぇ? それ、おっかしいよ。どうやって判別するのぉ?)
 剣霊に人格は宿っていない。
 雰囲気で能力が変わる等という、融通は利かないはずだ。
(でも、それ以外に考えられないわ)
(んぅぅぅぅ……)
(そういえば、どこかの学会であったわね)
(ほえ?)
(物質は全て、固有のリズムを持っている。そのリズムを再現すれば、物質を 精製することが可能、っていう理論)
(なにそれ?)
(初めて知った時は馬鹿な理論だと思ったけど、もしかしたら……)
 セラフィーの思考は、どうやって理論を証明するかにまで及んだ。
 沈黙。
 しばらく室内に静寂が満たされる。
 やおら、
「……あ」
 セラフィーの口から小さな声が漏れた。
「はい?」
 再び小首を傾げるミルクティオ。
 セラフィーは下げていた視線を、ゆっくりと中空に持ち上げ──
「死体処理班、呼ばなきゃ……」
 
 
 空間の歪みを感じた。
 まるで、巨人が両掌で世界を押し潰そうとしているような──そんな感覚が あった。
 その直後、衝撃が空を揺るがした。
 鳴動と共に、大気が震動する。
 空震だ。
 その震源は──北。
 ここより北の方向には『光剣帝国・レイアース』や『獣人国家・咆吼』等の 国々がある。
 爆風にも似た衝撃を受け、ハーディール・界練山脈上空にいたクリスとその 愛天馬フィアーは、南に向かって吹き飛ばされた。
「くっ……!」
 歯の間から呻きを漏らす。クリスは必死に左手で手綱を引き、フィアーの体 勢を安定させた。
 数百メートル吹き飛ばされた後、クリスは瑠璃色の髪を振り乱し、辺りを見 回す。
 求める姿が、左方向にあった。
 それは左腕が無く、右肘からサーベルを生やした少年だ。彼の左肩からは多 量の血が溢れ、ぼたぼたと遥か下方の地上へと落ちていく。
 その姿を見た途端、クリスの闘志が燃え上がった。
 頭の何処かが、どうかしている、と言う。
 だが、止められない。頭に血が昇っていると、自分でもよく分かる。
 止まらないのだ。
 あの少年と、己の左肩に刃を埋めた狂人が、網膜の中で重なる。
 手綱を引き、フィアーを少年に向かわせる。
 天馬の足が空を駆け、彼我の距離が縮まる。
 少年がこちらに気付いた。
 白いシャツの左半身を真っ赤に染めた少年は、右腕を下から上へ振り上げる 。
 途端、衝撃の刃が生まれ、クリスに迫る。
「はあぁあぁっ!」
 一閃。
 クリスは衝撃の刃を、横一文字に走らせた剣で切り裂いた。
 上下に切り裂かれた斬撃波は空中で形を崩し、霧散。
 クリスは接敵する。
「……!?」
 近付いて、驚愕。
 少年の顔が、笑っている。
 右斜め上から振り下ろされるクリスの剣と、無造作に前に出された少年の右 腕が、ぶつかり合った。
 金属音が鳴り響く。
 一拍。
 少年は自然な動きで、すっ、とクリスの耳元に口を寄せ、一言。
「ひどいなぁ、いきなり左腕を斬り飛ばすなんて」
 思わず、剣を引くのも忘れて、クリスは耳を傾ける。
 一息。
「楽しくなってくるじゃないか」
「!?」
 ぞわりと全身の肌が粟立った。
 そして、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「僕の名前は理玖、どうぞよろしくってね」
 理玖は左肩の断面をクリスに向ける。
 熱い血飛沫が、瑠璃色の髪と、白い肌を赤く塗る。
「お礼に切り刻んでやる」
「──!」
 次の瞬間、クリスの嫌な予感が当たった。
 衝撃が、いきなり来た。
 風の刃だ。
「くあっ……!?」
 鷲の翼から生まれた無数のカマイタチが、クリスに殺到する。
 咄嗟に目を閉じ、顔を右腕でかばう。が、防ぎきれない風刃が頬や額を切り 裂いた。
 次いで、出し抜けに頭が軽くなる。
 背後で、髪が落ちていく気配があった。
 舌打ち。
 自慢の髪を切られてしまった。
 大分、短くなってしまったらしい。毛先がうなじをくすぐる感触がある。
「──っ!」
 目を閉じたまま、少年──理玖がいると思しき空間に剣を突き込む。
 手応えはない。
 直後、左腕の感覚が消え、肩に灼熱感が現れ──トン、と背中を押された。
 
 同じく爆風の如き衝撃に吹き飛ばされたカネチュアは、右手でドレスの裾を 抑え、左手でスウェアの角を掴み、十数メートル離れた位置から騎士と少年の戦 闘を見ていた。
 動きが早すぎて、間に入る機会が見つからない。
 これでは先程と同じだ。
 折角スウェアの制御を取り戻したというのに、何もできなければ意味がない ではないか。
 カネチュアは目を細め、クリスと理玖の動きを追う。
 と、二人の動きが止まった。
 剣を打ち合わせ、顔を近付け、何事か語っている。
 絶好の機会だ。
 カネチュアは小さな声で愛龍の名を呼ぶ。
「スウェア君っ」
「はっ」
 主の声に応じ、龍が巨体を空に滑らせる。
 その時だった。
 疾風が空を駆け、瑠璃色の長い髪が、はらはらと宙を舞った。
(あ、もったいない……)
 呑気にもカネチュアはそんな感想を抱く。
 問題はその後だ。
 理玖の姿が、カネチュアの視界から消失した。
 刹那。
「!?」
 既視感。
 クリスの左腕が、肩から離れた。
 鮮血が噴き出す。
 そして、いつの間に現れたのか、クリスの背後。
 理玖が靴の底で、水色の鎧を軽く押した。
 前につんのめった騎士は、手綱を掴む左手を失っており、剣を握った右手は 焦りで硬直していた。
 当然、彼は己の左腕を追いかけるように、落ちる。
 高空の冷たい風が吹く、空中へ。
 あ、と言う間もなかった。
 彼は球地の重力に捕らわれ、素晴らしい速度で落ちていく。
 一瞬にして点になった。
「……あ」
 ぽつり、とカネチュアの喉から、その単音だけが漏れた。
「ハハハハハハハハッ!」
 クリスが見えなくなったのを確認したように、理玖は高らかに笑った。
 そして、カネチュアの方に振り向く。
 思い出したようにフィアーが嘶き、翼を羽ばたかせ、主人を追いだした。
 理玖の右肘の宝玉が、光を放つ。
 黄金色の光が、理玖の顔と、赤く染まったシャツを、強く浮かび上がらせる 。
「次は、君の番だ」
 愉悦がふんだんに詰め込まれたその声を、カネチュアは聞いていなかった。
 じっと、クリスが落ちていった一点を見ている。
「──?」
 それを不思議に思ったのか、理玖もそちらに視線を走らせた。
 まず、地上へ向かうフィアーの尻と尾が見え──
 目を見開いた。
 フィアーが向かう先に、水色の鎧が、浮かんでいる。
 先程、理玖が蹴り落としたはずの騎士が、宙に浮き、こちらを睨んでいるの だ。
 そして、さらに気付いた。
 クリスの背から、何か生えている。
 翼──否、翼ではない。
 白い、棒のような物。
 骨、だ。
「──!?」
 驚愕した。
 なんと、クリスの背から水色の鎧を突き破り、『翼の骨格』が飛び出してい たのだ。
 まるで翼龍の化石の如き形状をしている。二本の主軸に、計十四本の細く短 い骨が垂れ下がっていた。
「……あ、あれって……」
「堕天使、でございますな。カネチュア様」
 混乱する主をよそに、スウェアは落ち着いた声で言った。
「え、で、でも、堕天使の翼──じゃなくて翼じゃないんだけど骨みたいなア レ、普通」
 あんなのなの、という問いは途切れた。
 いつの間にか理玖との距離が縮まっていることに、カネチュアは気付いたの だ。
 そういえばスウェアを彼に向かわせたままだったな、と今更気付く。
 ともあれ、これは絶好の機会だ。
 カネチュアは二人の戦闘を止めるために動く。
「──スウェア君、行くよっ」
 小さく、緊張を込めた声で呟く。
「……はっ」
 戦いを止める。
 それは簡単な事だ。
 クリスか理玖、そのどちらかを戦闘不能にすればいいのである。
 スウェアが加速する。
 ドラゴンとそのマスターは、一気に理玖に接近した。
「──せぁあああぁっ!」
 カネチュアは気合いの声と共にドレスの裾を翻し、右足を思いきり振り上げ た。
 声に、理玖が弾かれたように振り返る。
 が、遅い。
 刹那、振り上げられたカネチュアの右踵が戦斧の如く振り下ろされた。
 
 理玖は見た。
 自分に向かって振り上げられる、曲線美を。
 そのすらりと伸びた足の動きに沿って動くドレスの裾を。
 そして、
(……ピンク……)
 その思考を最後に、彼の意識は戦斧の如き踵落としに叩き潰された。
 
 
「あーあ、負ーけちゃった」
 悠木深水は、ふう、と溜息を一つ吐いた。
 黒のキャップを目深にかぶった、金髪の少女だ。
 陽光を浴びて輝く豊かな髪を、二つに分けてゴムで束ねている。長さは肩に 触れる程度。
 白いタンクトップに、金属をゴテゴテと縫いつけた黒いハーフパンツ。へそ が見えているが、彼女に気にしている様子はない。
 右手首に二連リングを、左手首にはまるで手甲の如き腕輪を填めている。
 その両手の指を絡ませ、白のテーブルに肘を突き、深水はアイスコーヒーを 前にしていた。
 独り言ちる。
「……いやはや。ま、勝てるとは思っていなかったけどね。
 なにせあの勾邑が『試してきなさい』だもん。
 勝つなんてむぼーむぼー。
 とはいえ、ちょっち落ち込むよねー。
 三人とも負けたんだもん。一人ぐらい勝ってもいいんじゃない?
 ……ま、駄賃は無辣からふんだくればいっか。
 ──あ、さて、そろそろ出よっかなっと」
 やおら、椅子から立ち上がる。
 何の変哲もない、木の椅子だ。
 深水はその背もたれに手を乗せ、
「すみませーん、勘定お願いします」
 ここは喫茶店であった。
 





戻る