●ガイスト・メルゼクス事変


 それはある意味、このクライン≠ノおける全ての元凶である事件である。また、初めてクライン≠ナ起こった歴史的出来事でもあった。
 まず、ガイストとメルゼクスという二人の男がいた。
 ガイスト・ディオール・トゥルナイゼンは錬金術師だった。特に仮想生命体を扱うのに長け、人工生命体、複合生命体を好んで研究していた。事故で失った右腕を『ラグナロック』という義手で代用しているのが特徴だった。
 ある時、その男ガイストが野望を持った。
 クライン≠ヘ全時空間に繋がる世界である。いついかなる世界にもある『隙間』の集大成がクライン≠セ。言い換えれば、クライン≠アそが全ての世界の要素を持ち合わせた究極の空間だと言えた。
 ガイストはこう考えた。クライン≠ェ全ての世界の全ての時代に通じるのならば、クライン≠フ王こそが全時空世界の王なのでは、と。
 即ち時空世界の並列支配という発想である。
 彼は自らの業を駆使して戦力を蓄えた。人ならぬ者達の集団がガイストの配下として生まれ続けた。
 一方、そんなガイストの野望を察知した男がいた。その男の名はメルゼクス。
 『時空の守護者』と称される存在だった。
 通説では彼こそがこのクライン≠フ創造主ではないかと言われている。
 メルゼクスはガイストの野望に対し、寸暇を置かずに手を打った。
 目には目を、歯に歯を、力には力を。
 メルゼクスは己の力を用い、全ての時空間から兵士にするための者達をクライン≠ヨ強制的に呼び寄せた。当然、並の戦士では話にならない。ガイストが使役するのは人外の魔獣が主なのだ。対抗するためには、それ以上の存在が必要だった。結果、強制召喚を受けたのは『超人』と分類される人々だった。
 人の範疇から外れた者達。その原因、経緯は様々だったが、唯一の共通点は異能と言うべき力を持つことだった。
 ただ当時のメルゼクスはとにかく数を貪欲に求めていた。そのため、その基準はややたがのはずれたものだった。実際に異能を有する者だけでなく、将来的に超常的な力を持つ可能性を孕む者まで召喚していたのだ。つまり、可能性があるだけの一般人をも、である。
 当初この行為を浅薄と断じる者達はもちろん多かったが、後に彼らは納得することになる。とにもかくにガイストにぶつけるための戦力を集めていたメルゼクスは、浅慮に見えて実は恐るべき目的を秘めていたのだ、と。苦い味と共に噛み締めることになる。
 誰が名付けたか、これを神話になぞらえて『ヴァルハラ作戦』と呼ぶ。メルゼクスに召喚された者達は神々の尖兵たる英霊というわけだ。
 正確な数は不明だが、能力の強弱大小ひっくるめて約五万人以上がクライン≠ノ取り込まれた。その中には当然、御門鷹晃、マルグリット・フォン・ガイエルシュバイク、スターゲイザーも含まれていた。
 鷹晃個人をとれば、当時はなんの力も持たない男子高校生だった。侍に憧れ剣道に打ち込む少年だった鷹晃は、ちょうど家宝の刀に触れていたところをクライン≠ノ召喚されたのだった。紆余曲折を経て英雄と呼ばれることになる人物の最初は、そんなものだった。
 ヴァルハラ作戦の前途は多難だった。そもそも悪い意味の適当で集められた者達だったのだ。ましてや当のメルゼクスは『召喚で力を使い果たした』と閉じ籠もってしまった。その結果、統率の取れた軍団ではなく、烏合の衆が生まれるのは当然の話だった。そんな中で頭角を現したのがオーディスとウォズの二人である。
 彼らはそれぞれの世界で王をつとめていた事もあり、瞬く間に人心を掴んで派閥を作り上げた。
 オーディス派とウォズ派、両派閥の誕生であった。
 どちらもが烏合の衆だったメルゼクス軍を統率しようとしていた。激突は必至だった。ガイスト軍を打倒するために生まれたメルゼクス軍は、そう時を置くことなく内部に嵐を抱き込んだのである。
 内乱が始まった。
 権力闘争に興味のなかった鷹晃は、無益な血を流す大人達を無念がりながら見つめていた。彼は無理矢理に連れてこられた世界の戦争でも、自らのするべき事をわきまえていた。真の敵はオーディスでもウォズでもなく、ガイストであることを。オーディス派でもウォズ派でもない人々と共にガイスト軍を迎え撃つ準備をする最中、彼はスターゲイザーやマルグリットと出会い、内乱に巻き込まれながらもその能力を開花させていった。
 余談だが、出会った頃は少女であったマルグリットは鷹晃を毛嫌いしていた。というよりも彼女にとっては下賤な者全てが嫌悪の対象だった。そこに鷹晃も含まれていただけだった。とは言えそんな硬質な態度も、ガイスト・メルゼクス事変を通して次第に変化し、最後には反転してしまうのだが。
 ガイスト軍との小競り合いとオーディス・ウォズの内乱が続く中、鷹晃はウォズの陣営に怪しげな人物を発見する。ウォズから呪術師と呼ばれていた腹心で、後に人間ですらないことが判明する、その者がガルゥレイジだった。後になって露見することなのだが、この時ガルゥレイジはガイストの命を受けてメルゼクス軍に潜入し、意図的に内乱を起こさせ、増長させていたのだった。
 戦況は刻々と変化し、ついにガイスト軍の全面攻勢が始まった。慌ててオーディス派とウォズ派は休戦協定を結んだが、遅きに失した。結成された当初は有利だと思われていたメルゼクス軍は、無駄な内乱によって戦力を失いすぎていた。
 もはや正面からやり合っては、敗北するのは火に見えて明らかだった。
 戦局を打破するための作戦が立てられた。
 一点集中突破による電撃作戦。
 苦心して捻出されたわけではなく、純粋にそれ以外の方法がとれないだけだった。概要は、オーディスやウォズらが大規模な陽動を行い、選抜された少数精鋭の部隊が特攻をかけてガイストを討つ、というものだった。
 特攻隊は決死隊でもあった。一度ガイストの懐に飛び込めば退路はない。突入を志願する者は自殺志願者と同義だった。
 しかし鷹晃はそれに志願した上、皆に喜ばれもした。クライン≠ナの生活の中で彼はその才能を開花させ、一騎当千の剣士にまで成長していた。特にその剣が放つ一撃必殺の威力は他者の追随を許さず、あのオーディスすら一目置いていた。そんな彼の志願である。無論のこと大歓迎された。
 この時はまだ鷹晃に対する負けん気の強かったマルグリットも志願し、スターゲイザーも『あなたの傍の方が生き残れる確率が高そうだ』と言ってついてきた。
 鷹晃としては、流されるまま戦いたくなかった、というのが志願の理由だった。比較的安全な場所で戦いながら結果を待つよりも、自らの手で道を切り開きたかったのである。どうせ命を賭けるなら、漠然と陽動に参加するより、毅然と突撃をかけたかった。
 編成が完了すると、作戦はすぐに決行された。
 <鬼攻兵団>と<ミスティック・アーク>が手を繋いで攻勢に出て、ガイスト軍を圧倒した。そうしてこじ開けられた隙間を鷹晃ら特攻部隊が突き抜けていった。
 戦死者は少なくなかった。ガイストの要塞に突入した部隊では鷹晃、マルグリット、スターゲイザーの三人以外は皆が倒れるという凄まじい結果だった。
 そうしていくつもの犠牲を払いながら辿り着いた最奥で、鷹晃はガイストと対峙した。
 鷹晃の剣は空間ごと対象を切り裂く。そのため物理的な防御は一切意味をなさない。それをガルゥレイジから聞いていたガイストは対抗策を用意していた。
 鷹晃の剣は言い換えれば物理法則を超えた概念≠セった。『斬る』という意志が物理的な限界を突き抜けて顕現するのである。ならば、それを防ぐには同様に物理法則を超越する概念≠ェ必要だった。
 ガイストは鷹晃の剣だけでなく、マルグリットの火炎まで遮断する防御の概念≠備えていた。これにより窮地に立たされたかと思われた鷹晃達だったが、少年は奇抜な方法でこれを乗り越えた。
 潔く剣に纏わせていた概念≠捨て──ただ殴りかかったのである。刃による斬殺ではなく、峰を使った撲殺を選択したのだ。
 あんまりな発想に言葉をなくしたマルグリットとスターゲイザーを捨て置き、鷹晃は色を失ったガイストを散々に打ちのめした。この時の鷹晃には鬼気迫るものがあった、とマルグリットもスターゲイザーも口を揃える。人が変わったかのようだった、とも。
 ガイストとて道を究めた錬金術師であり、実力もその野望に充分見合ったものだった。だが、自らが最強の『盾』を持ち、相手が最強の『剣』を握るという状況が良くなかった。『剣』は『盾』を貫けず。『盾』もその背後から放った攻撃は全て『剣』に切り裂かれた。そのため互いの特色は霧散してしまい、結果的には生身のみの対決となってしまったのである。
 何より相手が悪かった。
 御門鷹晃という少年は剣士であり、侍であり、戦うからには勝つことを第一とする人間だった。その攻撃には迷いも躊躇いもなかった。まるで殺戮機械を前にしているような錯覚をガイストが覚えても、不思議ではなかった。
 ガイストが反撃をしなかったわけではない。彼の右腕の義手は十分に凶器であったし、それによって鷹晃に与えられた損害は決して軽いものではなかった。
 最終的には我慢比べに近かった。勝敗の差は、互いの覚悟の差だった。
 勝利の果実をもぎ取ったのは鷹晃だった。激しい打ち合いの末に、とうとうガイストが膝をついた。
 これで全てが終わった、とその場にいた全員が思った。だが、その想いを打ち砕くかのように、ガイストがこう言った。
 メルゼクスに気をつけろ──と。
 なにやら夢から覚めたような口調だった。殴られ続けたことで彼の中で何かが砕け、濁った瞳が悟性の光を取り戻したようだった。
 彼は右腕の義手『ラグナロック』を見せて、こう続けた。
 ──この義手が私を操っていたようだ。すまない。これまでのことは私の意志によるものではない。実はメルゼクスこそが全時空世界の並列支配を企てているのだ。奴は邪魔となる可能性を持つ者達を集めて、私と戦わせることで同士討ちを狙った。そして、お前達の中から多少の生き残りが出てもクライン≠ノ閉じこめておけば何の問題もない、と計算していた。私達全員がメルゼクスにはめられたのだ──
 そこで計ったかのように『ラグナロック』が爆発し、ガイストは死亡した。
 まるで彼の言葉を裏付けるような最期だった。
 ガイスト・ディオール・トゥルナイゼンの死によって収まるかと思えた戦いは、休む間もなく新たなる狼煙を上げたのだった。
 スターゲイザーは言った。茶番劇ですな、と。
 解剖と調査によってガイストが義手『ラグナロック』から意識を支配されていたことが確かになった。遺言になってしまったが、ガイストが最期に残した言葉は真実だったのだ。思い返せば、あの時勝利することが出来たのも彼の野望が贋物だったからだろう、と鷹晃は後述する。
 人々は事態の初期から姿を見せていなかったメルゼクスへ詰め寄った。どういうことなのか、と。
 メルゼクスは返答しなかった。ただ彼は行動で全てを示した。
 突如として現れた人工生命体の軍勢。
 メルゼクスはもはや言葉による意思表示を認めなかった。戦いこそが彼の答えだった。
 新生メルゼクス軍と、旧メルゼクス軍との戦争が始まる中、ガルゥレイジが鷹晃の元を訪れた。彼は素直に身上を明かし、自らがガイストによって生み出された人工生命体の失敗作であることを説明した。主人だったガイストの命で旧メルゼクス軍に内乱を起こし、増長を助けていたことも。そして、ガイストを倒した鷹晃に新たな主になって欲しい、と。
 彼はこうも言った。自分には自我というものがないため、他者に従うことしかできない。だが、いずれは自我を手に入れて確固たる存在になりたい──と。
 ガルゥレイジに罪を問うても仕方がない、という判断が下され、鷹晃は彼を受け入れた。と言っても、拒否しようともガルゥレイジは付き従う姿勢だったが。
 無傷の新生メルゼクス軍と、幾多の戦線を超えてきた旧メルゼクス軍との戦力差は絶望的だった。鷹晃達は疲弊しきっていた。ガイスト軍との戦闘と同様、とれる戦術は一つしかなかった。唯一の幸いはメルゼクスがガイストと同じく人工生命体を兵士としていることだった。頭さえ潰せば、人工生命体は即無害化できるのだから。
 一点集中突破による短期決戦という方針が決定された。
 しかし、希望は意外なところに潜んでいた。
 戦端が開かれた直後にガルゥレイジが鷹晃にこう問うたのだ。
 ──新たな主よ、我はなにをすればいいのか?──
 鷹晃は彼がガイストの失敗作だということを念頭に置いて、出来れば戦って欲しいが無理なら安全な場所に控えているように、と答えた。
 ガルゥレイジは頷いた。
 ──了解した。その命令は生まれて初めて受けた。前の主はそのために我を生み出したのに、それとして扱ってくれなかった──
 次の瞬間、ガルゥレイジはその本領を発揮した。
 マルグリットと背を比べてもほとんど変わりないその肉体が一瞬で膨張し、巨大な異形へと姿を変えたのだ。
 ガルゥレイジはガイストが求めてやまなかった新たなる生命種──竜だった。
 幻想の中にしか存在しなかった怪物が具現化した瞬間だった。ガイストの二番煎じでしかない人工生命体の群れは、竜の前では邪魔なゴミでしかなかった。
 ガルゥレイジはそれらを圧倒的に蹴散らした。
 結論から言えば、ガルゥレイジという存在が誰にとっても計算違いだった。メルゼクスもその例外ではなかった。
 意外すぎるジョーカーの存在によって彼はあっけなく追いつめられてしまったのだった。
 自らの元へ辿り着いた鷹晃に向けて、メルゼクスは述懐した。
 ──我ながら人選が適当に過ぎたようだ。まさか隠れた、勝利を約束された英雄を呼び込んでしまうとは、な。誤算も良いところだ。今回は仕方がない、私の負けを認めよう──
 『勝利を約束された英雄』という部分に対して鷹晃は否やを唱えたが、メルゼクスはただ笑っただけで何も言わなかった。
 メルゼクスは降伏する証に、今回召喚した全員を元の世界に戻すと約束した。
 だがそれは嘘だった。彼はその場にいた鷹晃とマルグリットとスターゲイザーに、帰還の魔法ではなく、別のものをかけたのだ。
 それが性転換の魔法である。
 両性具有であったスターゲイザーには何の影響もなかったが、見事、鷹晃は女に、マルグリットは男になってしまった。
 突然のとんでもない事態に三人は愕然とし、大いに狼狽えた。その隙をついてメルゼクスは悠然と彼らの前から姿を消したのである。
 逃げられたことに気付いた時には後の祭りだった。

 以上がガイスト・メルゼクス事変と呼ばれる出来事の顛末である。
 行方をくらましたメルゼクスが体勢を整え、再び全時空世界の並列支配に乗り出るのは容易に予測出来た。生き残った人々はむしろその日を待ち望みながら、今もクライン≠ナ暮らしている。
 人類という種はしぶとく、力強い。
 人々は未明の地に生活の基盤を築き、<鬼攻兵団>や<ミスティック・アーク>のように覇権を争い、元の世界にいた時と同じような事を繰り返している。
 鷹晃はそんな世界で、マルグリット、スターゲイザーらと共に、まずは男の体に戻るための方法を捜している。だがそれは元いた世界に戻るのと同様、困難な話だった。
 特に鷹晃のような、時代の英雄にとっては。


 場所はプリンスダム≠フ裏手にある広場だった。
 その少女はシュトナと同じような格好をしていた。違いを挙げるならば服に走るラインの色だろう。シュトナのナースウェアは黒地に青のラインが入っていたが、少女のは赤だった。それ以外ではオーバーニーソックスもキャップも、そして銀色の装飾などもほぼ同様だ。どちらにせよ危険な香りがするナースだった。
 そんな彼女は、腰に届くほどの黒髪を振り乱して戦っていた。右手には、赤熱する鉄のような色を放つ光の剣。熱刃と呼ばれている物だろう。左手には、黒光りする小型拳銃。鷹晃は詳しくないが、少なくとも六発以上は発射出来る物だろう。
 戦っている相手と言えば、薄汚い灰色の布を頭からすっぽりかぶった実に怪しい人物だった。見間違うわけがない。ガルゥレイジだ。戦っていると言っても彼は何もせず、少女の攻撃を身軽に避け続けているだけだったが。
 素早く振り下ろされる熱刃を、容赦なく撃たれる弾丸を、ガルゥレイジは怪物じみた動きで回避する。ほとんど体を動かすことなく、そのくせ異様に俊敏に大きく避けるものだから端から見ていて不気味も良いところだった。
 焦れた少女が叫ぶ。
「っンもおっ! チョコマカしない、のっ!」
 可愛らしい声だが、やっていることは殺伐に過ぎた。地面を蹴ったかと思うとまるで疾風のように宙を飛び、ガルゥレイジへ突進する。躊躇いのない動きだ。
 速い。
 縦横無尽に熱刃が走り、空中に光の軌跡を残した。
 鷹晃から見ても見事な剣裁きだった。しかしガルゥレイジの敏捷性はその上をいっていた。幽鬼のようにゆらりとその姿が揺らめいたかと思うと、いつの間にか剣閃の届く圏内から遠く離れた場所にいる。少女はそこをさらに拳銃で撃つのだが、それもまた難無く回避されてしまう。
 鷹晃がようやく制止の声をかけられたのは、その時だった。
「待たれい!」
 男であったときよりも甲高い声が凛と放たれた。戦闘の流れを遮断するには十分な声量だった。少女とガルゥレイジがぴたりと動きを止める。油断のない少女の視線が鷹晃に向けられた。そのサファイアブルーの瞳が見開かれ、
「あ、危ないですよ! そこにいる人は変態ですから貴女みたいな美人が近づくと妊娠しちゃいますよ! 今すぐボクがこてんぱんに退治しますから安全な場所に避難しといてください!」
 慌てた口調でまくし立てる。あんまりな言われように鷹晃はガルゥレイジに同情した。もっとも彼自身は全く気にしていないだろうが。
 鷹晃はむしろいきり立った少女の方を、暴れ馬を宥めるように言った。
「落ち着いて欲しいでござる。申し訳ござらんが、そこの者は拙者の連れなのでござるよ。決して曲者ではござらん。剣を収めてくだされ」
「??? ご、ござ……おさる?」
 鷹晃は時折何でもないようなことで刀を抜きたくなるのだが、今のような瞬間がその時である。元々、今の鷹晃の口調は半ば意識してのものであって、本来のものではない。幼い頃から武士や侍といった存在に憧れていて、剣術や武士道を学んでいたのが、クライン≠ノ来ることで解放されたのだ。つまりは歴とした武士でも侍でもなければ、言葉遣いも正しいものではない。そのため、その点に関することを妙な風に弄られると、侮辱されたかのような気がしてくるのだ。無論、自分の勝手な思い込みだと言うことを彼女は理解しているので、それによって理不尽な対応をしたことはないが。
「あー……その人は私の知り合いで……です。怪しい人物ではござ──ではないので武器をしまってもらえないでござ……ないでしょうか?」
 敢えて鷹晃はそう言い直した。ただし、久々の言葉遣いと内心の複雑さも相まって、ひどくたどたどしく微妙な表情で。
「…………」
 ぽかん、という顔をする少女。どうもこちらの言葉をうまく理解出来ていないようである。無理もない話だ。怪しんでくれと言わんばかりの不審人物を、突然現れた女が『私の知り合いです。怪しくありません』と言っても説得力はほとんどない。
「……へ? あ、えと、うぇ? し、知り合い、ですか?」
 武器を下ろそうとしない、と言うより、少女は構えたまま固まってしまったようだった。困惑に顔に貼り付けて、鷹晃とガルゥレイジを何度も見比べる。
 ここが押し時である、と鷹晃は判断した。背筋を伸ばし、鋭く一礼する。
「拙者、御門鷹晃と申す者。貴殿が属するプリンスダム≠ゥら警護の依頼を受けた者でござる。そこの者はガルゥレイジと申す拙者の身内。決して貴殿に害をなす者ではござらん。よって剣を収めていただきたい。なにとぞ、拙者の顔に免じて、この通りでござる」
 もう一度、今度は深めに頭を垂れる。すると、鷹晃の丁重な態度に驚いたのだろう、一拍の間を置いて少女は大慌ての様子で、
「へっ? うぇ、ああああいえ! そんな滅相もない! ボクの方こそお知り合いだとは知らずにえとそのご、ごごごごめんなさい!」
 両手の武器を背後に隠すと、負けじと体を二つ折りにする。
 鷹晃はほっと胸をなで下ろした。何とかガルゥレイジは竜になることなく、少女の方も怪我することなく事態を収束できたようだった。
「ガルゥレイジ、こちらへ来るでござるよ」
 ぼろ布をかぶった不審人物は宙を滑るように鷹晃の隣へ来た。
「ご苦労だった。今日はもう良いでござるよ」
 地鳴りにも似た響きが生まれる。
「御意」
 ガルゥレイジは鷹晃の影の上へ動くと、そのまま暗闇に沈むように姿を消した。かつて彼がウォズから『呪術師』と呼ばれていた所以である。少女が小さく、わ、とこぼす声が聞こえた。
 こちらを好奇心丸出しで見つめていた少女に、鷹晃は堂々とした態度で声をかけた。
「して、貴殿の名は? プリンスダム≠フ戦闘ナースとお見受けするが」
「え? あっ」
 少女は尻を叩かれたかのように姿勢を正した。
「えと、ボクはエノル院長の直属で、秦伊楽那と言います。あの、すみませんでした、ボクちゃんと御門さんの事を聞いてはいたんですが、まさか──」
 あんな怪しい人が身内にいたなんて、などと続けようとしたのだろう。だがその前に気付き、楽那と名乗った少女は口を噤んだようだった。
 途中で舌を停めて硬直した楽那に、鷹晃は笑って対応した。
「気にすることないでござるよ。あれが怪しいのには拙者も同感でござる。何度注意しても聞かぬ困った奴でござるよ」
「あは、あははは……すみません……」
 乾いた愛想笑いの後、しゅんと肩を落とす楽那。素直で良い娘だ、と鷹晃は思う。
「いやいや、こちらこそ本当に申し訳なかった。元はと言えば拙者が何の説明もなくあれを警護につけてしまったのが原因でござる。楽那殿が頭を下げる道理はござらん」
「はい……そう言って頂けると助かります……あの、さっきのガルなんとかさんにも、すみませんでした、ってお伝え下さい……」
 落ち込んだまま一向に回復しない楽那にいくつか励ましの言葉をかけてから、鷹晃は思い出したようにラップハールへの面会を申し出た。折角ここまで来たのだから、ついでに報告がてら、ウォズとの話の齟齬について確認しておいた方が良いだろう。
 すると、名誉挽回とばかりに楽那は勢いよく頷いてくれた。お詫びにとっておきのケーキとお茶を用意するとも言ってくれたが、それは丁寧に断った。
 裏口から黒塗りの病院内に入る。廊下を歩いていてすぐ気付くことは、シュトナと同様に楽那も足音を立てないということだった。ラップハール直属だと言っていたが、シュトナもそうなのだろう。どうやらプリンスダム≠ヘその信念を貫くためにも強力な人材を幾人も抱え込んでいるらしい。あのフライスが傘下に入れようとするのも頷ける話だった。
 と、落ち着いたところで鷹晃はマルグリットの事を思い出した。ここに来る途中で別れて、彼にはスターゲイザーにこれまでの経過を連絡しに行ってもらったのだが、問題なく出来ているだろうか。あの状況ですら鷹晃と一時でも離れることを渋った彼である。場所は伝えてあるから使命を果たし次第こちらへ向かって来るであろうことは、容易に予測出来るが。願わくばこちらへ来た途端、変な揉め事を起こさないようにと祈るだけである。彼なら遠慮なくプリンスダム≠フ人々に『私の鷹晃はどこかね!? 私の鷹晃を出したまえ! 私の鷹晃を!』などと喚きかねないのだから。
 楽那が院長室の扉をノックする。
「楽那です。ただいま戻りました。お客様もご一緒です」
「おう、入れ」
「失礼します」
 鷹晃は数時間ぶりに黒ずくめの部屋へ足を踏み入れた。執務室では相変わらず男勝りな女性が、書類やカルテに目を通していた。
「おう、どうしたんだミスター?」
 にっ、と笑う黒衣のラップハールの傍には、こちらも相変わらず表情に乏しいシュトナが控えていた。鷹晃が口を開くより早く、楽那が喋り出す。
「あ、えと、院長、実はですね、ボクが」
「迷惑かけたっつー話か?」
 楽那が続ける先を見切ったかの如く、ラップハールは語を継いだ。
「ぁぅ……」
 見事言い当てられた楽那は、見ていて可哀想なほど肩身を小さくして縮こまってしまった。
 ラップハールは、はぁ、と息をついて手にしていた書類を机の上に投げ置いた。立ち上がりながら、
「やっぱか。あー、すまねぇなミスター。そいつは悪い奴じゃねえんだが、早とちりが多くてな。迷惑かけたんなら謝る。許してやってくれないか」
 鷹晃は首を横に振った。
「気にしてないでござるよ。それに拙者の方にも非があった。謝罪もすでに受けておるから無用でござる」
 言いながらラップハールの手振りでソファへ案内される。前回のこともあってか、シュトナが茶を用意する気配はなかった。
「ってことは用件はそれだけじゃねえって事だな?」
 聡い、と鷹晃は思う。まだ何も言っていないのに状況だけで彼女はこちらの意図を見抜いたのだ。
「実は確認したいことがあるのでござるよ」
「何だ? 何でも聞いてくれ」
 ラップハールが腰を下ろすソファの背後にシュトナと楽那が控えている。それを気にしながら、鷹晃は言葉を選んだ。
「こちらに脅迫をかけてきているのはオーディス派とウォズ派の双方なのでござるか?」
 ラップハールは目を瞬かせた。
「何だよミスター、今更? それがどうかしたってのか?」
 鷹晃は軽く笑って誤魔化すように、
「確認でござるよ。さらに聞きたいのだが、オーディス派とウォズ派以外からは誘いは受けていないのでござるか?」
「受けてねぇが……何なんだ一体?」
 鷹晃は慎重にラップハールの目の奥を窺った。嘘をついている気配はない。純粋な気持ちで、素直に答えているように見える。
 だがそれはウォズとて同じだった。魔女の表情、瞳、声を思い出すが、やはり嘘をつく者の態度だとは思えなかった。とは言え、相手の言動が本気か演技かどうかを見抜く力が自分にあるとは鷹晃も思っていない。やはり頭のよく切れるスターゲイザーに相談すべきだろう。彼ならきっと良い知恵を授けてくれるに違いないのだから。
 ラップハールの訝しげな眼差しを遮るように、鷹晃はさらに質問を重ねた。
「ではこれまでにどの派閥からどんな脅迫を受けたか、どれほど被害があったかは明確になっているのでござるか?」
 考えてみればまず最初に確認しておくべき事柄だったかもしれない、と鷹晃は思う。もっと要所要所を押さえてからウォズやオーディスの元へ向かえば良かった、と。
 ラップハールは難しい顔をした。予想通りと言うべきか。
「流石に全部が全部を把握しているわけじゃねえが……なあ?」
 背後の二人に同意を求めるように振り仰ぐ。
 シュトナが眼鏡の位置を戻しながら、冷静な声を発した。
「全ての件を完全に把握することは不可能です。脅迫や暴行をしてきた人間が、オーディス派かウォズ派のどちらかだ、という明確な証拠はありません。状況証拠だけでは納得していただけないでしょうか」
 冷気のような声が響き終わると、一転して楽那が少年っぽい印象を感じさせる口調で、
「あ、でもでも、ボク見ましたよ! <ミスティック・アーク>の魔術師っぽい人とか、<鬼攻兵団>の戦士っぽい人とか!」
 見た、というのはどういうことか。そんな意味を込めて視線をラップハールに向けると、
「ああ、楽那は基本的に治安維持担当なんだよ。どの件も少なからず噛んでるからな。目撃談なら一番多いはずだぜ」
 三対の視線が楽那に集中する。無言の催促を受けた少女は黒髪に良く映えるサファイアブルーの瞳を、うっ、とたじろがせた。まさか御鉢が回ってくるとは思っていなかったのだろう。
「<ミスティック・アーク>と<鬼攻兵団>の構成員を見たのでござるか?」
 改めて問われると楽那は自信が無さそうだった。
「え、えーと、えと……多分。多分なんですけどね? 一回目の人達が逃げるときは魔術師っぽく暗い色のローブとか着てましたし……二回目の時は逆に魔術師っぽくなくて、筋肉ムキムキのごっついおじさんでした。……被害者の人が可哀想でした……」
「楽那、論点がずれています」
「あぅ。だったらシュトナが喋ってよぉ」
「お客様の前です。甘えたことを言わないように」
「ぶー」
 二人のナースのやりとりをよそに、鷹晃は得た情報を咀嚼していた。少なくともプリンスダム≠フ女性に被害が出ているのは確実だろう。襲ったのも一度目は魔術師の特徴であるローブを着た男達。二度目は鍛え上げられた肉体を持つ集団。どちらもウォズ派<ミスティック・アーク>とオーディス派<鬼攻兵団>の構成員の特徴を捉えている。
 捉えすぎてはいないだろうか?
 記号的すぎる気がしないでもない。わかりやす過ぎて逆に不気味だ。まあ、オーディス派の犯行はフライスが認めていたのだから事実なのだが。ただ、やはり気がかりなのはウォズ派のことである。あるいはオーディス派がウォズ派に扮して犯行に及んだのではないだろうか。
 ウォズが嘘をついているのか。ラップハールが騙しているのか。それともオーディス派が小細工を弄しているのか。考えれば考えるほど泥沼に沈んでいくような気がする。
「で、一体何を疑っているんだ、ミスターは? いくら何でも遠回りしすぎだぜ?」
 気が付けば挑むような瞳が鷹晃を見据えていた。好戦的なラップハールの表情が、下手な言い逃れは許さない、と言外に宣言していた。やはり鋭い女傑だ、と思わずにはいられない。
 別段、鷹晃とてひた隠しにするつもりではなかったが、口にするなら確証を持ってからにしたかったのだ。鷹晃は意を決して、ラップハール達に先程ウォズとオーディスの元を訪れて話をしたことを説明した。当然、オーディスが暗殺された件には触れずに。
 まず、オーディス派に関しては犯行の確認もとれ、手出しさせないことを約束させた。後日、謝罪もあるだろう。もしかすると後になって再び傘下に参入して欲しいと話が来るかもしれないが、その時はまた鷹晃が間に立って調停役を務めることになると。
 だが、ウォズ派ではプリンスダム≠ヨの勧誘そのものを行っていないと言われてしまった。勿論、脅迫どころか指一本出していないとも。そう言われては追及できる余地もなく、引き返してくるしかなかった。プリンスダム≠フ言い分を疑っているわけではないが、ウォズに言い返すだけの材料が欲しくて先程のような質問をしていたのだ、と。
「ははあ、なるほどな。それでやけに遠回しな質問ばっかしていたのか。ってことはアレか? 今までのは全部オーディス派の仕業で、一部のウォズ派だと思ってたのもオーディス派がそう見せかけていただけ、って可能性が出てきやがるな」
 鷹晃が言うまでもなくラップハールはその推論を得たらしい。だがそれには一つの問題点があった。
「しかしそうなると、オーディス派が何故そのようなことをしたのか、という疑問が残るでござるよ」
 ウォズ派の名声を貶めたいのであれば、魔術師風の男達だけの犯行を重ねるだけで良い。しかし、実際にはオーディス派とほぼ断定出来る事件も発生している。これでは何の意味もない。目的が見えなくなってしまうのだ。
「そもそもウォズ派が私達を傘下に入れようと声をかけるふりまでするとは、考えられません」
「うーん、やりすぎだよねぇ」
 そう。シュトナと楽那が言うとおり、小細工が過ぎるというものだ。
 しかしそうなると一番高い可能性が、
「やはりウォズ・ヘミングウェイ氏が偽証している──そう考えた方が自然ではないでしょうか」
 とシュトナが恬淡と述べる。だが、鷹晃はさらにその先のパターンを考えていた。
 それはマルグリットが言っていたことでもある。
 つまり、ウォズもラップハールも双方が嘘をついている、と。
 根拠のない、ただの直感である。だが今のクライン≠ヘ乱世だ。常に最悪の状況は想定しておいて損はない。ぬかりがあっては命を落とすことになる。
 その証拠に、あのオーディスすら暗殺されたではないか。生きていくには慎重過ぎるぐらいがちょうどいい。
 とにもかくにも、ここで言い合っていても埒が明かない。例えプリンスダム¢、の言い分に虚偽が混じっていようとおくびにも出さないに違いなかった。
「まあなんにせよ、明日にでも再度ウォズ殿を訪ねてみるでござるよ。進展があればまた報告に来るでござる」
 鷹晃は立ち上がると一礼して、部屋を辞そうとした。
 その時である。
 壁の向こうから聞き慣れた声が、
「タカアキラァ────────────────ッッ!」
 と叫ぶのを彼女は聞いた。
 はて誰だろうか、などと考える必要などなかった。思い浮かぶのは一人しかいなかった。
 マルグリットである。
 ノックも無しに突然勢いよく扉が開いた。蹴り破られた扉と壁が不本意な抱擁に悲鳴を上げる。
 飛び込んできた貴族の少年は、緊迫に額縁をつけたような顔をしていた。
「鷹晃ッ!」
「マルグリット殿? どうしたのでござる? えらい剣幕で」
「大変なのだよ! スターゲイザーの余達が家で、粉々が黒焦げで重傷なのだ!」
「「「「 ? 」」」」
 マルグリットの意味不明な叫びに、四人の女性は互いに顔を見合わせた。


 シュトナが用意した水を飲み下し、落ち着きを取り戻したマルグリットの話を要約すると、こうなる。
 家にいたスターゲイザーが何者かに襲われた。その結果スターゲイザーは重傷を負い、家は黒焦げの粉々になった。
「そういうことはもっと分かり易く言うでござる!」
 マルグリットを小脇に抱えて走り出した鷹晃は思わずそう怒鳴った。
 一様に顔を険しくしたラップハール達に受け入れの準備を頼み、今、鷹晃達はスターゲイザーを連れてくるため家路を急いでいる。
「許したまえ鷹晃! 余とて混乱しておったのだよ! それも、それもだ!」
「何でござるか、まだ何かあるとでも!?」
 走りながら二人は大声で言い合う。焦りの炎が周囲を気にする余裕を燃焼させていた。
「スターゲイザーめは襲ってきたのがオーディスだったと言うのだよ! この余の気持ち、鷹晃ならわかってくれるだろう!?」
「!?」
 走る鷹晃の脳天に衝撃が落ちた。
 馬鹿な。オーディスはつい先刻、暗殺されたとフライスが言っていたはずだ。そのオーディスが何故スターゲイザーを襲撃する?
「あり得ないでござる!」
「余もそう思う! しかしだ鷹晃! 家の壊れようは確かにオーディスのそれと酷似していたのだよ! 余とて混乱する!」
「……!」
 なるほど、オーディスの能力は雷撃だ。黒焦げの粉々というのは実に分かり易い。
 一体、一体何が起こっているというのか。全く訳がわからない。何故死んだと聞かされたオーディスが生きていて、しかも鷹晃の家にいたスターゲイザーを襲うのか。どれが本当でどれが嘘なのか。
 何かとてつもなく悪い予感が、鷹晃の胸骨内部で暴れ回っていた。

「重傷というほどのものではございませんが、ちょっと足をやられてしまいましてね」
 見るも無惨に崩れ落ちた家の残骸。その影に背を預けて身を休めていたスターゲイザーがシニカルな笑みを見せた。
 鷹晃はマルグリットを降ろすと、スターゲイザーに歩み寄って屈み込む。
「一体何があったのでござる」
 正義の探偵を自称する人物はいつものタイトスーツではなく、鏡面処理の施された装甲服に身を包んでいた。だがその所々が破損し、フルフェイスのヘルメットは砕け散り、彼の額から生まれた赤い血が頬を滑り落ちている。
「キャプテン・スターゲイザーとかいう奴が襲われて大怪我したらしいですよ」
 この様な時でも洒脱で毒の強い口調を、スターゲイザーは手放さない。だがその声には明らかな疲れが混じっていた。
「何者でござる、このような無茶をするとは」
「マルグリット様から聞いてませんか? オーディスですよ。オーディス・アールストレーム。それともアントン・フライスの上司か、<鬼攻兵団>の団長とでも言った方がわかりやすいですかな?」
 優男の皮肉った声はやや抑制を失っているように聞こえた。無理もない。鷹晃にとってもスターゲイザーにとってもオーディスはガイスト・メルゼクス事変を共に乗り越えた戦友だった。彼に敵対する陣営に身を置かなければ、戦うことなどないと信じ切っていたのだ。
 だからこそ鷹晃は聞き返さずにはいられない。
「スターゲイザー殿、本当にオーディス殿だったのでござるか? 見間違いなどではなく」
 スターゲイザーはきょとんとした。何を言い出すのか、とその目が語っていた。
 彼がいつものように香辛料をたっぷり利かせた言葉を吐くより早く、
「オーディス殿が暗殺された、と先刻フライス殿から聞いてきたのでござるよ」
 先手を打って鷹晃は言った。明るい緑の瞳が軽く見張られる。スターゲイザーは助けを求めるようにマルグリットに視線を向けた。
「余もそう聞いた。あのいけ好かない男からな」
 スターゲイザーはしばらく表情に困った後、苦笑いを選択したようだった。
「……それはそれは。どういうことです?」
 どうやらマルグリットは事の全てを伝えきっていなかったようだ。まあ、帰ってきてみれば家が全壊していたのだ。動転するな、とは無茶な注文だろう。
 鷹晃は念のため、最初から事の推移を説明した。ラップハールの依頼とウォズの言動との齟齬。暗殺されたオーディス。そして死んだはずのオーディスの襲撃。
「……なるほど、ね。どうやら一杯も二杯も喰わされているような感じがしてなりませんな」
 鷹晃は神妙に頷く。スターゲイザーの感想に彼女も同感だった。奇妙な違和感と嫌な予感が、体内で手を繋いで踊っているような気分だった。
「ふん、不愉快にもほどがあるわ。どいつもこいつも信用ならん。鷹晃、何なら余がオーディス派もウォズ派も滅ぼしてやるぞ。それならすっきりするであろうよ」
 吐き捨てるようにマルグリットが危険な台詞を言った。確かにマルグリットが本気になれば不可能な話ではないだろう。だが、問題はそこではないのだ。
「止すでござるよ、マルグリット殿。北東区も北西区も大事なクライン≠フ一部でござる。それらを焼き払うような真似などできぬよ。それよりも」
 鷹晃はそこで一度言葉を切った。沈黙して、綿密に言うべき単語を吟味する。
「犯人を特定するでござる」
「犯人? 犯人ならばわかっているではないか鷹晃。オーディスだ。余達はあの時、あの馬鹿の死体を確認したわけではないのだ。フライスの愚か者が嘘をついておったのだよ」
 そのことなら鷹晃とてとうに考えている。遺体を確認させたくないがため、と考えればあのフライスの態度にも納得がいく。しかし、
「そうは言っても、拙者達が今日という日に来るとはわからなかったはず。『鬼岩要塞』の緊張した空気も演技だとは思えないでござるよ」
「疑えばそれこそキリがありませんな」
 と、スターゲイザーがからかうように笑う。そう、まさしく彼の言うとおりだった。
 可能性は他にもいくらでも思いつく。例えば、スターゲイザーを襲ったオーディスが魔術による偽装である可能性。フライスがオーディスを亡き者にして<鬼攻兵団>を乗っ取ったという可能性など。誰も彼もが演技をしているのかもしれない。考えれば考えるほど、世界は疑念を差し込む隙間が多すぎることに気付く。
 鷹晃は、ふぅ、と溜息をつく。
「考えていても埒は明かないでござるな」
 我知らず暗い声をこぼしてしまった鷹晃の肩に、元気づけようとしてかマルグリットが手を置き、
「やはり行動してこそだ鷹晃! 余ならどんなことでもするぞ! 遠慮なく言いたまえ!」
 ライトブルーの瞳がキラキラと星のように輝く。そこにスターゲイザーが言葉に甘えて、
「では私から遠慮なくいいですかな? お二方、とりあえず私を病院へ連れて行ってもらえませんでしょうか」
 重傷と言うほどでもない、とのたまっていた者の言葉ではなかった。本人も自覚があったのだろう。続けて、
「いやね、本当に大したことはないんですよ。放っておけばアーマーも修復して治癒効果が出るはずなんですがね。どうにも……痛いのは苦手でして」
 申し訳なさそうに言って、取り繕うように笑うスターゲイザー。見ると、身体はともかく右足の負傷は確かに深い。ラップハールに受け入れ準備を頼んでもあるので、プリンスダム≠ヨ連れて行った方が良いだろう。
「それに妙案があるのですよ」
 と、血のこべりついた顔に瀟洒な笑みが閃く。
「ちょっとお耳を拝借いただけますかな?」


「正義のミーロー? 何だこりゃ?」
 クライン℃b定政府が発行している仮身分証に目を通したラップハールは、鷹晃にそれを見せつけるようにして言った。その表情にはあからさまな呆れの感情が見て取れる。
「ミーハーなヒーローという意味でござるよ。あ、いや、拙者も聞いただけなので詳しくはないのだが」
 何かというとスターゲイザーの職業身分についてである。
 ──説明しよう。二枚目の探偵は世を忍ぶ仮の姿、実は有事の際には『装着変身!』と叫ぶことによって強固かつ機能的なパワードスーツを身に纏う、正義の味方なのである──
 とはスターゲイザー本人の弁である。実際のところ、どこの世界のどの時代から来たのかは不明だが、彼が高性能な装備を瞬時に着脱できる優秀な戦士であることは事実だった。その点はマルグリットでさえ不承不承認めているところである。
「正義のヒーローで、ミーハー。本名がキャプテン・スターゲイザーねぇ。ミスターの仲間には変人が多いようだな?」
 さらに言えば両性具有でもある。だがそれを口にするのは憚れた。
「面目ない。全く否定出来ぬでござる」
「でもまあ、それでもガイスト・メルゼクス事変の英雄の一人なんだよな。ま、あの程度ならすぐに治るぜ。大船に乗った気でいてくれよミスター」
 鷹晃ほど注目されてはいないが、対ガイスト戦で敵の懐中に飛び込みながら生還した者として、マルグリットとスターゲイザーもそれなりに有名だった。
「よろしく頼むでござる」
 と目礼を一つしてから、鷹晃は暖めておいた話題を切り出した。
「ところで、重大な話があるでござる。お耳を貸していただけないでござろうか」
「ん? 何だい改まって」
 紅茶の色を芸術的に追求すればこのような色になるだろう、そんな瞳に好奇心の光が宿る。
 鷹晃はわざとらしくロビーを見回した。人影はなく気配も感じないが、
「ここではちょっと言いにくい話でござる」
「そうか、じゃ、あたしの部屋にでも行くか。治療ならあたし抜きでも大丈夫だからな。一応聞いておくが、茶はいらないんだよな?」
「気遣い無用でござる」
 微笑み、己の黒髪を軽く振るようにして、やんわり断る。以前も出された物に口を付けなかったが、あれは常日頃からしている警戒の一環だ。しかし、今は感情的に彼らの用意した物を飲む気にならなかった。前回は拒否だったが、今回は拒絶である。だとしても、それを表に出すほど鷹晃も単純ではないが。
 院内とは打って変わって黒尽くめな院長室に身を移し、ソファに腰を下ろした途端、鷹晃はまず核心を放った。
「スターゲイザー殿が死んだことにして欲しいのでござる」
 流石に意表を突かれたようだった。ラップハールは驚きに表情を固める。
「……どういうことだ?」
 唇の緊張をほぐすようにその問いは出た。鷹晃は軽く頷くと、その意図と自分たちの今の状況を説明した。
 現在、スターゲイザーは何者かに命を狙われているようである。先程も襲撃によって自分たちの住まいが跡形もなく破壊されてしまった。相手は強力だ。スターゲイザーはたまたま運良く助かっただけにすぎない。そんな彼が負傷している時にまた襲われてはひとたまりもない。しかも犯人の目星はまだついていない。向こうの出方を見るためにも、一度スターゲイザーは死んだことにしておきたいのだ。
「…………」
 ラップハールは片手で口元を覆い、視線をあらぬ方向へ向けて考え込んでいるようだった。燃え立つような深紅の髪の内側で、どのような計算がなされているのか。
「……けどよ、あのミーローが死ぬほどの重傷じゃねえってことは向こうもわかってるんじゃないか?」
「ばれるような嘘でも構わないのでござるよ。要は相手の出方を見るため、少しでも動揺を誘えればいいのでござる」
「……なるほど」
 再び考え込む。ラップハールの腰を少しでも軽くするため、鷹晃は言葉を重ねた。
「誓ってプリンスダム≠ノ迷惑をかけぬよう尽力するでござる。どうかご協力いただきたい」
 するとラップハールは頭を小突かれたような顔をした。そして少々狼狽気味に、
「ん? ああ、いや、それは別にいいんだ。うちは戦闘医療集団って言われてるぐらいだからな。どんな奴だろうと患者は絶対に護る」
 意外と声に力がないのは鷹晃の気のせいだろうか。それとも彼女らにとっては当たり前のことすぎて今更な感が強かったのだろうか。
「そうでござるか。それは良かった。頼りにしているでござるよ」
 安堵したように笑みを見せると、ラップハールもつられたように笑った。
「ああ、任せとけ。前も言ったけどな、人命救助があたしらの唯一至高の信念だ。どんな事情があろうがあたしの病院じゃそう簡単には死なせやしないぜ」
 プリンスダム≠背負って立つ女傑にふさわしい、力強い笑顔だった。鷹晃も笑うと、会話は潤滑油を得たように動き出した。
「無論、貴殿から受けた依頼はしかと果たそう。今日はもう遅い故やめておくが、明日もう一度ウォズ殿のところへ赴いて事実の確認をするつもりでござる。後、念のためマルグリット殿に<鬼攻兵団>の監視を頼み、ここの警護はガルゥレイジに任せるでござる。……ガルゥレイジの事はご存じか?」
 ガルゥレイジ。その名を聞いてラップハールは苦笑した。
「知らないわけねえだろ。ある意味、あんた以上の英雄だぜ?」
 ガイスト・メルゼクス事変の末期におけるガルゥレイジの戦果は比類無いものだった。名は知らずとも、その姿と功績だけならばクライン≠ノ住む者全てが覚えていることだろう。
 鷹晃は、にっ、と笑う。
「そのガルゥレイジを置いて行き、そのことをオーディス殿やウォズ殿に知らせておくでござる。さすればここの者が襲われることはまず無いでござろう」
 ガルゥレイジは爆弾のようなものだ。ひとたび解放されれば敵も味方も関係なく吹き飛ぶ。取るべき手段としては一番最後に選択されるものだ。しかしそれ故に、相手側は暴発を恐れて近寄ることすら出来ないだろう。自分が砕ける危険を負ってまで脅迫や暴行を働くほど、向こうも愚劣ではないはずだった。
「かつ、その上でスターゲイザー殿の死を公表すれば、おそらく犯人側は次の行動に出るものと思われる。いや、出ざるを得ぬ。というのも実は、拙者達の家……つまりスターゲイザー殿を襲った犯人と、このプリンスダム≠ノ脅迫や暴行行為を働いている者達は、同一組織である可能性が高いのでござるよ」
 ラップハールの顔が怪訝に歪んだ。彼女には思いつかなかった可能性だったのだろう。居住まいを変えて食い付くように、
「どういうことだそりゃ? つまり、全部オーディス派の、<鬼攻兵団>の仕業だってのか?」
 鷹晃は首をゆっくり横に振った。
「それはまだわからぬ。これはスターゲイザー殿の推理なのでござるが……全体をして、あまりにもタイミングが良すぎるのでござるよ。ラップハール殿達が脅迫と暴行を受け、困ったところへ拙者に依頼をした。依頼を受けた拙者が示談を持ちかけに行ったところ、その隙を突いたようにスターゲイザー殿が襲われた。出来すぎでござろう? 流れに破綻がなさ過ぎて逆に不可解でござる。脚本を書いたのはよっぽどの理想主義者か、机上の空論が得意の理屈倒れだろう、とスターゲイザー殿も言っておった」
 シナリオが良くできていればいるほど、その先も見通しやすい。向こうにとって最良とは何か。それを考えれば良いのだ。
「ならば相手の思うとおりに事が進んでいるように見せかければ良い。さすれば、いずれ向こうは調子に乗って自ら名乗りを上げるでござろう。反撃はそれからでも遅くはなし。スターゲイザー殿はそれまで、自ら舞台を下りるつもりなのでござるよ。そして拙者らもあちらの目論見通りに動いているように見せかけながら、反撃の機会を窺うでござる。その暁にはラップハール殿の依頼も無事完遂できるでござるよ」
 みたびラップハールは考え込んだ。静かに脳内で検討を繰り返しているのだろう。鷹晃とて自身で思いついた案でないため、既に推敲を済ませている。ラップハールが反対する要素はないはずだった。
 ラップハールは小さく息をついた。どうやら結論が出たらしい。彼女は鷹晃に真剣な眼差しを向けて、顎を引くようにして頷いた。
「……わかった。あたしらはミーローの死亡を偽装すればいいんだな。いくつか面倒な条件がつくが良いかミスター? 敵を騙すにはまず味方からって言うだろう。あたしらはウチの奴らのほとんどにミーロー死亡を真実として伝える。当のミーローには特注の部屋に隠れてもらう。これならミーローの身の安全だって保証出来るし、治療も続行出来る」
 どうやらラップハールの中ではスターゲイザーは『ミーロー』として落ち着いてしまったらしい。
 それはともかく、期待通りの返答だった。鷹晃はソファに腰を埋めたまま、深々と頭を下げた。
「ご協力、感謝するでござる」
「いいってことさ。ミスターにはこれからしばらく世話になるんだしな。なによりガイスト・メルゼクス事変の英雄の頼みとあっちゃ聞かねえわけにはいかないだろ?」
 ラップハールは片目を閉じて見せて、茶目っ気のある口調で言う。
「ま、大船に乗った気でいてくれよ。あ、そうそう、家なくなっちまったんだろ? こっちで部屋を用意するから泊まっていってくれ。あんたが留まってくれるならこっちとしても安心出来るぜ」
 にかっ、と笑う。その顔にはまるで邪気が感じられず、鷹晃としては幾ばくかの良心の呵責に耐えねばならなかった。

 一時間後。スターゲイザーの身柄は速やかにプリンスダム≠フ地下、最奥にある部屋へと移された。
 隔離病棟とも言えるスターゲイザーの病室へ訪れた鷹晃は、すぐさま室内を見回した後、目線だけでベッドに横たわるスターゲイザーに質問した。スターゲイザーはその意図を正確に汲み、こう答える。
「大丈夫です。盗聴や録音の危険はありませんよ」
 鷹晃は胸をなで下ろし、緊張を息に込めて吐き出した。
「貴殿がそう言うなら安心でござるな」
「して、首尾はいかがでしたかな?」
 鷹晃は小さく頷く。
「貴殿の予想していた通り、拙者が寝泊まりする部屋はここから一番遠い場所になったでござる。あと、これを最後にあまりこの部屋に来ぬようにとも」
「でしょうな。あなたを私の近くに置くわけがない。これでプリンスダム≠ヘ灰色から一気に黒に近くなりましたな」
 緑の瞳の優男は冷笑を口元に乗せた。しかし、その言葉をどうにも信じられない鷹晃は思わず聞き返してしまう。
「本当に、そうなのでござるか?」
「おやおや。説明ならしたでしょう?」
 スターゲイザーは大仰に肩を竦めてみせる。
「現在の我々の周囲は全てが灰色です。こっちからカマをかけて色をはっきりさせていかないと、良いように弄ばれてしまいますよ。それに疑心暗鬼に陥ってしまって落ち着かないことこの上ない。あなたならお解りでしょう」
「スターゲイザー殿の言うことはわかっているのでござるが……」
 両性具有の探偵はこれ見よがしに大きな溜息をついた。
「わかっていますよ。頭でわかっていても心が追いつかないのでしょう。あなたはそういうお人だ。それはそれで素晴らしいことですが、現実処理能力に長けているとは言い難いですな」
 鷹晃は沈黙した。スターゲイザーの言うとおりだった。彼女らにはまだ疑うべき余地がある。それを理解していても、ラップハールの笑顔を見ていると、よもや自分たちを騙しているとは思えないのである。
「良いですか? 全ては均整の取れたシナリオの通りに動いています。今のところは。我々は最悪のシナリオを予測しなければならない。では、その最悪のシナリオとはどういったものか。それは周り全てが敵である、というものですよ」
 スターゲイザーの言葉を聞いて、鷹晃はほんの二時間ほど前のことを想起する。

 我が家だった廃墟の片隅で、鷹晃はスターゲイザーの提案に目を見張った。
「それが妙案でござるか?」
「ええ、勿論。まあ、他に代案があるのならそれも検討に加えますが?」
「スターゲイザー! 余の鷹晃を馬鹿にするような発言は慎みたまえ!」
「おっと失礼。いやしかし、これは私としても上等な作戦だと思うのですよ。マルグリット様はいかがですかな?」
「ふん、余の心は鷹晃と常に一つだ。それが究極の愛というものなのだよ! で、鷹晃? どうなのかね?」
 どうやらマルグリットは自分で考えることを放棄して、鷹晃に丸投げしたいらしい。にこにこと自分を見上げる少年に対して、少しは己の脳細胞を活用して欲しい、と思う。信頼されているのは喜ばしいことなのだが。
 鷹晃はスターゲイザーが差し出してきた『妙案』を、自分の舌の上に乗せて転がしてみる。
「しかし……これから拙者達四人でクライン¢S体を騙す──というのは、どうにも話が壮大すぎて……」
 むぅ、と鷹晃は唸る。
 そう。スターゲイザーの妙案とやらは、鷹晃にとっては実感がほとんどなく、むしろ誇大妄想のように思えてしまうものだった。
 この時、まだ治療を受けていないため全身傷だらけのキャプテン・スターゲイザーは、それでもしれっと言う。
「何もクライン≠ノいる全員を騙す、というわけではありませんよ。そのほとんどを騙せれば良いのです。さらに言えば、実際に騙す人間の数は十人にもならないでしょう」
 これに対して、マルグリットがくりんと大きな目を瞬かせて、小首をかしげた。
「なんだそれは? スターゲイザー、お前の言っていることは意味不明ではないか。さっぱりわからないぞ?」
 そんなマルグリットに、スターゲイザーは汗と埃で汚れた顔に微笑みを浮かべ、
「それはこういうことです、マルグリット様。現在、このクライン≠実質的に統治しているのは共和区を除けば、中央区のクライン℃b定政府の議会、北東区の<鬼攻兵団>オーディス、北西区の<ミスティック・アーク>ウォズの三者です。このうち中央区はほとんど共和区と同じですから無視して良いでしょう。重要なのは残りの二者です。彼らは実質、クライン≠フ三分の二を治めています。つまり」
「オーディス殿とウォズ殿を騙せば、それはクライン≠フ三分の二の者を騙すことに繋がる……ということでござるか」
「ご明察。流石ですな」
 意識せずにスターゲイザーの語を継ぐ形になった鷹晃だったが、褒められても嬉しくはなかった。騙し合いの領域である。そんなものに長けていたところで、武士としては自慢出来るものではない。
 だがそんな心の機微も、精神の幼いマルグリットにはわかってもらえない。彼は感動に目を輝かせて、
「おおおお鷹晃! それでこそ余の恋人だ! 見事だぞ!」
 単純なのは良いことだ、と鷹晃は思う。ある意味で純粋なマルグリットが少し羨ましかった。
「御門さんがプリンスダム≠ノ依頼を受けた。ウォズ派へ行くと事実無根と言われ、オーディス派では団長が暗殺されたと聞く。その隙を狙ったかのように私が、暗殺されたはずのオーディスに襲われる。ああ、そうそう、忘れてはいけないのが、ガルゥレイジくんもプリンスダム≠フ戦闘ナースの攻撃を受けていたことです。これを聞いてどう思われますかな?」
 スターゲイザーの問いかけは、ほとんど確認であった。こんな答えすぐにわかるでしょう、とその表情が言っている。
「各個撃破ですよ。敵は我々を分散させて、一人になったところを叩こうとしているのです」
 彼がそう言い切ったことで、まるで現実が確定されたような気がした。見えざる敵に完全包囲されているような錯覚が、等しく鷹晃とマルグリットにもたらされた。事実、眼前で傷を負っているスターゲイザーの言葉だけに、説得力は十分だった。
「そもそものプリンスダム≠フ依頼からして疑ってかかるべきでしょうな。発端はそこですから」
 刹那、ラップハールとシュトナ、そして楽那の顔が脳裏によぎった鷹晃は思わず、
「しかし、偶然という可能性も」
「あります。それは認めましょう」
 スターゲイザーは遮断するように言った。その勢いに頬をぶたれたかのように、鷹晃は押し黙る。痛いほど、スターゲイザーの言いたいことが彼女にはわかっていた。
 思い返せば、始まりはプリンスダム≠ゥら届いた一通の手紙からだった。一人で来て欲しい、と書いてあった。その時点で既におかしかったのだ。あの時からスターゲイザーの言う各個撃破は開始されていたのかもしれない。自分が言ったように偶然であることも考えられるが、その可能性は絶望的に低かった。
「疑わしきは罰せよ、と言います。今回襲われたのは私だったわけですが、いずれはあなたのみならず、マルグリット様とガルゥレイジくんにも牙が伸びることでしょう。そうなってからでは手遅れですよ?」
 頭の奥でガルゥレイジがなにやら蠢くような気配がした。彼はガイストによって生み出された竜種で、生存本能が強い。自らに危害が及ぶ可能性を聞かされて警戒心が働いたのだろう。鷹晃が許可を与えれば、すぐにでも彼女の影から飛び出て竜へと変化するかもしれない。
 一方、マルグリットは侮辱と取ったようだ。柳眉を逆立て、
「ふん、一人でいたとて余が負けるわけがない。何者であろうと下郎は全て灰燼に帰してやるわ!」
 澄みすぎた湖面のような瞳が、激情に揺らめく。この時、彼の双眸はまるで青白い恒星を閉じこめた宝石のように輝く。<ミスティック・アーク>の『ラピュタ』でのことを除けば、このところ彼の炎はとんと鎌首を休めたままだ。フラストレーションが溜まっているのかもしれなかった。
 鷹晃がプリンスダム≠初めて訪れた際、各個撃破の餌食にされなかったのはひとえにガルゥレイジのおかげだろう。彼はほぼ常に鷹晃の影の中に潜んでいる。それを知っている者は少ないが、オーディスとウォズならば既知の事実だろう。敵はまず、鷹晃とガルゥレイジ、マルグリットとスターゲイザー、という風に自分たちを分断しにかかっていたのだ。
「全てを疑ってかかる。これが基本姿勢です。これからずっとそうしろ、というわけではありませんから、せめてオーディス暗殺が嘘か真かわかる辺りまでは、お付き合いできませんか?」
 鷹晃はスターゲイザーの要請に似た言葉に即答せず、すっと瞼を閉じた。
 納得は行かないが、客観的にはスターゲイザーが正しい。それはわかっている。だがそれでも手放せないものが鷹晃にはあった。
 彼女は目を開き、ゆっくり唇を開く。
「拙者はスターゲイザー殿のことを信用している。その知謀も信じている。だからその方針には従うつもりでござる。しかし」
 スターゲイザーが声には出さず、おやおや、という表情をした。左右非対称の苦い笑みを浮かべ、視線を逸らし、小さく嘆息する。
「しかし、事の次第がはっきりするまでは偶然説を捨てる気はないでござる。信義無くして人は生きてはいけぬ。拙者は出来うる限り、人を信じたい」
 お人好しですね、とはスターゲイザーは言わなかった。彼女のそうでない一面を彼は知っているのだ。あのガイストを斬り倒せないと知ったとき、殴り殺そうとした鷹晃である。事の次第が判明し、全てが裏切りだった場合、彼女はきっと誰よりも恐ろしい存在となるだろう、と。
 スターゲイザーは彼の常の属性である、不謹慎な表情で一つ頷く。
「よろしいでしょう。とりあえずは基本方針に則って頂ければ十分です。ではこれから具体的なやり方について説明しましょう。ガルゥレイジくんにもご協力をお願いしてもよろしいですかな?」
「諾」
 短いが、深い地割れのような声が鷹晃の影から生まれた。マルグリットが、不気味な奴め、と言いたげに顔を歪める。
「よろしい。ではより具体的に説明しましょう。お耳をお貸し下さい」

 そうして詳細な作戦を授けられたのが二時間ほど前のことである。スターゲイザーはほんの短時間で、実に綿密な計画を立てて見せた。
 鷹晃がラップハールに『スターゲイザーが死んだことにして欲しい』と申し出たのもその一環である。もっとも、何も悪くないかもしれないラップハール達を騙すのは、鷹晃としては気分が良くなかったが。
「実際、プリンスダム≠ヨ私が死んだことにしてもらいたい、と申し出たらこの通りになりました。私とあなた方を引き離しての各個撃破。今度こそトドメを刺すつもりでしょうな。無論、プリンスダム≠フ人間は何もせず、ここへ攻めてきた何者かが私の命を奪うというシナリオでしょうが」
 鷹晃は反駁できない。まさしく状況はスターゲイザーの予想通りに動いていた。彼が『こうすれば、ああくる』と言ったとおりになっているのだ。まるで現実がスターゲイザーの支配下に置かれたかのように。ガイスト・メルゼクス事変の時も彼の一言で幾度も死線を潜り抜け、そのつど頭の切れる奴だとは思っていたが、まさかここまでとは。
 否、そうではない。現実が彼にひれ伏しているのではない。それは勘違いだ。ただ彼は冷静に現実を見据え、受け入れているだけだ。鷹晃にそれができていないだけで、スターゲイザーが特別というわけではない。
「好都合です。あちらはあっさりと反撃用の切符を渡してくれました。そうと気付かずに、ね。あとは我々がそれをどう切るか、ですが……まぁまずは主犯の顔を拝ませてもらいましょう。今夜にでも来てくれるでしょうからな」
 愉快そうにニヤついて、スターゲイザーは言う。
「何がそんなにおかしいのでござるか」
 つい鷹晃はそんな不機嫌な声をこぼしてしまう。彼に理があるのは認めるが、こちらはまだプリンスダム≠フ人々やオーディス・ウォズの戦友達を信用したいと思っているというのに。こちらの心情をまったく考慮しない不謹慎さが、少し気に障ったのだった。
「いえいえ、こうも簡単にこちらの手に乗ってくれるとは思ってもみなかったもので。少々嬉しくなったのですよ。お気に障りましたかな?」
 鷹晃は沈黙することで肯定した。
 それはともかく、主犯、とスターゲイザーは言った。それは一体誰のことを指すのか。そもそもこの状況の理由は一体何なのか。鷹晃にはそれがわからない。
 何者かが鷹晃達を見えない糸で絡め取り、各個撃破をもって殲滅しようとしている。スターゲイザーはそう看破した。確かに今日一日で不可解なことがいくらもあった。代表的なのは二つ。
 一つ。ラップハールの説明したプリンスダム≠フ状況を、ウォズが真っ向から否定した。ラップハールは『<ミスティック・アーク>が傘下に入れと脅しをかけてきた』と言うが、ウォズは『プリンスダム≠ノ手出しはしていない』と首を横に振る。これだけでも、ラップハールが嘘をついている可能性、ウォズが嘘をついている可能性、あるいは何者かがそう見せかけようと偽装している可能性などが思い浮かぶ。疑惑は尽きない。
 二つ。フライスから『オーディスが暗殺された』と聞かされたというのに、ほぼ同じ頃、スターゲイザーがそのオーディスに襲われていたという。オーディスが実は生きていたのであれば、フライスが嘘をついていたということになる。が、フライスの言葉が嘘でなかったならば、何者かがオーディスの姿を借りて偽装したとしか考えられない。
 問題なのは、誰が嘘をついているのかわからない。だからこそ、現状は曖昧だった。
 実際問題、スターゲイザーを襲った犯人の候補はいくらかいる。だが、誰も彼も決定打に欠けるのだ。容疑者が多すぎて真犯人が絞れない。そんな状態だった。
 だからこそスターゲイザーも『周囲全てが灰色』と言ったのだろう。そして、そんな彼が立てた作戦の基本姿勢は『相手の出方を待つ』というものであった。
「拙者達がバラバラに行動するように見せかけて、相手を誘う……本当にうまくいくのでござろうか?」
「さあ、どうでしょうね? 少なくとも相手は我々を各個撃破しようとしている。いや、正確にはちょっと違うでしょうな。あちらさんは各個撃破するしかないほど、我々の力量を評価しているのでしょう。だから分断しようとする。つまり、罠にかけようとしているわけです。そこを我々は理解した上で敢えて飛び込むわけですが」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、でござるか」
「その通り。罠と知った上でバラバラに散った我々を見て、むこうさんは当然の如く行動に出る。が、そこ逆に罠ごと我々が食い破れば良いのです」
 言うのは簡単だが、実行するのは並大抵ではない。鷹晃はそれがわかっているからこそ、彼女らしくもなく不安を口にしたのである。ただ、味方だと思っていた者が敵かもしれないという状況もあるのだろう。我ながら少し気弱になっているのかもしれない、と思う鷹晃だった。
「ところで、我々を個別に倒すという方針でいく場合、一番のキーファクターになるのは誰かわかりますかな?」
 スターゲイザーは意地悪っぽくそんな質問をしてきた。鷹晃は少し考えたが、わからなかったので素直に、
「いいや、わからんでござる」
 と答えた。どうせ彼のことだから意地悪な答えしかないのだろう、という想いもあった。スターゲイザーの答えは簡潔だった。
「ガルゥレイジくんですよ」
 優男の表情は、教師の示した問題を難無く答える優等生のそれだった。どっちが質問者で回答者なのかよくわからない。
「半年前の彼の偉業は誰もが知っています。彼に対してだけは各個撃破ではなく、他の方法で無力化をはかろうとするでしょう。彼はそれほどの存在なんです。まあ、今も昔もジョーカーというわけですな。となると、このジョーカーの使い方によっていくらでも状況は一変するのです」
 スターゲイザーは得意そうにそう語る。作戦の基本的なことは瞬時に思いついたのだろうが、ここに来てからもずっと思考を煮詰めていたのだろう。自らの知的活動を披露したくてしょうがないのだろう。
「つまり、ガルゥレイジをうまく使えば拙者達に勝機があるから、安心しろと言いたいのでござるか?」
「ご明察ですな」
 短い言葉でスターゲイザーは肯定した。思い通りになるのはやや癪のような気もしたが、確かに安心出来る材料ではあった。だが、そうなればそうなったで、出てくる不安もある。懸念の素材には事欠かない状況だった。
「ならば、ラップハール殿に拙者が<ミスティック・アーク>へ向かい、マルグリット殿が<鬼攻兵団>へ行くなどと、丁寧に言う必要もなかったのでは? 親切が過ぎれば向こうも罠かと思って怪しむでござろう?」
 にやり、とスターゲイザーは不敵に笑った。
「そう思われるのは当然ですが、それは杞憂ですな」
「何故でござる?」
「あちらさんも我々と同じ風に考えるはずです。罠かもしれないが、食い破ってしまえ──とね。それほど、我々がバラバラで行動するというのは向こうにとってオイシイ状況なんですよ」
「なるほど……」
 相手の心理をよく捉えているものだ、と鷹晃は感心する。この辺りを聞くと、探偵と自称しているのも確かに頷けた。ここでふと、鷹晃はあることに思い当たり、その疑問を口にした。
「そういえばスターゲイザー殿は今回の件、何者の手によるものか見当がついているのではござらんか?」
 ここまで頭を回転させている彼だ。推測に過ぎないにしても、彼なりの結論はもう出ているのではないだろうか。
 この問いに、スターゲイザーは少し困ったように肩を竦め、眉を微妙な角度に曲げた。
「それは難しい質問ですな。正直、まだ私にもわかりません。オーディスかウォズのどちらかだとは思っていますがね。どちらか一方がラップハール氏と手を結び、我々を陥れようとしている……それが私なりの推論ですよ」
「スターゲイザー殿にもわからぬでござるか……」
「残念ながら材料が足りませんね。ま、一番の有力株はオーディスの<鬼攻兵団>ですな。何より私自身が彼に手痛い目に遭わされましたので。私は原則的に自分で見たもの以外は信じない主義です。逆に言えば、この目で見たものは確かだと思っています。よってオーディスに襲われたからには、あちらをより疑うのは自然の流れでしょう」
「しかし、偽装の可能性もござる」
「ええ。だからオーディスかウォズか『わからない』と。そういうことです。まぁ、ラップハール氏とウォズの話の齟齬も気になりますしね」
 この時、鷹晃の脳裏に閃いたのは天啓だったのかもしれない。瞬間的にある名前が意識の隅をよぎり、鷹晃はそれを素早く捕まえることに成功した。呟きが漏れる。
「……メルゼクス……!?」
 自分で言って驚いた。
 そうだ。何故、今までその可能性を思いつかなかったのか。鷹晃達の命を狙うとすれば、奴しかいないではないか。鷹晃の記憶から、純白のタキシードを見事に着こなした白皙の美男子の姿が抽出される。短く刈った紫の髪に、貴公子然とした振る舞い。クライン≠ノあっては『時空の守護者』という位置づけで、ガイスト・メルゼクス事変においては真の元凶だった男。ウォズら魔術師が言うところの、本物の魔法遣い。
 鷹晃の敵である。
 見ると、スターゲイザーが彼らしくもなく険しい顔をしていた。眉根を寄せて、心配そうに鷹晃を見つめている。
「話そうとは思っていたんですがね。先に思いついてしまいましたか」
 鷹晃がメルゼクスに対してどのような感情を抱いているのか、スターゲイザーは知っている。それ故だろう、彼の選択した表情は。
 それ自体が光を放っているような明るい緑の瞳を伏せて、スターゲイザーは溜息をつく。
「先に言っておきますが、あのメルゼクスが関係しているかどうかは不明です。今のところ、それを示唆する材料はありませんのでね。ありもしない影に目を奪われて感情的になられては困りますよ?」
「……わかっているでござるよ」
 鷹晃の声は、完全に台詞を裏切っていた。
 メルゼクスという名は、クライン≠ノ暮らす人々全てがそうだが、鷹晃にとって大きく強い意味を持つ。彼女の胸に忸怩たる思いを呼び込む響きだった。
 巷では英雄などと呼びはやされてはいるが、実際のところ自分は肝心なところで失敗した度し難い人間である、と鷹晃は思っている。半年前の事変でメルゼクスを追いつめておきながら、つまらないミスで逃してしまったのは自分だ。皆を元の世界に戻す手掛かりを失い、あまつさえ自らの肉体の性を失った。何が英雄か。そんな偉そうな身分で呼ばれるほどのものではない。御門鷹晃がどれほどのものだというのか。
 褒め称えてくれる人々に悪いため、これまで公に口にしたことはない。だが、マルグリットとスターゲイザーの二人だけは鷹晃の心情を理解していた。それと同時に二人ともが『細かいところは気にせずに甘い汁は吸っておけばいい。他人の好意を無駄にしてはいけない』と鷹晃に英雄たれと求めもするが。
「ただ、拙者はメルゼクスが噛んでいるというのならば、全てに得心がいくでござる。何の因果もない拙者達とガイストを戦わせたあやつだ……何をしてきてもおかしくはない……!」
 胸中をかき乱す感情に、鷹晃は歯軋りする。この時点でもうスターゲイザーの言う『ありもしない影に目を奪われて感情的に』なっているのだが、彼女は気付かない。
 スターゲイザーは大袈裟に溜息をついて見せた。
「困ります、と言っているそばからそれですか。そんなことだから、その名前を出したくなかったのですが……」
「しかし、スターゲイザー殿、あやつなら納得いかぬでござるか? 仮にオーディス殿やウォズ殿が黒幕だったとしよう。ならその動機は何でござる? 少なくとも拙者にはわからぬ。彼らは半年前の戦いを共に潜り抜けた戦友でござる。だが、あやつなら……! オーディス殿やウォズ殿を疑うより、メルゼクスの所行と考慮するのがむしろ自然な流れでござる」
 熱弁する鷹晃に、やれやれ、とスターゲイザーは肩を竦める。
「そうですな。まぁそうでしょう。普通は」
 のらりくらりと肩すかしを食らわせるようなスターゲイザーの物言いに、鷹晃は眉根の皺を増やす。
「何でござる? 妙に引っかかる言い方を……別段、女のヒステリーというわけではござらんぞ」
「誰もそんなこと言ってやしませんよ。オーディスとウォズの動機ですがね、私には何となく予想がつきますよ」
 何でもないことのようにスターゲイザーは言い放つ。そんな態度に少し腹を立てつつ、鷹晃は問い詰めた。
「どういうことでござる?」
 するとスターゲイザーは視線を逸らし、口元に手をやった。珍しく考え込むポーズを取った後、彼はしれっと、
「……いいえ、確証が持てないので保留にしておきましょう」
「む……何故でござるか」
 食い下がる鷹晃にスターゲイザーは尻尾と羽根を隠した小悪魔のように微笑んで見せた。
「我々の英雄が感情的になって無様な姿を見せてしまうからです」
 放たれた言葉に含まれる毒は強い。彼の属性だとわかっていても、憮然とする表情を隠せない鷹晃だった。




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