●受難、現在進行形



「拙者、こう見えても男でござる」
 などと言う女がいたとして、すぐにそれを信じる者はいるだろうか。
 すらりとした長身に、高い位置で結った黒髪は尻へ毛先が届くほど。白のカジュアルジャケットに黒のシャツ、ブラックジーンズという簡素な格好だが、それがより一層その流麗さを際立たせている。
 きりり、とした東洋風の美女だった。
 男と言い張るには全身の描く曲線が優美に過ぎたし、何よりも内側から衣服を押し上げている胸が、どんな言葉よりも雄弁にその性別を語っていた。
 爽快な声で言われた言葉を、信じた者は勿論いなかった。
「はぁ?」
 他の誰でもない、『何だ女ぁ!』と言い放った本人がわざとらしく聞き返した。彼としては『仕事中』に入ってきた邪魔な女を恫喝したつもりだった。逃げるなら良し。刃向かってきたらなお良し、その時は一緒に『処理』するつもりだった。しかし。
「おぬしが言ったのでござるよ。拙者を女と。だから拙者はこう見えても男だと──」
「ンなこと誰も聞いてねェンだよ!」
 男は女の台詞を怒声で叩き潰した。男は職業柄とても気が短い。むしろ怒り狂うことこそが彼の仕事だった。鮮やかな手並みで心頭に怒りを注入すると、彼は周囲の仲間に顎で合図をする。
 状況は単純だった。と言うよりも、単純な状況しか彼には作れない。そこまで頭を使うことがまずないためだ。
 建物と建物の間に出来た隙間。そこに自分を含め男が五人。『獲物』の女が一人。たまたま運悪くここに居合わせてしまった女が一人。
 男達は黒い服を着た『獲物』を取り囲んでいていたのだが、そこに招かれざる客が現れたのである。
 彼らが何をしようとしていて、自称男≠フ女が何を止めようとしているのかは、明々白々だった。
 自称男≠フ女は笑った。穏やかな笑みだった。
「いやぁすまぬすまぬ。詰まらんことを言うて怒らせてしまったか。まま、そう怒らずに。出来れば穏便に事を納めたいのでござるが……」
 女が喋っている内に、男達はその周りを囲んでいた。四方を塞がれて、次第に女も表情を静かにしていく。
「無理でござるか? そこの御仁は拙者の知り合いなのでござる。出来れば荒事は見せたくない」
 かちり、と金属的な音が立った。見ると、女は腰に武器を下げていた。黒塗りの鞘に収まった、一振りの刀。
「はっ」
 と男は鼻で笑った。すると仲間達もつられたように下品な笑みをぼろぼろと零す。下卑た臭気が男達からにじみ出て、大気を汚染しているようだった。
 男達は闖入者の全身を舐め回すように眺めた。上玉だ。ここにいる『獲物』は仕事で泣かせなければならないが、うまい汁が吸えるなら過剰労働も悪くはない。自分は男だと言い張る女を、ちゃんと女らしく啼かせてやるのも真の男の務めではないだろうか、などと救いがたいことを考える。
 男達は、飛んで火に入る夏の虫を歓迎することにした。
「へっ、テメエのおつむの弱さを呪いな、姉ちゃん。──やれ」
 最後の一言は仲間に向けてのものだった。次の瞬間には四人の男達が女に襲いかかり、すぐに塞がれた口からくぐもった悲鳴があがるはずだった。
 悲鳴はあがらなかった。
 打撲音が四つ。
 糸の切れた操り人形のように、四人の仲間が崩れ落ちた。
「?」
 男はうまく現実を認識できなかった。彼はその目でしっかりと、女の刀が鞘に収まったまま仲間達を叩き伏せていくのを見ていた。それでも彼は理解できなかった。眼前の出来事が彼の狭い理解の範疇を超えていた。
 突如、男の視界がぶれた。何が起こったのかわからず、彼の意識は急速に遠のいた。

「ミカド・タカアキラ様でございますね」
 黒い服の女は確認の問いを放った。今の今まで粗野な男共に囲まれていたとは思えない。無表情で、冷淡な声だった。
 女──御門鷹晃は気持ちの良い笑みを浮かべて頷いた。
「そうでござる。そちらはプリンスダム≠フ方でござるな? して、この者達は一体?」
「シュトナ・ラフマニンと言います。以後お見知りおきを。ほぼ間違いなくオーディス派かウォズ派の人間かと」
 一礼して自己紹介を済ませると、シュトナは続けざまに質問に答えた。
 青のラインが入った丈の短いナースウェアの色は黒。細い両足を包むオーバーニーソックスも黒。頭の上にちょこんと乗っているキャップも黒。それら全てに刻まれている十字は全て青。ナースウェアには所々、銀色の鎖や鋲などの装飾が施されていて実に危険な雰囲気を醸し出している。
 青みがかった銀の髪と落ち着いた群青の瞳を持つシュトナは、まだ全体的に少女と言っても良い幼さを身にまとっていた。顔に引っかけた水色の眼鏡の位置を修正すると、
「このようなことは日常茶飯事です。気になさらないでください」
 肩に掛かる髪を後ろに払いながら、淡々と言う。まるで鷹晃の表情からその心情を読み取ったかのように。
 最後の一人を気絶させたのはシュトナ本人だった。鷹晃に気を取られた隙を狙って後頭部への一撃。淀みのない良い動きだった。感心した、と鷹晃は表情で言う。黒髪の女は何度も頷き、
「なるほど。流石は『戦闘医療集団』と名高いプリンスダム≠フ方でござるな。大した腕でござる」
 顎に手をやり、真面目くさった顔で褒める。鷹晃もまた、どことなく幼さを残す顔立ちをしていた。身長も高く、均整のとれた体をしているので大人びて見えるが、実年齢はまだ十七歳だった。おそらくシュトナもほとんど違わないだろう。
「しかし、オーディス殿もウォズ殿もこのようなことをしているのか。折角ガイスト・メルゼクス事変も片づいたというのに、何とも困ったことでござる」
 見た目に似合わずおかしな口調で言って、眉をしかめる鷹晃。シュトナはその表情をきっちり三秒間見つめると、
「先程は助けていただきありがとうございました。約束の時間通りでございますね。時間に誠実な方で嬉しく思います」
 洗練された優雅な動きで頭を下げる。黒衣の少女は一挙一足が上品だった。よほど良い生まれのようである。
 鷹晃もシュトナに倣って一礼する。
「これはご丁寧に。して、話とは何でござる? 場所が場所な上、悪漢までいたとあっては穏やかな話ではなかろうが……」
 昨日のことだ。鷹晃宛に手紙が届き、指定の場所と日時、そして『一人で来て欲しい』との文が添えられていた。『戦闘医療集団プリンスダム=xに関する話は、少しそこらを突けばいくらでも出てくる。噂では、女しか登用しないとか。一人の命を助けるために十人殺すとか。白衣の天使ではなく黒衣の悪魔が跋扈しているとか。その他色々。何にせよ良い噂は悪いものと比べて随分少ない。
 そんな集団からの名指しの呼び出しだ。警戒しないのは愚鈍に過ぎるだろう。鷹晃が帯剣しているのも無理はなかった。勿論、武装している理由はそれだけではないが。
「ご慧眼恐れ入ります。私の上司があなた様のお力を拝借させていただきたいと願っておいでなのです。まずお呼び立てしてしまった非礼を詫びるためにも、よろしければ私共の病院までお越し頂けないでしょうか?」
 シュトナの滑舌は淀みない。まるで良く出来た機械人形のようでもあった。
 鷹晃は頷く前に、確認するべき事を確認する。
「その前に一つ聞いても良いでござろうか?」
「はい、何でしょうか」
「拙者達の体を元に戻せるかもしれない、というのは本当でござるか?」
 シュトナの表情がミクロン単位で変化した。だが、その機微を悟れるほど鷹晃の感覚は鋭敏ではなかった。じっと答えを待つ。
「院長先生は少ない可能性を取引に持ちかけたりはいたしません、としか私の口からは申し上げられません」
 用意されていた脚本を読むようなシュトナの答えだった。


 その時空の狭間はクライン≠ニ呼ばれていた。
 空間と空間、時間と時間の『隙間』の集合体と言われている。
 例えば部屋と部屋を隔てる壁の中の『隙間』、例えば一秒と一秒の間にある『隙間』。そんなものが寄り集まって形成されているという。
 いかなる場所にも近く、いかなる時代と並走していながら、決して交わることのない異空間。
 果てがあるようで無い。それ故にクライン≠ニ呼ばれていた。
 そんな『隙間』の集合体であるクライン≠ヘ様々な世界、様々な時代からこぼれ落ちた【もの】が多く転がり、暮らしている。
 そんな世界の片隅に戦闘医療集団プリンスダム≠フ本部はあった。
 クライン≠ノ国家という概念はまだない。そもそもクライン≠ヘ生命体が数少ない空間だった。それが半年前のガイスト・メルゼクス事変によって爆発的に増加したのである。現在、これまで存在していなかった社会が早足で形成されつつある。社会構造が未熟なのは仕方のない事だった。
 この半年の間、ガイスト・メルゼクス事変を生き残った人々は新たに独自の社会を構築し、急速に発展させてきた。元々クライン≠ノあった街の一つを中心に、いくつかの勢力に別れながら。
 今のクライン≠ノ残存する勢力を大別すれば、三つに分けられる。オーディス派、ウォズ派、その他、の三つである。プリンスダム≠ヘその他に分類された。
 その外見は異様だった。オーディス派でもなくウォズ派でもない者達が暮らす街は『共和区』と呼ばれているが、その中でも飛び抜けて異彩を放っていた。
 一面が漆黒なのである。どの街もそうだが、クライン≠ヘその特性故に多種多様な者達が暮らしている。そのため、建物の様式はどこをとってもちぐはぐだ。そんなパッチワークのような街の中、一角が暗闇が凝り固まったかと思うほどの黒い建物に占領されていた。
 黒金の城と見紛うばかりの病院を見上げ、鷹晃は素直に呟いた。
「ずいぶんと恐ろしげでござるなぁ」
 聞こえていないはずはないのだが、隣のシュトナはどうやら無視したようだった。このプリンスダム≠ノ属する者にも自覚があるのかもしれない。
 プリンスダム≠ヘ中央に位置する特殊構造材製の建物と、それを囲むように展開された十二のテントによってなっている。
 鷹晃は中央の建物へと案内された。中に入ると鷹晃は、ほう、と感嘆した。外見とは打って変わって内装は実に病院らしいものだった。柔らかいクリーム色の壁と、そこに緑を少し足したような色の廊下。殺菌されたように清潔な空気の味と、消毒剤の香り。まだ増築中なのか、鷹晃の鋭い嗅覚は微量ながら建築現場特有の匂いを嗅ぎ取った。
 静かだった。ここにはほとんど医者や看護師が詰めていないのか、それとも何か別の事情でもあるのか。人気が全くなかった。そのくせ、空気だけはやたらと張りつめている。
 シュトナが先導して病院内を行く。その背中について行きながら、鷹晃は廊下に響く足音が一人分しかないことに気付いた。前方のシュトナは足音を立てていなかったのだ。このプリンスダム≠ノ所属しているからには彼女も戦闘ナースの一人なのだろうが、どうやらその実力はかなりのモノのようだった。
 一階の中央辺りに位置する院長室へ通される。
 主の趣味なのだろう、院長室は黒を基調とした内装だった。らしいと言えばらしい部屋である。
 部屋の主は執務机に向かって何か書類を読み込んでいるようだった。先刻シュトナが扉をノックした後に聞こえた「入れ」という声は女性のものだったが、書類で顔が隠れていて確認出来ない。
「院長先生、御門様をお連れ致しました」
「おう」
 女性の声で、男らしい返事があった。書類が下がり、顔が現れる。
 妙齢の女性だった。燃えるような深紅の髪が、白衣ならぬ黒衣によく映えている。まるで血を吸ったかのような色の瞳は、しかしあまり不吉とは感じない。そこに宿る光のせいだろう。力強く、生命力に満ち溢れた輝きがあった。煮えたぎる紅茶、とでも表現出来るだろうか。笑顔より泣き顔よりも、不敵な表情が似合う顔立ちをしていた。
「ラップハール・エノルだ。よろしく。あんたがミ……ミス? それともミスターか?」
 立ち上がって自己紹介したプリンスダム♂@長のラップハールは握手のための手を差し出そうとして、動きを止める。
 鷹晃は穏やかに笑って、
「体はともかく、心は男でござるよ」
「よしわかった。ではミスター・ミカド。来てくれてありがとう。感謝する」
 互いの手が力強く握られる。
「私は、お茶の用意をしてまいります」
 その光景を見届けたシュトナが頭を下げ、退室する。ラップハールは手をほどくと、応接用のソファを示し、
「まあ座ってくれミスター。他でもないあんたを呼んだのにはわけがあってな。そこらへんの奴じゃ話にならないんだよ」
 丈は長いが薄い黒衣に、全身に密着したスリムなダークスーツ。女性特有の隆起は十分に見て取れる。だが、若く女らしい身なりとは違って、ラップハールの態度は随分と男らしく、あけすけなものだった。とはいえ鷹晃自身も他人のことは言えない。心は男なのだから不整合な面は致し方ないのだが。
「ほう、それは一体いかなる事でござろうか? 非才の身ゆえ、期待に応えられないかもしれんが」
 腰から引き抜いた刀を手に持ち、ソファに腰を下ろしながら言うと、ラップハールは破顔一笑する。
「おいおい、何を言いやがる。噂なら耳にタコができるぐらい聞いてるぜ。実際、あたしもあん時はメルゼクスんトコにいたんだからな。あんたの活躍はこの目で見てたんだよ」
 口調は荒いが聞いていて不快感はない。人柄だろう。馴れ馴れしさと図々しさを感じさせない、希有な女性だ。
「褒めても何も出ないでござるよ。して、話とは? 先程、シュトナ殿が悪漢共に囲まれていたことと関係があるのでござろう?」
 鷹晃の質問に、ラップハールの片眉だけが器用に跳ね上がった。
「……囲まれていた? 今、囲まれていたって言ったのか?」
 確認するその声には雷雲が孕まれていた。鷹晃は頷き、
「左様。指定の場所へ赴くと、五人の男共がシュトナ殿を囲んでおった。シュトナ殿は日常茶飯事だと申されていたが」
 ラップハールは顔をしかめ、舌打ちをした。
「シュトナにまで手ぇ出してきやがったのか、あの野郎共……!」
 苦虫を噛みつぶしてしまったかのように吐き捨てる。鷹晃は沈黙し、彼女からの事情の説明を待った。
 ラップハールは体内の怒りを溜息にして吐き出すと、
「実はその事なんだ、ミスター。今、あたしらはオーディスとウォズの両方から、仲間になりやがれっつー話……いや、脅しを受けてるんだよ」
「……やはり、そうでござったか」
 まさかとは思っていたが、という言葉を鷹晃は呑み込んだ。鷹晃はオーディスとウォズ、どちらとも知己だった。ラップハールが鷹晃を招いたのもそれが理由だろう。彼女の知る限りでは二人とも愚者ではないが、目的のためなら手段を選ばないところがある。だからシュトナの言葉から、両者がプリンスダム≠ノ何かしら不当な圧力をかけていることも容易に推測出来た。
「しかし、何故」
「そんなの決まり切ってることさ。あたしらは医者だ。単純に医療技術と治癒能力が欲しいんだよ。簡単な話だろ? あいつら、まだあの時の内乱を引きずってやがるからな。あたしらがわざわざ抗争に無関係なここに来たってのに、それをどうにか引き入れようとしてやがんだ」
 わからない話ではない、と鷹晃は思う。クライン≠ヘメルゼクスが失踪した今、『時空の守護者』の席が空いており、政治的には実に微妙な情勢だ。ガイスト・メルゼクス事変の途中から休戦協定を結んでいたオーディスとウォズも、現在ではそれぞれ軍を構えて対立の姿勢を見せている。戦争は前線だけで行っているのではない。後方支援、とりわけ医療は重要項目の一つだ。彼らが戦闘医療集団と名高いプリンスダム≠自軍に求めるのは当然の話だろう。
 鷹晃はそうは思っていても口には出さず、こう言った。
「そして貴殿はそれを断った、と」
「当たり前だろ? あたしらは怪我と病気を治して、人命を救うのが仕事だ。助けを乞われりゃそれがどこの誰であろうが全力を尽くす。どっちかの陣営に属しちまったら、助けられねえ奴が出ちまうじゃねえか」
 ラップハールは立ち上がり、すぐ傍の窓へ歩み寄る。そこからは外に展開された黒いテントの幾つかが見下ろせた。
 窓から差し込む光に顔を照らされたラップハールは、はっきりした声で言う。
「あたしらには人命救助が唯一にして至高の信念だ。それ以外のどこにも属する気はないね」
 テントの内部では今なお、半年前の戦闘で傷ついた者達が治療を受けている。
「助けなきゃならねえ奴らがいる。それがあたしらの使命だからな。そのためにあたしらは白衣じゃなくて、黒衣を着てるんだよ。例え一人を殺してでも万人を救うために。あたしらの黒はその覚悟を表しているんだよ」
 語尾にノックの音がかぶさった。乾いた音が、計ったようなタイミングで三回。
「入れ」
「お待たせいたしました」
 扉を開けて入室してきたシュトナは、トレイに載せたティーセットを持っていた。足音もなくソファの間にあるテーブルへと歩み寄ると、流れるような手つきで茶の用意をする。
 ラップハールはそんなシュトナを空気のように扱った。
「で、そこであんたに頼み事なんだ、ミスター」
「拙者に取りなして欲しい、というわけでござるな?」
 鷹晃は機先を制して言った。途端にラップハールは、にやり、と笑う。
「話が早いじゃないか」
 ラップハールは窓際から体を離すと、再びソファに腰を落とした。シュトナの淹れた茶に手を伸ばしながら、
「ガイスト・メルゼクス事変の英雄なら、オーディスもウォズも一目置いてるだろう? そういう計算も含めて、あんたにうちの用心棒をお願いしたい。報酬も弾む。どうだい? あたしとしては良い話を持ちかけているつもりなんだが」
 自信に満ち溢れた女性だ、と鷹晃は思う。流石はクライン≠フ二大派閥から誘いの手を払いのけているだけはある。彼女はその双肩にプリンスダム≠ニそこで治療を受けている患者の全てを担っているのだ。肝っ玉が太くなければやってはいけないのだろう。若い身空ながら太母の貫禄である。
 鷹晃は即答を避けた。しばし、ラップハールの言葉を脳内で咀嚼する。その間にラップハールは紅茶を口に含み、背後に控えたシュトナと言葉を交わす。
「囲まれたらしいじゃないか。大丈夫だったのか?」
「はい。すんでの所で御門様が助けてくださいましたので」
「そうか、今後も気をつけろよ。それと、楽那の奴はどうした?」
「まだ連絡はありません」
「わかった。連絡あり次第、報告頼むぞ」
「かしこまりました」
 二人の会話が少し途切れたところへ、鷹晃は質問を差し挟んだ。
「脅されていると申されたが、実際の被害のほどはどうなのでござる?」
 嫌なことを思い出した、と言いたげにラップハールの表情が歪んだ。感情がすぐ顔に出る素直なタイプらしい。
「三人、やられてる。命までは取られてないがな。あたしらプリンスダム≠ヘ女の園だ。何されたかは言うまでもねえだろ?」
 鷹晃も表情を険しくして頷く。男であった頃に聞いてもそうだったろうが、今となっては自分も女の身。そういった所行に対する嫌悪感はひたすらに強くある。
 また鷹晃はジーンズのポケットから手紙を取り出した。ラップハールが鷹晃に宛てたものである。それをテーブルの上に置き、
「確認したいことがござる。ここに書いてあることでござるが……」
「ああ、あんた達の体について、だろ? 大丈夫……とまでは流石に言わねえ。だけど、あたしらに出来るだけのことは最大限にやらせてもらうつもりだ。結果的に希望が叶えられないかもしれねえが……あたしらは自分の技術に自信を持ってる。あんた達もそこのところを信じて任せちゃくれないか?」
 胸を張るラップハールを前に、鷹晃はもう迷う素振りを見せなかった。居住まいを正し、ぐっと頭を下げる。
「ではその依頼、お受け致す。不肖、この御門鷹晃、微才ながら全身全霊をもってあたらせていただくでござる」
 顔を上げると、鷹晃とラップハールの視線が真っ向からぶつかり合った。タイミングを合わせたように、どちらも笑顔を見せる。
「ありがとう、ミスター。恩に着る」
「いやなに、拙者とてこれでも切羽詰まっているのでござるよ。正直、英雄などと呼ばれておってもメルゼクスを逃してしまったのは他でもない拙者でござる。元の世界に戻る方法も、元の体に戻る方法もなくて途方に暮れておったのでござるよ。貴殿らの申し出は大変ありがたいでござる」
 ラップハールは指折り数えながら、
「ござるござるござるござる……噂には聞いていたが、本当におかしな喋り方だな、ミスター」
 邪気のない笑いを零す。鷹晃もにっこりと笑んで、
「よく言われるでござる。しかし、あんまり馬鹿にすると斬るでござるよ?」
 にこやかに言い切ったもので、流石のラップハールもぎょっとする。微動だにしなかったシュトナまで、刹那、身構えるかのように身を震わせた。すると、
「冗談でござるよ」
 茶目っ気を声に混ぜて鷹晃は言った。こいつは一筋縄ではいかない、と思ってもらえたのだろう。驚愕の表情を崩すと、ラップハールは声を立てて笑った。馬鹿笑いだ。片手にティーカップを持ったまま、もう一方の手で額を押さえてラップハールは天を仰ぐ。
「流石は英雄だよ。如才無え。おいシュトナ、もう茶は引いて良いぞ」
 と鷹晃の前のティーカップを指す。
「……ですが」
 シュトナは珍しく言い淀む。
 鷹晃は茶を一口もしていなかった。
 まだ客人が手もつけていないのに引いても良いのだろうか。そんな風に迷うシュトナに、
「いいんだよ。多分、ミスターは自分で用意したモン以外は口にしねえはずだ。そうだろ、ミスター?」
 ラップハールの問いに、鷹晃は目を伏せ、答える代わりにこう言った。
「お心遣いのみいただくでござるよ」
 あくまで柔らかな口調で。
 シュトナは上司と視線を合わせると、小さく頷き、礼を欠かさない動作で鷹晃の前から茶を引いていった。
 シュトナが退室するのを待ってから、ラップハールは口を開いた。
「正直舐めていた。すまないな、ミスター。あたしの悪い癖だ。ついついこっちで相手を呑み込もうとしちまう」
「別段、悪いことではないでござろう」
「いいや、なんだかんだで相手より優位に立とうってしちまうんだ。良くねえよ。許してやってくれ」
「気にしておらぬよ。強情でござるな、ラップハール殿は」
「冗談だからな」
「は?」
 ぽかん、としてしまった。すぐには理解が追いつかず、鷹晃は目をぱちくりとさせる。ラップハールの口元に悪戯っぽい笑みがあるのを見て、急に得心した。
「あ、なるほど。これは一本取られたでござるな」
 にかっと笑う。まるで狐と狸の化かし合いのようだった。お互いにそう感じて、滑稽だと思ったのだろう。
 鷹晃もラップハールも声を立てて笑い合った。


「待ちくたびれたぞ! 余を待たせるとは何事かね!」
 背の低い少年が腕を組み、傲然と言い放った。だがその顔は喜色に満ちている。鷹晃と再会したことが嬉しくてたまらないのだろう。
 共和区の外れにある無料住宅街の一角である。無政府状態にあるクライン≠ナは皆が支え合って生きている状態なので、住む場所だけはとりあえず無料で手に入る。それ以外となると『働かざる者食うべからず』となり、必要に迫られて誕生した通貨『ラグ』を稼ぐか、原始的な物々交換を行わなければならない。戦後の日本もこのような感じだったのかもしれない、などと二一世紀の日本から来た鷹晃は思ってしまう。
 鷹晃は無料住宅の中でも比較的大きなものに住んでいるが、それは彼女が望んで得た物ではない。彼女自身がガイスト・メルゼクス事変における英雄であるのと、複数の同居人がいるためだ。
 少年は同居人の一人だった。名はマルグリット・フォン・ガイエルシュバイク。マルグリットとは女の名である。鷹晃の帰りを待っていたのだろう。彼は家の前で腕を組み、仁王立ちになって立っていた。獅子の鬣のように豪奢な金髪に、ライトブルーの瞳。一見すれば可愛らしい年頃の美少年だったが、その実体は外見から得る期待を大いに裏切るものだった。
「そんな所で何をしているのでござるか、マルグリット殿……」
 流石の鷹晃も彼に対しては明朗快活とはいかない。一体いつからそうしていたのだろうか、と呆れる顔を鷹晃は隠さなかった。
 高価そうな赤の貴族服に、愛用の魔剣『デストリュクシオン・アンペラトリス』を腰に下げた彼は鷹晃の台詞を聞くと、
「決まっているではないか鷹晃! この余が待ちくたびれるほど待つ相手など愛するお前以外におらんだろう!」
「左様でござるか。それはご苦労でござったな」
 適当にマルグリットを労うと、鷹晃は何気なくその隣を素通りする。その際、何を勘違いしたのかマルグリットは瞳を閉じて、天からの使者を迎え入れるように両手を広げていた。
 通り過ぎた後に、新たな日光浴のやり方だろうか、と鷹晃が思っていると、その背中に大声が打ち当てられた。
「た、鷹晃!? なんて事を! お前には余の愛がわからないのか!?」
 またか、と鷹晃は呆れ気味に思う。初対面の時はそうでもなかったのだが、ガイストと決着をつけたあたりからマルグリットはこんな風になってしまった。正直、辟易している。愛されるのは良いことだと思うが、過剰だとあまり感謝の念が湧いてこないものである。
「わかりたくないでござるよ」
「鷹晃!? 待ちたまえ、たかあきっ──ぶふゥッ!」
 追いかけてこようとして転けたらしい。可哀想だが付き合ってもられないので、鷹晃は聞こえない振りをして家に入った。
 玄関に足を踏み入れると同時、鷹晃は家の奥に向かって声を張り上げた。
「スターゲイザー殿! スターゲイザー殿はおられるか?」
「はいはい、と。呼びましたかな? 麗しき姫君よ」
 うやうやしく現れたのは、細身だがしなやかな筋肉を感じさせる体躯の男だった。
「拙者は女ではござらん。知っておろうに」
「こいつは失礼をば」
 わざとらしく一礼する痩躯を包むのは漆黒のタイトスーツとダークグリーンのシャツ、蛍光イエローのネクタイ、そして臙脂色の帯の入った黒い帽子。これでワイルドな顔付きと髪型であれば鷹晃の持つ探偵のイメージと完全一致したのだろうが、実際の彼の髪はふわふわと柔らかそうな栗色だった。メロンソーダのような明るく甘い瞳が、鷹晃を見て皮肉的に笑う。
「首尾はいかがでしたかな?」
 甘いマスク、とは使い古された表現ではあるが、確かに当てはまる顔は存在する。スターゲイザーと名乗る自称探偵のこの人物がそうだった。中性的な顔立ちをしていて細身なので、うまく女装してしまえば女と見紛うこと間違いないだろう。それもそのはず、便宜上男として振る舞いそうとして扱われているが、スターゲイザーは厳密には両性具有だった。服の下では女性平均値ほどの胸囲がサラシに巻かれて押さえ付けられている。肉体はともかく、スターゲイザーの心の性は男へと大きく傾いているのだった。
「中の上、と言ったところでござる。少し希望が見えてきたでござるよ」
「そうですか。そいつは少し残念ですな。絶世の美女が一人消えてしまうことになるとは」
「あまり他人の不幸を楽しまない方がよいでござるよ。斬られても文句が言えぬ」
 不真面目な【男】の不謹慎な発言を、鷹晃はたしなめた。
 鷹晃は家に上がるとリビングへ移動し、先程は飲み損ねた茶の用意を自分でした。そうしている間に外にいたマルグリットが突入してきたので適当に受け流して椅子に座らせる。スターゲイザーも椅子に腰を下ろしたのを確認すると、鷹晃は緑茶を一口すすってから口火を切った。
「とりあえずオーディス殿とウォズ殿の所へ赴いて話をすることになったでござる」
「ほう。何故あの馬鹿共に会いにいかねばならんのかね?」
「それはそれは。また面倒な話でございますな」
 鷹晃は簡単に事情を説明した。
 クライン≠フ政治情勢は二人とも知悉しているので省き、プリンスダム≠ェオーディス派とウォズ派の両方から脅迫を受けていること。それを退けるために半年前のガイスト・メルゼクス事変における英雄である鷹晃の名声を欲していること。用心棒も兼ねるが、まずもってオーディス・ウォズ両派と話し合いで事が済ませないかどうかの確認をしなければならないこと。平和的解決が不可能だとするならば、プリンスダム≠ヘ戦闘医療集団の名に恥じぬよう、打って出るつもりであること。その際には鷹晃を含め、助っ人としてマルグリットとスターゲイザー、そして今ここにはいないがガルゥレイジも参戦するということを。
「なるほどな。女ばかりの集団を狙うとは何とも似合いの所行。下賤な奴ららしいわ」
 フォンの名が示すとおり貴族の生まれであるマルグリットは、あからさまな嫌悪を表す。気位が非常に高く、矜持に溢れ、類い希なる高潔さを持ち合わす少年だった。少々度が過ぎてはいるが。
「まあ、どちらさんも四の五の言ってられる状況ではありませんからな。致し方ないことでしょう。とはいえ、我々がそれに付き合う必要は毛先ほどにもありませんがね」
 陰険ないじめっ子のような表情をスターゲイザーはよくする。彼の性癖のようなものだろうが、その職業と目的を考えるとどうにもそぐわない。
「正義の味方がそのようなことを申して良いのか、スターゲイザー殿」
 スターゲイザーは大仰に首を竦めて頭を振った。
「いえいえ、正義とはもっと崇高なものです。子供同士の喧嘩に正義などありませんからね」
「ふん、手厳しいことだがな、スターゲイザーよ。正義なんて物は偉くて強い奴が決めるのだ。そう、余のような高級貴族がな! 正義が崇高なのではない。崇高な者が正義なのだよ」
「そいつは私より手厳しいですな、マルグリット様。流石でございます」
「ふふん」
 偉そうに説くマルグリットにうやうやしく頭を垂れるスターゲイザーだったが、鷹晃の目にはそれが適当に受け流しているだけにしか見えなかった。マルグリットは怒らせると面倒だ。スターゲイザーは火薬庫の前で火遊びをする愚を避けただけだろう。
「この際、正義がどうこうについてはどうでもいいでござるよ」
 鷹晃は二人の与太話を斬って捨てると、話題を本道へ戻す。
「確実な方法かどうかはまだわからぬが、拙者とマルグリット殿の体が元に戻るやもしれぬのだ。それこそ四の五の言ってられないでござるよ」
 報酬の件はプリンスダム≠ヨ行く前に話をしておいたので、二人とも知っている。マルグリットが鷹揚に頷く。
「確かにそうだな。余と鷹晃の体が元に戻り、究極の愛へ到達するためには多少の面倒は致し方あるまい。会いに行ってやるとするか、あの馬鹿共に」
 陶酔しきっているわけでもなく、真面目なマルグリットの口調だった。鷹晃は訂正する気にもなれない。こういったマルグリットの空想癖というか妄想癖というか、独特の発想に鷹晃は閉口するしかなかった。どうせ言っても聞かないのである。
「そういえばガルゥレイジくんはどうなされたのですかな? いつもあなたの傍にくっついているはずなのに」
「ガルゥレイジならプリンスダム≠フ監視と警護につけているでござる。念のために、でござるよ」
 依頼を受諾したとは言え、完全にプリンスダム≠信用したわけではない鷹晃だった。
「ふん、せいせいすると思ったら気味の悪い奴がいなかったというわけか」
 三人の脳裏に等しく、薄汚いぼろぼろの布を纏った影が浮かび上がる。人の形をしているが、人間ではない。かといって他の世界から偶然クライン≠ノ迷い込んだ生物でもない。新種の生命体。マルグリットが言うように、無口で不気味な存在だった。鷹晃は何度かガルゥレイジと会話したことがあるが、声は地響きのような低音だったので、性別は男だと思っている。もっとも、彼の種族に性別が存在するならば、の話であるが。
「そう言うものではないでござるよ、マルグリット殿。あれはあれで頑張ってくれているでござる」
「あんな奴の肩を持つのかね鷹晃!? 嗚呼おのれ! そもそも余はあのような者がお前と主従関係を結んでいるのが気に喰わないのだ! 鷹晃も鷹晃だ! どうしてあのような者を律儀に預かっておるのかね!」
 大きな声で抗議の意を叫ぶマルグリットに、鷹晃は茶をすすりながら答える。
「成り行きでござるよ」
「では余とも成り行きで愛し合おうではないか!」
「……何故そうなるでござるか」
 もはや強引すぎて好意を好意として受け入れられない鷹晃である。口元をうにゅうにゅと波形に歪ませる鷹晃を、スターゲイザーが笑う。
「愛されておりますな、御門さん。結構なことではありませんか」
「これを愛と呼んでも良いのでござろうか……」
「どんな形であれ、愛は愛でしょうよ」
 嘲弄するような色を漂わせるスターゲイザーの声音に、鷹晃は不満げに眉根を寄せるのだった。


 透き通る蒼穹に、一つの太陽と四つの月。その下に広がるのはパズルのピースを適当に組み合わせたような大地だ。森が茂っているかと思えば、その隣には砂漠。かと思えばすぐ近くに火山帯。統一性の全くない【ちぐはぐ】な世界。それがクライン≠ナある。
 そんなクライン≠ノある街は、現在四つ。どれも未だ正式名称は与えられていない。
 まず、昔からクライン≠ノ存在していた『中央区』。ガイスト・メルゼクス事変より以前からクライン≠ノ流れ着いた人々が暮らしている。半年前の争乱で一番の被害が出た地域でもある。ガイストとメルゼクスの両者はこの地区に居城を構えていたのだ。
 中央区の北東にあるのがオーディス派の街。安直に『北東区』と呼ばれているが、別名<鬼攻兵団>ともいう。同様にウォズ派の街は中央区の北西にあるため『北西区』というが、こちらも俗称があって<ミスティック・アーク>とも呼ばれている。その他勢力の街『共和区』は中央区の南に位置しており、『南区』と称されることもある。全体を俯瞰すると三角形を描いているのがわかるだろう。
 <鬼攻兵団>と<ミスティック・アーク>と『共和区』はそれぞれ中央区を介して繋がってはいるが、それぞれの境界線上には厳重な防衛戦が張られていて、移動は容易ではない。街の全体は不毛の大地に囲まれており、野獣や盗賊などが出没するため、こちらを通るのも骨が折れる。
 とはいえ鷹晃やマルグリットほどの有名人となれば、関所を通るのはそう困難なことではなかった。ガイスト・メルゼクス事変からまだ半年だが、彼女らがガイストを討ちメルゼクスを追いつめた事件は早くもクライン≠フ歴史の一ページとなっている。関所に立つ人間の中にも鷹晃達と肩を並べて戦った者達が多く、それぞれの街への移動に関して特に問題はなかった。
 問題があったのはむしろその後である。
 鷹晃は早速、北西区の<ミスティック・アーク>を訪ねていた。善は急げ、ということである。本当なら鷹晃一人で向かいたかったのだが、マルグリットがどうしても駄々をこねるので連れてきていた。スターゲイザーはいつもの如く、その能力を生かして情報収集を行っているし、ガルゥレイジにはプリンスダム≠フ監視兼警護を指示してある。動けるのは実質二人だけだった。
「くれぐれも滅多なことは口にするものではござらんよ、マルグリット殿?」
「まかせるがいい鷹晃! この余にかかれば交渉の一つや二つ!」
「いやいや、喋らなくても良いと言っているのでござるよ。お願いでござるから」
「む、むぅ? そうなのかね……?」
 やんわりと気勢を削がれて、寂しそうなマルグリットだった。
 ガイスト・メルゼクス事変が終息してから、クライン≠ナは革新的な技術交換が行われ続けている。様々な世界の様々な時代から人々が集まっているのだ。そこには明確な技術の違いが生じる。技術者たちは各々の知識や理論をぶつけ合いながら、技術革命と呼ぶべき現象を現在も進めている。あるいは未来の超技術。あるいは太古の喪失技術。そういったものが混ざり合い、融合しながら技術力を高めつつある。
 そういった事情もあって、どの街も歴史の坩堝のような様相を示していた。例えば木製の家の隣に、特殊構造材製の建造物があったり。例えばコンクリートの建物の裏手に、大きなテントがいくつも張られていたりする。
 いずれは技術水準が確定されて違和感のない光景が生まれることだろう。その時にはきっと『これぞクライン%ニ自の文化!』と豪語するに足る風景が眺められるに違いなかった。人々がそれぞれの世界に帰る術を見つけられなければ、の話であるが。
 そうしなければ文句を言うのでマルグリットと手を繋ぎながら、鷹晃は歪なパズルのような街を歩く。初期の頃は元の世界に戻りたがる人々による暴動が相次いで発生していたが、今ではほとんどの者が大人しく毎日を過ごしている。諦めたのか、前向きになったのか。どちらにせよ生きていかねば埒が明かない。生きるためには働かなければならない。そのためには人はいくらでも精力的になれるのだ。
 二人は喧噪の絶えない市場を通る。ここを通り抜ければウォズのいる城塞にたどり着く。
「ほほう、あの馬鹿女でもそれなりに統治の才能はあるようだな。景気が良いではないか」
「ウォズ殿もオーディス殿も、元々の世界では王だったのだから当然でござろう」
 鷹晃達の住む共和区は、中央区の暫定政府の統治を受けている。<ミスティック・アーク>と<鬼攻兵団>はそれぞれ自治区という扱いだ。現在、自治区の二つは中央区の暫定政府と手を結んでクライン¢S体の社会機構の建築に協力しているが、その一方ではどちらも政権を握るために反目し合っていた。かつてはメルゼクスが腰を据えていた最大権力の座は、今は空である。近い将来、ウォズかオーディスのどちらかがそこに座るというのは、決して難しい想像ではない。
 規模は小さいが、まるで戦国時代のようだ、と鷹晃は思っている。群雄割拠とは、今のクライン≠ノは実に似合った言葉ではないだろうか。いまやクライン″ナ大の英雄と言えば鷹晃だが、そうでなくともガイスト・メルゼクス事変によってこの時空の狭間に呼び込まれた人々は誰もが英雄になる素質を持っているのだ。例えばすぐ隣にいるマルグリット・フォン・ガイエルシュバイクもそうだ。彼は多人数を相手取る実力ならば鷹晃を優に凌ぐ。スターゲイザーの知謀は計り知れないし、単純な戦闘力だけを比べるならガルゥレイジは間違いなくクライン″ナ強だろう。
 そう、その気になれば鷹晃とて人々を結集し、第三の勢力となって天下を目指すことだって可能なのだ。
 と言っても、実際には元の体に戻るため東奔西走しているだけでそんな余裕など全くないのだが。
 市場は耳が割れんほどの声と音に占領されていた。作物はともかく、鉱石などは鉱山が拓かれたりしているわけではないので、ほとんどの物が拾得物だろう。街の周辺には他の世界から流れ着いた物が所狭しと転がっている。その中から発掘してきた物を並べているのだ。
 武器を並べている店もあった。クライン≠ノはまだしっかりした警察機構がないため、基本的には自分の身は自分で護らなければならない。そのためのものだった。
 マルグリットは甘そうなお菓子を見ては目を輝かせるが、すぐに貴族の矜持がそれを邪魔して表情を引き締めさせる。ころころと変わる百面相がとても可笑しかった。
 鷹晃は適当に飴を一袋買い、マルグリットに与えた。レアメタルを加工して作った貨幣『ラグ』を代金分、店主に渡す。
「よ、良いのかね鷹晃? よ、余は別にそのようなもの欲しかったわけではないのだが……」
 照れるマルグリットに鷹晃は微笑み、手に飴袋を握らせる。
「ウォズ殿の所で大人しくしてもらう駄賃でござるよ。遠慮は無用でござる」
 ぱっ、と少年の顔が花開いたようだった。
「そうか、なるほど! 流石は鷹晃だ、よくわかっているではないか! 余のような高級貴族は見返りを求めているわけではないが、その好意にはそれ相応の報償があって当然──」
 照れ隠しにくどくどと言い並べようとするマルグリットを黙らせるため、鷹晃は袋から飴を一つ取り出してその口に放り込んだ。
 マルグリットは異物感に口を閉じて、目をぱちくりとさせる。だがこれで沈黙すると思っていた鷹晃は、勿論甘かった。
「すごいぞ鷹晃! お前が選んだだけはある! すごくおいしいぞ!」
「そ、それは良かったでござるな……」
 先程からマルグリットが口を開くたびに、周囲の人々が何事かと視線を向けてくる。彼の声は市場の騒音の中にあってなお、よく響くものだったのだ。
 まるで子供である。確か年齢は鷹晃とそう変わらず、十五か十六だったはずなのだが。貴族の生活では甘やかされ過ぎてあまり精神が成長しないのかもしれない。
 あんまり恥ずかしいので、鷹晃はマルグリットの手を引いて足早にウォズの元へ向かった。

 本来ならばアポイントメントが無ければ会えないのだろうが、ウォズは突然の訪問にも対応してくれた。
 『ラピュタ』という名を持つ巨大な石造りの城塞は、まだ建築途中だった。それでも急ピッチで工事を進めているのだろう。外から見る分にはもうほとんど完成しているように見える。石造りなのも材料が比較的入手しやすいだからだろう、と推測出来た。
 門番に名乗るとそのまま内部へ通され、案内役がつけられた。案内役の男は鷹晃の名前を聞くと──ほとんどの者がそうするように──半年前は世話になっただのと簡単な思い出話をしてから、両手で複雑な印を組んだ。魔術である。おそらくは距離や障害物を越えて意志を届けるものだろう。しばらくすると案内役は印をほどき、笑顔で言った。
「大丈夫です。こちらへどうぞ」
 <ミスティック・アーク>はその名が示すとおり、ウォズを筆頭とした魔術師集団である。鷹晃自身には魔術も魔法も超能力も違いがよくわからないが、それぞれに明確な相違があるという。<ミスティック・アーク>の最大の目的は、魔術を用いて魔法を生み出す事と鷹晃は聞いている。それが名前の由来である『神秘の箱を開ける』ことなのだそうだ。ウォズに言わせればメルゼクスなどは生粋の魔法遣いであり、鷹晃やマルグリットはその産物なので、とても希少価値が高いらしい。鷹晃にとっては、欲しいものならすぐにでも譲ってやりたい価値なのだが。
 案内役の後ろについて城塞内を移動する。足音が三人分聞こえるのを確認して、鷹晃はシュトナ・ラフマニンを思い出した。あの物静かな少女は足音さえ立てなかった。物静かにも程がある。やはりあれは洗練された達人のなせる技だろう、と鷹晃は思う。どれほどの実力があるのか。並々ならぬものであることは疑い得ない。しかしそんな人物が何故プリンスダム≠ノ身をやつしているのか。いくら戦闘医療集団とはいえ、あれほどの実力者が上位に立たず一人の看護師として働いているのは不自然ではないだろうか。それとも彼女の上司、ラップハール・エノルはそれ以上の実力を持っているのだろうか。素直には信じられない。
「こちらです」
 案内役の声で、思索の糸をたぐり寄せていた鷹晃は現実に引き戻された。静かだと思ったら、マルグリットが城塞に入ってから一言も口をきいていなかったのである。約束をしっかり守っているようだった。
「かたじけない」
 と案内役に礼を述べて、彼が姿を消すのを待ってから扉を叩いた。
 返事はなかったが、代わりに扉が独りでに開いた。これも魔術の力だろうか、と感心しながら鷹晃はマルグリットの手を引いて入室する。
 部屋の奥で、城塞の女主人がロングソファに寝そべっていた。
 しっとりとした美しい女性だった。鷹晃のものとは質の違う髪の黒は、どんな光をも貪欲に呑み込む闇そのものと思える。その長さは常軌を逸していて、彼女の身長の倍ほどはあった。蜘蛛の巣のような形で、長い髪が蛇の如く石の床を這って広がっている。陶器のように白い肌、名工の手による彫刻のごとき美貌。けだるげな雰囲気と神秘的な空気は紙一重なのだと感じさせるこの女性が、<ミスティック・アーク>最大の魔女、ウォズ・ヘミングウェイであった。
「お待ちしていましたわ、御門様。ガイエルシュバイクのお子様は余計だけれど」
「──!」
 マルグリットは体内で爆弾が破裂したような反応をした。奥の方で感情が爆発したのだろうが、鷹晃との約束を守るため咄嗟に我慢したのだろう。わかりやすいことに両の拳を震えるほど握りしめて、ウォズを睨みつける。
 烈火の如き苛烈な視線を受けても、魔女は宙に浮かせた書類の表面から目を逸らさずに微笑した。
「あら、偉いのね」
「ウォズ殿、久方ぶりでござる。すまぬが、マルグリット殿をからかわないでやって欲しいでござるよ」
「御門様がそう仰るのであれば。それにしても、どういったご用でございましょう? 随分とお久しぶりな気がするのですが」
 鷹晃とマルグリットは部屋に入ったはいいが、奥まで進めなかった。部屋のほとんどにウォズの髪がのたくっていて足の置き場がないのだ。そういえば、髪の毛は魔力の貯蔵庫であるから魔術師は皆伸ばしているのだ、と鷹晃は思い出した。そうしてみると案内役の彼も、男にしては随分と長い髪をしていたのだなと思う。
「実は共和区のプリンスダム≠フ事なのでござるが」
「プリンスダム=H ああ、あの気にくわない女のところ……そこがどうされたのかしら?」
「単刀直入に申すが、手を引いて欲しいのでござるよ」
 ウォズがこちらへ視線を向けた。珍しいことに、何をするにも億劫げな魔女が軽く目を見張っていた。
「手を引け、ですって?」
 けだるげな声が困惑の響きに変わっている。
「突然で申し訳ないのでござるが、実はプリンスダム≠フエノル代表から──」
 ウォズは鷹晃の言葉を遮った。
「いいえ、いいえ、お待ちになって御門様。待って頂けないかしら。一体全体、何の話ですこと? 私どもは共和区には指一本すら出していませんわよ?」
「なんと?」
 とすると先程の表情は、身に覚えのないことを言われて驚いていたということか。しかし、今度は鷹晃が驚く番だった。
「手を出していない、と言うのでござるか?」
 話が違う、という思いがあった。ここで食い違いが発生するということは、ラップハールかウォズのどちらかが嘘をついている可能性が極めて高い。虚偽や誤魔化しは許さぬ、と声に力が入ってしまうのはどうしようもなかった。
 それに応えるためか、ウォズは上半身を起こす。部屋中の黒髪がその動きに引っ張られて動いた。
「本当でございますわ。私が御門様に嘘を言ったことがありまして? 誓って私ども<ミスティック・アーク>はプリンスダム≠ノは手を出しておりませんわ」
 けだるさの抜けた真剣な表情は、確かに嘘を言っているようには見えない。鷹晃はしなやかな指を顎に当てて沈思した。ウォズが嘘をついていないとすれば、ラップハールこそが嘘をついていたということだろうか。しかし、実際にシュトナが男共に襲われている場面に遭遇したではないか。となると、あれはオーディス派の連中だったと言うことだろうか。それならば説明がつく。しかし、そう、これだけは確認しておかなければならない。
「では、医療機関として引き込もうともしていないと……?」
「勿論ですわ。私、あの女が半年前の事変の時から嫌いですのよ? あのラップハールとかいう女、何を勘違いしたのか私に指揮がどうのこうのと、直接抗議してきたんですもの」
 内容は聞かずとも容易に想像出来た。ガイスト・メルゼクス事変の際、ラップハールが周囲の反対を押し切り、警備も物ともせずウォズの部屋へ乗り込み、こう言うのだ。
『あんたの指揮がまずいから怪我人が増える一方だ! なんとかしやがれ!』
 と。実際、当時のウォズはそう言われても仕方なかった。ガイスト軍とメルゼクス軍の戦争が始まっていたというのに、それでもオーディス派と内戦を続けていたのだから。正確には戦術指揮がまずかったのではなく、戦略思想そのものが間違っていたのだが、専門家でないラップハールにはそこまでわからなかっただろう。
 とうとうマルグリットが激発した。
「ええい! さっきから聞いておれば嘘ばかり並べたて──ぶほゥッ!?」
 鷹晃は何気ない動作で素早くマルグリットの口を塞いだ。
「ウォズ殿、大変失礼したでござる。知らぬ事とはいえ疑ってしまい、大変申し訳ない」
 鷹晃はウォズに向かって深く頭を下げた。掌に、鷹晃なぜ謝るのかねお前は悪くないぞ、というマルグリットの叫び声が当たってはくぐもる。
 鷹晃の謝罪に気を良くしたのか、それともマルグリットがおもしろかったのか、ウォズは口元に手をやってころころと笑った。
「いえいえ、滅相もございません。誤解がとけて何よりでございますわ。それにしても、一体どういう話でございますの?」
 この問いに鷹晃は一瞬だけ逡巡した。話して良いものかどうか、判断がつかなかったのだ。ラップハールが嘘をついていたのならば、それはそれで処理するのだから別にかまわない。だが、あちらも嘘をついていたわけではなかった場合は、ウォズとラップハールとの間に無用の不協和音を生むことになるだろう。
 話すのは真相が判明してからだ、と鷹晃は判断した。
「申し訳ない。今はまだ言えぬでござるよ。これよりオーディス殿のところへ向かうので、全てが判明すれば説明させていただくでござる。それまで待って頂きたい」
「はい。かしこまりましたわ」
 拍子抜けするほどあっさり、ウォズは承諾した。鷹晃が驚いて顔を上げると、けぶるような微笑みがあった。
「……あら? どうなされたのかしら? 私、おかしな事を言いました?」
「いや、そういうわけではござらんが……随分と簡単に納得されたので少々驚いているのでござるよ……」
「まあ……」
 鷹晃が、そんなに今の拙者の顔は可笑しいのだろうか、と思うほど満面の笑みを、にっこり、と浮かべるウォズ。彼女は快諾の理由をこう語った。
「だって御門様は嘘をつきませんもの。半年前の時もそう。あなたはガイストの元から生還しただけでなく、メルゼクスとの戦いからも生きて帰ってこられましたわ。覚えてらっしゃいます? あの時、御門様が私に仰った言葉」
「……?」
 思い出せない鷹晃に、ウォズは微苦笑して続けた。
「おぬしは魔術師であろう? ならば祈ってくれ。さすれば拙者は魔法となって必ず生還するでござるよ──と」
「……!?」
 瞬間的に思い出して、鷹晃は顔が真っ赤になるほどの熱さを全身に覚えた。
 ──せ、拙者はなんと恥ずかしい事を!
「素敵でしたわ、御門様。悪魔と契約する前でしたら、きっと間違いなく、私の魂はあなたに奪われていたはずですわ」
「……!」
 うっとりするウォズに向かって、鷹晃はトマトが真っ青になって裸足で逃げ出すほど頬を赤く染めて、二の句が継げずにぱくぱくと口を開閉した。
 あの時は切羽詰まっていたし、本気で死を覚悟していたし、その前に少しは気の利いたことを言ってみたかっただけで、特別な意味は全くなく、ましてやウォズが思っているようなつもりで言ったのではないのだ──と。そう言いたい鷹晃だったが、頭の中がこんがらがってしまって上手く喋れなかった。
 こうして抑止力を失ったマルグリットが爆発する。
「さっきから大人しく聞いていれば余の鷹晃に色目を使いおってぇぇェェッ! そこになおれ! 我が魔剣デストリュクシオン・アンペラトリスで灰燼にしてくれるわ!」
 文字通りである。腰の剣を引き抜いたマルグリットの全身から爆炎が溢れ出した。だが、本来なら噴水の如く湧き広がる炎は不可視の壁に阻まれたように、マルグリットの周囲を邪龍のようにうねり巡る。ウォズの部屋に常備されている結界の効果だろう。
「あらあら、ガイエルシュバイクのお子様ったら。悪ふざけが過ぎてましてよ? おいたをする子供にはきついお灸を据えないとね……!」
 部屋中に張り巡らされたウォズの黒髪が、生命を得たように浮かび上がった。この世のどんな生物でも取らない動きで蠢くと、目に見えない魔力がたぎり、室内の大気をびりびりと振動させた。
 両者は激しく睨み合う。
 マルグリットの炎は制御可能な異能の力であるので、望むもの以外を燃やさぬように出来ている。そのおかげで焼死を免れた鷹晃は慌ててマルグリットの小柄な体を小脇に抱えた。
「ををっ!? 何をするのかね鷹晃!? 余はお前のためを思ってあの馬鹿女を消し炭に──」
「約束を違える気でござるかマルグリット殿!」
「……はうあッ!?」
 言われて思い出したらしい。彼はよく『貴族精神』がどうこうと言うのだが、その中には『高貴なる者は約束を破らない』というものがあった。それ故に彼は自分の行動を的確に指摘されて大きな衝撃を受けたのである。
 自己確立理論に矛盾を突き付けられて硬直したマルグリットはこれで良いとして、もう一方のウォズも完全に臨戦態勢だ。
 メデューサのように髪を波立たせるウォズに鷹晃は、
「申し訳ござらんウォズ殿! 急ぐので拙者これにて!」
 と引きつった愛想笑いを浮かべ、マルグリットを抱えているのとは逆の手をしゅたっと立てると、全力で走り出したのだった。

 鋭くそれでいて流れるような動作で踵を返し、走り去っていく鷹晃の背にウォズはぽつりと呟いた。
「女なんかにされなければ私が奪っていたのに……口惜しいですわ」
 人差し指を唇に当てて、本気で拗ねた顔をするクライン″ナ大の魔女だった。


 オーディス派の街、北東区の<鬼攻兵団>へ向かう道すがらのことである。
「すまなかった鷹晃。余はこの通り反省しているのだ。そろそろ許してくれてやってもいいのではないのかね?」
「どの口が言うのでござるか」
 やれやれ、と鷹晃は疲れの粒子を多くはらんだ息を吐き出す。どうやらマルグリットの精神における謝罪とは『すまない』と口にするのが最大のものらしい。貴族精神ならぬ貴族根性に、鷹晃は怒りを通り越して呆れてしまう。本来なら捨て置いてしまいところなのだが、そうしても彼はついて来るだろうし、何より今となっては同じ境遇の者としての情もある。
「とにかく、次のオーディス殿のときは頼むでござるよ?」
「任せておきたまえ!」
 返事だけは良いマルグリットだった。
「しかし、どういうことかね鷹晃? あの馬鹿女とどうも話が噛み合わなかったようだが。どういうことだろうか。あの女、余ならともかく鷹晃に嘘は言うまい。となると、プリンスダム≠フラップハールとやらが怪しいのだろうか?」
「拙者も一応はその可能性を考えてはいるのでござるが……正直、確定する材料もなくて困っているところでござるよ……ん?」
 と、返答してから鷹晃は不意に気付く。マルグリットが至極真っ当なことを言っていた、と。そういえばそうだった、と鷹晃は過去を思い返して得心する。この少年、普段の言動が言動なので知能をすら疑ってしまうのだが、特別頭が悪いわけではないのだ。ただ子供っぽく我が儘が度を過ぎているだけで。今だってしっかりと現実を把握して『ウォズは自分には嘘をつくかもしれないが、鷹晃にはつかないだろう』と、相対的な見方が出来ている。
「ん? どうしたのかね鷹晃?」
 思わずじっと見つめてしまった鷹晃に、マルグリットは無邪気に笑いかける。そこだけを見ていれば普通の少年に通じるものがあるというのに、
「なにゆえに……」
「なんだなんだ、どうしたというのだ?」
 心配そうにこちらを見上げてくるマルグリットの視線が痛い。鷹晃は控えめに、ふぅ、と息をつく。
「いいや、何でもござらんよ。それよりマルグリット殿はどう思われる? やはりラップハール殿が嘘をついていると?」
 質問にマルグリットは小首をかしげた。しばしの沈黙を挟み、口を開く。
「正直、余はそのラップハールとやらの人となりを知らないからな。しかし、状況的には怪しむには十分だろう。もっと言うなら余はあの馬鹿女も信用していないのだ。どちらも怪しい。つまり、どちらにも近づかない方が良いと思うのだよ。そして鷹晃は空いた時間を余のために──」
「急ぐでござるよマルグリット殿」
「ああッ鷹晃ッ!? 手を、手を離すとは何事かね!? 待ちたまえ! 待ちたまえ鷹晃ッ! 見ろ、私の手がこんなにも寂しそうにしているではないか! って聞きたまえタカアキラァーッ!」
 鷹晃は見向きもしない。互いの足の長さの差を生かしてぐんぐん距離を開いていく。その背中にマルグリットの涙声が追いすがる。いい気味でござる、と内心思う。これが良い薬になればいい、と。
 それにしても、マルグリットの見解はおそらく正しい。鷹晃にとってはラップハールもウォズも人となりを知っているだけに疑いにくい。しかし、状況的にはどちらかが嘘をついている可能性が非常に高いと言わざるを得ない。客観的にはマルグリットのように両者を疑うのが一番正しいのだ。どちらにも近づかない方がよい、という意見も含めて。もっとも、その後の意見は受け入れられないが。
 しかし、どちらかが嘘をついているとして、その目的とは一体なんなのだろうか。鷹晃を騙して何がしたいのか、それがわからない。事実はともかく、三人の女性に被害が出ている、という話だ。ラップハールが語ったのが作り話だったとしても、それは冗談では済ませられるレベルではない。またウォズが自らの行為を誤魔化したというのならば、それは鷹晃の信頼に対する裏切りだ。どちらにせよ悪質なもので、鷹晃としては許せるものではない。
 思えば、あの時に伸した男共を捕らえておけば良かった、と後悔する鷹晃だった。そうしておけば誰の指示によるものか、すぐにわかっただろうに。
「……今更、詮無きことでござるか」
 再び溜息をつく。
「鷹晃ぁ、鷹晃ぁ……!」
 情けない声が後ろからついてきている。まるでぐずった子供のようだった。
 背後から服の裾を掴まれた。振り返ると、酷い顔をしたマルグリットがジャケットの端っこを握ってこちらを見上げていた。
「む、無視するとは酷いではないかね……余が泣いてしまったではないか……!」
「……マルグリット殿……すごい顔でござるな」
 鷹晃は呆れるのを通り越して失笑する。どうやら薬が効き過ぎたらしい。当人は本気で心細かったのだろう。しゃくり上げるマルグリットを見ていると、途端に自分が大人げない対応をしてしまったかのような気になってくるから不思議だ。
 鷹晃はジーンズのポケットからハンカチを取り出すと、マルグリットの顔を丁寧に拭いてやった。
「はいはい、泣きやむでござるよ」
 鷹晃とマルグリットの身長差は三十センチ近い。ほとんど弟の世話をする姉のようである。ふと、互いに本来の姿なら、妹をあやす兄に見えるのだろうか、少なくともマルグリット殿が望む恋人同士には見えないだろう、などと考える鷹晃だった。

 <鬼攻兵団>の本拠地である『鬼岩要塞』は騒然としていた。外側はそうでもないのだが、要塞の外に出ている部分を遠目に見ると、多くの人間が忙しげに動いているのだ。
「? 何事でござろう?」
 まさかウォズ派の軍勢が攻めてきたわけでもなかろう。
「馬鹿のやることは理解できんよ鷹晃」
 今泣いたカラスがもう笑う、とはよく言ったもので、鷹晃の手を握ったマルグリットは上機嫌に言う。
 鷹晃は門番に近付き、声をかけた。
「すまぬが拙者、御門鷹晃と申す者。故あってオーディス殿に面会を申し込みたいのでござるが、取り次いでもらえぬだろうか?」
「みかど、たかあき……おお、これはこれは!」
 ウォズ派の者達と同じ展開である。門番の男はどこかで聞いたような挨拶を述べてから、しかし面会はできない、と答えた。
「何故なのだ! この余と鷹晃がせっかく訪ねてきてやったというのに──」
「マルグリット殿」
「──〜っ! く、くぅっ……!」
 暴走しかけたマルグリットは鷹晃の低く冷たい声によって頭を押さえられた。
「一体、何が起こったのでござる?」
 鷹晃が要塞の高い壁に目を向けると、門番もそれに倣って、
「いやね、実は自分もよく知らないんですよ。箝口令が敷かれてるんですが、その内容すら自分ら末端には知らされてなくて。中じゃ幹部連中が色々と騒いでいるみたいなんですが……」
 壁の向こうからいくつか怒声が聞こえてくる。のっぴきならない事態であることは空気で知れた。
「でもって、しばらく誰も中には入れるな、という命令まできましてね。なので今はちょっと取り次げないと思うんですよ」
「そうでござるか……」
 鷹晃は眉根を寄せて、斜め下の地面を睨みつけた。
 いったん帰って出直すべきだろうか。オーディスへの面会が叶わないのなら、先にプリンスダム≠ヨ赴いてラップハールに再度確認をとった方が良いかもしれない。
 そんな風に鷹晃が思考を巡らせていると、
「あの、良ければちょっと上に掛け合ってきましょうか?」
 門番の男がそう言った。鷹晃は顔を上げる。
「良いのでござるか?」
 問うと男は照れくさそうに顔を赤らめる。
「いやあ、掛け合うだけなら問題ないですから! んじゃ、ちょっと待ってて下さいね、すぐ聞いてきますから!」
 言うが早いか、走って行ってしまった。きょとん、と鷹晃がその後ろ姿を見送っていると、繋いでいる手からマルグリットの震えが伝わってきた。
「マルグリット殿?」
 見ると凄まじく不機嫌な形相で男の背中を睨んでいた。鷹晃が手を握っていなければ剣を抜いていたかもしれないほどの殺気を込めて。
「ど、どうなされたのでござる?」
 マルグリットの声は怨嗟を吐くようだった。
「あの男……鷹晃の顔に見とれておった。見え見えのご機嫌取りではないか。これしきの事をきっかけに鷹晃に近づこうとしようものなら、余の炎で骨の欠片も残さず消滅させてくれる……!」
「ま、ま、待つでござるよマルグリット殿」
 嫉妬の鬼と化したマルグリットを鷹晃は慌てて制止した。冗談には聞こえなかったのだ。釘を刺しておかなければ本気でやりかねない。
 とはいえ、妙な虫が自分の周囲をうろちょろしない事に関しては鷹晃はマルグリットに感謝さえしていた。鷹晃自身にはほとんど自覚はないが、スターゲイザーなどに言わせると結構な器量らしいのだ。惚れる男が一人や二人いてもおかしくはない、とまで言われていた。しかし、それは困るのである。今は体が女でも、心は男なのだから当然だった。まあ、変な男が寄りついてこない代わりにマルグリットという、とんでもない変わり種がまとわりついてしまっているのだが。それでも元は女であるだけ、ましと言えた。
「冷静になるでござる。拙者、男には興味ないでござるよ」
 そう言うとマルグリットは弾かれたように振り返り、
「では余もダメなのか!? 今の余は男だが、その余にも興味がないというのかね!?」
「…………」
 なんと答えれば良いものか、と鷹晃は答えに窮する。ここで『マルグリット殿は特別でござる』などと言った日にはどうなるのか想像もつかない。婉曲的に『貴殿は元々女だから大丈夫でござる』と言うとおそらく『やはり余にはちゃんと興味があるのだな!』となるに違いない。
「……とにかく、むやみやたらと他人を燃やしてはいけないでござるよ」
 質問を無視する形で答えたところで、二人に近づいてくる影があった。気配に気付いて視線を向けると、そこにはオーディス派のナンバー2であるフライスがいた。小麦色の肌に明るい茶の髪、真一文字に結んだ唇が男らしい。豪放磊落なオーディスを補佐するにふさわしい、緻密かつ犀利な人物だった。
「これはフライス殿」
「お久しぶりです。御門殿、ガイエルシュバイク殿」
 硬い声と表情は『鉄面皮』と異名をとる彼の常だったが、そこに微妙な揺らぎがあることを鷹晃は感じ取った。
 漆黒の戦闘服に体どころか心まで固めている彼から、緊迫した、それこそ帯電した剃刀のような空気が放たれている。マルグリットもそれを感じたのか、先程までの殺気を抑えてじっと彼を見上げていた。
「……何か重大なことがあったのでござるな?」
 フライスは鷹晃の言葉を否定も肯定もしなかった。
「こちらへ」
 それだけを言って背を向け、歩き出す。どうやら『ついて来い』という意味らしい。鷹晃はマルグリットと顔を見合わせると一つ頷き、その鉄板のような背中を追いかけた。

「暗殺された?」
 内容の割には平静な声が響いた。我ながら緊迫感の欠片もない声を出してしまった、と鷹晃は後悔する。
 フライスの執務室に通された鷹晃は、開口一番こう聞かされたのだ。
「オーディス様が暗殺されました」
 乾いた声で言うフライスの口調が、まるで夕食のメニューを知らせるような平淡なものだったからかもしれない。鷹晃もマルグリットも、すぐには何の反応も返せなかった。
「オーディス殿が?」
 もう一度、確認として問う。
「はい。今朝のことです」
 フライスの応答には無駄が一切無い。ドライアイスのような声からは、本当に主君の死を悼んでいるのかどうか探ることは出来なかった。
 オーディスは鬼族の力を持つ、筋骨隆々の偉丈夫だった。コーヒーのような褐色の肌をしていて、額の左右から生えた二本の角は、それぞれが螺旋を描きながらまっすぐ伸びていた。見た目から想像するよりも遙かに膂力があり、稲妻を操ることが出来た。
 そう。ウォズがクライン″ナ大の魔女なら、オーディスはクライン″ナ高の戦士だった。
 そのオーディスが殺されてしまうとは。すぐには信じられない。夢にも思わなかったのだ。不死身だと錯覚するほど、頑丈な男だったのに。
「一体どのような手口で……?」
「胸の真ん中を、まるで炎の剣で貫かれたような形でした。そう、まるでガイエルシュバイク殿のデストリュクシオン・アンペラトリスのような」
 低く押し殺した声を聞いた瞬間、鷹晃はフライスが自分たちをここへ案内した理由を知った。
「なっ……!? 余の仕業だと言いたいのか貴様!」
 案の定マルグリットが火中に放り込まれた栗のように弾けた。
 フライスはマルグリットの怒声にびくりともせず、ただ金属で出来たような灰色の瞳でこちらを見据える。鷹晃とて友人がこのように言われては、黙っていられない。
「待つでござるよ、フライス殿。マルグリット殿がオーディス殿を殺す理由などござらんし、アリバイもあるでござる」
「アリバイ? それは一体どのような?」
 クライン″ナ高の戦士の参謀は、もちろん無能という言葉から縁遠い。鋭い質問の剣が、喉元に突き付けられる。
「犯行は今朝でござろう? その時マルグリット殿は──」
「御門殿、小官はガイエルシュバイク殿に聞いているのです」
 鷹晃はマルグリットの顔を見やった。苦虫を噛みつぶしてしまったような渋面がそこにあり、刹那、胸内に霜が降りるのを鷹晃は感じた。まさか、という想いがあった。
「余は、今朝は家におった」
 短い答えに対して、フライスはさらに舌鋒を尖らせる。
「それを証明できる人物はいらっしゃいますか?」
「…………」
 マルグリットは答えない。不安になって鷹晃は口を差し挟んだ。
「スターゲイザー殿がいるでござろう?」
 しかしマルグリットは首を横に振った。
「あの者は今朝、鷹晃が出た直後、同様に出て行ったのだよ鷹晃……」
 とすると少年のアリバイを証明する者はいない、ということになる。マルグリットの渋面はそれがわかっていたからこそだったのだ。
「それではアリバイは証明できませんな」
 空気が嫌な重さを持ち始めた。まるではじめからシナリオが用意されている軍法会議のような、不穏な空気である。見えない魔の手が金髪の少年を絡め取り、断崖へ押しやっているかのようだった。
 鷹晃はそんな雰囲気を打ち払うように声を高めた。
「いやしかし、動機がないでござるよ」
「オーディス様は今やクライン≠二分する大勢力の筆頭です。理由などいくらでも考えられるでしょう」
「いや、それを申すなら、炎を扱う者は他にいくらでもおるでござろう?」
 ロボットのようなフライスの灰色の眼が、この時、鋭い光を放ったかのように見えた。
「そうですな。ただし、オーディス様を殺害出来る程の手練れとなりますと、随分と限定されてしまいますが」
 今度こそ鷹晃は言葉を失った。
 状況が悪すぎる。まるで見えざる悪魔がマルグリットを罠にかけたかのようだった。
 確かにオーディスを単身で倒す程の実力を持ち、炎を扱う者と言えば真っ先にマルグリット・フォン・ガイエルシュバイクが思い浮かぶ。と言うよりも、それ以外に候補者が見あたらない。フライスが消去法で彼に容疑をかけるのは、この際やむを得ない話だった。
 だがまだ光明はあった。自らの無実を証明するために、マルグリットがこう言った。
「ふん。余がやったという明確な証拠はあるのか? 余が今朝ここに来たときの目撃者がいるとでも? 状況証拠だけで余を断じるというならば、それこそ望み通り貴様ら全員を消し炭に変えてくれるぞ!」
 苛烈な意思が叫びとなって放たれた。恫喝でもあるそれを叩き付けられた<鬼攻兵団>の参謀は、流石にたじろいだのか表情筋をミリ単位で動かした。マルグリットの性格を考えればあながち冗談でもなく、また、少年にはそれを実行せしめるだけの実力があった。
 数瞬の沈黙を置いてから、フライスは舌を動かした。
「証拠はありません」
「それ見ろ! ただの推測ではないか!」
「しかし状況的にはあなた以外に考えられません」
「黙れ! それ以上ふざけた口を利くならば余の手でオーディスの後を追わせてやるぞ!」
「マルグリット殿、落ちつくでござる、マルグリット殿!」
 マルグリットが剣を握ったので、鷹晃はその肩を掴んで制動をかけた。ここでフライスに手を出してしまったら、それこそどうにもならなくなってしまう。
「しかし鷹晃!」
 怒りに顔を染めたマルグリットが猛然と鷹晃に振り向き、激情が渦巻く瞳で訴える。
「ここは堪え所でござるよ」
 言い含めるように鷹晃はマルグリットの両肩を掴んだ。腰を屈めて視線を合わせると、真摯にライトブルーの瞳を見つめる。マルグリットの瞳の奥で憤怒の炎が燃えさかっていたが、それは鷹晃の視線を受けると、次第に落ち着きを取り戻していった。マルグリットが平静を取り戻したのを確認すると、鷹晃はフライスに向き直り、
「とにかく、証拠も無しに犯人扱いするのは無茶な上、極めて無礼でござる。気持ちはわかるが謹んでくだされ、フライス殿」
 フライスは無言をもって答えた。まだ疑いが晴れたわけではない、とその顔が語っていた。鷹晃はそんなフライスの表情を斬り付けるように、
「さもなければ」
 と、凛とした声を放つ。そして腰の刀に手を添え、
「拙者がおぬしを斬る」
 と宣言した。
「「──!?」」
 無音の落雷があったかのようだった。
 愕然としたのはフライスだけではなかった。庇われたはずのマルグリットでさえ目を剥いて驚愕していた。
 例え<鬼攻兵団>全員を相手取ろうとも、必ずマルグリットを連れて家に帰る。鷹晃は既にその覚悟を決めていた。
 眉を立て、貫かんばかりの視線をフライスに射込む。
「拙者と斬り結ぶ覚悟があるならば、マルグリット殿を拘束するもよかろう。だが、そうでなければ引いていただきたい。明確な証拠が出て容疑が確定するまで、拙者は決して戦友を意味なく拘禁させることを許さぬでござる」
「鷹晃……!」
 マルグリットが涙に溢れた眼で鷹晃を見上げた。彼は感激で滂沱していた。
 フライスは真っ向から鷹晃の視線を受けていたが、やがて諦念したのか、静かに目を伏せた。
「わかりました。不躾なことを申しました。大変申し訳ございません」
 ロボットの如き動きでフライスが低頭する。きっちり三秒後に彼は面を上げ、小気味よく指を鳴らした。
 いつの間に囲まれていたのだろうか。部屋の外からいくつもの気配が離れていくのを、不意に感じた。殺気になる一歩手前の重圧感が遠のき、鷹晃は急に気分が楽になった。いつの間にか神経が緊迫し、息苦しさを覚えていたらしい。要塞内の雰囲気が常と違うことがわかっていたため、表層面で受け流していて気付かなかったが、彼女らが部屋に入った瞬間から<鬼攻兵団>の人間が部屋の外を固めていたのだろう。おそらくは、マルグリットを拘束するために。
 とにもかくにも鷹晃は安堵し、刀にかけていた手をほどいた。鷹晃は口元に微笑をたたえ、
「わかってもらえて何よりでござるよ」
「全くだ。第一、余がオーディスを殺したというのなら、ここにいること自体が道理に合わないではないか。犯人は必ず現場に戻る、などと言っても暗殺者がそのような愚行を犯すわけがない。発想が稚拙に過ぎるのだ! 猛省するがいい!」
 まだ感情が燻っているらしいマルグリットは、もはや石像と化してしまったフライスに辛辣な言葉を浴びせかける。その瞳にたまっていた涙はもう乾いていた。鷹晃が呆れるほど、喜怒哀楽の激しい性格だった。
「オーディス様の件が関係ないのだとすれば、御門殿とガイエルシュバイク殿はいかなるご用で? よりによってこのタイミングで」
 そう言われてみれば、フライスの言い分にも一理ある。鷹晃とマルグリットの来訪はあまりにも時機が悪かったのだ。彼が警戒するのも無理のない話である。
 こうなると長居は無用だ。鷹晃は手短に用件を済ますことにした。
「実は拙者、プリンスダム≠フエノル代表から依頼を受けて来たのでござるよ。最近、貴殿らが随分乱暴な方法でプリンスダム≠引き入れようとしているので、止めさせて欲しい、と」
「そうですか」
 フライスの反応は淡泊なものだった。特別、彼に派手なリアクションを期待していたわけではないが、否定も肯定もしないのが気になった。
「今朝も五人の男がプリンスダム≠フ女性に危害を加えようとしておったが、事実でござるか?」
 そう問うても、彼は頷きもしない。
「事実です。しかし残念ですが、御門殿の要望を聞き入れるわけにはいきません。これは<鬼攻兵団>の方針です。失礼ですが、彼らからはいかほどの報酬を約束されているのですか? よろしければ倍額お支払いさせていただきたい」
 明らかな買収発言だった。鷹晃の返答は神速で放たれた。
「断る」
 厳然と彼女は言い切った。
 刹那、室内は微動しようものなら爆発が起こる、気体爆薬が満ちたかのようだった。
 信義を踏みにじる行為は彼女の最も忌むべきことの一つだった。一度交わした約束を反故に出来る鷹晃ではない。
 フライスがなおも言い募ろうとするならば、その時は斬ろう──。鷹晃はそう決意した。下衆は容赦なく斬り捨てるべきなのだから。
 刃の如く研ぎ澄まされた眼光が、フライスの鉄面皮に突き刺さる。
 しかし冷徹犀利が服を着ているような男は全く表情を変えずに、こう言った。
「そうですか。残念です。ただ、現状では当方もそれどころではない事態ですので、しばらくプリンスダム≠ノは手出しはいたしません。余裕が生まれ次第、プリンスダム≠ニは別の手法で話を進めさせていただこうと思いますが、それでよろしいでしょうか?」
 こちらを人間扱いしていないかのような態度だった。押して駄目だったから引いてみただけ、というのが見え見えだった。だが、妥協は妥協であったから、鷹晃はそこで満足するしかなかった。
「その時はまた拙者も噛むでござるよ。無法な行いはさせぬが、よろしいか?」
 釘を刺した鷹晃に、フライスは無言で一礼した。単なる儀礼的なものである。
「それではなにとぞ、オーディスの件は他言無用にお願いします」
 いっそ鮮やかとでも言うべき、それは無視だった。ガイスト・メルゼクス事変の時からいけ好かないとは思っていたが、ここまで非情な男だとは思わなかった。
 マルグリットが口を開いて喚き出す気配がしたので、鷹晃はその手を引いて踵を返した。別れの挨拶は必要ない、と判断していた。
 だが、執務室を出る直前で彼女は立ち止まる。
「鷹晃?」
 突然、凍り付いたように止まった少女を、マルグリットは不思議そうに見上げた。
 氷が軋り合うようなその声を、鷹晃のものだと少年はすぐに理解出来ただろうか。
「言い忘れておったが、被害者に謝罪だけはきっちりしておくでござるよ」
 そこで鷹晃は言葉を呑み込んだようだった。台詞の後にどのような言葉が続けられるはずだったのか。余程の鈍感でなければ空気でわかった。
 そしてフライスは鈍感という単語とは無縁の男だった。
「は……」
 頭を下げ、そうやって声を出すのが精一杯だったようだ。彼の表情がここに来て初めて変化を見せていた。急に噴き出した汗が頬を伝い、瞼の辺りがピクピクと震えていた。礼をしたのはその表情を隠すためだった。
 もはや隠さずに放たれた殺気は、『斬る』と宣言した時や『断る』と断言した時とは、比較にならないものだった。
 例えるならば、刃どころではなく、斬撃そのものだった。
 それを受けたフライスは、間違いなく自らを切り裂く剣閃の幻影を見たに違いなかった。悪魔の爪に心臓を握られたような顔を、彼はしていた。

 鷹晃とマルグリットが退室し、扉が閉められた。
 後に残ったのは静謐な氷室のごとき、冷え切った空気だった。
 フライスは扉に向かって頭を垂れたまま、身動きが取れなかった。
「……流石は」
 呟きが生まれる。自嘲にまみれた鉄面皮の声だった。
「ガイスト・メルゼクス事変の英雄。敵に回したくないものだが……」
 体の芯を貫かれたかと思うほどの殺気だった。骨の髄から恐れおののき、何も出来なかった自分がいた。
「……危険だな」
 その単語を舌の上で転がすと、はたと彼は己の吐露に気付き、唇を引き結んだ。
 感情の残滓を振り払うように軽く頭を振ると、フライスは仕事に戻った。オーディスがいない今、彼を待つ仕事は山の如く積み重なっていた。


「久々に見たぞ、余の鷹晃の勇姿を……!」
 陶然とした顔で歩くマルグリットの手を、転けないようにと鷹晃は引っ張った。
「拙者はマルグリット殿の所有物になった覚えはないでござるよ」
「痺れたぞ鷹晃……余はここがキュンとしたぞ……!」
 自分の世界へ羽ばたいて行ってしまったマルグリットの心は、鷹晃の言葉など聞いてはいなかった。
 鷹晃は苦笑するしかない。今更だが、大人げないことをしたと思っている。マルグリットに沈着な態度を求めておきながら、自分は一体何をしていたのか、と。あれではいつもと立場が逆ではないか。ただマルグリットは鷹晃を止めようとはしないため、自分が走り出すとどうにも止まれないのが難点ではあるが。
 フライスと対峙していた終始、どうにも相手に対する不愉快さが先立っていた気がする。『斬る』だの何だの、思い出せば出すほど尋常ではない。だが、相手も悪かったのだ。言うこと全てがこちらの神経を逆撫でする事ばかり。熱くなるな、と言うのが無茶な注文だ。
「しかし、彼が逝ってしまったでござるか……」
 オーディスのことに思い至り、しかし鷹晃はその名を呟かない。
 まだ信じたくない、と言う想いがあった。死者の名として口にしてしまえば、心が現実を認めてしまい、記憶にある彼の姿が風化してしまうような気がした。
 わずか半年のみではあるが、彼は確かにクライン≠ナ輝きを放った巨星の一つだった。本来なら英雄という称号は彼のような男にこそ与えられるべきだった、と鷹晃は今でも思っている。最初の頃はガイスト軍との戦闘が始まっているにも拘わらず、ウォズといがみ合っているのを愚劣だと思っていたが、それもフライスのような男を参謀に置いていたからだった。オーディス本人は戦略的判断力には恵まれなかったものの、人の上に立つ者としての要素は十分に持ち合わせていたのである。
 気が優しく、人道をよく識り、時には泣いて馬謖を斬ることの出来る男だった。戦場にあっては、それこそ雷神の化身だった。雷撃で敵を撃ち砕き、大胆な突撃を仕掛けたと思えば、退却の際は部下を護るために自らが殿を務める。指揮官の鑑とも言うべき、立派な男だった。
 それが暗殺されたのだという。
 よほどの手練れか、そうでなければ稀代の卑怯者だろう。そうでなければあの男がそうそう倒されるわけがない。
 激しくはないが、沸々と込み上げる怒りがあった。
 今のクライン≠ェ乱世とは言え、一度ならず心を交わした人物が死ぬことには、抑えがたいものがある。
 思えばフライスに遺体との対面を申し込めば良かった、と鷹晃は後悔した。手遅れとはいえ、別れの挨拶も無しでは寂寥に過ぎる。
『主よ』
 今からでも引き返して頭を下げた方がすっきりするだろうか、などと考えを巡らせていたため、鷹晃はその声に気付くのが遅れた。
『問題発生』
「……ガルゥレイジ?」
 その地響きのような重低音で声の主は判別出来た。プリンスダム≠フ監視兼警護を頼んでいるガルゥレイジだった。正確にはそれは音ではなく、頭蓋の中に直接響く意思だった。
 ガルゥレイジは特定の相手と精神感応で交信することが出来る。その現在の『特定の相手』こそが鷹晃である。彼女は声に出さず、言葉を念じる。
『何事か?』
『非常事態。我の力の解放、許可願う』
 いきなり、全力を出す許可が欲しい、と彼は言う。その時、鷹晃の脳裏に蘇ったのはガイスト・メルゼクス事変の末期に見たガルゥレイジの比類ない威力である。街中であれが再現されれば、一体どれほどの犠牲者が出るのか。鷹晃はぞっとした。
『待て。一体何があったのか説明を──』
『戦闘中。許可が不可能ならば至急応援要請』
 解放の許可を願い出るほどなのだから、のっぴきならない状況だというのは容易に予測がついたが、まさか戦闘中だったとは。
 鷹晃はマルグリットの手を引いて駆け出した。
『場所は!? 相手は誰だ!?』
「ふをおぉっ!? な、何事かね鷹晃ッ!? あ、あし、足がもつれ転けおおおおお引きずられておるぞォォォッ!?」
 冷水を浴びせられたかのようなマルグリットの悲鳴にも頓着しない。地面に引っかかるので邪魔だと思い、思いっきり引っ張り上げて宙に浮かせると、そのまま抱き留めた。眠る幼子を抱えるような形である。
「こ、これは……! お姫様だっこという奴ではないか鷹晃! 余は嬉しいぞ!」
『プリンスダム°゚辺。相手は戦闘ナース』
『!? プリンスダム≠フ人間ではないか!』
 となれば単純な話だろう。監視と警護を兼ねてプリンスダム℃辺にいたガルゥレイジを見咎めた戦闘ナースが、不審者と断定して攻撃してきたのだろう。無理もない。ガルゥレイジは見た目が奇怪に過ぎた。まだ見ぬ彼女が警戒を通り越して敵対感情を得たとしても、それを責めることは出来ない。
『とにかくすぐに向かう! それまで持ちこたえるか、場合によっては退避を許可する。決して相手を傷つけてはならぬぞ!』
『了解した』
 ガルゥレイジの承伏を最後に精神感応は途切れた。
 鷹晃はマルグリットを抱えて、街並みを縫うように疾走する。ようやく鷹晃の表情から事態を理解したらしく、マルグリットが胸元から、
「何かあったのかね鷹晃? 突然走り出すとは」
「ガルゥレイジが攻撃を受けているでござる。急ぎ向かわねば」
 マルグリットは瞬間的に顔を真っ青に染めた。コマ落としの映像かと思うほど鮮やかな変化だった。
「何だと……!? あの者が戦闘状態になったらとんでもない事になるのではないかね!?」
「そうでござるよ。だから控えるように言いつけてはおるのだが……ただ、急がねば話が妙な風にねじくれてしまう可能性がござる」
 急行して戦闘ナースの誤解を解かなければならない。鷹晃はさらに足の回転速度を上げた。
 ラップハールとウォズの話の間にある『ズレ』。オーディスの暗殺。ガルゥレイジの起こす騒動。何かが起こるときは決まって重なるものだ、と鷹晃は思わずにはいられなかった。





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